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検索対象: 「死の医学」への序章
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1. 「死の医学」への序章

聞 を 声 の ・ロス女史の「死に至る過程のチャート」については、アメリカと日本の医療 病キュプラー す体制の違い 、告知の有無の違い、家族関係や宗教の違いなどから、日本のガン患者には必ず 割しもそのまま当てはまるものではないと、「死の臨床」にたずさわる専門家の間では指摘さ れていたが、 西川医師はガン患者となった立場から、自らの心理過程を振り返って、「五段 階の通りに順々に進んでいくのではないように思う」と発言したのだった。 発病から間もない五月十七日の闘病記では、「この私にもその症状 ( Ⅱロス女史のいう第二 段階の「怒り」 ) が現われてきたのだろうか」と書いていたのだが、その後の経過は、そん な単純なものではなかったのであろう。翌年十月の、しかも転移がわかっていた段階でのラ ジオ対談では、「順々に進んでいくのではない といっている。むしろ「海岸に打ち寄せる 159 ろまできていますが、 ( 私の体験では ) キュプラ 1 ・ロスの五段階の通りに順々に進 んでいくのではないように思うのです。ちょうど海岸に打ち寄せる波が寄せては返す ように、ショックがわーっと押し寄せてきたり、それか引いて、覚矯をしなければい かんと思ったり、そ、ついうことが何回も繰り返す。可と、 イしいますか、非常に激しい苦 行をしながら、自分を創り、経験し ( やがて ) まあ死も仕方がないとい、つことになっ て受容していくのではないでしようか。私は、まだそこまで行きませんけれど。 大森ありがとうございました。私ども臨床医も、それを踏まえて、治療にあたろうと 田います。

2. 「死の医学」への序章

いえば、結局、自分の現在の生き方を問われているからなのですね。私自身の問題なのです。 みなさんに話すということは、自分の考え方、生き方がクリアになるとい、つメリットがある。 えり 話をした以上は、臨床家として襟を正して生きて行かなければならないということにもなる のです。 : : : 」 西川医師は、ガン患者の心理、死の不安、死を看取る医療、死生観、ガンの告知といった 諸問題について、多くの研究文献や闘病記や文学作品などに自分の体験を重ね合わせつつ、 平易に五っこ。 章 序それは、体系的な講義というよりは、すでにこの作品の随所で紹介して来たように、西川 へ医師が苦悩のなかで多くの書物を読み漁り、そして思索を重ねた末に到達した死生観と人生 医観についての説話といった内容になっていた。 死講義が終わったとき、私はいきなり西川医師から指名され、学生向けに感想を述べて欲し いといわれた。私は一瞬戸惑ったが、意を決して演壇に出て行き、次のようなことを話した。 「西川医師は、フランクルの『夜と霧』を読み直して、新しい意味を発見したと話されまし たか、ここで見落としてならないのは、先生が若いときに『夜と霧』を読んでいたというこ とです。 もちろん同じ本でも、若いときの読み方は違っています。西川先生からうかがったところ によりますと、医師になりたての頃に『夜と霧』を読んだときには、残酷な場面を写真で見 るような印象のみが強かったということです。フランクルの体験を、わが身につながる問題 あさ

3. 「死の医学」への序章

西川喜作〉 序最後のところで、〈残された私の時間、人生の経験を一 n ( egra ( e しながら、 ・ : 最善をつく 〈したいと決心しています〉と記しているように、その後西川医師は、おそらく自らも発病前 学こは想像もしなかったに違いない多くのことを、短い期間にやってのけることになる。その 死ことを書いていくのが、私のこの作品の中核をなす部分でもある。 私はノンフィクションの作品を書くようになってから、人の出会いというものは、ほんと うに不思議なものだと、よく思う。一つの作品を書くということは、ある意味で、取材対象と なった人の人生の一部を思索の中で追体験あるいは共有させてもらうことである。ところが、 ノンフィクションの作品を発表するということは、それだけでは終わらない。読者が作品の 登場人物の生き方に自らの人生や思いを重ね合わせるのであろうか、著者の手もとには、様 様な手紙が寄せられる。そして、そうした手紙を介して、著者はさらに様々な人々の人生の一 部を共有させてもらうことになる。歳月を経て振り返ると、一つの作品の取材に取りかかっ と思ったりしている次第です。 一九七九・一〇・一八 いのはな 千葉市亥鼻町千葉大学病院Ⅷ号室にて さよ、つなら 感謝をこめて

