父らしい理想的な最期 本日、生まれ育った想い出深い青山の地で皆様とお別れできることを 父は大変喜んでいると思います。父の遺骨はここ青山墓地の「茂吉之墓ー の隣にある「斎藤家之墓ーに納められますが、あの祖母輝子と同居にな るので、しばらくはストレスの日々となるかも知れません。 最後に、公私にわたり父を支えてくださいました皆様に厚く御礼申し 上げますとともに今後とも母をはじめ残された者に対しても倍旧のご指 導とご厚誼を賜りますようお願い申し上げましてご挨拶といたします。 平成二一年一二月 斎藤茂一 ( さいとう・もいち ) 昭和二十一年、東京生まれ。斎藤茂太の長男。医療法人財団 赤光会斎藤病院常務理事。著書に「家の長男』 ( 新講社 ) 。 、」 0 斎藤茂一 255
は断固拒否する心構えを持っことだ。 誰しも自分の体の動くうちは、体が動かなくなるという事態は想像で きにくいものだ。しかし、体が動かなくなってからでは遅いのだから、 まだ体が動くうちから鍛錬を欠かさないようにしておくことである。何 事もなくなってしまってからでは、戻すのに苦労する。体の機能も同じ で、なくなる前からの予防が大切だ。 骨折してもべッドから起き上がれるようになれば車椅子に乗り、次は まつばづえ 松葉杖、次はただの杖という具合に段階を踏んで歩く機能を回復させる ことである。人間の体はある意味で正直だから、使わなければ衰えるし、 あきら 逆に使えば復活する。「もう寝たきりで : : : 」などと諦めて気力が萎え てしまう前に手を打っことだ。 し 年齢は関係ない。自分の人生は自分だけのものだ。最後はみんな寝た を 生 きりになって死ぬのだが、元気な人は最後の最後まで自分の足で立って 養 体歩く。死ぬまで楽しく生きようと思ったら、それなりの努力も必要だと 107
人の中で生きる 壮年になってくると、最後の瞬間をどのように迎えたいかをそろそろ 考えることもあるだろう。昔は腹上死という言葉があった。スポーツ選 手になると「最後はグラウンドで死ねたら本望」という人がいる。そう いう特別な人は除くとして、多くの人は「できれば住みなれた自宅で」 こともいっている。同居すると血縁者であるがゆえの甘えも出やすいの で、その点は注意が必要である。 自分の血縁者と同居する場合でも、そうでないときも、妻 ( 夫 ) に対 する配慮は必要だし、他人同様の気遣いをするべきだ。親しき仲にも礼 儀ありということを忘れてはいけない。 「介護してあげたい」と思われる存在になる
と考える人が多い。さすがに「畳の上で」というのは現在の住宅事情が 許さなくなってきているから、「せめて自宅でーというのが最後のささ やかな望みのようだ。 とはいえ、最後の望みもむずかしいくらい現状は厳しい。病院のほう が設備も世話をする人手も充実しているから、なかなか自宅でひっそり し。し力なくなっている と逝くわナこ、、 もし苦しむことなく老衰で最期を迎えられるようなら、それがいちば んだともいえるが、多くの人は免疫力や体力が落ち、病気になって死ぬ のだから、必然的に病院で最期を迎えることが多くなる。 だが、最期が近づいたら自宅に戻りたいと願う人も多くいる。そうし たときに、介護してくれる人が周囲にいれば安心だが、いない場合もあ る。もしいたとしても、長い期間の介護は、介護するほうが疲弊してい く現状があることも確かだ やはり、私たちは病院で最期を迎えるしかないのだろうか 200
ただ、最後まで命の炎を燃やしつくし、ろうそくの火が消えるように して自宅で息を引き取る例がないわけではない。こうした理想的な最期 を迎える人もいるのである。 では、どうしたら自宅で ( できれば畳の上で ) 最期を迎えられるのか。 日ごろからできるだけ健康に気をつけ、長患いをしないことである。 理想は私がよくいう「ピンピンコロリである。 過度な飲酒、喫煙など不摂生の日々を過ごし、自分の体を省みない生 活をしてきておきながら「最後は自宅でひっそりとーというのはいささ か虫のいい話だ。自宅で死にたいと思ったら、それなりの努力と工夫が る 必要だ。 す 全 自宅で死ぬためには介護の手が必要なのだから、誰か家族の協力がい を 生 る。家族が「介護してあげたい [ と思う存在になることだ。育ててやっ て し たのだから、親の面倒をみるのが当たり前という考えはいまの時代は通 用しない 201
