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検索対象: 母のない子と子のない母と
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1. 母のない子と子のない母と

五青 空 らんぼう 海は、あの冬のあいだの乱暴さをわすれはてたようなおとなしさで、オリープのよろこぶ風を そよろそよろにおくりつづけています。青々とした麦畑と菜の花の黄色と、そのあいだをおへん すがた すずね しようどしま ろさんの白い姿がちらほら、鈴の音とともにぬっていく小豆島の春。こうなると村の子どもも遊 と 珊んでばかりはいられなくなります。 しろう 「史郎、きようは麦のあいよせだ。あそびにいっちゃ、ならんそ。」 の 子朝めしがおわらぬうちにとどめをさされて、史郎はちょっとがっかりしましたが、ものの二分 ささいち じよろう 子 とたたぬうちに、もううれしさのほうにかわっていました。きのう笹一たちと女郎ぐもとりにい し やくそく ささいち たつお の く約東をしていたのですが、こんなお天気のよい日曜日に、笹一だって達雄だって、きっと畑に 母 いかされるにきまっていると思ったからです。それというのも、おじいさんといっしょに山や畑 に出かけることは、いやではありませんでした。おじいさんときたら、どんなときでも子どもを たいくつがらせたりしないからです。 「わア、べんとうもって ? 」 わかりきったことに史郎は大声をあげました。 「きまっとる。丸山だもん。

2. 母のない子と子のない母と

ろうか ら、ばくたち廊下で勉強したんだよ。冬なんか、いやだったよ。」 「そんなら、小さくても、ここの学校のほうがいいだろ。」 ぶえんりよ 史郎がいうと、一郎は不遠慮に、ちょっと小首をかしげ、 「うん、わるくないけれど、でもほく、西校をすきなんだよ。」 「だって、もうやけて、ないんだろ。」 た と「また建つよ。こんどのは箱田ってところに建つはずなんだよ。そしたらばく、こんどは、とっ つごう しぎち 母 ても都合がよかったんだがなあ。だって、ばくの家、やけたあと、学校の敷地のとなりの、お寺 にいたんだもん。 いいなあ、かんかんかんて、鐘がなりだしてから走っていったって、ま うんどうじよう とにあうところだもん。おペんとうなんか忘れたり、まにあわなかったりしても、運動場のはしつ このところへいって、おかあさーんって呼んだら、あったかいのがもらえるよ。だって、おかあ のさんはもう家にいたんだから。忘れものしたって、おかあさーん、えんびつけすり、なんて言っ ほんどう たら、おかあさん、本堂の石段を、とん、とん、とんと走っておりてきて、ハイって : : : 。」 みんなつりこまれて、聞いていましたが、一郎が急にだまりこんだので、ふっとわれにかえり ました。一郎がこんなにおしゃべりなのを、みんなははじめて知ったのですが、これが一郎の空 そう 想だと思うと、笑いださすにおられませんでした。一郎はまるで、ほんとの話をするように、身 えがお ぶり手ぶりで、しやべっていたのです。なっかしそうなその目、うれしそうなその笑顔、それを 急にさびしそうな顔にかえて、

