「昨日のあれね、あれ、わかったわ」 田村さんはポカンとしている。 「お妾ゃね ? そうでしよう ? 」 ーカーカ 田村さんの顔にみるみる苦々しげな、批判的な表情が浮かんだ。 「いやらしい人、いきなり、なにをいうてるのん ! 」 田村さんは叱咤の口調でいった。 「あんた、ほんまにしゃべりやねエ・ それ以来、私は田村さんと喧嘩をして、七カ月、ロを利かなかった。全く、私はよく喧嘩をし た。ある日私は川本さんが長村さんに虐められて泣いたという話を聞いた。長村さんは、 「川本さんはお妾の子やから、みんな、遊んだらいかん」 といったというのだ。長村さんは組で川本さんと一番を競っているしつかり者である。 私の怒りは燃え立った。 「いやらしい奴ゃね、長村は」 と呼び捨てにして怒った。なにも隣の組の喧嘩に首を突っこむことはないのだ。私は川本さん しかし長村さんは肩で風を切っているようなとこ とも長村さんとも殆ど口を利いたことがない ろがあって、私は前から「好かんやっ」と思っていたのである。 私は長村さんと廊下ですれ違うと、ぐっと睨みつけた。睨みつけておいてから、向うがこっち を見るとプイと顎をしやくって横を向く。長村さんは何のために私が喧嘩を挑んでいるのかわけ しった
がわからなかったにちがいない しかし、わからぬままに長村さんは私の挑戦を受けて立った。 長村さんの方でも廊下で私を見かけると ( 何しろ、同級生でないから、廊下でしか顔を合さな そむ い ) ふン ! という顔をして顔を背けるのである。 私と長村さんとは丸三年、喧嘩をつづけた。私たちの学校では年毎に組替えが行なわれるが、 三年間、私たちは同じクラスにならなかったのだ。四年生になってはじめて同級になり、二人で 学級委員のようなものになったので、喧嘩をしているわけには行かなくなったのだ。もし同級に ならなければ、私たちは永遠に、道で会うと「ふン ! 」と顔を背け合ったかもしれないのである。 長村さんには上級生にエスがいるのだー ある日私はそんな噂を聞いた。それは堤さんという人で、長村さんは堤さんに、 「ミキはいついつまでもいつまでも、おねえさまのものです」 という手紙を出したのだ。 「なんやて ! 」 歌私は吐き出すように、つこ。 と私は叫んでゲラゲラ笑った。 教「おねえさまのもの、ちゅうカオかいな ! 」 母私とマンダは笑い転げた。何日も何カ月もそのことをいい合ってはそのたびに笑った。 しかし私は本当はちっとも面白くなかったのである。
顔は、ほっとしてゆるんでいる。 「ざまアみろ、わかったか ! 」 しかしカンパチはそうだからといって という気持で私は自分の席からカンバチを見返したが、 私を見直したわけではなかった。カンバチが私をダメな生徒だと思いこんでいるその確信は頑と して揺るがなかった。カンパチはこの経験によって、私を起用すると心配でヘトへトになるとい う感想を抱いただけだった。 運動会でも、学芸会でも、私は相変らす″その他大勢 , だった。・ 学芸会の一カ月ほど前になる と、どの組も劇の配役を決めたり、練習がはじまったり、背景を描くものや衣裳係、照明係、小 道具係が決っていろいろ忙しくなる。授業が終っても、学芸会に役割を持っ生徒は遅くまで居残 るのである。 そんなざわめきを背に、私はマンダと肩を並べて校門を出た。私たちは帰るのだ。私たちは学 芸会とは関係がない。カンパチは私に何の役もくれなかったのだ。カンバチにとって私は相変ら ずダメな女の子だったのである。 教私が < 組の長村さんを嫌ったのは、長村さんがでかい顔をしているからだった。長村さんは 母組で首席だった。入学の時も一番の成績で入ったのだ。長村さんはまた金持の娘だった。体格も よく、スポーツマンでもある。しかも長村さんには四年生に " エス〃がいる。手紙のやりとりを Ⅷしていて、廊下などで出会うと " モク礼をし合う , のだという。
132 ムには「モク礼」とい , つのがど , つい , つものなのかよくわからなかった。モク礼とは目礼と圭〕く のか、黙礼と書くのか。黙礼というのは黙ったまま、おじぎをすることなのだろう。目礼という 、しかし、眼と眼で挨拶をするとはどんな眼をす のは、眼と眼で挨拶をするということだろうが ることなのだろう ? もしかしたら私が長村さんを嫌ったのは、何よりも彼女がエスと「モク礼をかわす」というこ いんび とに最大の原因があったのかもしれない。その「モク礼」なるものが、私には何とも淫靡なもの に感じられた。私と長村さんとはあらゆる点で話にならぬくらいの差がついているが、それを更 に決定的にするものが「モク礼」なのである。 私はマンダと「モク礼」の研究をし合った。私たちはお互いに離れたところから歩み寄り、お 互いにモク礼と思うものをやった。マンダのモク礼は両眼を細めてみせる何やら怪しきスパイの 合図のようなもので、私のしたモク礼は、マンダにいわせると、 「やくざが因縁をつけるときみたいや」 ということであった。 いすれにしても私にもマンダにもモク礼をするべき相手はいないのだ。そしておそらくそれは 永久に現れぬであろう。私たちは目立たぬ存在だった。二人揃っている時は元気がいいが、 ればなれに坐る教室では小さくなっている。私たちはもてぬ腹イセに長村さんのエスに″菜ッ 〃という渾名をつけた。長村さんのエスはバレー部の選手だが、なぜか頭髪の裾が菜つばのよ うに開いているからである。
