159 けむり 九煙のゆくえ 木々は青み、麦は日ごとに黄いろくなりました。空の色も海の色も夏だ夏だとせきたてている むぎか ようだし、学校もあすから麦刈りの農繁休みになるという日のことでした。村の人々は、いつも りき の三倍もカみかえって働いているなかで、かぎやのおじいさんは気が気でありませんでした。働 き手の史郎のおかあさんが急にリュウマチをおこしたので、思うように働けないからです。 え 「あしたから、史郎よ、しつかりたのむそ。また、一郎くんでも引っぱってこいよ。」 朝ごはんを立てひざでたべながら、おじいさんが言うと、史郎は大きくうなずきながら、 ゅ ひる 一郎くんとそう言ってたんだ。あしたからでなく、きようもお昼からいくよ。」 の「うん、きのう、 猫の手もかりたいときじゃ、そんなら、丸山へきてくれ。」 煙「そうか、ありがたい。 「そのかわりほく、鎌、つかうよ。」 「そうか、よし。見つけとこう。」 いちにん 手いつばいにぎって、ざっく、ざっくと刈りとるこころよいひびきは、まるで一人まえになっ かま たようなうれしさになるのでしたが、子どもの手ではなかなかはかどらぬし、鎌はまだあぶない ことし たば からと、いつも史郎は東ね役ばかりさせられていました。しかし、今年はどうでも鎌を持たねば ささいち 気がすまぬわけがあったのです。左ぎっちょの笹一がじぶんの鎌をあつらえて、きようそれをと のうはん
かえ ! 」米さんは山ん場の上に仁王立ちになって、一郎が天狗のうちわかと思った白い帆手を気ち がいのようにふりまわしています。その声は入江の海じゅうをどなりちらし、米さんの思うまま あんぶね に動かしているのです。米さんのどなり声と白い帆手の動きにしたがって、網船は鰯の色をとり けんとう かこんで網をはっていくのですが、ほんの少しでも見当をはすしたりすると、米さんは大声で名 ざしで叱りつけます。海の上の働きが手にとるように見えますが、そこには子供らしい姿が三四 人見られました。 と 珊一郎が海のように広い関東平野と言ったとき、広い海にかこまれた山や丘ばかりで、広い平地 のない小さな島である小豆島の子供たちには、その海のように広いということがどうしてものみ の 子 と こめなかった。子供たちの生活は、海も丘もいっしょになった自然と、集団的な遊びや親たちと 子 いっしょの労働を通じて、海に山にどんなに深い鋭敏な感覚と正確な知識をもって結びつけられ ていることでしよう。 の 史郎の家は父がいないうえに母がリュウマチなので一郎や喜十郎たちは麦刈の手伝に出かけ た。山坂を切りひらいた段々畑ばかりの村なので、大八車などは使えず、人間が背負ってはこば ねばなりません。それで子供用のかるこまでとりそろえてあって、このかるこに荷をつけて背負 うのですが、それには負いだしという言葉まであるくらいです。このときなどは一郎も喜十郎も その夜はあんまりくたびれて寝小便をしたほどです。 いろんな集団的な遊びについてはふれないが、この小説に書かれている集団的な労働はもちろ
135 んなの鼻にしみるようでした。 さくっと音立てて二つにわると、しゆっとっゆがとび、みんなのロにつばがわいてぎました。 太一ひとりが顔をしかめているのは、みかんの木のとげでひっかかれた手に、つゆがしみるので しよう。それでも太一は痛いとも言わす、さくりさくりと一ふくろすつはなしては、みんなの手 にくばりました。まんべんなく三つあてくばって二つのこったのは、じゃんけんでフサ工と、喜 一とにあたりました。うまそうなみかんでしたが、ぶるんとするほど歯にしみました。しかし、 走ってかわいたのどは、やっとそれでおさまりました。 と ん 「あーあ、うまかった。」 や 「七十五日生きのびた。」 ん「もっと、ひとりで半分ぐらい、たべたいな。」 しんばい 心配顔など、そこには一つもありませんでした。そして、そのあくる日です。きのうのところ み までくると、みんなの目は言いあわしたように、みかんの木を見あけて、立ちどまっていまし た。きのう折った枝のあとはわかりませんが、そ一、のところの茂った葉が、少し高くなっていま した。また、きのうのように、手をさしのべる勇気もなく見あげていると、 「おい、みんな。」 畑のなかから呼びかけられ、とっさに子どもらは逃けだしました。 「みかんを、やろうと言うのに。そら、みかんやる、みかんやるそ。」
