人生の後半生に だいごみ の醍醐味のひとつだが、高齢者が若者のようにバックパックひとつで自 由な旅行をしようとすると、これはやはり無理である。 やりたいこととやれることは やりたいことは何でもやれといったが、 区別しなければいけない。やりたいことの中で、無理をせすにやれるも のを探したほうがいし しかし、いままではやってこられたという自信があると、衰えになか なか気づかない。長距離ドライプでの旅行や山登りなど、毎年やってい たことだからといって、次も無事ですむとはかぎらない。毎年やってい ることについては、やめどきがむずかしいか、無理かもしれないと思っ たらやめるのも大人の分別である。 このへんのバランスがむずかしい。好奇心を持って積極的におこなう のと、危険性とのバランスを取ることだ。気持ちを若く持ち、「若いも のにはまだまだ負けないーと気を張っておくことは肉体を若く保つ秘訣 でもある。しかし、気力でもカバ 1 できない衰えも必ずあるのであり、 151
ればよい。それくらい積極的にやれば、周囲の目もおのすと変わってく るはずである。 自分の身の回りにあるものや、持っている本、よく見るテレビ番組、 友人との話などから、自分の興味の分野、好きなことについてのヒント を探っていくのである。きっとたくさんのヒントが転がっていることだ ろ、つ 六五歳定年となっても、その後も何らかの形で働きたいという人が多 いそうだが、 再就職したとしても生涯続けられる趣味があったほうがい いに決まっている。事業を始めるのも結構だが、経済的に無理があるよ うなものなら苦労することが目に見えている。苦労も楽しんでできると っ そうでない人は無理に仕事をする必 い、つ人なら何もい、つことはないが、 持 を要はないだろう。 る 生 169
楽しいことは何でもやってみる 視点を外に向ける 私のうつ脱出法 周囲の死を受け入れるⅢ 人生の半生に 自分の性格をよく知っておくということⅧ 夢こそが人をいきいきとさせる 無理は禁物剏 衰えはさっさと受け入れてしまう 「歳のせいで」は禁句 生きる目的を特っ 肩のカの抜けた生きがいを持っ 158 134
スポーッドクターの話では、老年になったら毎日運動して「鍛えよう」 とど というのではなく、一日おきに軽い運動に留めて「維持しよう」という 感覚で十分なのだそうだ。無理は突然死や骨折を招くからである。 私にも経験があるが、維持するだけでもかなり大変なのだ。だが、大 変だといって逃げていては楽しい老後は過ごせない。やはり何か意識し て努力することは必要だ。 廃用性萎縮については前述したが、その廃用性萎縮で苦しんだ男性の ことを思い出す。 い、つことである。 体は使ってこそ維持される 108
私たちは死に際して、ある時期がきたら心の準備とともに、具体的な ものについても準備をするべきである。 まずものについてはどうだろうか。私たちの世代は親や周囲の大人か らものを大事にするようにいわれて育った世代だから、なければ自分で つくったり、あるもので工夫したし、こわれればとことんまで修理した りして使った。だから私たちの世代は、家の押入れや裏庭の倉庫に、ぎ っしりものを詰め込んでしまう人も多い。 一方、ないのが当たり前だった私たちの世代と比べて、若い人たちは 生まれたときから「ある」のが当たり前だから、なければ買いにいくし、 こわれれば捨てるだけである。 どうも私たちの世代は、どうしても捨てなさすぎるようだし、若い世 ものを整理しておこう
けてしまうのは、やってもやっても目に見える変化がないので「こんな ことをやっても無駄じゃないか」と考えてしまうからなのだ。 大きな目標をひとっ立てたら、あとは期間を区切って小さなハー を自分に課していけよ、、。、 月さなハ 1 ドルを越えることで、満足感と、 次のハードルに向かう前向きな姿勢を生む。 夢は持つべし、持ったら実現のための小さな歩みを自分に課すべし、 である。 旅行が趣味の人はパッケ 1 ジツアーでは飽き足らず、自分で計画を練 、交通機関のチケットを取って現地の宿を取る人もいる。それも旅行 無理は禁物 150
