ありつづけてほしい。 だいたいレポーターとかアナウンサーの人たちの質問。あんな他愛のない、返事のしょ うのないような、いってもいわなくてもいいような質問に、マトモに答えていられるかと うれ くや いうんだ。何かというと「今のお気持は ? 」という。相撲に勝てば嬉しい。負ければ口惜 しいに決っている。うるせえな、勝てば嬉しいに決ってるじゃないか、わかりきったこと を訊くな、という人が一人くらいいてもよさそうなものだが、そんなことをいおうものな ら全マスコミこぞって悪口をいいまくるだろう。だから、どの人も神妙に答えている。い ってもいわなくてもいいようなことを。 ほとん 「今場所はどんな決意で ? 」という知恵のない質問を平気でする手合がいる。殆ど一年中 相撲をとっているプロが、そういちいち決意など固めていては身がもたない。とにかくど し の取組も勝とうと思っていることは当り前のことだ。いちいち訊くこともない、いう必要 よ まもない。 そういう次第で私はあちこちで貴花田が無愛想だといわれているために ( そうしていく け 負 らいわれても愛想よくしないために ) 、貴花田を応援する気持が少しずつ湧いてきたので ある。 たわい
104 〇ケッコンなどといふことはゼイタクな、ワガママな代物だとしるべし。」 そうして当日祝辞が送られてきた。 北社夫 人生のあけぼのにゐる男、つまり私より、人生のたそがれに立っ男女、すなはち田畑麦 彦、佐藤愛子の両人のコンインに際し、はるかに一書を呈する次第であります。 たそがれ、と私が申しましたのは、むしろ祝福の意味であります。私のやうな春秋にと む青年から見ますると、彼等両人のごとき、つまり一人は若年寄のやうな男、一人はアネ ゴくづれのやうな女を眺めることは、いくぶんの微苦笑をふくんだうらやましさを感じな い訳に参りません。たとへば彼等の親子兄弟ーーもっともまだ子供はない筈ですがーーーか ら見ますればヤキモキなさるでせうが、結婚といふ神聖な、同時にアクビのでるやうな形 とん 式に船出するこの二人に、我々が危惧する時は殆どないのであります。麦彦にしても愛子 にしてもかなり賢明な人類の一人に属します。ただ賢明だけでは困ることもあるのですが、 この二人は共にだらしのない部分も持ってゐるのです。 しろもの
「そんなこといったって、目を開いている限りはいやでも見えてしまうし、耳栓でもしな ければ聞えてしまうわ。見たもの、聞いたものは、いに擘きついて始末がっかなくなる。思 い切っていいたいことはいってしまった方がいいのよ。そうしたらさつばりして、そこで しず はじめて心が鎮まるのよ」 といった。心弱い人、心強い人、エネルギーのある人、ない人によって、対応の仕方が 違うのが当然で、それぞれの年輩者がそれぞれの性格に従って、それぞれのやり方で ( 老 人にとっての ) このむつかしい世の中を何とか平和に生きようとしているのである。 わがまま 前述の心弱い友達は、孫があまりに我儘なので、それをたしなめたところ、 「お母さん、子供のことはぼくらに委せて下さい」 と息子にいわれて以来、見ざる聞かざるを決めこむことにしたのだそうだ。 まわ 5 一方、気強い友達は新幹線の中で走り廻るよその子供を叱ったのがもとで、その母親ま きで怒鳴りつける結果になったいきさつをこう話した。 生 を「その母親ったらね、子供に向ってこういうのよ。『そんなにしてたら、またあのおばあ 現 ちゃまに叱られますよ』って。あのおばあちゃまに叱られますよ、ってことはないでしょ う。なんで子供をたしなめるのにひとのせいにするのよ ! 人に迷惑をかけるのはよくな まか しか
