ぎじゅうろう た。そして喜十郎にむかって、 か 「きみ、麦刈り、はじめてだろ。」 ひょう・こ おくじようむぎ 「そうでもないワ。兵庫の家では、まいとし、屋上に麦まいてたさかいな。」 ぎじゅっろ ) 思いがけない返事を こ、史郎は目をまるくして喜十郎の顔をのぞきこみました。 「屋上 ? 屋根の上かい ? 」 と 「そゃ。うち、せんだく屋やさかい。屋上あるねん。コンクリート にうくう′ ) う 母 防空壕はったときの土あげたりして、千し場のぐるりに、、 ゴマ作ったりしよるワ。」 と「へえ、そんな広い屋上 ! そこで何俵ぐらいとれるの ? 」 そうぞう 子 史郎は、もう想像もっかぬ顔をしていました。 しよう ) う ぎよねん の「そないは、とれ工へん。それでも去年は二升五ン合とれたいうて、おかあちゃん、えらいよろ こびよった。ハッタイ粉つくったんや、それで。」 かんとう 一郎も史郎も笑いださずにいられませんでした。関東平野の海のように広い田んばのことばっ ぎじゅうろう とかいせんたくや かりいう一郎と、都会の洗濯屋の干し場のぐるりで二升五合の麦刈りをしたという喜十郎とをつ れて、史郎は丸山へいそぎました。 しば このまえ一郎がス、、、レをおっかけた山そいの小道には、るり草がかわって咲いていました。芝 草のなかに点々として、空色の小さな花は一郎の目をとらえました。それが、るり草という花の くさ びよう しつもおかあちゃんが、麦まいたり、 の、広い千し場や。そこにな、
245 りれぎしょ 四キロほどはなれた町の高等学校に、英語の先生がなくて困っていると聞いて、履歴書を出し たのは、復員して五日めぐらいのことだったでしようか。このときはおとら小母さんなど、とひ まえいわ あがるほどよろこんで、前祝いに、じまんのすがたずしを作ったりしたほどですが、しばらくし てようすを聞きにいくと、いそいでいるという話が、四月の新学期のときのことだと言われて、 がっかりしました。 しようゆがいしやじむいん でんぎがいしやしゅうぎんにん のうぎようか > ーし そのあと、醤油会社の事務員だの、農協の会計だの、電気会社の集金人だのと、しだいさがり 幻にな 0 ていく仕事のロも、話を聞けはその足でいってみたのですが、みんなはすれるばかりでし 候た。 村役場のロは、そのあとのことでした。それがまただめと聞いて、一郎は、おとうさんがか 度 二わいそうでならなくなりました。 八「おとうさん、ね、熊谷に帰れば ? そしたら、仕事あるかもしれないよ。大場さんの小父さん と田 5 一フ 十にもたのんでさ、農学校へもたのんでさ。ね、熊谷へ帰ろうよ。はく、そのほうがいい とたんに、涙があふれました。せつかく好きになった小豆島をまた出ていくかもしれないと思 うと、残念だったのです。しかし、おとうさんにすれば、長く暮らした熊谷のほうがきっといし にちがいないと思い、じぶんたちがはしめて小豆島へきたときにくらべたら、生まれ故郷の熊谷 にいくのはそうつらいことではないと思うのです。 おとうさんは、また寝がえって一郎のほうへむき、左手で一郎の肩をかるくゆさぶりながら、
せりせりごんは 三芹々牛蒡 じけん あま おとら小さんの家へ、小さな男の子がきました。四郎です。あの雨もり事件から、一郎のお かあさんの病気がだんだんひどくなり、そこで小母さんが、足手まといの四郎をあすかることに なったのです。あのあと、おとら小母さんが村じゅうをかけまわって人をさがし、やっとのこと て一郎の家の雨もりだけはふせぎましたが、そのまえの二度の雨もりのとき、ねどこをしく場所 おも もなく、ふた晩ねむらなかったのがもとで、一郎のおかあさんはすっかり病気を重らせてしまい ました。毎日、ねつが高くてくるしみました。