あれはどこの町の、何という料亭だったか、五十畳もあろうと思われるだだっ広い大広 間の一隅に、我々の昼食の席が用意されていた。私たちは二台の車に分乗してそこに来た てもちぶさた のだが、清張先生の車がどういうわけか遅れ、私たちは手持無沙汰に待っていた。 ようや そのうち漸く車が着いて、清張先生がせかせかした足どりで人って来られたが、席につ くなり、思い出したように手洗に立たれた。すかさず料亭の仲居が案内に立つ。 間もなく清張先生はさっきの仲居と一緒に戻ってこられた。さっきも書いたように、五 十畳敷きほどの大広間である。我々の席は人口から一番遠い上座にある。清張先生は急ぎ 足で人ってこられた。その時、案内役の厚化粧の中年仲居が、歩きながら清張先生の左手 を軽く握りにいった。彼女がどういうつもりでそんなことをしたのか、その途端に清張先 生の左手は激しくそれを払い退けた。まさに、 「無礼者、下れ ! 」 という見幕だった。 あの仲居さんはなぜそんなことをしたのだろう。時々、私はそのことを思い出しては考 けんかい える。その時、私は清張先生を狷介な人だと思っただけだったが、もしかしたら仲居さん がそんなことをしてもいい、と思うようなことがどこかであったのかもしれず、あるいは
ただ一つの思い出・ーーー松本清張 せいちょう 清張先生は私にとって遠くから仰ぎ見る巨峯であって、個人的には何のつながりもない 方である。 かいこうたけし 開高健さんが亡くなった時、「巨星墜つ」という見出しの追悼特集を見て、私は「開高 あいきよう さんが巨星 ? 」と首をかしげた。あの愛嬌のある軽妙なおしゃべり好きの、大阪人らしい あふ サービス精神に溢れた開高さんを「巨星」と呼ぶことに私は違和感を覚える。 「巨星は松本清張さんが亡くなった時にとっとくべきじゃないの」 といったのだったが、 ( 平成四年八月四日 ) ついに巨星は墜ちた。個人的なつながりは 何もないのに、なぜか落胆の思いが強い。 昭和四十五年の春、私は清張先生と開高さんの三人で文藝春秋の講演旅行に出た。 なおき 「佐藤を同行させよ」と清張先生がいわれたということで、直木賞を受賞したばかりの私 は、気が進まぬながら断ることが出来ずについて行ったのである。 わず たくわ その頃、私は多額の借金を抱えた上に、僅かな蓄えを根こそぎ、別れた夫に持って行か きょう
れて素寒貧。毎日、締切りがあるというほどに原稿を引き受けており、とても講演旅行な どという気分ではなかったのだ。 だが行かねばならぬと思ったのは、私の直木賞受賞は清張先生の強い「押し」があった おかげだと聞いていたからである。反対も多く、清張先生の押しがなければ、受賞は見送 られたであろう。受賞のおかげで原稿の注文が殺到し、そのおかげで借金が返していける ようになったのである。大恩ある清張先生のお誘いを無視するわけにはいかなかった。 ひろうこんばい しかし借金と原稿書きと夫の不実を背負って疲労困憊していた私は、旅行の間中、何を こくら からっ していたのか、小倉にはじまって唐津に終ったことは覚えているが、その他はいつどこへ 行ったのか、さつばり記憶にない。覚えていることは、行く先々で東京の夫の会社へ電話 をかけ、彼が無断で持ち出した私の金はどうなった、いっ返すのか、と詰問していたこと 出だけである。 ごんげ 窈清張先生には文春の権威主義の権化のようなエライさまがっきっきりで、私など足もと っ ←にも近づけなかった。私はただいわれるままに車に乗り、いわれるままに講演し、いわれ ちそう るままにご馳走を食べ、開高さんの軽妙な話術に気持を引き立てられつつ、辛い旅行をつ づけたのである。 185 すかんびん
笑いつつ怒る時 : 初夢の話 : 幽霊にならぬためには : こんな死に方もある たいした女 , ー、ー平林たい子・ : ーー色川武大 : 男のデリカシー ただ一つの思い出ーーー松本清張 : 川上宗薫 : こんな死に方もある 解説・野上照代 170 176 181
187 ただーっの思い出 またこの仲居さんは、田舎のド厚かましいおっさん客のあっかいに馴れて、男の客という ものは、そうすれば喜ぶと思い込んでいたのかもしれない。あの仲居さんがもう少し年若 く、もう少し魅力的であれば、違った状況になったかもしれないとも思うのだが、どんな ものであろう。 だがある人にいわせると、清張先生は実にシャイなお方で若い美人に対すると、手も足 も出なくなる人だから、そういうことになれば逃げ出されるんじゃないかということであ っこ。
127 話が通じない 「意図が通っていないとは、どこがいけないんでしよう ? 」 私がインタビュアーであれば必ずそう訊く。自分を主張するというのではなく、どこに 落度があったかも問いただして、今後の勉強にする。たとえ時間がなくても。それは自分 の仕事に対する責任であり情熱ではないか。 若い女性のインタビューはもうごめんである。インタビューがお説教になってしまう。 お説教を心ゆくまでさせてやるというのなら受けないでもないが、しかし熱心に聞くふり をしながら、後で、勝手な自分の考えをつけ加えるのでは、やつばり断る方が賢明かも。 教訓ものごと簡単にわかった気になるな。