うものはああいうものかもしれない、内奥には我々なんぞに見せぬものを隠しているのか さくそう もしれないという思いが錯綜し、従って誰も簡単には彼の人物評のロを切らなかったので ある。 同人の中では唯一人の女であった私は、三十代の女の直感で彼が無類の女好きであるこ とを見てとり、忽ち軽く見た。若い女 ( 今の私から見れば三十代は若い ) というものは女 おのずかにじ 好きの男を頭からナメるものだ。宗薫の女好きは隠そうとしても自ら滲み出てくるとい う女好きではなく、積極的にそれを見せる ( ひけらかす ) タイプだったから、最初の一日 で私ははや優位に立った。 その位置関係は三十年後に宗薫が死ぬまで変らなかった。お互いに年を重ね、私ももう 「女好きの男」を軽く見るようなことはなくなり、徴笑をもって眺めるという気分になっ る いったん あ ていたが、それでも一旦決った私たちの位置関係は変らなかったのである。 に宗薫は女を口説いた話をするのが好きだった。定時制高校の英語教師をしていた頃、目 死 なをつけた女子学生のテストの点をオマケして気持を悟らせようとしたが、その子はテスト むとんちゃく こ の点数などに無頓着な生徒だったので、いくらオマケしてやっても気がっかない。そのう ち男子学生の中にも彼女に気があるのがいることがわかったので、宗薫はあせって彼女か 189 ただ たちま
女は男の裸など頼まれても見たくないが、男は金を出してでも見たがる。教養を積んだ 男性、つまり「紳士」だけが、そのような本能を理性のカで抑制しているのだが、その中 ゆが きまじめ にもあまり生真面目に抑制しているために人格が歪んで、隠れた場所で紳士が野獣と化す ことによって抑圧を発散している、というような例が風俗レポートなどで紹介されている。 考えてみればそんな「けもの」を身体の奥に抱えて男もそれなりに苦労であろう。 おんなぶろ といっても私は何も、男がオッ。ハイをんだり、女風呂ノゾキをしたり、お尻をなでる ことを許しなさいというのではない。私がよく理解できないのは、お尻をなでられること がそんなに腹が立つのなら、なぜその場で抗議をしないのかということである。先記の女 性記者は、夜遅くいきなりやってきた県警本部長をなぜ炬燵に人れたのか。なぜハッキリ 拒絶しなかったのか。彼女は自分が強く出ることによって仲間の記者の人たちに迷惑がか かっては、と思って我慢したといっている。 それがイカンのだと私はいいたい。いうべきことをハッキリいわずに我慢をしていれば、 ク い 。ハッキリした態 セ鈍感なる相手はこれは受け容れてくれるらしいと踏んで図に乗ってくる 圏度がとれなかったということは、彼女の弱さである。 ( ? ) に応じる。いや、侮辱だなどとは夢にも思わない。男とはそのようなものなのだ。 からだ
かを気にしているようだった。世の中にはそんな暮しを素晴しいと思う人たちとそうは思 わない人間がいること、殊に私などはナミ以上にそれをおかしく思う人間であることをき ちんと彼は認識していた。 宗薫を見るにつけ私はプルーストの『失われた時を求めて』を思い出さずにはいられな へんう かった。長い時の流れの中で人間がしらずしらずのうちに変貌していく。が宗薫が田畑 麦彦が、『失われた時を求めて』の中の登場人物たちのように変貌していった。長く生き てきたことによって私はそれをまざまざと見た。 宗薫の中には日々の快楽の中に変っていく自分とそれを客観視している自分とがよじれ 合っていた。私の中にはいかに宗薫がカネモチ、大流行作家になろうとも、昔、私の家へ 来ては夜食の握り飯を楽しみにして、 「川上さん、あなたはもう二ッ食べたから、あなたの分はもうないわよ」 「わかってるよ。全部で八つだろ。四人で二ッずつだろ ? わかってるよ : : : 」 といいながら、誰よりも早く食べてしまったことを後悔している目つきになっている、 そんな宗薫 ( と私 ) がいつまでも残っているのである。宗薫は私の中のそんな宗薫と贅沢 三昧をしている今の自分との調整に気を使っているようだった。 ざんまい ぜいたく