理想的な最期 ポツリポツリと亡くなっていき、自分の「死」についても否応なく考え させられる。それがどの年代かは個人差があると思うが、自分がその年 齢になったら「自分の死」を頭の片隅に置いた上で人生を、また日々を 過ごすとい、つ態度が必要になってくると思、つ。 人生の折り返しを過ぎると、若いころに感じていた死への恐怖という ものが、徐々に薄れていくのを感じるものだ。私も例外ではなく、別の 世界に行くことは、旅行好きの私にとっていささかの好奇心を抱かせる ほどのものでもある。 とはいえ、私はもう十分に生きたからいつお迎えがきてもいいとは思 っていない。往生際悪く、自分の寿命を全うしてみたいと思う。そうで ありながら、悠然と自分の死とも向き合っていこうと思う。 この「悠然と自分の死と向き合いつつ、最後まで生ききってみたいー というのが、私のいまの心境である。このふたつのことは決して矛盾し ないと思っている。だから最後のときこそ自分の足で走りきってみたい。
のことを考えたリフォームになりがちなのだとい、つ いつまでも自分たちは衰えないと思っているのだ。ある八〇歳になる おばあさんが、「昔は年寄りが『体が動かなくなる』というのを聞いて もわからなかった。でも自分がいまそうなってみてはじめてわかった」 といっていた。 自分だけはいつまでもその若さが持続するもの、と考えたがるのが人 間であるようだ。しかし、最後は必ず横になって死ぬのだ。 「老いを簡単には受け入れない」としつつも、「最終的に体の自由がき かなくなったときはどうするか」も同時に考えておかなければならない。 要はバランスなのだ。 歳をとったら「一病息災」 112
すみか 終の棲家を考えておく 仕事をリタイヤしたら、どこを終の棲家にするかということも考えて おいたほうがいい。分譲マンションに住んでいるのなら資産価値のある うちに売ってしまって、ふたり用の賃貸マンションに住み、最後は老人 しいかもしれな ホ 1 ムにという選択もあれば、生まれ故郷に引越すのも、 、 0 最近、リタイヤ後に空気や水のうまい田舎に引越そうと思っている人 が多いと聞く。通勤地獄から解放されるのだから、自由にのんびりとし てきて、今度は相手が自分にペースを合わせてくれるようになるもので ある。 っ 192
残されてゆく人たちへの配慮 戦後の一時期、食料がどこでも手に入れられるような時代ではなかっ たから、食料を調達しに遠くの農家まで行かされた思い出がある。空の リュックを背負っていくのだが、最初は当然何も入っていないのだから ところが、ジャガイモだのとうもろこしだのを少しずつ分けてもらい ながら、農家を訪ね回っていると荷はだんだんと重くなる。疲れている から余計に重く感じるのである。 歳をとって人生の折り返しにかかるということは、だんだんリュック の中が重くなることを示している。体が衰えるから重く感じるのと同時 に、地位や財産、見栄やプライドといったものをリュックの中に詰めて いくからである。 あの世には思い出だけ持っていく
を死い自を ーぬ生分 9 7 8 4 8 0 6 1 5 6 1 5 2 分 旧Ⅱ III 川翡Ⅲ引引 IIIIIII 大知きら 生 1 9 2 0 1 9 5 0 0 5 7 1 2 き て ー恵てし 死 ぬ 知 恵 0 、く 茂 太 平凡こそが尊い、 0 人生は 60 点がいい 人生の後半生は、 「もうひとつの人生」だ 現代は人生 80 年である。 60 歳などまだ人生の中ほどとい う考え方もできる。であれば、 座して死を待つのではなく、 積極的に自分の人生をつくり 上げていくぐらいの時間があ るということだ。そんな後半 生の命を全うしないのは、い かにももったいないではない かーー。モタさんからの最後の 養生訓。 さ -3-2 者介 著紹 後半生になったら、 「いっ死ぬか知れない」という思いを、 日々を全速力で走るための エネルギーにするのではなく、 ゆっくり周りを見るための エネルギーにしたほうがいいーー本文より 斎藤茂太 さいとうしげた 1 9 1 6 年、東京生まれ。医学博士、工ッセ イスト。慶應義塾大学医学部にて精神医 学を専攻、精神科医となる。斎藤病院名 誉院長。日本精神科病院協会会長、日本 旅行作家協会会長など歴任。精神科医の 経験を元にした気持ちの持ち方、生き方 を記した著作が多くの人々を魅了してい る。 2006 年 1 1 月 20 日、心不全のため 逝去。 旧 BN978-4-8061-3613-2 C0195 ¥ 571 E 定価 : ー十税 中軽の ~ x 庫丙 / 0 経庫 「中経の文庫」のジャンル分けです。 ビジネス 人文・社会 趣味・暮らし 261 竹久夢ニ涼しき装い』 ( 1925 年 ) 広告誌に書かれたこの絵は、 1 920 年代の最新流行の風俗をとら えている。あっさりとした彩色が特徴的。 モタさんからの 最後のメッセージ 中軽の文庫 ニキャラソー カノ←デザイン = 泉沢光雄 カバーイラスト = 赤池佳江子