なったように、それをにぎってはなしませんでした。先生に言われて、一つだけがみんなの手か ら手にまわされ、針の先ほどの小さな目玉がポツツリとついている化石の蟹は、何万年かぶりみ んなに見られ、知れわたりましたが、その分まで、笹一は先生からとりもどしたのです。それの じよろう ことを史郎は言ったのですが、じぶんでさがしたものと言われて、てつきり女郎ぐもと思った笹 一は、うれしさもまじって、またどもりながら、 「じよじよ女郎ぐもだろ。ばく、そそれ考えたんだ。ドンプスのほう、やろうかな、ドン と 珊プス、やろう。」 史郎はもう化石のことを言いませんでした。くものドンプスも笹一にとっては、たいせつなも の 子 のなのを知っていたからです。 と 子 こんないきさつがあったとも知らず、一郎は学校からとぶようにして帰りました。おとら小母 6 さんはいそぎの、、、シン仕事がもうすぐすむからと、見むきもしないで窓べりの、、、シンをふみなが ら、 しようどしま たんじようび 「ごちそう、してあけたよ。小豆島へきてはじめての誕生日だもんね。うでによりかけてさ。き っとチロちゃんもすきだと思うものよ。なんだ ? 」 ししお 一郎が学校へいったあと、小母さんがどんな思いをして、ながいあいだ獅子雄の写真を見てい たかなど、一郎は知るはずがありません。そのあと、きようのお祝いのために、また着物を売っ たり、白米や魚を手に入れるためにかけまわったことなど、なおさら知りません。ただもう一郎 かせぎ いわ
窓から、話は手にとるようでした。 くまがや 「熊谷へ帰ったなんて、どうしてまあ、こっちからの手紙がっかなんだでしようね。そういう事 務がうまくいっていないんでしようかね。それにしても、電報までがっかないなんて、ここの郵 便局もはやばやして。」 おとら小母さんがひとり、いろんな手ちがいをなけいているところでした。それは埼玉県の人 たちといっしょに熊谷へ帰ってみてはじめて、一郎たちが小豆島にいるとわかって、その足です とちゅうの汽車のなかから打った電報が、まだっかない話なのでした。しか はぐ小豆島へむかい 候し、熊谷についたときのおとうさんは、まだおかあさんの亡くなったことを知らず、電報はとな 一一り村のわが家の、しかもおかあさんあてだったのですから、つくはすもなかったのです。 はとば 八波止場についても、だれも出むかえがなく、生まれた家へ帰ってみて、そこにいる知らない人 じじよう から、はじめて事情を聞いて、西屋の土蔵をたずねてきたわけです。電報さえついていたなら、 小母さんは生きた魚など買って待っていたでしようし、一郎もこのタがた、こうもりの歌など聞 いてばんやりしているはずもなければ、おとうさんに出あっておどろくこともなかったのです。 なにから話してよいかと、かえってことばも出ないおとうさんに、おとら小母さんもまた、な にをどうしてよいかと迷うらしく、立ったり、すわったり、お茶を出しかけては出すのを忘れ、 ごはんがまだだと聞いて七輪をおこしかけては、部屋にもどってきました。そのおとら小母さん 目ーを 一郎のおとうさんは、はじめて手をつき、 233 にしゃ な
あらためて小母さんにそう言われてみると、一郎は少しばかりきまりわるそうな笑顔になり、 「どうしもしないけれど、きようはもういいっておばあさんが言ったから、帰ったんだ。ね、大 田くん。」 しようどしま 「へへえ、さては、馬のヘがかざりましたか。そんなのを、小豆島では馬のヘがかざったと申し ようちえん ますのよ。それじゃあ、これから幼稚園入学 ? 」 ぎじゅうろう 喜十郎がけらげら笑いました。畑がお休みとすれば、幼稚園入学よりほかにしかたはありませ あいて 園ん。きようはどこへいったって、だれも遊ひ相手はいないのですから。 ざいく 椎 一郎たちは、子どものなかに坐りこんで、小母さんの手つだいをはじめました。麦わら細工の 幼 がらがらや風車を、小母さんにおそわって作るのです。なにしろ小さな子どもたちは、みんない っしょにほしがるので、先生のおとら小母さんは大助かりなわけです。小母さんときたらひどく にんぎよう ぎよう 麦器用で、少し大きい女の子には手さけかごをあんでやり、男の子には山ん場人形をつくってやり ました。 しよいしよい。」 「しょー にんぎようむぎほ 米さんのロまねであやつると、山ん場人形は麦の穂がらの帆手をふりました。こうして、時の たつのも忘れて遊びました。そして一時間もたったでしようか。小母さんは急に空をむいて、片 手をうけるようにしながら、早口になりました。 「ちょっとちょっとチロちゃん、かぎや、大じようぶ ? おちてきそうよ。」 187 よね すわ えがお