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丸山の畑は家から一ばん遠いので、ペんとうなしでは、いぎかえりだけでびどく時間をくいま す。だから、日曜日などの、べんとうもちの日のほかは、めったにいかない畑でした。それだけ 一ばん史郎のすきな畑でもありました。 「べんとうの、おかすは ? 」 うめ 「きまりきったこと、梅はしとこんこ ( たくあん ) 。」 それがまた史郎にとってはうれしかったのです。梅ばしの赤やこんこの黄でそまったごはんの 空おいしさは、どんなごちそうにもないものです。 りよう - 」うり 「両行李に、入れてよ。」 ねん べんとうをつめているおかあさんのそばまでいって、史郎は念をおしました。小さなべんとう 行李はふたにもみにもごはんを入れ、そのまんなかにぎっしりとたくあんをならべました。こう しおかげん めし うわ しておくとごはんはよい塩加減の黄色飯になるのです。その上っかわをはがすようにしてたべる と、中にはまた梅ばしにそまった赤いごはんがまっていました。思いだしてもそれは、つばが出 はたけぎ てくるほどたのしいおべんとうでした。史郎はいそいそとして、畑着にきかえていました。 えがお じよろう そこへ、めすらしや、一郎がやってきて、少しきまりわるげな笑顔で近づいてきました。女郎 ぐもをとりに、一郎をもさそっていたのを思いだし、史郎は、はたとこまった顔でむかえました。 これが笹一や達雄ならはっきりとそう言ってことわれるのですが、これまでにひとりで遊びにく るなど一度もなかった一郎が、せつかくやってきたのを見ると、「きようは畑へいくからまたこ

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「まあ、チロちゃん。そこいくの、チロちゃんじゃないか。」 一郎はびつくりして、ふりむきました。こんなところで、じぶんを、おかあさんと同じように チロちゃんと呼ぶのは、おとら小母さんにきまっていましたが、それでもびつくりしたのです。 きのう出したはがきをみて、おとら小母さんは、もうきてくれたのかと、うれしくて、にこにこ なみだ 笑おうと思ったのに、どうしたのか涙がさきに出てきて、そこにつっ立ったまま、ものが言えな くなりました。べしょんとして、うつむいたまま、ねんねこばんてんの袖で、そっと目をこすり と ました。はずかしかったのです。顔だけそっぱをむいて、いきをのみこみ、おとら小母さんが、 なこのつぎなにか言ったら、はっきり返事をしようと思ったのに、涙はいくらでもわき出してきて、 子ちょっとまたたきでもしようものなら、すじになって流れそうでした。 「どうしたい。おかあさん、ねてるの ? 」 おとら小母さんがならぶと、一郎はよけい横をむき、海のほうを見ているふりをしました。な の 母 んとか言わねば、小母さんは気をわるくすると思っても、思えば思うほど唖のように、ことばが 出てきません。 「この寒いのに、どこへいったの ? 」 とうとう一郎は立ちどまって、しやくりあけました。すると、まるでそれを待ちかまえてでも こぎゅう いたように、呼吸のたびに、えーんえんえんと、泣き声が歯のあいだから、もれはじめました。 四郎が眠っていたのはさいわいで、もしもおきていでもしたら、いっそう、おとら小母さんをめ そで

5. 母のない子と子のない母と

と呼びかけたなり、しばらく、だまりこんでいました。 「なあに、おとうさん。」 さいそくすると、うーんとうなって、やつばり考えこんでいるようでしたが、やがて、ひどく まじめな声で言いだしました。 「一郎、おまえ、おかあさん、ほしくないかい ? ー ぎくっとして、いきをのんでいる一郎に、おとうさんはなおもつづけて、 おかあさんになってもらうことは、どう思うかね。」 「おとら小母さんに、 よ 一一おとら小母さんと聞いて、少し安心はしたものの、それでも一郎の胸はどきどきしつづけてい ふふく ました。おとら小母さんが不服というわけではないのですが、今のいままで忘れていたおかあさ 十んのことが急に思いだされてきて、返事どころでなかったのです。しくしく泣きだすと、おとう せなか さんは背中に手をあててくれ、 しいよ。急に言ったって困るよなあ。ただね、生きのこっているものが、力いつばい よく生きるために、いろいろ考えるんだよ。こんな話もあることを、一郎にも知ってもらうほう 力しいと思ってね。これは、まだおとら小母さんは知らないことだ。おとうさんがそう思っていた ところへ、きのう、かぎやのおじいさんがきてさ、そうしなさいと言うんだ。だいいち、おとら 小母さんがどういうかまだわからないことなんだから、まだ、ここだけの話だよ。しかし、おか 249

