137 わたしと職業 ような怠けものには、これしか「て」がない。 私は身近かな友人たちに、 「顔つきや目つきがキックなったら正直に言ってね」 と頼んでいる。とは言うものの、この年で転業はなかなかむつかしい。だから、私は、一 日一善ではないが、一日に一つ、自分で面白いことをみつけて、それを気持のよりどころに して、真剣半分、面白半分でテレビの脚本を書いているのである。
ったのか。旅は謎々みたいなものである。無理に理屈をつけて分類解明しなくてもいい。 う思っていたのだが、この四、五年で様子が変ってきた。 飢えと内戦で、ふたつの国は見るも無惨に面変りをしたらしい。 世界地図をひろげてみて、と大上段に振りかぶるほど旅をしているわけではないが、それ でも行ったことのある国はそこだけ地図に色がっき、人肌にあたたかくなっているような気 がする。 女カンポジアとトルカナの活字は、違う活字を使ったように、字が起ち上ってひとりでに目 きに飛び込んでくる。 かんばっ トルカナ族の飢えの写真を、辛い気持で眺めていた。私が行ったの 旱魃が原因らしいが、 男 は去年の春である。まだ飢えははじまっていなかったと思うが、当時だってあの人たちの体 に余分な肉や脂肪はなかった筈だ。鉛筆の脚がもっと痩せたら、あとは骨である。 何の葉っぱか知らないが、大きな葉っぱを皿代りにして、誰に分けてもらったのか魚のは らわたを捧げ持つようにして、嬉しそうに笑いながら私たちの横を走り抜けていった少年は、 まだ走る力が残っているのだろうか。 青い湖に自分のからだで帆を張って渡っていったあの子は、まだ生きているのだろうか。 ささ なぞなぞ そ
男どき女どき どこかで聞いたことはあるがどんな波なのだろう。無意識に波の字を探っている自分にお どろき、三角ということばにもう一度ギクリとした。手洗いの窓から三羽の鳩を見て、達夫 と自分と波多野になぞらえて考えたのは、三角波の記事が頭のすみに引っかかっていたため 手をついて別れの挨拶をして涙をこばす両親を持たない女は、一人の男の思いを振り切っ ふちかざ てお嫁にゆく、という縁飾りをつけたくなるのかも知れない。当惑と感傷も含めて、巻子は 二十四年の人生でいまが一番しあわせだと思った。 結婚式を波多野は欠席した。 へんとうせんは 扁桃腺を腫らし高熱が出たということたった。 巻子は自分の花嫁姿を見たくなかったのだと思った。披露宴は盛会だったが、巻子はひと つ物足りなかった。 達夫は新婚旅行に向う新幹線で、鼾をかいて眠っていた。剣道部の後輩たちが、東京駅で 達夫を胴上げしたので、アルコールが一度に廻ったためらしい 巻子はひとりで窓の外を眺めていた。暗いガラスに、 いつもより濃く化粧をした巻子がう いしよう つっている。化粧室で化粧をし、白い花嫁衣裳をつけるとき、気持のどこかに波多野に見せ
「お子さん何人ですか」 気がついたときは声が出ていた。 「面白いこと聞く人だなあ」 男はおかしそうに笑った。 「一人ですよー またのぞき込む目になった。 「子持ちの男は駄目ですか」 女左知子は目をつぶりたかった。 駄目ではない、逆なのだ。たとえ一瞬の気の迷いにしろ、あなたは男として子供を生ます 能力がありますかと聞いたことに間違いはない。 男 松夫との結婚生活には不満はなかった。この暮しを毀したくないと願っている。そのため にも子供は欲しかった。だからといって、それから先どうしようという想像をしていたわけ では決してないのだ。それなのに、子供の有無を聞いている。 自分の知らない顔があるように、自分でも気のつかない気持があるのだろうか。 「出ましようか 男の長い指が伝票を押えた。 こわ
176 今までに一番心に残る手紙といわれると、戦争末期に、末の妹が父あてに出した何通かの 手紙ということになる。これは以前に、随筆に書いたので気がさすのだが、代わりが思い浮 かばないので、書かせていただくことにする。 東京空襲が激しくなり、小学校に人ったばかりの妹も、自分の名前を書いた雑炊用のドン プリを手に、学童疎開をしたのだが、買い出しで手いつばいだったのだろう、両親は妹に字 ひま を教える閑がなかった。自分の名前がやっと、という妹のために、父は暗幕をおろした暗い 電灯の下で、びつくりするほど沢山のハガキに、自分宛の宛名だけを書いていた。出発の前 女の晩、父はハガキの束を妹の小さなリュックサックに入れながら、 き「元気な時は大きいマルを書いて、一日一通必ず出すように といってきかせた。 男 四、五日して、一通目が届いた。 ハガキからはみ出すほどの大マルが、赤エンピッで書いてある。東京からきた、おなかを すかせた子供達のために、地元の国防婦人会がお汁粉を作って歓迎して下さったそうで、遠 足にでも行った気分だったにちがいない。 ところが、次の日からマルは急激に小さくなってきた。夕方、父が勤めから帰ってくる。 当時は民間人でも皆、国民服にゲートルを巻いていた。玄関で巻きとったゲートルをほうり
