向って駆け去るのであった。大きな声が出せぬばかりでない。私は一歩表へ出ると、走ることも 飛ぶことも笑うことも出来なくなったのである。 一歩家を出たが最後、私には七難八苦が待ちうけているという緊張が私の頬をこわばらせた。 私の心臟は始終ドキドキし、不安が大きな眼玉をいっそう大きく見開かせるのである。道の向う に子供の影が射すと私の心臟はドキンとした。その影は腕白小僧で、私を見たが最後、兎を見つ けた獅子のように舌なめずりをする。 私にははやそんな予感が走るのである。 何もありませんように : : : 何もされませんように : 私はそう祈りながら道を歩く。八幡神社の前で深々とお辞儀をする。そのお辞儀の丁寧さを神 さまが褒めて下さるように。やっと何ごともなく学校へ着くと、教室にいやらしい連中がいませ んように、とおずおず戸を開ける。天気のいい日は校庭で朝礼があるので、またおっかなびつく りで校庭へ出る。校庭では同級生がナワトビをしたり、石ケリ、毬つきをして遊んでいる。私は その仲間に入れといわれるのがいやだが、そうかといって仲間に入らぬのもまたいやなのである。 私は毬つきもナワトビも人並には出来ない。人並に出来なくても平気で仲間に入っている人もい るが、私にはとてもその勇気はない。といってどの仲間にも入らずにひとりポツネンとしている と、ことあれかしと待ち構えている腕白小僧に眼をつけられて、理由もなくつき飛ばされたり、 囃し立てられたりするのである。 それで私はナワトビならばナワ持ちを、毬つきならば毬つき歌を歌う役をさせてもらうことを 考えた。それが一番無難なのである。
ややいうわけには行きまへんのや」 とばあやは私を励ましていったことがある。世の中にはいやだと思っても、どうしてもしなけ ればならないこと、逃れようのないことがあるのだ。 私の人生ははじまった。私には「いやなこと」が多すぎたので、そのはじまりは人一倍辛いも のだった。私にはあまりに他人にはわからぬ不安や怒りや恥かしさが多すぎた。 この世に学校というものがなかったら : と私は何度思ったことだろう。しかし私はマジメな生徒だった。八幡様の前は勿論のこと、校 門のそばにある二宮金次郎の銅像にもお辞儀をした。 「なに、なに、二宮金次郎の銅像にお辞儀してるって ! 」 兄たちはそういって畳の上にひっくり返って大笑いをした。 「こりゃあ、 こいつは面白い ! 」 父だけが偉い子だ、賢い子だと感心してくれたが、私はうなだれ、涙ぐんだのであった。 歌 え秋のはじめ、明治時代からの建物であった、黒ずんだ木造平屋の小学校校舎から、私たちは鉄 の の新築校舎に移ることになった。 筋コンクリート 母 父 新しい校舎はクリーム色の三階建てで、広い運動場をはさんでコの字なりに立っている。その 運動場は私の目にはキモがつぶれるほど広いものに見えた。三階の中心部には全校生徒を収容す
絽てもそうだ。それは怖い幽霊かもしれないが、この私にはカンケイないところで出たり引っこん だりしている。しかし、このじいさんばあさんはどことどうカンケイしているのかさつばりわか らない。なぜ便所なんて臭いところに、ご飯を食べている姿で出て来るのか。恨みも何もない子 供が赤い紙おくれ、といっただけで、なぜウンコで溺れ死なされるのか。 学校は古い、黒ずんだ木造の建物だった。板壁も廊下も天井も机も椅子も、何もかもが黒すん でいる。姉はむやみやたらに早くから登校する女の子だった。だから姉と一緒に家を出ると私の 教室にはまだ誰一人来ていないのである。私は黒ずんだ教室の中にひとり息を殺して自分の席に 坐っている。校庭に射している朝日の中で、姉が大きな声を上げてドッチボールをしているのが 見える。 「学校を遅刻するのは劣等生、優等生は早く登校します」 と先生はいったが、それもその早さによりけりで、ムチャクチャに早く学校へ行く者はこれま た、私の姉のように遊び好きの勉強ギライなのだ。私は漠然とそんなことを思ったものである。 ある日、授業中に先生が私に向っていった。 「サトウさん、お家の方が見えてますよ」 私は席を立って教室を出た。私の家からは寒くなったといっては毛糸のチョッキを持って来た り、雨が降りそうだといっては傘を持って来たり、何かというと誰かが学校へやって来る。それ さえも私は恥かしくてたまらず、それを受け取る私を見つめる級友たちの眼を、イバラのトゲに