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243 しかしまあ、あしことしては、そんなぐあいにいくと、親のため、 「そうかい。史郎がな。 子のためと思うたんしやが、ゆるゆる考えてあげよう。」 すると、縁がわにいたおばあさんも仲間にはいってきて、 「そんなふうに、みんなの気がそろったらよろしいが、あわてて無理はせんほうがよろしいな。」 一郎のおとうさんの帰ってきたその晩に、もうこんな話が出たほどで、かぎやでは一郎一家の ことについて、いろいろ心配しました。心配の第一は家のことです。これから暑くなるのに、三 幻人でさえもせまい土蔵の部屋に、もひとりふえたのでは、たまるまいと思いました。しかし、お 灘とうさんはもう帰ったつぎの日に、となり村のじぶんの家へ出かけていき、そこに住んでいる人 一一とかけあって、また、まえのように、ひと部屋をあけてもらって、移りました。 八なんにもない、がらんとした部屋で、おとうさんは、ひとり暮らしはじめたのです。一郎は学 + 校があるし、ヨンちゃんは、まだ小さいし、ふたりともついていくわけにいきませんでした。けれ ど、毎日のように、おとうさんか一郎かが峠をこしていったりきたりしました。一郎がいくとき には、ふたり分のごはんやおかずを重箱につめて、もっていかされます。 「さ、いっといで。おとうさんに、なんでもかんでも、話してあけるのよ。床屋の小父さんが、 とくとうびよう 禿頭病になった話だっていいのよ。うんとしゃべってきなさい。」 一郎は、その晩はおとうさんとならんでねむり、翌朝早く起きて帰ることにきめていました。 おかあさんと暮らしていたときは寒いさかりで、つらいことや悲しいことばかりだった同じ部屋

7. 母のない子と子のない母と

が、おとうさんといる今は、すずしくて寝心地のよいこと、おどろくばかりです。それは、土蔵 の部屋が暑いから、よけいそう思うのでしよう。 そのすすしい部屋で一郎たちは、夜のふけるのも忘れて話しました。学校の話、麦刈りの話、 大場さんのバラの花の話、かぎやの白猫のホーの話、おかあさんのこと、おとら小母さんのこ と、ヨンちゃんの名のいわれ、それから、去年から今年にかけてはじめて経験した朝網や、秋 祭、正月のとんど祭や、かゆっりのことまで、もうあますところのないまでに話しつづけるの と を、おとうさんはただ、ふん、ふんと言いながら、聞いていました。 の おとうさんの留守のまのことは、あらかた話もっきたかと思うころ、子どもながらも一郎は、 子 と ひどくおとうさんが疲れていることに気がっきました。そのはすで、これからさき暮らしていく 子 ための仕事さがしに、おとうさんはまいにち、歩きまわっていたのです。そのせいだと、きめて いましたが、だんだんふきけんになり、だまりこんでいくようなおとうさんを見ると、さびしく なって一郎は、よけい話しかけすにいられませんでした。 「おとうさん、役場のこと、どうだったの ? 」 村役場に人をいれると聞いて頼みにいったのは、だいぶまえのことです。それきり、なんにも 言わなかったおとうさんですが、一郎にきかれると、目にみえてふきけんな声になり、 「だめ。」 と、かんたんに言って、寝がえりをしてしまいました。

