上田和夫訳 明治の日本に失われつつある古く美しく霊的 . 炅 - 八云集なものを求めつづけた小泉八雲 ( ラフカディ オ・ ーン ) の鋭い洞察と情緒に満ちた一巻。 谷川に臨む小学校に転校してきた不思議な少 宮沢賢治著風の又一一一郎年・風の又 = 一郎に対する子供たちの感情を、 いきいきと描いた表題作等、代表的童話Ⅱ編。 貧しい少年ジョバンニが銀河鉄道に乗って宇 宮沢賢治著銀河鉄一廻の夜宙旅行に出かけるという、幻想的な物語の表 題作等、童話 8 編に戯曲 3 編を併せ収める。 人の心の真実を求めて女人に化身した鶴の悲 木下順二著タ鶴・彦市ばなししい愛と失意の嘆きを抒情豊かに描く「タ鶴」 毎日演劇賞受賞はか、日本民話に取材した香り高い作品集。 父母亡き後、手をとりあって生きてゆく正司 たち四人の兄妹。土にまみれて働く人々の健 住井すゑ著夜あけ朝あけ 毎日出版文化賞受賞かな姿を、筑波山麓の田園風景の中に描く。 椎の木のてつべんに登ったトノサマがえるの プンナよ、 プンナは、恐ろしい事件や世の中の不思議に 木からおりてこい 出会った : 。母と子へ贈る水上童話の世界。 水上勉著
ぶしようとしたら、人見知りをして四郎はおかあさんの背中にかじりつぎました。生まれてはじ めて船にのった四郎も、ものこそ言えなくても、動く海がこわかったのにちがいありません。一 郎だとて、三時間の海の上で、このまま沈むのではなかろうかと、あおくなっていたのです。み さんばし んな、まっさおな顔をして、棧橋にあがったのでした。おとら小母さんがいなかったら、どうな ったことかと思うくらいでした。おとら小母さんの、少しかんだかい、 元気な声にはげまされ ふなっきば て、一郎が四郎をおんぶし、おかあさんは小母さんの肩によりかかって、船着場から、家まで一 子キロほどの道を、ゆっくり歩いて、たどりつきました。それきり、おかあさんは寝つきました。 その日とつぎの日は、いちにち、おとら小母さんがいてくれて、一郎をつれて買物にいく家を はいぎゅう てじゅん のおしえてくれたり、配給の手つづきをしてくれたり、いろいろ手順をととのえてくれたのですが、 なみだ あくる日からは、もう、すぐ涙が出てくるほど、さみしくてたまりませんでした。どっちをみて 風も知らない人はかりで、しかも、おとうさんの生まれた家だというのに、井戸ばたへいくにも、 台所をつかうにも、いちいちあいさつをして、小さくなって気がねをせねばならないのです。熊 がや くうしゅう 谷では、空襲で家がやけても、すぐにお寺のひろい部屋をかりられて、のびのひとすることがで きました。顔をあわす人はみんな知りあいで、ちょっと目をみただけで気ごころのわかる人たち ばかりだったのを思うと、小豆島へかえってきたその日から、ロには出しませんが、熊谷をおも - 」うか って後悔していました。 とうげ たったひとり、たのみにしているおとら小さんとは、峠をへだてていて、毎日は顔もみられ へや せなか
とんじゃくなく、ト、、、オちゃんは手を出します。 「ないよ。まいまい風がもってったよ。また、おとら小母さんに、作ってもらお。」 「かざぐるまア。」 ささいち にしゃ それでもまだ泣きそうに言うので、笹一がじぶんのをやりました。西屋の小母さんに、おとら 小母さんのことを聞こうと思ったら、赤ん坊が泣きだしたので、小母さんは井戸ばたでうがいを するなり、家のなかへ走りこみました。 子 にしやまとうげ こんなさわぎのとき、おとら小母さんは、西山の峠の道を、走るように前のめりに歩いていま ぎよねん さいたまけんくまがや のした。去年のくれ、おとら小母さんのすすめで、それまで暮らしていた埼玉県の熊谷を引きあげ て、となり村へ帰ってきた、しんるいの家へゆくところだったのです。それは、おとら小母さん すてお 風の、やつばりいとこで、捨男さんという人の一家でした。 しようどしま すてお せんそう この捨男さんも小豆島の生まれなので、となり村にじぶんの家だけはありましたが、戦争ちゅ しゅうせん う、まるで、いやおうなしに人にはいられて、今でもそのままになっていました。捨男さんは終戦 くまがやしようしゅう の年に熊谷で召集になり、まだ帰ってきません。たぶんソ連地区にいるのだろうと思われてい せんさい ますが、手紙もこす、もしやと、みんなは言わずかたらず心配していました。熊谷で戦災にあっ た捨男さんの一家は、おとうさんが帰るまでは熊谷でまとうとがんばっていましたが、おとうさ はしら んのいないあと一家の柱であったおかあさんが病気になり、仲のよかった、いとこのおとら小母