それを客観的かっ冷静に見る目も必要だ。 車の運転で、同乗者から「もう運転はやめたら」といわれるようにな ったら、「同乗していて怖いのだな」と考えることにして冷静に受け入 れよ、つ。 車の運転と同じで、積極的にアクセルを踏むのと、冷静にプレーキを 踏むのとを、上手にバランスを取りながらできるのは経験のなせる業で あろう。このときこそ、歳の功を発揮するのだ。 ひとっヒントがあるとすれば、何かを始めようとするときにはチャレ ンジ精神で積極的に、実際におこなう段階では冷静に無理をしないとい 、つことを、いつも意識しておくことだ。 がんばりすぎてしまう傾向にあると自覚している人は、「がんばらな い」というぐらいの達観でちょうどよいのかもしれない。せつかくの趣 味も、体をこわしては意味がないのである。 152
る。ついつい欲張って何にでも挑戦してやろうと無理をしがちだ。 三か月の長旅だから当然医者も同乗している。そのときのシッブドク ターは坂本さんという方だった。ます注意されたのは「何事も急がずに、 ゆっくり徐々に」というものだった。この忠告は実に適切なもので、み んながこの忠告どおりに行動したので、さほどの大きなトラブルもなく 帰ってくることができた。 日本人はこ、つい、つとき「 5 しなければならない病」にかかってしま、つ。 という、悪い意味での「も 「 5 しなければ時間やお金がもったいないー ったいない病」にかかってしまう。 どんなにたくさんのイベントがあったとしても、自分で好きなものだ しなければならないことはひとつもないのだ。 け選んで参加すればいい。 これまで寸暇を惜しんで仕事に励んできたのだから、急にゆっくり 可もせずゆっくりする 徐々にといわれてもむずかしいかもしれないかイ という楽しみ方もあることを徐々に覚えていくのかいし 226
体の養生をしよう できるだけ長生きをしようとすることが、結局は元気でいられること につながる。しかし、だからといって生活に支障が出るような体の不具 合もないのに、無理に悪いところを探して思い悩むのはよくない 最近はパソコンが普及して病気についての情報が得やすくなったから、 あちこちから情報を引っ張り出しては自分の体の不具合と合致する病名 を探して、「病気をつくり出して」しまう。 どこか体に悪いところを持っていたほうが、気をつけて生活するから かえって長生きする、丈夫な人ほど限界がくるまで倒れないから早く死 ぬ、とよくいう。しかし、だからといって自分で症状をつくることはな 大事なのは「歳をとったら、ひとっくらい悪いところがあるのは当た り前だ」というぐらいに考えることである。だから、私は「無病息災」 ではなく、 「一病息災、がいまの時代に合っているとよくいう。私など 113
がどんな人間か、うまく理解できずに悩む。自分の弱さを知っていれば、 ストレスを受ける前に考え方で回避できるのに、知らないために惑うの ただ、そうであるがゆえに自分の枠から出にくくなるのも中年である。 もちろん、社会的な地位とか役割もあるから、「いい歳をしてそんなこ とやっていたら : : : 」と考えるのも無理はない。しかし、たまには自分 の枠から飛び出してみることも必要だ。あまりにも自分の枠をがんじが らめにつくりすぎてしまうと、それはそれで窮屈さでストレスがたまる し、自分の可能性を狭めることにもなる。 いま若者にもこうした感覚が広がっているが、人は生きているかぎり 「どうせ 5 」とか「 5 なんかーと他人からいわれるような存在ではないし、 ましてや自分で思うこともない。 自分の枠を知るということは、これまで以上の豊かな人生への道を切 り開くことにほかならない。自分とい、つ枠をジワリ超えていくための分 ヾ」 0 214