トルカナ - みる会図書館


検索対象: 男どき女どき
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1. 男どき女どき

男は筏の上で居眠りをしているように見えた。 筏といっても、三、四本の丸太を縛っただけの、畳半畳ほどのお粗末な代物である。筏の 女上に坐り込み、首を前に折ったまま身動きもしない。手にした櫂も全く動いていない。 青い湖面に、白い腰布をまとっただけのチョコレート色の半裸体がじっとして動かないの は、そのままのどかな一幅の絵だが、転げ落ちでもしたらどうする気だろう。岸には二メー 男 トルを越す鰐が、からだを半分水に漬けて寝そべっていたし、河馬が二家族棲みついて、つ いさっきまで鼻息も荒く水を噴き上げてふざけ合っていた人江もつい目と鼻である。私は双 眼鏡のピントを男に合わせた。なにか起ったところでどうすることも出来ないが、気がかり で目が放せなくなった。 湖はルドルフ湖といって、ケニアとエチオピアの国境にあるかなり大きな湖である。最近 まではトルカナ湖とよばれていた。まわりに住んでいるのは原住民のトルカナ族である。私 いかだ

2. 男どき女どき

ったのか。旅は謎々みたいなものである。無理に理屈をつけて分類解明しなくてもいい。 う思っていたのだが、この四、五年で様子が変ってきた。 飢えと内戦で、ふたつの国は見るも無惨に面変りをしたらしい。 世界地図をひろげてみて、と大上段に振りかぶるほど旅をしているわけではないが、それ でも行ったことのある国はそこだけ地図に色がっき、人肌にあたたかくなっているような気 がする。 女カンポジアとトルカナの活字は、違う活字を使ったように、字が起ち上ってひとりでに目 きに飛び込んでくる。 かんばっ トルカナ族の飢えの写真を、辛い気持で眺めていた。私が行ったの 旱魃が原因らしいが、 男 は去年の春である。まだ飢えははじまっていなかったと思うが、当時だってあの人たちの体 に余分な肉や脂肪はなかった筈だ。鉛筆の脚がもっと痩せたら、あとは骨である。 何の葉っぱか知らないが、大きな葉っぱを皿代りにして、誰に分けてもらったのか魚のは らわたを捧げ持つようにして、嬉しそうに笑いながら私たちの横を走り抜けていった少年は、 まだ走る力が残っているのだろうか。 青い湖に自分のからだで帆を張って渡っていったあの子は、まだ生きているのだろうか。 ささ なぞなぞ そ

3. 男どき女どき

107 鉛 隠れているのだろう。それにしても、この子たちは学校へ行っているのだろうかと思い、遺 蹟ツアーの往き帰りに、高床式の家のなかをのぞいてみた。階下には水牛、上の住まいには、 おおなべすげがさ アルミニュームの大鍋と菅笠が柱にかかっているだけで、あと目ばしい家財道具は何も見え なかった。 旅が終って歳月がたっと、私の場合、風景が薄くなって人間が残る。 丹精することが面倒で、格別子供好きでもないたちである。むしろ子供には邪慳なほうだ が、旅の感傷が手伝うせいか、アンコール・ワットで見たカンポジアの少年と、トルカナ族 の少年とは、同じように黒く細く真直ぐな脚を持っ男の子として、私の記憶のなかの懐しい ページに入っていた。 せいひっ つらあか 静謐な夜のアンコール・ワットには、だんまりが似合うことが判っているのか、面明りな らぬフットライトを当てる黒子で通し、カッと明るい昼のアンコール・ワットでは、おべん ちゃらの限りをつくして客に食い下る。こっちが十年十五年大人になったせいか、当時はう るさく思えたものが、し ゝまは懐しい。損得抜きで拓本のひとつも買ってやればよかったな、 と思ったりする。 私の背中を殴ったトルカナの少年たちは、威嚇なのかプライドなのか、それとも好奇心だ じやけん

4. 男どき女どき

鉛 101 少年の腰布はヨットの帆になった。黒い鉛筆のような二本の脚を踏んばって、痩せた彼の からだはそのまま船の帆柱である。 すべては一瞬の出来ごとだった。私は夢中で五枚だけフィルムの残っていたカメラのシャ ッターを押した。昼過ぎからの不安や不満はこの一瞬にけし飛んだ。ご一緒した秋山ちえ子 さん、西丸震哉夫妻も、嘆声を発しながら見守るだけであった。 少年は眠っていたのではない。風を待っていたのだ。黒い帆柱と白い帆のヨットはびつく りするような速さで、向う岸のトルカナ部落へと滑ってゆく。 双眼鏡でのぞくと、一糸まとわぬ若い男たちが、腰まで水に人り網を仕掛けている。老婆 あめいろ と若い娘が髪を洗い、丹念に結い合っている。土手には飴色の牛が、貧しい草を食み、その はくせい 下で鰐が剥製のように動かない。鰐の背中やまわりに白い美しい鳥が止まっている。お椀を くさぶ 伏せたような草葺きのトルカナ族の小屋が七つ八つとかたまって、そこにタ陽が沈みはじめ た。どういう約束になっているのか鰐と河馬と人と牛と鳥が、侵さず侵されず、ゆったりと 暮している。 夜の食事は相変らず私の身の丈もある大味な湖の魚としやがいもだったが、昼よりもおい しいように思えた。左手をプラブラさせる蠅追い運動も板についてきた。

