意を強うした。 私はまた下痢をしても薬で止めない。出るに委せて絶食する。そうして恢復した後の気 分の爽快なことといったら、まるで身体が新調されたようである。まさに「活性化」とは こういう気分のことをいうのであろう。 十年ばかり前のある日のこと、私は朝から頭痛に苦しんでいた。その頃の私は肩凝りと 頭痛のために三日にあげずマッサージ師の厄介になっていたのだが、この肩凝り頭痛は過 労からきているものだから、仕事量を調整しない限り、いくらマッサージしても治りませ んよ、とマッサージ師から敬遠される有さまだった。 その日も激しい頭痛に仕事も出来ず、マッサージ師は早朝から来てくれず、どうしたも めいもく すわ い のかと仏壇の前に坐って瞑目していた。 な は すると突然、私の身体は左右に揺れ始めた。いったいこれは何なのだと思いつつ、その ス まま動きに身を委ねていたのは、何かしらその動きによって頭痛が軽くなっていくような っ気がしたからである。身体は左右に揺れるばかりでなく、両肩が交互に動き、そのうち腰 に の動きも始まった。身体が仰向けに倒れ、腰が左右に捻れる運動がくり返される。汗が噴 き出る。その動きは一時間あまりもつづき、やがてひとりでに静止した。頭痛はすっかり そうかい ゆだ まか かいふく
私につけるクスリはない 動物にはすべて自然治癒力というものが備わっている。野生の動物はその本能によって 病を癒し、傷を治しているのだ。 はず 当然、人間もその力を持っている筈である。私が大根おろしとトマトばかり食べたくな ったのは、私の中の自然治癒力が、病んだ胆嚢を癒すために私をしてトマトと大根おろし を欲求せしめたのではないか。 胆嚢炎には動物性蛋白質はよくない、と専門家にいわれて肉を食べなくなったのではな く、私は肉がキライになった。トマトと大根おろしが胆嚢にいいから食べなさいといわれ たのではないが、私はそれを食べたくてたまらなくなった まっとう それに気がっき、私はこれこそ真当な、正しい健康法である、と確信した。大切なこと は自分のうちなる「自然治癒力」をいかに磨滅させずに生きるかということだ。そのため には「薬」でもって身体を濁らせてはならない。身体は常に自然にそして敏感に保ってい なければならない。私はそう実感するようになったのだ。 私は自分がトマトと大根おろしで胆嚢炎を鎮めたからといって、人にそれを勧めはしな い。なぜならトマトと大根おろしは、「私の身体が要求した」ものだからである。に効 いたものがに効くとは限らない。 たんばくしつ
くり返しになるが、人は一人一人みな違う。その人その人の体質や気質、病状、その原 因によって身体によいものは違ってくる筈である。あれを食べよ、これは食うなと専門家 は知識によって指導するが、それが効果を上げる場合もあればそうでない時もある。確実 なことは「その時のその人にとって必要な食物」であり必要な運動である。だから私は一 般的な健康法や健康食品に関心がない。 風邪をひいて熱が出ても、私は薬で熱を下げない。なぜならば熱を出し切ることが、そ の時の私の身体には必要 ( だから熱が出ている ) だと考えるからである。 よっかいち 四日市市在住の小田慶一さんというお医者さんの著書『はぐれ医者の万病講座』の中に、 「風邪は万病の名医 ( 風邪はいろんな病気を治してくれるのだから、喜んで風邪をひきな さい ) 」という箇所があって、私は我が意を得たりという気持になった。またその中には はしま 岐阜羽島の山田行彦医師 ( 既に亡くなられた ) の一言葉として、 早期発見は命取り ( ガンを早く見つけると手術やクスリで殺される ) 。 精密検査はネズミ取りだ ( 医者はもっともらしい顔をして脅し、警察のネズミ取りのよ うに網をかけ、健康人を患者にしてしまう ) 。 というような、思い切った紹介があり、表現に誇張はあるが、本質は突いていると私は