174 自分がおしゃべりのせいか、男も手紙も無ロなのが好きである。特に男の手紙は無口がい ゝ 0 女昔、人がまだ文字を知らなかったころ、遠くにいる恋人へ気持を伝えるのに石を使った、 きと聞いたことがある。 男は、自分の気持にピッタリの石を探して旅人にことづける。受け取った女は、目を閉じ 男 とが て掌に石を包み込む。尖った石だと、病気か気持がすさんでいるのかと心がふさぎ、丸いス ベスべした石だと、息災だな、と安心した。 「いしぶみ」というのだそうだが、こんなのが復活して、 「あなたを三年待ちました」 たくあんいし 沢庵石をドカンとほうり込まれても困るけれど ( ほんとにそうだと嬉しいが ) 、「いしぶ み」こそ、ラブレターのもとではないかと思う。 無ロな手紙
184 かんば 会話から、香しくない職業の人たちということは見当がついた。 この服は、その夏と次の夏、私のよそゆきとなったわけだが、どうもこの服を着ると、父 のきげんが悪いのである。 「また、その服か」 と、いやな顔をする。 ほかの季節にくらべて、よそへ連れていってくれる回数が少ないように思えた。「カフェ の女給」といわれたせいか、母の鏡の前に立っと、すこし品が悪いようで気が滅人った。ほ 女かのにしたいと思ったが、前の年のは体に合わなくなっているし、自分で選んだのだから文 き句を言うな、と釘を差されているので、これで我慢するよりほかはなかった。 男 これを皮切りにして、うちの親は洋服を買うときは私に選ばせてくれるようになった。と いっても一人で売場に追っ放すということはあれ以来無くて、そばについているだけなのだ 選ぶ私の方も慎重になった。 ちょっと見にいいと思って選ぶと、あの黄色い服のように失敗をするのである。帽子にも 合わなくて、損をするのは自分だということに気がついていたのであろう。 , 刀
ほ、つ . 力しし ゝと思うけど」 母は、本当にそうだねえ、とうなずいたが、やはりフランスやアメリカよりも、テレビの 画面のなかに香港を探していることに変りはないようであった。 母に対しては偉そうなことを言ったものの、考えてみれば私も同じようなことをしている。 カンポジア、ジャマイカ、ケニア、チュニジア、アル 一度でも自分の行った国、ベルー、 ジェリア、モロッコ、そういう国が出てくると、どんなかけらでも食い入るように画面を眺 行 める。 くや 旅自分が見たのと同じ光景が出てくれば嬉しいし懐かしい。見なかった眺めだと、口惜しい 都ようなねたましいような気持になって、説明に耳をかたむける。これは、行ったことのない 国を見るよりも、もっと視線は強く、思い入れも濃いような気がする。 反 これも随分前のはなしだが、前の晩にテレビで見た野球の試合を、朝必ずスポーツ新聞を もったい 買ってたしかめる人を、勿体ないじゃないの、お金と時間の無駄使いだといったことがあっ その人は、私の顔をじっと見て、 「君はまだ若いねー とゝっこ。 143
142 主人のため子供のため第一で、自分の楽しみなど二の次、三の次、はっきりいえば、ろく なものは無いも同然で半生を生きたような人である。 一生にいっぺんそのくらいのことをしてもバチは当らないわよ、と半ばおどかすようにし て、飛行機にのつけた覚えがある。 までもそのと 母の香港旅行は大成功だったらしい。四泊五日ほどの小さな旅だったが、い きのはなしになると目が輝いてくる。声が十も若がえったかと思うほど弾んでくる。 新聞のテレビ欄をみていて、「香港」に関するものが出ていると必ずその時間にチャンネ 女ルを廻す。 き仕事場にいる私のところに電話をかけてきて、「〇チャンネルを廻してごらん。香港が出 ているよーという。 男 この通りは、たしかあたしも歩いたよ。 あれ、このお店はあたしも行って食べたような気がするけど違ったかねえ。 こんな調子で、香港と名のつくものは、一枚の写真、ひとことの説明も聞き逃さないよう にしているのが判った。 その頃、私は母に言った覚えがある。 「香港はもういいじゃないの、自分で行ったんだから。ほかの、行ったことのない国を見た
男どき女どき テニスの合宿に持ってゆくセーターや靴ぐらい、駅前の洋品店でも売ってるでしよ、と冬 子は言ったが、真弓は珍しく頑張った。 「たまにはいいじゃないの。銀座で待ち合せしてさ、アイスクリーム食べて、それからセー ター買うのつき合って」 どうやら、一人二人友達を引っぱってくるつもりらしい 冬子は、去年あたりから自分の背丈を越した娘を眺めた。 この子の年だけ歳月がたっている。もう大丈夫だ。冬子は午後の時刻と場所を約束した。 冬子が銀座のクラブにつとめていたのは、二年足らずである。 父親のない家庭ということもあり、望むところに就職できなかった。お決まりの母親の病 気、うちの立ち退きなど金の要ることが重なり、手つ取り早く現金になるっとめを選んだの である。 身持ちは堅いほうだったと思う。 幼稚園の保母ではないのだから、色恋沙汰の二つや三つ、いや四つや五つは、なかったと はいわないが、これは恋愛だ、と自分で納得できる相手でないと、承知しなかった。 嫌いなタイプには、どんなに口説かれてもうんといわなかった。