一郎も学校をやすみ、おとら小母さんも手つだい 々にゆきましたが、まだ小さくて聞きわけのない四郎を引きとってみてもらうほうが、せまい部屋 芹に四人でいるよりも、早く病気がなおりそうだと、病人も言い、みんなもそれにさんせいで、さ っそく、その日につれてきたのです。 たんじよう もうとっくに誕生をすぎているのに、四郎はまだおしめのいる赤ん坊でした。おかあさんが病 気なので、おちついておしつこのしつけをすることができなかったのでしよう。四郎ししんもま そだ ちち せうそう た、戦争のはけしいまっさかりに生まれ、どさくさのなかで、お乳も十分なく育てられましたの ちえ で、知恵もからだも、ふつうより、ずっとおくれていました。なにしろまだ、歩こうともしない で、出もしないおかあさんのおつばいばかり吸いたがりました。四郎がそんな子どもなので、お
「そりゃあ、生きてるよ、なあ。」 すると、一郎はうつむいたまま、そこにけんか相手でもいるような、ふきげんな顔で、 「戦争なんて、だいっきらいさ。」 もっともだと、みんなは思います。しかし、それなら今、どういえばよいのか、一郎のよう くうしゅう に、つぎつぎとひどい目にあったものにくらべて、空襲も知らすにすごせた島の子どもたちは、 となぐさめのことばも、あまりたくさんは知りませんでした。しかし、気のどくな一郎をなぐさ 母 め、はげまそうとする気もちは十分もっていたのです。そ一、で笹一が、せつかくおとうさんのこ とをきいたのに、一郎はまるで、ぶりぶりしているように見えました。史郎がとりなすように、 と「でもさ、もしかして、かえるかもしれないだろ。かえると、はくは思うよ。 子 「わかるもんか、そんなこと。」 の なげすてるように言いました。それは、まるで史郎がおべつかでもっかったのを、いやがるよ ちょうし 母 うな調子なのです。そんなとき、達雄はいちばん骨がありました。達雄は怒り声で、 「ぎまっとら。わかるもんか、そんなこと。でも、ほくよりかいいよ。ばくのおとうさんは遺骨 がきたんだからな。それにくら・ヘたら、一郎くんのおとうさんは公報もないんだから、かえるか もしれんじゃないか。」 くちょう 一郎は顔をあけました。達雄はなおも、たたきつけるような口調で、ならべたてました。 ゆくえふめい しげる 「史郎ちゃんのおとうさんだって、船にのっていて行方不明なんだよ。茂だって、兄さんが戦死 ワ 1 たつお あいて にい いこっ
いかに太一がおもしろいことをいつく子かということを話しました。そ ほかのことを言、 にくや れは、一郎がまだ村へくる少しまえのことです。やみで大もうけをしたとうわさのある肉屋が、 今どきめずらしいりつばな家を建てたときのことです。店とはべつに、見晴らしのよい村はすれ べっそう の高台に建ったので、村の人は別荘と言いました。あまり広くない庭は、まるで絵はがきで見る ふし うえぎ こうえん 公園のように、いろんな植木を入れ、石どうろうもありました。かんなの行きとどいた、節のな ひょうさっ はしら いたぺい い上等の杉板で塀をめぐらし、その板塀のところどころの柱には表札ほどの小さな板がかかって えいて、それにはきっちりとした片かなで、「ラクガキヲヨシマショウ」と書いてありました。そ べっそう の表札は、小学校の校長先生にたのんで書いてもらったということでしたが、ある日別荘にきた ゅ肉屋の小父さんは、新しい板塀にいろんならくがきがいつばいなのを見て、かんかんになり、さ のっそく学校へ言っていきました。 あんず 煙そこは杏の村の子どもたちが通る道すじだったので、太一たちにうたがいがかかったわけで ふだ す。しかし、みんなが言うには、らくがきをしてもよいと、札が出ていると言うのです。そこで、 ぎふだ しらべてみると、ラクガキヲヨシマショウと書いた十枚ほどの木札の全部は、いつのまにか黒い クレョンでヨの字が消されていました。それが太一のしわざなのを、みんなは知っていましたが、 にくや おもしろがってみんな知らぬ顔をしていたのです。さすがの肉屋の小父さんもョの字の消えてい るのを知ると、すっかり笑って、この問題はことなくすみました。そのことを言って史郎は、 「太一つて、おもしろいやつだよ。」と言いましたが、夏みかんのことは、やつばりだまってい 167 たいち
