「二階がキナ臭い、キナ臭い」 と鼻を人さし指で押し上げてみせる。 母は父と結婚する前は女優をしていた。松井須磨子とほば同時代の女優だが、須磨子のような 大スターではない。父が日本座という新派の劇団を作っていたが、そのちつばけな一座の花形女 優だったにすぎない。母はなかなか美しい人だった。鼻も高かった。自分の鼻が高いので、人の 鼻をけなしたくなるのかもしれない。何かというとすぐに私の鼻に文句をつける。後年、私は鼻 ペチャコンプレックスに悩んだが、その原因は遠くこの頃の私の母が植えつけたものにちがいな しと田 5 , つ。 私のばあやは、 「鼻みたいなもん、大きうなったら高うなりますがな」 といって私を慰めた。 しかしばあやはもう大きくなっているのにちっとも高くなっていない。私はばあやに質問した。 「ばあやは大人やのになんで低いのん ? 」 ばあやは、 「おもしろいこといわはる ! 」 とケラケラ笑い 「お嬢ちゃんは賢いお子やなあ」 と感心するのであった。
だ。相変らす来るのは井上の鼻はんだけだった。鼻はんは空襲に脅え、 「わてはもう、アメリカへ行きとうおます ! 」 「空襲がないとこはどこやろと考えたら、アメリカしかおませんわ」 母は慌てて、 と鼻はんの高い声を制し、 「そんなこと太閤はんに聞こえたらえらいことですがな」 と声をひそめた。 鼻はんは私の縁談を持って来た。しかし鼻はんの持って来る縁談にはロクなのがないのだった。 「お姉ちゃんのときと違って、今度はむつかしうおます」 と声をひそめた。鼻はんはいった。 「お姉ちゃんは何でも出来はったし、いつもニコニコして誰とでも話を合せられるホンにおとな しいお嬢ちゃんやったけど : 私は我儘で何も出来ないくせに愛想の悪い娘だから難しいというのである。 「第一、お姑はんのいてはるところはあきませんやろ、お金のない人はあかんし、お金はあって もしまつな家はあかんし、一人息子は向うも気儘やからあかんし : つまり私は嫁の貰い手のない娘なのだ。鼻はんはそう いいたいのである。そして母はそのひと きまま
と私は思ったことがある。 ある日、きぬやという女中が女中部屋に入って泣いていた。きぬやは熟し柿に目ハナという赧 ら顔の女中で、何かというとゲラゲラ笑っている陽気者である。 そのきぬやが朝も昼も女中部屋で泣いている。きぬやが泣くと赤鬼のようになった。私は女中 部屋の障子に穴を開けて、そこから覗いたのである。 一方さだやは働きまくっていた。さだやはチビで眼も鼻も丸く小作りに出来ているお豆のよう な女である。さだやはいつもの三倍も働いた。泣いているきぬやの分も働くというより、泣いて ばかりいて働かないきぬやに当てつけるために働きまくっているという感じである。 その日、夜になると、「こんばんは」と井上の鼻はんがやって来た。何か我が家に異状が起き ると、必す鼻はんが現れる仕組になっている。鼻はんは興奮している証拠にハナの穴がいつもの 倍近くも大きくなっている。私は愛読マンガの「のらくろ」を持ってさりげなく母の横に坐った。 鼻はんと母の話を聞くためである。 「何と : ・・ : あんなおとなしそうな顔してて : ・・ : 達者なもんですなあ」 鼻はんは声をひそめていった。 「両手に花だすがな」 鼻はんは更に声を殺したのであとはよく聞き取れない。私の身体はつい鼻はんの方へ傾い せんせ 「いつやったか、きぬゃんがデンポ膿ませてお医者はんへ通てましたやろ。先生が夜の女の一人 歩きは危いさかいし 、うて、三宅はんに自転車で送ってやれいわはりましたな : ・