そうだん めに、夜どおし起きていましたので、また、ねつを出し、ご相談にあがることができません。 おひまのときにでも、おいでくださって、わたくしたちをお助けください。 ゅうびん じっ はがきには、そう書いてありました。となりの村でも、郵便はよく日でなければっきません。 それを見て、おとら小母さんはびつくりしました。雨にいじめられて、追いだされそうだという のに、ひまなときなど待っているわけにはいきません。はがきを受けとるなり、ふだん着の、す へや ねのところに大きなつぎのあたったモンべをはいたまま、部屋のなかをぐるぐると歩きまわり、 すみ ぶくろ あっちの隅や、こっちの棚や、たんすの引きだしなどをがたがたさせては、手さけ袋になにかを せん どぞう っちど 入れ、あたふたと出かけました。出かけるときには、土蔵ですから土戸をひいて出かけます。戦 そう ぼうかずぎん とよノげ の争ちゅうにつかっていた防火頭巾をかぶり、風のなかをうつむいて峠をこしました。 しようゆぐら いりうみうめたてち 坂道をおりてしまえば、海そいの平らな道です。入海の埋立地にならんで建っている醤汕蔵の のきした 風黒い屋根の、その軒下を、風をよけて歩いていると、五十メートルほど先を、ねんねこばんてん で子どもをおんぶした男の子が、この寒空のしたを、いそぎもせずに、ふらりふらりと歩いてい しようゆぐら ます。醤油蔵の建物と建物のあいだにくると、その子は立ちどまって海を見ています。ゆっくり と歩く子どもの足に、せつかちな、おとら小母さんの足は、いやでも近づいていきました。ぬく たび ぬくとしたねんねこばんてんは、男の子のひざをかくしていましたが、足袋もはかすに、わらそ あか うりを引きずって、重たそうに歩いている足は垢で黒くなっています。一郎のことを思いだした とたん、それが一郎なのに気づき、走りだしました。 子 た
243 しかしまあ、あしことしては、そんなぐあいにいくと、親のため、 「そうかい。史郎がな。 子のためと思うたんしやが、ゆるゆる考えてあげよう。」 すると、縁がわにいたおばあさんも仲間にはいってきて、 「そんなふうに、みんなの気がそろったらよろしいが、あわてて無理はせんほうがよろしいな。」 一郎のおとうさんの帰ってきたその晩に、もうこんな話が出たほどで、かぎやでは一郎一家の ことについて、いろいろ心配しました。心配の第一は家のことです。これから暑くなるのに、三 幻人でさえもせまい土蔵の部屋に、もひとりふえたのでは、たまるまいと思いました。しかし、お 灘とうさんはもう帰ったつぎの日に、となり村のじぶんの家へ出かけていき、そこに住んでいる人 一一とかけあって、また、まえのように、ひと部屋をあけてもらって、移りました。 八なんにもない、がらんとした部屋で、おとうさんは、ひとり暮らしはじめたのです。一郎は学 + 校があるし、ヨンちゃんは、まだ小さいし、ふたりともついていくわけにいきませんでした。けれ ど、毎日のように、おとうさんか一郎かが峠をこしていったりきたりしました。一郎がいくとき には、ふたり分のごはんやおかずを重箱につめて、もっていかされます。 「さ、いっといで。おとうさんに、なんでもかんでも、話してあけるのよ。床屋の小父さんが、 とくとうびよう 禿頭病になった話だっていいのよ。うんとしゃべってきなさい。」 一郎は、その晩はおとうさんとならんでねむり、翌朝早く起きて帰ることにきめていました。 おかあさんと暮らしていたときは寒いさかりで、つらいことや悲しいことばかりだった同じ部屋
242 すると、遠くのほうから、おとうさんが帰ってきているような気がしてぎました。小さな小さ な足音が、だんだん、だんだん近づいてくるようです。耳をすまし、目を皿にして聞きいってい ましたが、 その足音のつづきが門をはいってきたとき、史郎はいつのまにか、目をつぶっていま 「なんだ、史郎、ねむったのか。」 おじいさんは、ちょうちんを史郎の顔にさしよせて、ながめました。 と 母 「史郎、史郎、さ、ねよう。夜っゅうけたら、からだに毒じゃ。」 おかあさんは、しずかに、しずかに史郎の肩をたたきました。その史郎のおかあさんにむかっ とて、おじいさんは、小さな声で相談するように言いました。 子 「なあ、おかあさんよ。わしは道々考え考えもどったんじゃが、ありゃあ、どうでも、おとらさ んにひとっ考えてもろうて、いっしょに暮らすようにしたら、どうじやろうな。」 母 「おとらさんに、太田さんの嫁さんになれというんですかい。」 「まあ、そういうわけじゃがな。ちょうど気ごころもわかっとろうし。」 「まあ、そういうわけではありましようが、しかしおじいさん、あんまりそんなことを、あわて て、はたから言わんほうがよろしいで。帰ったら帰ったで、いろいろ傷口が痛みだすようにつら い人ばっかりの、よりあいですからな。史郎でさえも、思いだして、今夜はちっとばかりつらか ったようすですもんなあ。」
241 と、小さくよびかけました。 「うん。」 と、ふりむくおかあさんの顔は見すに、 「達雄くんたら、まだ、じぶんのおとうさんも帰るかもしれんて、言うんだよ。」 そしてまた、きみきみ、太田一郎かい、をくりかえすと、おかあさんはしんみりとして、 「ほんになあ、三年も四年もたてば、わが子も見ちがえようもんなあ。 でも史郎、あんまり ようらやましがるものでないよ。一郎さんには、おかあさんがいないんだもの。おとうさんなと戻 候ってくれんと、はたもつらいもの。」 一一「でも、おとら小母さんが、いる。」 八「おとら小母さんがいなんだら、どうすりや。」 やみ空を、また螢が飛んでいました。 「ほっほっほったるこい。」 小声で歌いだしましたが、史郎はなんだかさみしくなり、急にまた大声を出しました。 こうもりこー そうりやろ !