んの心のなかには、ちっとばかりわけがありました。 ′母さんじしんは、このごろめったにロに むすこ 出しませんでしたが、なくなった息子の小さいときのおもかげを、子どもたちのなかにさがして いたことです。小母さんは、じぶんが息子になりかわって、子どもたちと遊んでいたのかもしれ ません。 こうくうへい しゅうせん 小母さんのひとり息子は少年航空兵でありました。終戦のまえの年、土佐の後免という町の兵 と 営にいたその息子が、キトクだという電報をうけとって、小母さんはふだん着のまま、かけつけ 珊ました。しかし、いくら心はかけつけても、そのときいた大阪から土佐まで行くには三日もかか ごめん りました。汽車にのり、船にのりかえ、また汽車をなんどものりかえて、やっと後免へついたの 子 と は三日めの夜でした。 ぼうくうえんしゅう ごめん 子 防空演習で、まっくらな後免の町を、おとら小母さんは、気ちがいのように大声で泣きなが 6 ら、二度 - ほど面会にきて、知っていた駅前の道を、足さぐりで歩いて、いつもゆく宿屋にたどり わえ つきました。そこには、ほかにも四五人のおかあさんや姉さんがきていて、その人たちはみな、 息子や弟がキトグだという電報でやってきた人ばかりでした。小母さんの息子たちは、はじめて れんしゅうぎこしよう のった練習機が故障のためについらくし、キトクの電報をうったときにはもう、みんな死んでい たのです。そのときのことを、おとら小母さんはこんなふうに言ったことがあります。 シシオーシシオーと、おとらが一生一度の声でよんでみたけれど、シシオは鼻血も出 さなんだ。タイガーがライオンを呼ばわったのさ。」 0 でんぼう はなぢ
107 「きみ、畑したことあるの ? 」 のうえん あらかわづつみ 「あるさ。学校農園もあったし、うちでは近所の人といっしょに荒川堤をかいこんして、さつま ひりよう くまがや 植えたり、麦まいたりしたよ。ばくたちは肥料が少ないからあんまりできなかったけれど、熊谷 の農学校のは、とってもすごいんだから。」 ほらまた、という顔で、史郎はかくごして聞きながそうとしていました。じっさい、熊谷の話 くわ になると一郎はもう鍬の手をやすめて、とっても、とってもを連発するのです。しかし、農学校 にゆうぎゅう の乳牛の一号がグロー ーをたべすぎて、だんだんガスのたまる病気になり、ちょうど運わる じゅうい く獣医さんがいなくて、農夫さんが腹に穴をあけた話には、史郎も思わずいっしょに手をやすめ て聞いていました。 「 : : : もう一号はいまにも死にそうに、おなかがパン。ハンにはっているんだよ。イチゴウキト じゅうい 青クスグカエレって、獣医さんに電報打ったりして、待ってたけど、なかなか帰ってこないのさ。 ばくろう しんまい てつやかんびよ , そんなとき、博労なんてきみ、いやなやつだよ。みんなが一号のこと心配して徹夜で看病してい るのに、どっかから聞きこんでやってきて、死なないうちに売れ売れって言うんだよ。殺して肉 なみだ . にしちゃうのさ。そんなとき、牛だって悲しけな声で泣くんだよ。涙も出すんだって。そんなふ あな うにあんまり一号が苦しそうだもんで、とうとう農夫さんがおなかに穴あけると言いだしたの あきち さ。まえに一度そんなことがあって、穴あけて助かったんだって。一号は空地につれ出されて ね。動かないように足や角を柱にくくりつけたんだよ。そうしておいて、ぶすっ ! と針をさし れんばっ