っているわけではない。決っているわけではないが、なぜか嫁入りの支度だけはしておかなけれ ばならないのだ。 鼻はんは婿探しに一生懸命だった。三日にあげずやって来ては、 「どないだす ? ええお話おましたか ? 」 と聞く。そうしてほかからの縁談が来ているときは、その話にケチをつけて帰って行くのだっ た。鼻はんは相手の写真を見ていった。 「この人はあきまへん。口が小さい。男のロの小さいのはあきまへん : : : 」 「大学帽に欺されたらあきまへんで。大学帽というものは男前に見せまっさかいにな。この庇が くせ 曲モンですねン」 しかし鼻はんの持ってくる縁談レ。 こまあまりばっとした話はないのだった。鼻はんが熱心に勧め た岡山のお医者はん、という縁談は結婚詐欺師であったことが発覚した。その男は三人のと結 婚して、持参金を合計百二十万も取っていたのだ。それが新聞に出て鼻はんは面目を落し、それ しから少し静かになったのである。 秋、姉の縁談は決った。鼻はんの持って来た話ではない。相手は帝国大学の「銀時計の次」の 教秀才で東京の経済研究所に勤めている。 母「うちの姉さんの嫁入り、決りやがんねン」 と私は裁縫の時間にマンダに報告した。 「帝大の、銀時計の次、という秀才や」
鼻はんはそういって眼に涙を溜めた。 「お嬢ちゃんがいはらんと、おばちゃんかて、ほんまに淋しい気がしてましたんやで」 鼻はんの鼻の穴は以前と少しも変らす黒々と大きく私の方を向いていた。 「そんで、お姉ちゃんは元気かいな ? 」 「ええ、元気です」 私は東京弁で答えた。 「もう、妊娠しちゃったらしいんです」 「へえ : : えらい江戸っ子ナト使わはって : : : 」 鼻はんは感心していった。 「シャキシャキしてはるなあ。えらいもんやなあ : : : 」 それで私は調子に乗って、鼻はんの家を出るとき、 「ごめんあそばせ」 といって玄関の戸を閉めたのであった。 それから数日後に私は突然、発熱した。夏風邪だと思っていたのが肋膜炎だといわれた。東京 で私は何もしなかったのに過労になっていたのだ。 夏の間、私はずっと床に就いていた。女学校時代の友達が見舞いに来てくれたが誰とも会う気 がしなかった。 秋になって漸く病気が癒えたとき、私は久しぶりでマンダに会った。マンダはバーマネントを
私たちはその三階建ての家から新しい家に移ることになった。その家があまりに暗く、あまり に暑いというので風通しのいい広い家を建てたのである。 その家は殆ど母の好み、母の考えによって建てられた。地所も家もだいたい、今までの倍はあ ると私は聞いた。母は私に、子供部屋は壁をトントン叩いたら、キャラメルやチョコレートがコ ロコロと出て来るように作ろうか、などといった。母はずっと興奮気味だった。建築雑誌を山と 買い込み、一冊一冊をていねいに読んで参考にした。母は方眼紙に図面を描いた。朝も昼も夜も 三角定規や鉛筆や消しゴムが食卓のそばにあった。 母に家の新築を勧めたのは井上の鼻はんである。鼻はんは自分の家を新築したのだ。それで母 にも家を建てさせたくなった。 鼻はんの家は私たちの家の西側を走っている松林の土堤をずーっと北へ上った同じ土堤の上に 建てられた。道よりも高いところに家があるので、道から門まで高い石段を上る。その石段はと 歌りどりの色をした小石の洗い出しで出来ていたが、それが鼻はんの一番の自慢なのだった。 「見に来とくなはれ、表のだんだんを」 えと鼻はんはいっこ。 の「わたいが海へ行って、拾うて来ましてん。ええ色のばっかり集めるのに五日かかりましたわ」 父 鼻はんは、 「お宅の分も拾うて来たげまひょか」
鼻はんはいっこ。 「その時ですがな。出来たんは : 「けど : : : どこで ? ・ ・ : そんな : ・ と呆れ顔の母。 おも 「どこて : : : そんなもん、しよと思たらどこででも出来ますがな。道ばたの草むらの中でかて 何が出来たん ? と口まで出かけた質問を私はこらえた。 「それにな、さだやんの方はな : 鼻はんはふいに言葉を止めた。 「お嬢ちゃん : : : 聞いてはるんとちがいまっか ? え ? お嬢ちゃん : : : 」 またた 私は聞こえぬフリをして返事もしない。瞬きもせずじっとのらくろに見入る。それからクスク 歌ス笑ってみせる。鼻はんは安心してつづけた。 「さだやんは、奥さん : : : ポテンだっせ」 教 の 母は仰天した声を押し殺したので、私は全身に電気が走ったようにおののいた。 母 父 「ほんまですかいな、それ」 鼻はんは重々しく肯いた気配。