4. 「死の医学」への序章

成熟の最後のステージ 271 〔自己の体験の意識化〕 学生は講演を聴くことにより、自分自身の病気や家族の病死の体験、あるいは看護実 習での体験を思い出している。そのわずかな体験が死の問題を実感をもって思考する糸 口になったよ、つだ。 〔学生の意識の動機づけ〕 たち 看護学生は、他の若者達と比較して、これから死に臨まなければならないという自覚 のためか、死について考える機会を意識的に多く持っているようである。多くの学生が、 終末期看護に関心があり、ガン患者の闘病に関する書物・雑誌記事・テレビ番組を注意 して見てきたと報告している。そして、書物・雑誌・テレビから動機づけられ、それら を大切な出発点としている。今回の講演は、さらにその意識を発展させる役割を果たし たと田、つ。 〔言葉の重要性〕 学生は、長時間の講演のなかで、とくに象徴的な言葉に引きつけられ、そうした言 葉から深い学びを得ている。例えば、「時は貴重であるー「死とは人生の集積である」 「死とは歩みである」といった言葉に共鳴し、そういう言葉を通して死生観を考えてい る。

5. 「死の医学」への序章

のがあります。人間は生を受けた瞬間から死に向かって着実に進んでいくことは自明のこと です。しかし、出産時のいろいろな学問はあっても、死の学問というのはありません。日本 の医学部では、それを講義していません。そういうことに気づきましたので、私は、もし社 会復帰できたら、お礼にサナトロジ 1 ( 英語の Thana ( 0 一 ogy 日死学。ギリシア語読みでタナト ロジーともいう ) の学問を進めてみたいと思いました。 タナトスは、ギリシア語で『死』を意味します。ェロスと裏腹の関係にあるとされていま て し す。 ード大学では、数年前からサナトロジ】の講義を行なっています。私はいろいろ ら いと本を読み、自分自身でその勉強を始めました。 よ患者としての体験を出発点にして形成された以上のような西川医師の思想を見ると、「四 太カ月が貴重なのだ」といって抗ガン剤による治療を中止する決意をしたのは、十分過ぎるほ 髜どの理由があったことが理解できる。 おの し あるとき、西川医師は斧医師に対し、残された時間をいかに生きるかについてのプログラ 差 ムとでもいうべきものを語った。それは、貴重な時間を次の三つの仕事に使い分けていくと いうものだった。 1 医師として可能な限り学び続ける。 学んだことを、患者の診療のなかで実践する。 3 自分の経験したことを発表して、人に問う。

6. 「死の医学」への序章

ここには、患者不在となりがちな検査の問題点が指 何気なく読み過ごしそうな記述だが、 摘されている。 私は、勉強熱心な開業医たちでつくっている「実地医家のための会」の医師たち数人と話 していたときのことを思い出す。話題は、開業医という立場で、「全人的医療」とか「ター ミナルケア ( 死に直面する患者への援助 ) 」にどう対応するかという問題であったが、そのと みたか き、東京・三鷹市で開業している永井友一一郎先生が、ポツリといった。 て し 「体力の衰えたお年寄りには、可哀そうで点滴はできませんね」 ら 照 その言葉が、私の耳にいまでも残っているのである。 よ長時間点滴や血管造影の辛さは、それを受けた者でなければわからない。それらは診断や 太治療に必要ではあるのだが、ややもすれば医師側の独善による過剰検査、過剰治療になりか 髜ねない。西川医師の〈これからはこの検査は必要最小限にしよう〉という反省は、自分が検 し 査を受ける側になって苦しい体験をしてはじめて心底から湧いてきたものであった。 差 のちに西川医師は、各地の病院や看護学校で、「ガン患者の心理ーや「ガン患者の医療」 について、積極的に講演を行なうが、そうした講演のなかで、自らガン患者となって気づい たことをいろいろと語っている。 「私は大学病院では死にたくないと思いました。その理由の一つは、検査が多いからです。 一週間に二回ぐらい検査が行なわれました。その理由は抗ガン剤を使い始めるためでした。 医師としてよ、 ( いいデータを出したいために最大量を投与したいと考えるでしよう。しかし

7. 「死の医学」への序章

精神的葛藤、そういうものがあるのです。ところが、死んでいく人のそういう声を聞こうと する前に、ドンドコ、ドンドコ、機械で管理していかないといられないというのは、 いい」、つい、つわけメはのか このままでいくと、未来社会では、人間の生死を機械とコンピュータが判定することにな る。患者の状態を生化学的装置や電子工学的装置が監視していて、患者が死ぬと、生死を示 す表示灯がパッパッ とまたたいて教えてくれるということになりかねない 西川医師の話は、こんな口調で、死にゆく者に対しては、チームを組んで精神的、肉体 聞的、社会的な各問題に応じた援助が必要なことなどを説いたのだった。 声 この講演は非常に好評で、四月になってから再び総婦長から「同じテーマで続きを話して の 者 欲しい」と依頼されたため、西川医師は四月三十日にあらためて市立総合病院に出かけてい 病 すった。そして、今度は総婦長からの希望もあって、アメリカへの研究留学中に体験したアメ 苦リカにおける看護婦の地位や教育などに重点を置いて述べたが、話を進めるなかで、先に斧 医師から学んだ「聞く心」の大切さについて、その後西川医師なりにまとめた考えを、「看 護の本質としての聞く心」という趣旨で説いた。 人生経験のいまだ豊富ではない看護婦たちは、よりよき看護を意識する者ほど、患者との コミュニケーションを難しい課題のように考えるようである。実際、私は医療関係者の会合 で、何度か看護婦からインタビューの心得あるいはこつについて質問されたことがある。作 137 かっとう

