名まえ - みる会図書館


検索対象: 母のない子と子のない母と
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1. 母のない子と子のない母と

やくざいし らさんが言うと、薬剤師のおとうさんは、ちょっとばかりへそをまけて、 「そんな人まねするくらいなら、いっそのこと獅子雄としよう。」 しあ ぶじに育ち、仕合わせにくらすようにとねがう しし、獅子雄とい こんなわけで、おとらと、 親ごころからつけた名まえでしたが、戦争は人間のやさしい思いやりになど、少しもとんちゃく 。し、たくさんのおかあさんや子どもたちを泣かせまし しないで、たくさんの若いいのちをう、 おおさか くうしゅう むすこ た。おとら小母さんなど、息子ばかりか、大阪の空襲では、つれあいの小父さんまで失ってしま と しらが 珊ったのです。まだそれほどの年でもないのに、小母さんの白髪が急にふえたのはそれからです。 こぎよう しようどしまこし それいらい小さんは、ずっと小豆島に腰をすえています。生まれ故郷ですもの、もう小母さ の 子んはどこへもいく気はないでしよう。もしかしたら、なくなった小父さんや息子のことを思いだ どぞう すのが悲しくて、小母さんは大阪へいかないのかもしれません。ま四角な、壁ばかり多い土蔵の 〔なかで、小母さんはミシンの内職をしたり、大阪からとりよせた薬を売 0 たりしながら暮らして 母 子どものこないときなど、小母さんは、まるで、風のなかから何かの音を聞きだそ いましたが、 うとでもするように、じいっとして考えこんでいることもありました。でも、そんな顔を知って いるのは、土蔵のなかの壁はかりです。 ししお か

2. 母のない子と子のない母と

214 はりがね バクダンあられだけ、アル、、、の針金をまげてつくった鉄砲を売る店にだけ、プリキの豆自動車や 豆ジープがいっしょにならんでいて、そこが一ばん人だかりがしていました。 一郎は、ヨンちゃんのために赤い自動車を買い、じぶんのために青いのを買いましたが、三つ 十円だというので赤いのを、も一つもらい、西屋の赤ん坊へおみやけにすることにきめました。 おとら小母さんにも、なにか買っていこうと店屋の前を行きつもどりつして迷ったあけく、ゴム と ひもばかり売っている店で、ゴムテープを買いました。それで、きようもらったおこづかいは全 部ですが、まだポケットのなかには、まえからの残りが十二円ありました。 しろう けいだい の いつのまにはぐれたのか、史郎の姿が見えません。せまい境内では、人をよけながら歩かねば せきゅ とならないほど、だんだん人がふえてきて、店屋は、そろそろ石油ランプに火をとほしだしまし 子 「史郎ちゃん。」 はいでん じぞ , 母 人だかりと見ると、小声で呼びかけながら拝殿のほうへ歩いていくと、地蔵さまのわきの、ほ かにはだれもいない店さきに史郎がひとり、しやがみこんでいました。 「史郎ちゃん、まだ帰らん ? 」 史郎はふりかえりもせず、 「ちょっとまって。」 と言いながら、番人の男の顔をふり仰ぎました。髪を肩までたらして目がねをかけたその男 あお かみ

3. 母のない子と子のない母と

183 びよ ) に、史郎たちはきめていました。おじいさんときたら、みんなを一秒でもながく休ませたいとで もいうように、ゆっくり歩いてきました。それはまるで、重たさを背中にしみこませているよ うに、のつしり、のつしりと歩いてくるのです。ほんとうならばもう麦の負いだしをする年では てぶそく ないのですが、手不足でしかたがないのでしよう。 休み場をおじいさんとかわって、三人はまた走りだします。そこからは道もらくな下り坂で、 いぎお 勢いのかかった足は、浜べの道をもひと思いに、門のなかにかけこみます。そのたびに、待ちか おぎぼ 園まえているおばあさんが、まがった腰をのばしのばし走ってきて、置場のさしずをしました。そ 稚れにしたがって、かるこごと投げだすようにして腰をおとすと、すうっとからだが浮いてくるよ 幼うで、そのうれしさはたとえようのないものでした。汗が流れているのに、すずしい風につつま えがお れて、ひとりでに笑顔になり、かるこのひもから手をぬくのがおしいような気もちです。三人は 麦口々に、 「ああらくちん。」 「ああああらくちん。」 「ああらくちん。」 おうふく ひる かくぼん 三度往復して昼になり、角盆にもりあげて出されたにぎりめしを立ったままたべると、めずら しさもあって思わず食がすすみ、からだがのびてしまいました。だれもそれについて言いだすも さいしょ のはありませんでしたが、お昼からの最初の荷をおろすとき、その腰のまけかたでおばあさんは あせ