8. 母のない子と子のない母と

そうぞう かいぶつ それはもう、小さな村の子どもらには想像もできない、怪物のような建物でありました。だか かんたん らもう、ただ、へえ ! と感嘆するばかりで、じぶんたちの立っている橋の上から、砂浜のむこ あみほしば よむね うの網干場まで、大いそぎで、空想の西校を四棟建て、それから ? というように、一郎の顔を 見ました。そんな大きな学校に、一郎はかよっていた。一年生が六組もあるような学校、しかし、 くうしゅう そこが空襲でやけたと気づくと、 「それが、みんな、やけたんだって ? 」 あみはしば ′、うか・ル と、橋の上から網干場までは、たちまち空間になってしまいました。一郎もまた、べしゃんとな と 「一ばん小さい、一棟だけがのこったけど、もう、しようがないよ。はくらの教室も、みんなや 光けた。」 こうけい 一郎の心に、あのときの光景が、きのうのことのような、はっきりさで思いうかびました。そ れをじっと見つめて、考えているのに、みんなは、つぎつぎと話しかけます。 べんぎよう 「それで、あと、どうして勉強したの ? 」 「やけなかった学校へ、 いったのさ。ばくらは原の学校だった。でも、石原へいってても、ほ くらは、西校の生徒さ。石原をかりて勉強してるだけだもの。石原の生徒、いばってるんさ。ば いそろ くたちのこと、居候、居候って。でも、石原だってたいへんさ。大せい居候がいったもんだか ひとむね

9. 母のない子と子のない母と

んくらわしたでしよう。小母さんのほうはまた小母さんで、人にことばをかけられただけで泣き だした一郎の心をふびんに思い、そうっと抱きかかえてでもやりたい気もちになっていました。 つらいのだろう、さびしいのだろう、と思ったのです。 一郎が、だれにも言わないで、帰るともなんともたよりのないおとうさんを、もしやと思って ふなつぎば 船着場まで迎えにいっていたのだと知ったなら、おとら小母さんもこの道ばたで、一郎といっし ょに声をあげて泣きだしたでしよう。けれど、おとら小母さんもそこまでは考えませんでした。 とち 子まだ土地になれす、人にもなれす、病気のおかあさんを手つだって、ごはんたきまでしている一 郎が、ふっと泣きだしたいような気もちで、歩いているところへ、待っているじぶんに行きあわ のしたのだと思ったのです。それをどうしてなぐさめようかと、おとら小母さんは、うろうろしま 風「もういししし もう小母さんがきたんだから。ほんとにね、チロちゃん、えらいよ。泣きた くもなるさ。こんなに寒くっちゃねえ。あ、そうそう、だから小母さん、みんなの足袋ぬってき たよ。ほら、ここではいてく ? 古い布でぬったのよ。ホラ、ホラ、それとこれ。」 ほらほらというたびに、小母さんは手さげのなかから手ぬいの足袋をとり出して、見せまし た。紺サージのが一郎のでしよう。こまかい紺がすりのはおかあさんのらしく、四郎は男の子な のに赤いフランネルでした。 「はいてきな、チロちゃん、あったかいよ。」 こん ぬの たび

10. 母のない子と子のない母と

にんじゅっ 「どうする ? そんなら忍術でもっかって、かばんをとりもどしてやろう。さ、どろん、どろど ろどろーーー。」 あがりがまちに腰かけたまま、鼻さきに立てていた人さし指を、ぐっとかたむけて土間の壁に かべはしらかまか むけました。ふと見ると、壁の柱の鎌掛けに、正雄のかばんはひっかけてありました。なんだ、 と思いながら史郎は、いそいでそれをはずし、門のほうへ走りだしました。あとから、おじいさ とんも出てきて、おこり顔を見せ、 とちゅう 母 「みんな、途中でかばんをはずすのがおもしろいとみえるな。わしが見よったらおまえらは、学校 の行きしにも、まいにち、かばんはずしよったぞ。言おうか。」 と どうやらそれは朝のべんとうを知っているらしい口ぶりでした。しかし、そのおじいさんのお 子 こり顔の底のほうに、ほんのちょっぴり笑い顔のようなのがかくれているのを、太一たちは見の のがしませんでした。 「さ、早うかえった、かえった。かばんやこい、はすしたりする馬鹿が、あるかい。」 ひとこともおわびを言うひまもなく、かばんは正雄の手にもどりました。みんな走りだしまし たが、松よ門のかどまでいくと、こっちをむいて、 かぎやのしいさん、よいじいさん やかん頭のよいじいさん 148 どまかべ