ということが出来ないのである。私は口惜しさに歯を喰いしばって、泣くまいとしつつこの哀 れな母子の物語に泣いたのである。 小学校一年生の頃のことを考えると、楽しいことは何ひとつなかったような気がする。ビクビ クしたり、ドキドキしたり、口惜しかったり腹が立ったり恥かしかったりしたことしか覚えてい ない。私は学校の便所に入ることが出来なかった。もし扉が開かなくなったら : : : そう思うと、 怖くて入ることが出来ないのである。 学校の便所には幽霊が出るという噂があった。しやがんでおしつこをしていると、おじいさん とおばあさんが向き合ってご飯を食べている姿が浮き出て来て、 「赤い紙やろか 白い紙やろか」 という声が聞こえてくる。 「赤い紙おくれ」 歌とつい返事をした子供は、便壺の中に引きずり込まれてウンコに溺れて死んだ、という。 なんで赤い紙おくれ、というたら、幽霊の気にさわったんやろう ? : : : え と私は考えた。白い紙おくれ、といえば何ごとも起らなかったのだろうか ? しかしなぜだろ 教 の 母 父 しかしその話が怖いのは、「なんでかわからん」というところにあるのだった。お岩の幽霊は 伊右衛門に恨みがあるので仕返しに出て来るのだ。これは筋道が通っている。皿屋敷のお菊にし
「みいれなのかねのね工 すみわーたるゆうぐれェ」 と私は大声で歌った。ずっと後になって姉から聞き覚えたその歌の文句の不可解さが解けた。 それは、 「みい寺の鐘の音 澄み渡るタ暮」 という歌詞だったのである。 ばあやがいなくなったので、私ははるやという女中に面倒をみてもらうことになった。はるや は賢くて、何でも出来ないものはない上等の女中さんだった。首がすっきりと長く、いかにも賢 そうな引き緊った顔つきをしている。 はるやは夜、眠る前に私の布団のそばに坐ってシモャケの薬を足に塗ってマッサージをしなが ら色んなお話をしてくれた。はるやの得意の話は『安寿と厨子王』の話である。安寿と厨子王と 歌お母さんの三人が大きな河のところへやって来た。船頭がいたので、三人は舟で向う岸へ渡るこ いっそう とにする。すると船頭はお母さんを一艘の舟に乗せ、安寿と厨子王を別の舟に乗せた。二艘の舟 えは漕ぎ進むに従ってだんだん離れて行く。お母さんは慌て驚いて、 の「船頭さん、船頭さん、あれ、あの舟が離れて行きます。いったいどうしたのですか」 父 と騒ぐが船頭はそ知らぬ顔をして舟を漕ぐばかり。一方、安寿と厨子王の方も気がついて、 恥「お母さーん、お母さーん」
ある日、久兄は血相を変えて表から走り込んで来た。丁度、二番目の茶菓子兄が来ていて、 「どうした、喧嘩か」 「奴の小僧め ! 生意気だからプン殴ってやった ! 」 やっこ と久兄は息を切らせながらいった。奴というのは近くのうどん屋である。 「道で出会ったら、いきなりいいやがったんだ。お前んとこの親爺は偉そうな顔しとるけど、武 庫川の土堤で、自転車片手に三銭の水アメを飲んどったぞ、といいやがった」 久兄はいっこ。 「うちの親爺がそんなことをするか、といってやったら、水アメ飲んだ後で電信柱に立小便しと ったぞ、といいやがった」 久兄は父の名誉のために奴の小僧と喧嘩をし、一発殴ったが五発ほど殴り返されて負けて帰っ て来たのだ。 「何だ、やられたのか、だらしのねえ奴だな」 と茶菓子兄はいった。 やっこ 「もういっぺん、奴へ行っていってこい。喧嘩なら兄貴が受けて立っといってるって」 久兄は走って行き、間もなく帰って来て報告した。 「いってやった。俺の二番目の兄貴の目方は十九貫だ。その上の兄貴は二十一貫だ、合わせて四 十貫だそといってやったら、『すんまへん』って謝りやがった : やっこ やっこ