4. 母のない子と子のない母と

「太郎と次郎と見つけた、言うたな。あれ、だれのことじやろ。」 こうじろう しんぽい 心配そうに言ったのは幸次郎です。次郎がつくのは、じぶんだけだからです。 「そんなら、太郎はだれだろう。太がつくから太一かな。」 しかしこの日、太一は学校の帰りぎわにほうらくを買いにいったので、ひと足おくれていまし た。どうせ、みかん畑あたりで落ちあうつもりだったのですが、とにかくそのために、ここには うん といませんでした。太一は運がいいなと、みんなは心のなかで考えました。そのときです。正雄が 母 あおくなって、叫ひました。 の「おれ、畑へかばん、おいてきた。」 とみんな急に、じぶんの身のまわりを見なおしました。 「ばく、べんとばこがない。」 の力なくつぶやいたのは喜一です。かばんの正雄とべんとう箱の喜一をとりかこんで、みんなは 困ってしまいました。喜一はもう一つべんとう箱があるからいいのだと、まけおしみらしく言い ましたが、かばんのほうは、そんなわけにはいきません。 「本には名まえ、かいてあるから、だれのかすぐわかる。」 こまかく気をつかって、年子がそういうと、 づっ 「ばくのべんと包みにも、名まえかいてある。」 と、喜一はまた、ひとしお心配そうに言いました。 140

5. 母のない子と子のない母と

236 ないしょ声でささやくふたりのほうへ、むこうから足音たてて黒い人影が近づいてきます。な んとなく身をかまえるように、 かたく手をにぎりあったふたりの目の前を、すいと螢火が横ぎつ えん だいだい て流れてきました。ふんわりと円をはかして、螢は道はたの橙の木の茂みをこえて、流れるよう に飛んでいきます。 「あっ、ほたるほたる。」 と ふたりがいっしょに言うと、黒い人影は走りよってきて、 母 「なーんだ、達雄、みんな心配してるじゃないか。」 和子姉さんだったのです。 と「なんだ、ワコか。」 子 わざと達雄も呼びすてで言いました。 の 「なんだ、じゃないよ。史郎ちゃんだって、さっき、おばあさんが見にきたわよ。」 母 聞きもおわらぬうちに、史郎は急に忘れものを思いだしました。ちょうちん屋へ、ちょうちん の張りかえをとりにいくはずだったのです。っ い、こうもりの歌で足をとめ、一郎のおとうさん で時間をすごして、忘れはてていました。家を出たのはほのあかるい宵のロだったのに、月の出 の遠い今では、ひとりでこれから、ちょうちん屋まではとうていこわくていけません。ちょうち ん屋へは、あの荒神さまの森のそばを通らねばならぬし、森の杉の木に鳴くふくろうは、気味の わるいことこのうえないものです。宵のロでさえも森のそばを通るまいと遠まわりしていて、つ ほたる