です。史郎はもうだまっているわナこ ーーいかなくなりました。背の高い和子姉さんを見あげなが うわ なみだ ら、和子姉さんの右の上くちびるのそはのホクロが、ふやけたと思うと、ばとんと涙をこほし、 「どうしてって、ばく、わからないけれど、とにかく、はくが言いだしたから、一ばんばくがわ るいんだ。」 史郎が涙を出して、きようしゆくしているのを見ると、達雄は、そんなこと、わかりきったこ と言って、史郎を泣かしたじゃないかというように、和子姉さんのほうをむぎ、 蒡「そりゃあ、松よ門の門がぬくかったからだよ。けさ、せりせりごんはしたら、みんな湯気が出 そうになって、ぬぎたくなったんだ。なア史郎ちゃん。」 和子姉さんは笑いだし、 々 「へんなの。だって、もうみんなよんこやトミオちゃんとちがうわよ。なくなること、考えなん 芹だの ? 」 「神さまのとこだから、大じようぶと思った。」 達雄が言いました。 「バカ。」 「だって、これまでになくなったこと、一ペんもなかったもん。なア史郎ちゃん。」 「あきれた。いつも、そんなことしてたの。でも、もうしようがないわ。かえろ ! ここにいて 的も出てくるわけがない。さア、帰ろ、かえろ。」
にんじゅっ 「どうする ? そんなら忍術でもっかって、かばんをとりもどしてやろう。さ、どろん、どろど ろどろーーー。」 あがりがまちに腰かけたまま、鼻さきに立てていた人さし指を、ぐっとかたむけて土間の壁に かべはしらかまか むけました。ふと見ると、壁の柱の鎌掛けに、正雄のかばんはひっかけてありました。なんだ、 と思いながら史郎は、いそいでそれをはずし、門のほうへ走りだしました。あとから、おじいさ とんも出てきて、おこり顔を見せ、 とちゅう 母 「みんな、途中でかばんをはずすのがおもしろいとみえるな。わしが見よったらおまえらは、学校 の行きしにも、まいにち、かばんはずしよったぞ。言おうか。」 と どうやらそれは朝のべんとうを知っているらしい口ぶりでした。しかし、そのおじいさんのお 子 こり顔の底のほうに、ほんのちょっぴり笑い顔のようなのがかくれているのを、太一たちは見の のがしませんでした。 「さ、早うかえった、かえった。かばんやこい、はすしたりする馬鹿が、あるかい。」 ひとこともおわびを言うひまもなく、かばんは正雄の手にもどりました。みんな走りだしまし たが、松よ門のかどまでいくと、こっちをむいて、 かぎやのしいさん、よいじいさん やかん頭のよいじいさん 148 どまかべ
211 「一郎くん、観音さんにまいろうや。」 一郎は、どきんとしました。小さな村に、なんと神さまのたくさんあることか。八月にはいる はっさく やくし と、夜まつりがつづきました。八朔 ( 八月一日 ) の八幡さまの朝まいりから、八日薬師、九日こん こうじん さえのかみ みようじん びら、十日えびすとつづいて、荒神さま、天神さま、道祖神さま、いなりさま、明神さまと、休 むまもないほどです。終戦いらいお祭も大けさでなくなりましたが、漁師や百姓の村では、やは りお祭はまだ大せつな行事でした。ことに観音さまのお祭は、にぎわいました。大きな提灯も出 と て、町から屋台の店もくるというのです。神さまなんてないんだからと、日ごろからそういう考 えをもっている一郎でしたが、みんなのいくお祭には、やつばり心が動きました。しかしそれを の 子 一郎は反対のことばで言いました。 と 子 、よ、まうがいいね。史郎ちゃんさそったけ 「小母さん、神さまなんてないね。お祭なんか、いカオし。 いかない。」 やつばり一郎といっしょで、神さまなんかこの世にいないとよく言う小母さんですが、思いが けない返事をしてくれました。 、つといでよ。神さまなんて、みんな、友だちのうちみたいなものさ。 「そんな一、と言わずに、し たの 頼んだり、あてにしたりするからいけないのよ。いっといで、おもしろいから。どんな祭か、見 といでよ。」 「うん。」