そんなある日、私が廊下を歩いていると、突然、五年生が呼びとめた。 「あんた、佐藤紅緑さんの娘さんてホント ? 」 とその五年生は聞いた。 コは ~ め」 と私は緊張して答えた。私が少しは上級生に名を知られているとしたら、それは小説家佐藤紅 緑の娘であるということでだった。ときどき、私はそういう好奇心でふり返られることがあった。 長村さんになくて私にあるものといえば、そのことぐらいなのである。 私を呼び止めた五年生は、私の手を取って折り畳んだ紙片を握らせた。 「これ読んで」 と彼女はいった。 「誰にも見せたらあかんよ」 歌私は更に緊張して返事をした。それはカンパチに対する時と同じ、頼りなげな素直な、生真面 目な返事である。五年生が行ってしまうと私は階段を二段トビで駆け上り、教室に走り込むと隅 教っこへ行って手の中の紙片を開いた。 母「アイ子ちゃん、 可愛くて、ピチピチしていて、いつも楽しそうなアイ子ちゃん。 あんまりアイ子ちゃんが愛くるしいので、どうしても手紙が書きたくなりました。
息づまるような緊張が私を捉える。うつかりしているとすぐにトゲが刺しにくるのだ。 母は学校へ行くのをいやがる私を励ましてこういった。 「校長先生が何がこわい。校長先生かて、同じ人間です」 いや、私にとっては校長先生はグ同じ人間″ではないのだった。私にとって " 同じ人間〃とは 父、母、ばあや、兄、姉くらいなものである。校長先生が向うから歩いて来るのを見ると、私の 胸ははやドキドキした。校長先生が私に何か言葉をかけはしよ、 オしかと、それを怖れる気持でいっ ばいである。校長先生が中折帽を持ち上げて、私のお辞儀に答礼しただけで過ぎて行くと、私は 心そこほっとして身体に張り詰めていたカがはじめて抜けた。 校長先生よりも嫌いなのが同級生の男の子だった。中でもャプニラミで老人のようにしなびた ひょうたん型の顔をしている中村という男の子は、ゲジゲジ、ナメクジ、ゲロ、つぶれた蛙など よりもいやらしい奴だった。彼はヤプニラミの眼でジーっと私を眺め、薄笑いを浮かべていった。 「・ヘッピンはん : ・・ : ペッピンはん : ・・ : 」 歌その眼はヤプニラミであるばかりでなく、眼のまわりが赤くえどったようにただれて、いつも 涙が滲んでいる。その中村に感じたいやらしさこそ猥褻感というべきものであったと思う。彼は えまた私に向って理由もなく、 「佐藤紅緑 ! 佐藤紅緑 ! 」 父 とわめいた。それは私の父の名である。その頃関西では小説を書いている人間は珍しかったの で、私は何かというと″紅緑の娘〃だといって注目されたが、それもまた私にとっていわれのな わいせつ
私は意識的に夫に強い関心を持たぬようにしていた。私と結婚するまでの夫の女関係について も全く無関心だった。、、 とうせ汚れているにちがいないその過去を知りたくないという気持だった のか。聞いてもしようがないという気持だったのか。そんなもん、どうでもええ、という気持だ ったのか。 私は天龍川の橋の上で、 「森少尉の奥さん、こんにちは」 と声をかけたとんばの、ロもとの微妙な笑いを見たときに直感した。 とんばは沢村大尉だけでなく私の夫とも関係があったのだ、と。 しかし私はその直感をたしかめたいとは思わなかった。 夫は私のそんな胸中を何ひとっ察知してはいなかった。夫は私が彼を愛していると心そこ思い 込んでいるのだった。そして彼自身もまた私を愛していると思いこんでいた。だから私たちは仲 のいい夫婦に見えた。いや、実際に仲のいい夫婦といえた。 ある日、私は洗濯ばあさんの色川さんから、ひろめ屋の親爺がとんばと「いい仲」になってい ることを聞いた。なぜそのことがわかったか。とんばは中村という炭屋の二階に部屋借りをして 教いるが、朝の七時頃、せかせかした足音がトントコトントコと階段を上って行き、十分ほどして 母トントコトントコと下りて来る。ああいう足音を立てて階段を上り下りするのは片脚の短いひろ め屋の親爺に決っている、というのであった。 すると、浮気というものは朝もするものかー