6. 母のない子と子のない母と

んど。」と、あっさりことわれない気がしたのです。しかし、言わないわけにもいきません。 「ほく、 いけなくなったんだ。これからおじいさんと麦のあいよせにいかんならん。よかったら じよろう っしょこ いこうよ。きみは山で女郎ぐもとったらいいよ。」 さそ まよ そして、迷っているような一郎の、がっかりした顔を見ると、なおも誘いこもうとするように、 目で笑いかけ、 かたこうり と「ばくのべんとう、片行李あげるよ。」 一郎の気もちはずいぶん動かされたようでしたが、それをむりむりおさえた顔で、 の「でも、そんなのわるいから、またこんどにしよう。」 さそ えん 「すえんりよ と遠慮つばく言いながらも、も一度史郎に誘われるのをまつようなようすで、縁がわにいた猫の 親子を見つけると、そのほうに近づいていって、白い子猫を両手ですくいあけました。 の「ああかわいい 。きれいな猫だね。なんて名まえ ? 」 「ホーだよ。」 「ホーって名 ? 」 「うん。」 「へえ。ホーか。こら、ホー、ホー。ふくろうみたいだね。」 こんな一郎をあまり見たことがなかった史郎は、なんだが急に一郎がちがった人間になったよ なや うな気がして、よけい、このまま別れるわナこ、 ーーしかない気もちになりました。それで、納屋から

7. 母のない子と子のない母と

家にかえるなり史郎は、おかあさんにとびつくようにして、言いました。もう、おかあさんも そうしぎ 知っていて、これから葬式にゆくところだというのです。 「きのどくしたなア。おとら小母さんもたいへんじゃ。」 「おかあさん、あの、ヨンちゃん、うちへもらったら ? 」 思いついていうのを、おかあさんはかるくおさえるように、 ねこ 「そんなことおまえ、猫の子じゃあるまいし、こっちの考えだけで、言うもんじゃない。」 げそのあと、しばらくのあいだ、おとら小母さんの家の土戸はおりたままでした。半月のうえに もなるので、もう思いださなくなった子どももいるくらいでしたが、新学期がはじまったあくる いっそうしたしい姿で、おとら小母さんの姿がきざみつ 日、史郎たちの心に、これまでよりも、 とけられました。 光 小母さんが、学校の門をはいってきたのです。ョンちゃんをおんぶして、そばに一郎がならん しよくいんしつ しぎよう でいました。始業のベルの鳴る、ちょっとまえのことです、小母さんたちは、まっすぐ職員室に むね ちょうれい はいっていきました。史郎たちは胸をわくわくさせて、朝礼をまっていました。校長先生は、ど んなふうに、一郎のことをみんなに話すだろうか。一郎はどんな顔をして、みんなの前に立つだ ろうか。それを、みんなは待っているのです。 おおたいちろう てんこう きよう、あたらしいお友だちがひとり、転校してきました。五年生の、太田一郎くんで しゅうせん さいたまけんくまがや す。太田くんは終戦のまえの日、すなわち昭和二十年八月十四日に、埼玉県の熊谷というところ

8. 母のない子と子のない母と

なみだ ふざけたような言いかたをしましたが、おとら小母さんの目のなかはきらきら光りだし、涙か ししお もりあがっていました。小母さんの息子の名は、なんとめすらしい獅子雄という名まえでした。 これとて、わけがあるのです。おとら小母さんが生まれたときにさかのほらねばなりません。四 ちゅうびやくしよう 十年もまえのことです。村の中百姓の家に、月たらずの、あわれそうな女の子が生まれまし た。四人めにはしめて女の子なので、一家は大よろこびでしたが、いかにもひょわな赤ん坊をみ ると、この子がぶじに育っかと、そのおかあさんは心をいためました。するとおとうさんが、お 風かあさんをなぐさめて言いました。 「おとらとか、おくまとかいう名にすると、たっしやに育っというでないか。この子もおとら 吹 にか、おくまとつけようでないか。」 そこで、おとら小母さんの名まえがきまりました。小豆島に、はじめて植えたオリープの木が くすりや おおきか い育ちだしたころのことです。そのおとらさんもぶじに育ち、年ごろになり、そして大阪の薬屋へ よめ お嫁にいき、そして子どもが生まれました。母親似とでもいうわけなのか、せつかくの男の子 が、月たらすでもないのに、ふつうよりもずっとずっと小さかったのです。おとら小母さんは、 そうだん あん おとら小母さんのおかあさんと同じように案し、子どものおとうさんに相談しました。 とらお くまお じよう 「丈夫に育つように、虎雄か熊雄とつけましようよ。女の子のトラやクマは少しはずかしいけれ ど、男の子は元気そうでいいから。」 じぶんが、ときどき、はずかしい思いをしたことを心に浮かべながら、若いおかあさんのおと