ゅうでさわぎ声がするのはここだけです。 家にいるのは腰のまがった年よりか病人だけで、お寺の坂さんはお寺の畑の麦を刈り、学校の のうえん 先生もじぶんの家の畑に出ています。生徒の手で開こんした学校農園は手そろいなので、一日で こなしてしまって、今はめいめいの家の畑で、鼻のあたまを陽にやいてまっ赤にして働いていま ぎじゅうろう す。百姓をしていない家の子どもでも、一郎や喜十郎のように、めいめいおなじみの家へ手つだ おちば 、こ、っているはすです。落穂ひろいや東集めなど、七つの子どもにもできる仕事がありまし とおみちお くろう た。しかし、丸山のような遠道の負いだしは、なかなか苦労です。なれた人は大を三つも四つ のも、たがいちがいにすげて、ゆさゆささせながら背負って走りましたが、子どもには一東がやっ ととでした。 子 つじさえのかみ 荷を背負ってみると足が早くなることを、一郎ははしめて知りました。四つ辻の道祖神を休み いしがぎ、、、 の場ときめて、そこまでくると三人は石垣にかるこの足をのせて、いきを休めました。二度めのと き、一郎は、少しばかりなけくように、 あらかわどて 「段々畑って、ふ・ヘんだね。平地だとリャカーではこべるのに。ばくたちの荒川土手もリャカー びん 借りてきて、はこんだよ。そして、こなす槌がなくてさ、ビール瓶でたたいたんだ。」 三人が休んでいる前を、負いだしの人たちがひっきりなしに通りすぎます。それはもう一刻も せなか 早く背中を軽くしたいというような足どりで走りました。なかには、日が暮れるぞ、と、じよう だんをいっていく人もいましたが、あとからくるおじいさんが追いつくまでは、休んでいること お ひ
さとったらしく、 「ごくろうごくろう。ぎようはこれでおいとこう。」 と言いました。 ああらくちんを言いだすものもなく、足を投けだしてロでいきをしていると、 ふな あんず 「まるで、鮒のようじゃないか。早う手でも洗うて、杏でもたべな。」 と 杏の小ざるを出されると、やっと生きかえった顔になり、 「うまいよ、このあんず。」 の まっさきに史郎が手を出しました。じまんの白あんずです。ばくっときれいに半分にわって口 子に入れ、 子 「こんなふうに、きれいに二つにわれるのが、杏はうまいんだよ。たべろよ。」 しゆるい それは、ふつうのよりず 0 と実が大きく、うれると黄いろくなる種類の杏でした。村には二本 すじめ しかない木だということで、まんなかの筋目からきれいにわれました。ふつうの杏のようなす 0 ばさがなく、やわらかな甘さです。 「いいな、史郎ちゃんとこ、いろんなくだものがあ 0 て。みかんに柿に、あんずにいちじくに。」 かぞえたてながら一郎は、こほれた杏の種をひろって、 「種まできれいだ。はく、これ植えようかな。」 ポケットにしまうのを史郎は気のどくそうに、 たね かき
かもつれっしゃ 加郎は、夜中によく目をさましました。いつまでもいつまでもつづく、ながいながい貨物列車の ひびき。 「ほら、また通ってる。」 一郎は、ならんで寝ているおかあさんのほうへ手をのばして、じっとにぎってもらいました。 毎夜毎夜、きまった時間に、いつまでもいつまでも、ひびきの尾をひいて聞こえていた軍用列車 の音を思いだし、おかあさんの手のひらを思い出していると、とっせん、ひょろろと、ヒョンの と ふえ まくら 笛が鳴りました。おどろいて目をあけると、いつのまにか仕事をおいたおとら小母さんが、枕も とにおいてあった笛を手にもって、じっとながめているのです。目をさましたと思ったらしく、 子 あわてて、 と 子 「あ、ごめん、ごめん。つい鳴らしてしまったの。ばかな小母さんだね。さあ、ねましよ、ねま しよ。」 でんとう ばちっと電燈を消し、どしんと音させて、ヨンちゃんのむこうに横たわりました。 「ばく、まだ、ねむってなかったんだよ。」 そう言ったことで、一郎はいっそうはっきりと目をさまし、 「小母さん、ねむたい ? 」 と、ききました。 「ねむたい、 というわけでもないけれど、ねないわけにもいかんもの。あしたに、さしつかえ
手にとるように見えます。そこには子どもらしい姿も三四人見られました。二艘の網船は二手に 別れて、す 0 かりいろをかこむと、こんどはいせいのよいかけ声にかわり、ろくろがまわりはじ あみづな めました。漁師たちはからだをうしろにそらせて太い網綱をたぐりだします。 えんやなで、やっさんこら、よいとこら と おとな 珊大人も子どももみんなまわし一つのすつばだかです・ 「一郎くん、きみも今年は網ひきにいこうや。」 の 子 と 子 「ほくは、夏休みになったら、いくんだよ。」 「ふうん。だれでもいけるの。」 ささいちたつお てんま 、、、、そういち 母 「いけるさ、笹一や達雄くんもいくよ。あの、伝馬の赤ふんどしは宗一だよ・」 「へえ。」 よね 「米さんにたのんでもら 0 て、きみもいこうや。さいもらいで、一年じゅうのにほしができる 「いいなあ。」 一郎の胸はよろこびでご 0 たかえしのようになりました。網ひきにじぶんもいける ! おと 110 むね すがた