5. 男どき女どき

暑さと湿気もかなりのものだった。恐らく四十度は越しているだろう。風が全く無いせい か、じっとしていても汗が吹き出し、シャツにしみを作る。何を考えるのも大儀になる。青 くず みどろ色で薄い葛でも流したようなねばり気のある湖の水は、クロレラの煮える匂いがして 胸がむかついてくる。 好きで来たとはいえ、ここで二泊とはえらいところへ来てしまった。こんなことなら、大 方の観光客のゆくルート、つまりマサイ・マラヤアンポセリ国立公園などの、設備のいいホ おっくう テルのある動物保護区だけを廻ればよかったかな。後悔するのも億劫になって、げんなりし 女ていたときに、筏で居眠りをするトルカナの男をみつけたのだった。 男は、筏の上に立ち上った。 意外に小さい。筋肉のつきかたも稚くみえる。少年らしい。少年は、 いきなり白い腰布を 男 はぐった。筏の上で用を足すのかな。私は二百ミリの望遠レンズをカメラにつけ、ピントを 合わせた。 ところが右手の櫂を筏につきバランスをとりながら少年は思いがけないしぐさをした。ま くり上げた腰布の左隅を左手で持っと高くかかげ、右の端を口でくわえたのだ。いつの間に 風が出たのか、白い布は大きく風をはらんでいる。そのまま追い風に乗って、かすかにさざ 波の立っ油のような湖面を滑るようにすすんでゆく。 100 おさな

6. 男どき女どき

102 夜中から気温が下り風が強くなった。砂漠なので、昼と夜の温度差が極めて激しい ありったけのセーターを着込み、青みどろの匂いのする重い毛布を引っかぶってべッドに ころがり込むと、天井でガリガリ音がする。自家発電なので夜十一時以降は電気が消え、各 部屋におしるしばかりの極小の懐中電灯が置いてある。 かえる 頼りない光で天井を照らすと、どうやってのばったのか天井裏に蛙かとかげでもいるらし けんか ゝ 0 降りようともがいているのか、ねずみと喧嘩でもしているのか。 河馬が草を食べに上ってきたのだろうか、私の小屋の前あたりで、物音がする。河馬は草 女食だから人間は襲わないが、夜中に草を食べに上陸するのに自分だけの道を持っている。 妨げるものがあると人を襲うこともたまにはあるという。ついこの間も、ナイロビ市の郊 外で、河馬に轢かれ、乗りかかられ、何時間もそのままになった人がいて重傷だという新聞 男 記事があったそうだ。夜は絶対に外に出てはいけないという注意の通り、窓から外をのぞく 、 , 」ナこした。 青白い月が出て、湖は冬の顔をしていた。 胸をつく青みどろの匂いは嘘のように消えていた。ロッジのすぐ裏手にもあるトルカナ族 の小屋からは物音ひとっ聞えない。 それでいて、朝になり陽がのばるとすぐ思考カゼロの暑さと青みどろの匂いになり、河馬

7. 男どき女どき

筆 鉛 はその湖の岸辺に建っているロッジから、ばんやりと湖面を眺めていた。 ほった ロッジというと聞えがいいが、掘立て小屋である。六畳ほどのワンルームに、ホテルの払 い下げ品ではないかと思われる傷んだべッドが二つ。蛇口をひねると身震いするだけで満足 に水の出ないシャワーと手洗いだけの小屋が十軒ほど、湖の岸にならんでいる。 ケニアの首都ナイロビから、七人乗りのセスナ機、赤さびの浮いた小型トラックの荷台、 モーターポートと乗り継いでやっとの思いで着いてみると、食事はじゃがいもが主食で、 ンは無いにひとしい。食べものと見ると、真黒になるほど蠅がくる。左手首を中風患者のよ うに絶えずプラブラ揺すって蠅を追っぱらわないと水ものめない。 話はついています、大丈夫です、というので、モーターボートで人江を横切りトルカナ部 あら 落を訪問すると、これがどうした話の食い違いか露わな敵意を示され、写真を撮るどころで はない。結果的には折れ合ったのだが、 / 待ちきれずかくしカメラのシャッターを切った私は、 十二、三歳の男の子二人に背中を小突かれ、アザの出来るほど腕をつねられた。 ちんにゆうしゃ 闖人者だと判っていても、あまり嬉しいことではない。結局かなり高額の金を払って五分 だけ撮影を許されたが、正直いって部落の男女たちの視線は固く、私たちは転がるようにし てポートに飛び乗り岸を離れた。二つ三つ小石が飛んできて、色のはげたポートの横っ腹に 当った。