りをち 「理吉つあん、おとら小母さん家の一郎くん、知ってる ? 」 史郎はもう、だまっていられないのでした。 「うんうん、あの、太田さんの子どもだろ。」 「そう。あの子のおとうさん、きようのばんけごろ、復員したよ。」 「ヘッ、そうかい。よかったな。そりやよかった。今なら、ソ連地区からだろうな。」 火のないちょうちんをぶらさげて、三人はまた、くらやみの道を、こんどは遠まわりして浜の よ ほうへ出ました。道のまがりかどで、まっさきを走っていた史郎は、出あいがしらに背の高い男 とぶつつかりました。ぶんときた魚のにおいと、おっ ! という声で、山ん場の米さんとわかり 二ました。 「おっさん、一郎くんのおとうさん、もどったよ。」 + もちろん米さんとて、よろこばぬはずがありません。史郎はもう、村しゅうを走りまわって、 みんなにそれを知らせたいような、へんな気もちで走っていましたが、家の近くまできて達雄と 別れると、いきなり歌いだしました。 こうもりこー ぞうりやろ そこへ、じぶんのおとうさんもひょっこり戻りはせぬか、とでも考えたのでしようか。 「史郎 ! 」 門をはいるなり、おじいさんの声が矢のように飛んできました。史郎は、それには返事もせず 239
238 「あら、そんな電報、こなんだわ。たしかに。」 となり村の郵便局のこととは気づかず、むきになって、また和子がおこりだしそうなのを、達 雄は早ロで消すように、 「でも、よかったんだよ。ほくらがこうもりこいを歌ってたから、一郎くんが見つかったんだか まるで、こうもりの歌で一郎のおとうさんを呼びよせでもしたように言いました。聞いてい と て、史郎もいいことを思いっきました。これから帰れば、きっとうちの人はどなりつけるにきま 6 っています。 子 ( なにをぐずぐずしてたんだ。ちょうちん屋が五里も先へ宿がえしとったのかーー。 ) と 子 そしたら、すぐ言ってやる。 ( それどころか、一郎くんのおとうさんがもどってきたんだよ。 ) ふくろうの鳴き声は頭の上に聞こえました。その森のそばを、三人はわざとゆっくり、しか し、そうとうの早さで通りすぎました。森を出はすれると、とたんに、ちょうちん屋まで一気に 走り、まるでゴールインするように、ちょうちん屋の土間にかけこみました。 りぎち ちょうちん屋の理吉つあんは、戦争で片足なくしたびつこの足で、びよんびよんじようすにと びながら出てきて、天井にぶらさがっているちょうちんのなかから、かぎやと書いたのをとって くれました。
「大場さんち、今は掘立小屋たったんだよ。せまいけども、汽車の寝台みたいなべッドが四つも とってあるから、とまれるんだって。おとうさんが帰ったら、一ペん、いっしょに遊びにきなさ いって。」 「やけたのか、大場さんも。」 「うん、熊谷と高崎は、同じ晩だったよ。ほくはね、そのとき、はじめは四郎といっしょに防空 壕にいたんだよ。おかあさんは赤ん坊がいるのに防火当番で、バケツもって出ていってたんだ。 だから、ほくと四郎とだけいたのさ。ふとんにもぐっていても、 バリ音が聞こえるので、四 よ 郎がこわがって泣きだしてね。そしたらおかあさんがとんできて、あわてちゃだめよって言った 一一の。そしておかあさんが四郎をしよって、田んはのほうへどんどん逃けたんだけど、星川の近く 2 の人は星川へ逃けて、そこでほくの知ってる人、たくさん死んだんだよ。星川の水、涌き水で冷 + たいでしよう、だから。西本くんや、牛乳屋の小父さんだって、丸六下駄屋なんか家内しゅうみ んなよ、おとうさん。くすり屋の小母さんなんか赤ん坊しよったまんまね : : : 。」 ことばをきって、すすりあげる一郎でした。それを聞くと、史郎たちは申しあわせたようにぬ き足になり、窓の下をはなれました。今夜、一郎のおとうさんに話を聞こうというのは、少し早 すぎると思ったのでしよう。 「でも、よかったな、太田くん。」 「うん。」 235 ほったてごや