を擂ったり、水をやったりしている。母はよいフンを取ろうとして一生懸命なのである。 鼻はんは姉の婿さん候補の写真をせっせと持って来た。それから鼻はんは姉の写真をもっと ぎようさん 仰山撮らなあきまへん、と指図した。写真は出来るだけ方々へ配布しておく。 「どこでどんなええ口がかかって来るかわかりまへんよってにな」 と鼻はんは参謀気分でいうのだった。 鼻はんは出来上って来た姉の写真に難くせをつけた。 「これは写真屋が下手だす。もっとええ写真屋をわてが紹介したげまっさ」 しかしその写真屋で撮った写真は前の写真よりも悪かったので、鼻はんは歎息していった。 「お嬢ちゃんはほんまに写真うつりが悪いなあ」 私は高見の見物といった気分でそんな騒ぎを見ていた。ある日私は庭に乾してある鶯のフンを 盗んで、匿名でナミチャンという同級生に郵送した。ナミチャンの大きな平べったい丸顔は一面 じゅうたん にニキビの絨毯を敷き詰めて、地肌が見えぬほどである。ナミチャンは人のいい女の子なのに、 歌私は彼女を見るとなぜか虐めたくなるのである。 なぜ虐めたくなるのか、ナミチャンは誰に対しても悪意などというものはカケラほども持った 教ことのない、低い小さな声でものをいう目立たない女の子である。特に人から憎まれるような欠 の 母点はない 父 だがおとなしいナミチャンは、男の子が好きなのであった。好きなだけならまだ許せるが、自 ふし 分が男の子にもてると思いこんでいる節があるのだった。それが何とも私の気にさわるのである。
父の台詞もきまっていた。そして、 「今度という今度は、私は決心したんです」 という嫂の台詞もまたいつも同じだったのである。 私は算術の応用問題を前に、自問自答した。この嫂になり代らせてやると神さまがいったらど うするか ? という問である。そして私は、 「ねえさんの方がまだましや」 と思い、嫂になる方を選んだのである。 嫂は二、三日私の家にいて、それから母に若干の金を貰って帰って行くのが常だった。帰って 行くのは嫂の里ではなくて、兄との家庭へである。 「タカシさんは佐野屋の白味噌が好きで」 といって、嫂は佐野屋の白味噌を買っている。 「あれ、何でんねん ! 」 と井上の鼻はんは鼻の孔をふくらませて憤慨した。 「別れる別れるいうて、なんで白味噌みたいなもん、買いますねん ! 」 教「まあ、よろしいがな」 母と母は鼻はんをなだめた。 「別れんと戻ってくれたら、これに越したことはおまへんがな」 しかし母はかげでは、
そういう父は、すべてを見通す賢人に見えた。毎週、金曜日になると作はんと二人で、嬉しげ にあの芝居をする人間とはとても思えない。 父と母と作はんの組合せの中では、母が一番、賢い。私はそう思った。作はんが、 「アイスケーキと申します」 といった時、母はおかしそうな顔も不思議そうな顔もせす、 「ほう、西洋のお花でございますね」 くせもの と真面目に問い返したりしているのだ。母はなかなかの曲者だった。父のように高笑いもせず、 、つも冷静に人を観察していて、黙ってはいるがちゃんと急所を見て取っ 怒りも泣きもしない。し ている。 母は私に向ってよくからか , つよ , つにいっこ。 「この子の鼻は低いなあ、ばあやのお乳、飲んだせいやろう」 それから母はいった。 歌「ばあやの鼻は帝劇の舞台や」 「帝劇の舞台て何 ? 」 え「ハナミチなし」 の その頃、帝国劇場には花道がない点で珍しい劇場だったという。 母 父 「みよやの鼻は二階火事」 と母はいし