私は長らく人生八〇点主義をモット 1 としてやってきた。 八〇点主義で生きていると、よいことが少なくともふたつはあると思 っている。ひとつは余裕が生まれること。いつもコップにいつばいの水 が入っていれば、新しいものが入ってくる余裕はない。けれども八〇点 でよしとすれば、あと二〇点分は新しいものを入れる余地がある。ピン と張り詰めた糸はキレやすいが、緩められた糸ならば多少の弾力がある から衝撃にも耐えやすい もうひとつは、他人にスキを見せられるということだ。何の無駄もな い完璧な人間には近寄りがたいと感じるものだ。けれどもスキのある人 には「ああ、私と一緒だな」と親近感が湧いてくる。完璧をめざし、 しゃ′、しじよ - つぎ - 杓子定規でものごとを判断する人と一緒にいると、息が詰まってしよう 人生八〇点主義から六〇点主義へ ゆる 222
人生は六〇点がいい がないのである。やはり歯車と一緒で「遊び」がないと双方がつらくな ってくる。 なぜこのように考えるかというと、私のところに飛び込んでくるトラ プルのうち、多くは人間関係に起因するもので、その中でもほとんどが 相手に完璧を求めるために起こっていることを知っているからだ。 夫と妻、親と子、上司と部下、教師と生徒など、人間関係に起因する ものは、相手がどうしても自分の思うような言動を取ってくれないこと に悩み、葛藤するのである。 また、精神科医として接するうつ病患者は、自分に完璧を求めること も事実だ。完璧を求めれば求めるほど自分への不満は大きくなり、スト レスにさいなまれてしまう。だからこそ、人生は八〇点でちょうどいい と自著や講演で語ってきた。 最近では六〇点でちょうどいいと考えるようになってきた。二〇点差 し引いたのは歳をとったせいもあるが、八〇点というと日本人特有の生 223
理想的な最期 ポツリポツリと亡くなっていき、自分の「死」についても否応なく考え させられる。それがどの年代かは個人差があると思うが、自分がその年 齢になったら「自分の死」を頭の片隅に置いた上で人生を、また日々を 過ごすとい、つ態度が必要になってくると思、つ。 人生の折り返しを過ぎると、若いころに感じていた死への恐怖という ものが、徐々に薄れていくのを感じるものだ。私も例外ではなく、別の 世界に行くことは、旅行好きの私にとっていささかの好奇心を抱かせる ほどのものでもある。 とはいえ、私はもう十分に生きたからいつお迎えがきてもいいとは思 っていない。往生際悪く、自分の寿命を全うしてみたいと思う。そうで ありながら、悠然と自分の死とも向き合っていこうと思う。 この「悠然と自分の死と向き合いつつ、最後まで生ききってみたいー というのが、私のいまの心境である。このふたつのことは決して矛盾し ないと思っている。だから最後のときこそ自分の足で走りきってみたい。
直さないと、折り返してから途中で息切れがしてしまうというものだ。 人生の後半戦をどのように過ごしていくか。ひとつの区切りを設けて おくのも悪くない。仕事や子育ての結果が見えてくる五〇歳をひとつの 区切りとしてもいいし、「人生八〇年」として四〇歳でもいいだろう。 四〇歳から八〇歳までの四〇年間をふたつに分け、六〇歳をひとつの区 切りとして考えてもいい 区切りの時期を他人に決められるのではなく自分で設定し、趣味でも 何てもしいから、自分が没頭できるものを新たに始めることだ。その際、 仕事とはまったく異分野のものであることが望ましい。仕事の付き合い でやっていたゴルフなどは、何もなければしかたないが、 できれば避け たい。定年後もゴルフを続けようとしたが、それまで一緒にラウンドし ていたのが仕事関係の人たちばかりであったことに気づいて、結局、ゴ ルフもそこそこでやめてしまったという人の話はよく聞く。 「そうはいっても、やりたいことが見つからないんです」という人もい 160
明るく生きる 人生を豊かにさせる「遊び」を発見して、ちょっとした不良中年、不 良老人をめざそうではないか。 101
生きる目的を持つ るだろう。そ、ついうときは、自分の人生を振り返ってみればいい。 独身 時代や子どもが誕生する前までの間に、時間的、あるいは経済的事情で 断念した「やりたかったことーがなかっただろうか 若いころは買えなかった高価なギタ 1 を手に入れたり、大型二輪の免 許を取ってバイクに乗り始めるという人もいる。あまり高齢になってか 、、ミ、ほとんどのこ らバイクに乗るのは周囲の人が反対するかもしれなしカ とに遅すぎるとい、つことはないといってよい。 定年になってから「よっこらせーと重い腰を上げるような切羽詰まっ た生き方ではなく、区切りをつけられそうになったらすぐにでも、もう ひとつの人生の果実を育てる準備に取りかかってみることである。 時間がない、お金がないという言い訳はやめにしたい。時間はつくろ うとしないだけで必すあるはすだし、お金のかからない遊びもたくさん おっく・つ あるはずだ。気の乗らない会合に呼ばれたときも、行くまでは億劫なの だが、行ってからは案外と楽しいものである。結局、楽しみや自由な行 161
本書は、二〇〇七年三月に小学館から刊行された 『「いい人生で終わる」ために大切なこと』を文庫 収録にあたり改題して、新編集したものです。
文庫化にあたって 5 父らしい理想的な最期 5 本書『自分らしく生きて、死ぬ知恵』は、多数の著書をもっ父斎藤茂 太が「死と生ーについての考えを『「いい人生で終わるーために大切な こと』として単行本にまとめたものの文庫化だが、その校正中に体調を 崩して入院しわすか三週間後の平成十八年十一月二十日に他界、残され た母美智子が作業を引き継いで出版に至った存命中最後の一冊である。 「ピンピンコロリ」の最期を理想としていた父であったが、まさにその 通りに苦しむこともなく家族に見守られて静かに九十年の生涯を閉じる い人生であっ ことができ、本書のタイトルのように本当に父らしい 期 最 たと家族一同実感している。 的 想 父自身の生い立ちはかなりュニ 1 クだ。神経質で几帳面、内向的な茂 理 吉と自己中心的で天衣無縫な母輝子という個性的両親の長男として生ま し 父れた父は九歳まで一人っ子で、育児に無関心な母の代わりに大甘なばあ 251
体の衰えばかりに頓着しがちだが、フットワークが鈍くなっているの は、肩に背負った荷が重くなっているからではないか。 もちろん、これまでの人生では背負うものも必要だっただろう。何か を犠牲にして、あるいは長い時間をかけて、いやな思いのひとつもして、 手に入れてきたものだろうからなおさらのことだ。 しかし、全部が全部必要なものかどうかは、この際精査してみてもい いような気がするのである。 あの世に持っていけるものは何もない。これは厳然たる事実だ。なら そう思うだけで、足取りが ば、残していくのも思い出だけでいい 軽くなると思、つのは私だけだろ、つか。 とんちゃく
母親業は早めに退職を 8 夫婦関係の修復は早いほどよい 7 ↑侶か亡くなったあとを想定しておく 明るく生きる アメリカの老人の明朗さに学ぶ 脳から気持ちまで若返るユーモア ューモアは人生の潤滑油だ材 笑いが身を助ける跖 メモで楽しみをストック 過去はひきずらない生き方をする 外に出ることで元気が出てくる おしゃれが脳を活性化させる 屈託のない「遊び」のすすめ