8. 「死の医学」への序章

での実に十四年間、四回の手術と十二回の入退院を繰り返すという長期闘病生活を送った。 しかも、退院時はもとより、入院しているときでも、体調の許す限り、出勤して診療活動を よしながゆりえ 続けた。そして亡くなる前の年に、同居の姉・吉永百合江さんに託した遺稿は、原稿用紙や レポ 1 ト用紙に清書された数々の手記や大学ノ 1 ト七冊の日記、手紙の控え五十通など、大 変な量になっていた。 私がはじめて中村さんからの手紙を受け取ったのは、一九八二年一月末だった。中村さん ぶんげいしゅんじゅう は、その月に発売された「文藝春秋』一一月号に私が寄稿した西川医師の闘病記録を読んでペ 字ンを執ったということだった。乳ガン初発からすでに十二年を経ていた時期である。 びんせん へ横書きの便箋にびっしりと書かれた長文のその手紙を抜粋して引用したい。 の 〈前略ごめん下さい。 西川喜作先生と同様な体験をもつ者として、共感することが多く、特に最近はターミ たれ ナルケアについて一層関心を深めている者として強烈な印象を持ちました。誰でも死の 恐怖は、強く持っております。どうすれば楽に死ねるだろうか。この疑問は、再発癌が ンキリした八年前から、私には常につきまとうようになりました〉 〈今から十二年前 ( 昭和四十五年 ) に左乳房にしこりがあるのに気がっき、すぐに手 術 ( 左乳房切除 ) をうけました。当時三十八歳だった私は、まさか自分が癌になろうと せん は夢にも思わす、大変ショックでした。腋窩リンパ腺に二コ転移ありという事でした。そ 6 えきか

9. 「死の医学」への序章

「死の医学」への序章 274 私は、幼少の頃より病弱で、九歳の時には、主治医より月 ″、児中毒〃を赤痢と誤診さ びようとう じんぞう れまして、隔離病棟にて全く見当違いの治療を受けたために、腎臓機能障害をおこし、 " 今夜が峠だ〃と言われるところまでいきました。なんとか命だけは取り留めましたが、 別の病院へ転送されて、腎臓病治療のため、二年間の入院生活を送りました〉 このような自己紹介に始まる長文の手紙は、 " 生命の尊重。の教育と『輝け命の日々よ』 がなぜ結びつくかについて、次のように続けていた。 〈小児の眼を通してではありますが、病院で展開されるさまざまな人生を見せられ、ま さに病院は人生の縮図だと痛感しています。 このような体験によりまして、 " 生命の大切さ ~ " 人生の重み気さらには " 海いの残 らぬ人生のためこ、 。いかに生きるか″ということを、私なりに常に考えてまいりました。 そして、このことを次の世代へ訴えてゆくことが、現在教職についておる私の使命であ むた り、私の体験を無駄にしないことだ、と考えておるのでございます。 しかしながら、中学一一年生の生徒たちには、私の指導力の不足もあって、こちらの意 とするところが充分に伝えられずに思い悩んでおる毎日でございました。 こんな折、が放映した「輝け命の日々よ』にめぐり逢えました。さっそく録画 し、″道徳″と″学級指導〃の二時間の授業で生徒たちに見せ、西川先生の生き方につ

10. 「死の医学」への序章

隠し事を持ってそばへいきますと、ピンと感じておられるのがこちらにも伝わってくるので す。患者さんと接するときには、率直な気持で対さないと、相手に通じるのです」 病む人、とりわけ死を間近かに意識した人の、こうした敏感さが、冒頭に記したような光 への感動、生への感動につながっていくのだろうが、その敏感さがまた、限りある日々に成 し遂げていく事を濃密なものにしていく源泉となるのだろうと思う。 〈私はいま、生きることの素晴しさを感謝している。いままで私には何故、この素晴しさを る 感じとれなかったのか〉と、西川医師は闘病記に書き遺したけれど、この言葉ほど、いわゆ 2 る " 健康者。の心の貧しさと病む者の心の豊かさの差異を気づかせてくれる表現はあるまい。 の死に直面する者の内的な豊かさの優位性というこのパラドックスを理解するために、もう ン一度フランクルの体験の助けを借りたい。 も決して長文ではないけれど、多様な読み取りが可能な、密度の濃い体験記録『夜と霧』の れなかのとりわけ重要な「絶望との闘い」の章を西川医師がどのように読んだのかは、なぜか この章のどの頁にも何の印も傍線も付してないのでわからない。ただ、この章のはじめの頁 ふつりあ 不釣合いに大きな他の本の帯がはさんであるところから推測するなら、この章をいつで も参照できるようにしていた、つまり重視していたのではないかと思える。 ともあれ、私が前記のパラドックスを理解するうえで助けとなったのは、次のフレーズで あった。 なぜ