冗談じゃない。 こっちがよろけているのに目もくれず、「失礼」ともいわず、闘牛さながら。体勢を立 かなた て直しふり返ると、はや彼方を歩いている。 幅広の。ハッグを肩に掛けて歩きたい時、颯爽気分を味わいたい時は、人通りのない所で やるべきであろう。 すわ この幅広。ハッグの若い女と飛行機で隣り合わせに坐ることになった。私の席は窓側で彼 ひざまえ 女は通路側である。私よりも彼女の方が先に席に着いていたので、私は彼女の膝前の狭い 所を身体を横にしてすり抜けなければならない。見ると彼女の足もとには例の幅広。ハッグ が置いてある。 「すみません」 と私はいった。 目 男「どうぞ」 目 と彼女はいう。どうぞといわれても、そのバッグを何とかしてもらわなければ奥へいけ の 人 ないのである。仕方なく、 「恐れ人りますが : : : 」
110 せもた と・ハッグを指さした。すると彼女は身体を背凭れの方に引きつけてまたいった。 「どうぞ」 また これが普通のスーツケースであれば跨いでいくということが出来るのだ。 しかし何度もいうようだが、そこにあるのはかの・ハケモノ・ハッグである。しかも私は和 服を着ている。 アメリカ人ならいざ知らず、胴長短足の私がどうしてそれを跨げよう。 意を決して私はその上を踏んで歩いた。まさに目には目を、歯には歯を、の心境だった。 もしも文句をいわれたら、こっちにだっていいたいことは山ほどある。負けはしないぞ、 という心構えだった。 しかし彼女は何もいわなかった。 私が・ハッグの上を踏んで通ったことに気がっかなかったのかもしれない。「人の目」ど ころか他人の振舞にも全く無関心なのである。 という次第ですからね、あの人たちは人の目なんか気にしてやしないんですよ。 私がそういうと、雑誌社の人は考え込んでしまった。 「そうですかねえ : : しかし、例えばその髪を長くしていることだってですよ、男が長い
182 デリカシーがないのではなく、あるのだがそう簡単には見えない、というデリカシー、そ れが日本古来の男らしさ、男の魅力のひとつだった。 いろかわたけひろ 今、ふと思い出したのだが、亡くなった色川武大さんは、そういう点で私の理想のタイ プだった。 ふうう ザン・ハ一フ髪の、「首実検の首」といった風貌だったが、いつも穏やかな、実に大きな人 物だった。女にもてることとか、損得とか、えらくなりたいとか、人に好かれたいとか、 カッコよく見られたいとか、およそ卑しい野心というものがなかった。ということは時流 に妥協することも流されることもなかったということである。それゆえにこそ色川さんは 自由だった。 とど からだ 自由をしつかりと身体の奥に止めている男の魅力が色川さんにはあった ( だが色川夫人 はあんなに我儘勝手で厄介な人はいないといわれる。どうやら理想の男、必ずしも理想の 夫ではないのである ) 。 頭のいい男、おしゃれの上手な男、もの腰のスマートな男、優しい気配りの男 : : : そう いう男たちは増えてきている。 だが「頼もしい男」は減りつつある。「頼もしい女」が増えてきたのが原因なのだろう わがまま
はダメだというのだ、などと思う。 ようや そのうち、新郎は漸く気をとり直したとみえて、新婦に向って言葉をかけた。何か飲む 物を買って来ようかと訊いたらしい。私の席からは頭だけしか見えないが、彼女が答えた 様子はない。 おおまた すっくと新郎は立ち上った。ついに新郎もアタマにきたか、と私は緊張する。彼は大股 に客車を出て行った。女は待っていたように身じろぎして、身体の向きを変えた。戻って 来なければ面白いのに。食堂車へ行ってゆっくり酒でも飲めばいいのに。ここまでムクレ るというのはどんな事情があるためか、私は知りたい。きっと男の方に非があるのだろう が、それにしても女もしつこい。しかし私はそれが面白い。 自動ドアーが開いて新郎が戻ってきた。見ると手にポカリスエットを一つ持っている。 ポカリスエットー それを買いに行ったのか ! こういう際になんてカナしいものを飲んでくれるのだ ! ぶぜん しり 席に着いた新郎は、憮然としてポカリスエットを飲んでいる。新婦は今は新郎に尻を向 けてガラスに額を預けている。ポカリスエットを飲み終った新郎はメリメリと缶を握りつ ぶした。