いい張る。 「そうかなあ。じゃあ、きっと彼の方も奥さんがハナについてきて、別れたいなあと思っ てたんだ。漠然と感じていたことが、急に掘り起されたのよ」 「それがそうでもなさそうなんです」 あきら 「じゃあ、諦めのいい人だったのね」 「はあ・ : : ・どうでしよう : : : 」 「とにかく弱い男なんだ。気が弱くて主張することが出来ない。いつも相手に押されてい る。奥さんもはじめはその弱さが優しさに見えて満足してたんだろうけど、やがてその優 しさはホンマモンの優しさではなくてただの意気地なしだったことがわかって、それでイ ヤになったんじゃないの」 「はあ : : : そうでしようか : : : 」 に 「それとも働きがなくて、奥さんのヒモ的な存在になっていて、それをクョクョしている 男うちにインボになった。まったく何の役にも立たない自分というものに自信をなくした 弱 「はあ : : : 」
きぜん 後でグズグスとああだったこうだったと人に訴える前に、相手が何者であろうと、毅然 として自己主張をするだけの強さを身につけた方がいい。少なくともフェミニズムを口に するからには、まずその努力をすべきだろう。 だがそういうと必ずこういう返事が返ってくる。 「世の中の女性は佐藤さんがいうような強い人ばかりじゃないんです。弱い人のために私 たちは力を合わせて闘わなくちゃならないんです」と。 多分それは正論だろう。だが「弱い人」は弱いからといって、死ぬまで弱いままでいて いい、というものではない。弱ければ強くなればいいのだ。なるべきだ。その方がグダグ ダ文句をいうより、よほど解決が早い。 どうも当今の風潮を見ていると、進歩的女性を自負している一群の人たちの文句、要求 が多すぎるような気がする。 「嫁」という文字が怪しからん、という。なぜ怪しからんのかといえば、女は家に従属し しゅうとめ ているものという概念を表しているからだそうだ。「姑」も怪しからん。「古くなった 女」とは何ごとだ、侮辱だ、という。 うるさいなあ、まったく、ほかに考えることがないのかね。
「もしもしイ」 と出てきた。 「何でしようか ? 」 と迷惑そうにいう。上司は羽あらば飛んで行って殴りつけたいという思いに駆られ、憤 怒のあまり口がアグアグして一一一口葉が出てこなかったという。 この話を聞いた時、居合わせた人たちは、「半笑い半呆れ」、あるいは「半笑い半怒り」 というあんばいだった。半分笑ったのは、「もうこうなっては笑ってるよりしようがない」 じちょう というャケクノの表現である。あるいは年長である己の非力に対する自嘲でもあったろう。 ところがここに一人、「半笑い半怒り」もせずに沈思していた管理職の男性がいて、彼 はしばしの沈黙の後で静かにいった。 「いや、それはね。当事者には彼らなりの正当な理屈があるんですよ。前日、彼は勤務時 時 怒間以上に仕事をしたんでしよう。その分、翌日は休む権利がある。その権利を侵害する者 つを拒絶するのが何がいけない : : : そういう主張なんでしよう」 「ま、理屈だけをいえばそういうことになるでしようが、しかし上司への礼儀というも のがあるでしよう。わざわざ電話がかかった、何の用だろう、という緊張というものが はんあき ふん
あるア。ハートで、赤ちゃんの泣き声がうるさいと文句をいわれた若いお母さんがノイロ ーゼになってしまった。いくらうるさいと叱られても、赤ちゃんの声帯を取るわけにはい かない。そのお母さんはある夜、泣きしきる赤ちゃんを絞め殺した夢を見て、地獄の苦し みを味わったといっていた。 それがもし現実の出来事だったらどうだろう。マスコミの総指揮のもと、一億総評論家 となって、住宅事情の悪さを指摘する人、核家族の見直しを主張する人、若い母親の精神 もろ かば 力の脆さを批判する人、文句をいった人を非難する人、あるいは庇う人などなど、論評の 渦が巻き起り、そうして赤ちゃんだけが泣きつづけている、という事態になるのであろう。 赤ン坊というものは、泣くことによって運動し、要求し、成長していくものであること はおとなであれば誰でも承知していることだ。だから今はうるさいけれども、もう少し経 てば夜泣きもやむだろう、それまでの辛抱だ、と考えて我慢することは出来ないものだろ 代うか。永久に泣きつづける赤ン坊なんていやしないのだ。 句私がそういうと、それは佐藤さんがそんな経験をしていないからいえることで、翌日は 文 朝早くから電車にギュウ詰になって会社へ行き、一日働いてへトへトになって帰ってくる 者の身にもなってみてよ、と反発された。