9. 母のない子と子のない母と

210 れなくなったからだということもわかりました。 そのほかは、たいてい大昔からの呼びかたで、 トーベどん ( 藤兵衛 ) 、マスョモー ( 増右衛門 ) 、 こしゅ ギサどん ( 儀左衛門 ) 、というふうに、昔の戸主の名でよばれていて、一郎の家もサへどんとい みようじ のでした。昔々のおじいさんが佐平という名まえだったわけです。明治になって苗字が許され ~ とき、村のひょうきんな床屋さんが日本一の大金持の名をと 0 てつけていたり、せの、正月〉 ゃぶ いけわぎ のと、めでたいことにあやかろうと苦心したような苗字があるかと思うと、藪だの池脇だのと、 と 母 いっぺんに家のあり場所のわかるようなのもありました。 しかし、昭和の今日になっても昔々の呼ひ名はかわらず、その古めかしい名まえの家から、 の 子 と清戦争いらい、ずいぶんたくさんの兵隊が出たことも、わかりました。 せきひ 子 丘の上の兵隊墓地に、大きな石碑がならんでいるのは昔の戦死者です。四角な棒ぐいばかり ずらりとならんでいるのは、こんどの戦争でなくなった人たちです。その棒ぐいの下に、紙き えいれい 母 や木ぎれに名まえをかいた英霊がうすめられていて、その英霊の息子や弟たちは、わりあい元」 にとびまわっていました。史郎がそうです。達雄がそうです。宗一も、クンちゃんもそうです。 みんな元気なのは、おかあさんがいるからでしようか。しかし一郎も今では、もう以前のように ふさぎこむことはなくなってきていました。まいにちが、一郎の悲しさやさびしさを、一つ一 消していってくれるのです。ことに史郎ときたら、ちょっとのことにも、一郎をさそい出しま , た。きようも、そうです。

10. 母のない子と子のない母と

243 しかしまあ、あしことしては、そんなぐあいにいくと、親のため、 「そうかい。史郎がな。 子のためと思うたんしやが、ゆるゆる考えてあげよう。」 すると、縁がわにいたおばあさんも仲間にはいってきて、 「そんなふうに、みんなの気がそろったらよろしいが、あわてて無理はせんほうがよろしいな。」 一郎のおとうさんの帰ってきたその晩に、もうこんな話が出たほどで、かぎやでは一郎一家の ことについて、いろいろ心配しました。心配の第一は家のことです。これから暑くなるのに、三 幻人でさえもせまい土蔵の部屋に、もひとりふえたのでは、たまるまいと思いました。しかし、お 灘とうさんはもう帰ったつぎの日に、となり村のじぶんの家へ出かけていき、そこに住んでいる人 一一とかけあって、また、まえのように、ひと部屋をあけてもらって、移りました。 八なんにもない、がらんとした部屋で、おとうさんは、ひとり暮らしはじめたのです。一郎は学 + 校があるし、ヨンちゃんは、まだ小さいし、ふたりともついていくわけにいきませんでした。けれ ど、毎日のように、おとうさんか一郎かが峠をこしていったりきたりしました。一郎がいくとき には、ふたり分のごはんやおかずを重箱につめて、もっていかされます。 「さ、いっといで。おとうさんに、なんでもかんでも、話してあけるのよ。床屋の小父さんが、 とくとうびよう 禿頭病になった話だっていいのよ。うんとしゃべってきなさい。」 一郎は、その晩はおとうさんとならんでねむり、翌朝早く起きて帰ることにきめていました。 おかあさんと暮らしていたときは寒いさかりで、つらいことや悲しいことばかりだった同じ部屋