108 もしも本当に「人の目ばかり気にしている」としたら、あの背中まである長い髪、あの 髪で乗り込んだ満員電車の中で、周りの人がどれだけ迷惑しているか、しかめた顔を背け ているかに気がっきそうなものじゃないか。 殊にこれから暑くなるとクー一フーの風が長髪をなびかせる。そのなびく髪に顔を撫でら れる方の身になってほしいとは、大方の乗客が洩らしている迷惑だ。せめて電車に乗る時 たば は、後ろで束ねる心づかいをしてほしいものだ。 おおまた かと思うとやたらに幅の広いバッグを肩から掛けて大股にスタスタ歩く若い女性がいる。 からだ そのでかいバッグは人間の身体の幅の倍はあろう。それを肩に掛けると、だいたい二人分 さっそう の領域が必要になる。そいつが駅の構内を颯爽とやってくる。「颯爽」と歩こうとしてい るものだから、歩き方に勢いがついている。 こちらはもうヒールの高い靴など履けなくなっているヨタヨタばあさんだ。逃げる間も なく ( 駅の構内はいつも混雑しているので、そう簡単に逃げられない ) 、 すれ違いざまバッグに撥ねられてョロヨロ。 「この頃の若い男女は人の目ばかり気にしている」だと ? そむ
ポカリスエット 八時長野発東京行きの列車に乗って間もなく、とある駅から結婚式を終えたばかりのカ ップルが乗り込んで来た。プラットフォームには新郎の友人らしい七、八人の青年がいて、 窓の向こうから盛んに新郎をからかっている。新郎は窓ガラスに顔を寄せて、ふざけ半分 に応酬している。よくある光景だ。特に好奇心をそそられたというわけではないが、退屈 まぎれに私はその様子を眺めていた。 私の席はそのカップルと通路を隔てて一つ後ろの窓際である。私の左隣には編集者の— すわ さんが坐っている。私の席からは新郎は見えない。新婦は窓際にいるが、見送りの連中の はしゃぎように対する応酬は新郎に一任したといわんばかりにじっと静かにしているよう である。私の目には黒い髪の一部が見えるだけだ。 列車は走り出し、新郎は通路側の自分の席についた。背が高く、色の小黒いスポーツマ ンタイプである。一一一「ロ三言、新郎は新婦に話しかけたが、その後二人は何もしゃべらない。 新婦は窓の方に身体を寄せ、頭をもたせかけたままだ。新郎は背中を真直に伸ばし、前方 からだ
その時から私は医薬を拒否するようになった。私のような厄介な感受性の持ち主は、到 底現代医学に頼る資格がないのである。 それ以前から私は整体操法の先生から月に二、三回、身体の調整を受けていた。整体 操法の原理を簡単にいうと「背骨の歪みを治すことによって健康を保つ」ということであ る。私があの苛酷な働き蜂の日々を乗り切ることが出来たのは、実に先生のお力に依る のである。 ある日、私は旅先でまたしても猛烈な胆嚢の痛みに襲われた。ホテルのことで、しかも 深夜である。翌日は講演が予定されているので、くるかこぬかわからぬ「気絶」を待って いるわけにもいかない。そこで先生に電話をかけた。状態を聞いた先生はすぐにこうい い われた。 な けん は 「バスタブにお湯を人れて、足のアキレス腱を温めなさい。すると痛みがらくになります ス から、マッサージさんが頼めれば胃のま後ろを押してもらいなさい。それで痛みは消える つでしよう。明日の朝は多分、柿のような色をしたお小水が出るでしようから、それが出た に 私らもう大丈夫です」 すべてはその通りに運んだ。翌日はケロリとして講演した。お医者さんも鎮痛の注射も ばち ゆが