せんせせんせ 「先生、先生、どうぞ、かにしてあげておくなはれ : : : 」 ばあやの五尺にも満たぬ身体は何度もふっ飛び、唐紙にプチ当っては、不屈の意志を持っ相撲 のふんどしかつぎのように横綱めがけて体当りをする。私は息を呑んでそれを見つめ、泣こうか 泣くまいか考えてから、わっと泣いた。 翌日、兄の姿は私の家からなくなっていた。たいてい兄たちが私の家からいなくなる時は、そ れに似たようなことが起っていたのにちがいない しかしいっかまた、兄は私の家へもどってい る。もどっているなと思っていると、またいなくなっている。いないと思っているといつの間に か帰ってくる。三番目の兄と四番目の兄は大体においてそういう形で私たちと繋っていたといえ る。 二番目の兄は住所不定だった。 「まるで牛若丸みたいな人やな」 とばあやがいった。そして、 「こーこと思えばまたあちら つばめのような早わざに 大の弁慶あやまったア」 と歌ったのである。 二番目の兄が方々で作った借金の請求書が年がら年中父のもとに送られて来た。兄の名は節と タカシをチャカシと愛称され、どこへ行ってもチャカさんで通っていたのだ。 つなが たかし
ある夜、三番目の兄は珍しく私たちのいる居間で新聞を読んでいた。 ( だいたいいつも兄たち は夕食が終るとそそくさと自分の部屋に引き上げるのである ) 三番目の兄は新聞を読むとき、畳 の上に広げた新聞に向って、尻を高く上げた四ッ這いの姿勢になる。そのときもそうして新聞を 読んでいる兄に、父は声をかけた。 わたる 「おい、弥ーーー」 と兄はお尻をおっ立てたまま答えた。 もう一度、父がいった。兄は父のその声に一度目とはやや違う抑揚があることに気づくべきだ った。しかし兄は相変らずいった。 「何だ、その返事はツ , 歌一天かにかき曇って雷鳴轟き、稲妻は空間を引き裂く。父は目にもとまらぬ早わざで立ち上 ると、兄の浴衣の後ろ襟を引っ掴んだ。 え「ばあや ! ばあや ! 」 の と母は台所に向って絶叫した。ばあやが走って来て、 母 せんせ せんせ 父 「あっ、先生 ! やめとくなはれ。やめとくなはれ、先生 ! 」 と父と兄の間に割って入る。兄は立ち上り父と揉み合って殴られている。 とどろ
い出された。そしてそれ以来、金物屋の前を通るときは、私はそのおばはんを睨みつけたのであ ひだ 宮富さんのほかには飛田さんという人がいた。この人は書生だったのか居候だったのかいまだ に私にはよくわからない。父の前に出ると飛田さんは書生風になり、書生部屋では書生風ではな かったからである。 飛田さんは何もせすに一日いつばい人の悪口ばかりいっていた。背が高くてニョロニョロした 感じで頬がふくらんでいるので、家では飛田のマムシと呼んでいた。 飛田マムシは中林プタノへソという人のところへ来る恋人の手紙を盗み読みしてはひとりで悦 に入っていた。ある日、飛田マムシはその恋人からの手紙を勝手に開封し、最後に書き加えた。 「困ったことができました。 どうやら、ニンシンしたらしいんです」 ちんうつ 中林プタノへソは手紙を読んで衝撃を受け、沈鬱な顔になって書生部屋を出て家の横の松林の 中を歩きまわった。飛田のマムシは書生部屋の窓から背のびをし、その姿をながめては一人でよ ろこんでいたのである。 書生部屋や女中部屋や兄たちの部屋で私は色んなことを覚えた。覚えたことのいずれもつまら ぬことばかりである。 一番下の兄は中学生になっても背が伸びないので悩んでいた。廊下に引きずるような長いズボ ンをはいていたのは、そういうズボンをはくと、脚が長くなったような気分がするせいだと飛田 る。
「ばあやはなんで殴られたん ? 」 と聞きたい気持を阻止したのである。 ずーっと後になって ( その時から三十年以上も経ってから ) 私は母からこんなことをいわれた。 「あんたの小さい時ときたひにや、やたらに人のマタグラに手工つっ込んでまわるんで、わたし はほとほと閉ロしたわいな」 「マタグラへ ? ヘーえ、なんでそんなことしたんやろう : ・ すると母はいった。 「ばあやが生安のおっさんと関係あったこと知ってる ? 」 知っているといえばウソになるし、知らないといってもウソになる。 「何となく、ばんやりと、そんな風なことを感じてはいたけれど」 「ばあやはあんたをおんぶしては西宮のうどん屋へ行って、二階で生安のおっさんと会うてたん 歌やわ」 「へえ ? 」 え「あんたはそこらへんに転がされて、しようなしに二人のしてることを見てたんやろ」 の それで、マタグラに手工突っ込むこと、見覚えたというわけか , 父私は憮然として胸に呟いた。 しかしながら、うどん屋の二階。座布団の上に転がされて、大きな眼をバッチリと見開き、ば