川上宗薫 こんな死に方もある かわかみそうくん 川上宗薫とはじめて出会ったのは、昭和一二十一二年頃、お互いに三十代の前半であった。 たばたむぎひこ その頃、私の夫であった田畑麦彦が呼びかけ人となって作った『半世界』という同人雑誌 ひぬまりんたろう の同人会に、同人の日沼倫太郎 ( 故 ) に連れられて顔を出した。それがその後の親密な長 いっき合いのはじまりである。 あくたがわ その頃川上宗薫は既に芥川賞候補にもなったことがあり、『群像』など我々無名作家に は雲の上の存在に思われた文芸誌に小説を載せたりしていたので、私たちは「この次の会 かたず には川上宗薫を連れてくる」という日沼倫太郎の言葉に緊張して、固唾を飲むような思い でその日を待ったものだった。 しかし同人会に来た宗薫は、期待外れというか、我々の気負いを外したというか、下手 な冗談を頻発しては効果を期待して皆の顔を見るというふうで ( 仕方なく笑うと満足して、 あっけ また次の冗談をいうのが陳腐で少しも面白くない ) 私たちを呆気にとらせて帰って行った。 とうかい なーんだ、あんな男だったのか、という思いと、いや、あれは韜晦だ、本物の作家とい
の前に安モノながら人形を買っている。人がふり返るほど泣き喚かれたのでは、意地でも 買わんぞ、という気構えである。ここでムザムザ買ってやっては、以後このテを使って押 し通すことを覚えるだろう。 ムリャリ手を引っぱってオモチャ売場を離れた。娘は泣きながら引っぱられて歩いてい るうちに、疲れたのかややおとなしくなった。やれやれと思ってふと気がつくと、夢中で まわ 歩いているうちに、フロア 1 をひと廻りして元の場所へ戻っているではないか。なんと、 忘れかけていたあのモノが我々の目の前にあるのだ。 私が気がつくのと同時に娘奴も気づきおって、途端にワーン、ワーン、あれ買うウが始 まった。それを引っさらうようにしてエスカレーターに押し込むと、娘は暴れてひっくり 返り、エスカレーターの上で頭は下、足は上、という状態になったまま、上へ上へと上っ に て行く。エスカレーターガールがとんできて私は叱られ、娘はびつくりしてあのモノのこ な ? とは忘れてしまった。 我が愚娘ばかりじゃない。そんな光景は昔はいたる所に見られたのだ。 可 しかし今はどこにもそんな子供はいない。みんな涼しい顔をしている。わかりのいい子 が増えたのだ。そういって私が感心していると、年下の友人がこういった。 め
私は思わず隣の—さんを突っき、 「気がついてた ? あの二人」 「はあ、新婚旅行ですね」 「ヨメさん、ムクレて口利かないのよね、それでムコさん、ポカリスエット飲んでる 「はあ : : : 」 —さんはいった。 うなじ 「ポカリスエットねえーー気がっきませんでした。ぼくは項がきれいだなあと思って見て たんです。顔はどんなかわからないけれど」 男の目は「項」を、女の目はポカリスエットを見る。 かるいざわ かばん 軽井沢で二人は降りて行った。男は旅行鞄やら何やら、一人で五つも提げ、女はハンド ・ハッグを持っただけで、二人は無言のまま降りて行った。二人の「初夜」はどういうこと 工 ス になるのか、と私は更に好奇心を燃やしたが、あれほど無遠慮に彼女がムクレたというこ カ ボとは、どうやら二人の「初夜」はもうとっくの昔にすんでいるということなのであろう。 それをポカリスエットが語っていた。
128 現代を生き抜く知恵 若い頃から私は細かいことに気がっかない方で、中年になっても常識がなさすぎるとよ く非難されたものである。 やれお辞儀の頭が高すぎる、歩き方が乱暴だ、一「ロ葉づかいが悪い、無愛想だ、雑巾の絞 ちやわんふ り方がゆるい、茶碗の拭き方が粗雑だ、身だしなみが悪い : : : などとあれこれいわれつづ けて今日に至った。 だから己を省みるとあまり人のことはいえた義理ではないのだが、六十九年も生きるう ちには、いわれたことが少しずつ身についたとみえて、この頃では、 「なんだ、これは ! 常識がないにもほどがある ! 」 と思わずロ走ることが少なからずある。そんな述懐をすると、 「気持はわかるけど、何ごとも見ざる聞かざる言わざるよ。それが穏やかに心静かに暮す コツですよ」 と訓戒してくれた旧友がいるが、また別の友達は、 ぞうきん