「死の医学」への序章 276 徒の文章を各一例ずつ紹介したい。 君の感想文。 〈西川さんのような生き方をする人は、あんまり多くないと思う。自分がガンじゃない かとわかると、ふつうの人ならもうだめだという気持になり、自分や家族のために生き ることしか考えないと思、つ。しかし、西川さんは自分よりも、自分と同じような人たち を助けるんだという思いで生きているのでびつくりした。 例えば目の近くにガンができた時、左目が見えなくなってもいい、痛みを取除き、働 きたい。 目以外の所だったら入院しない、 と言、つ。このよ、つな考え方は、ほくにはきっ とできないと思う。だから最後の最後まで仕事をするんだと言って、ガンと戦っている のを見て感動した。 ばくたちは、一日一日をあんまり考えす、どうでもいい と思ったり、授業をまじめに やらなかったり、なんとなく一日が過ぎていくような生活をしている。それを思うと、 西川さんは一日一日をどのように生きるかという予定を立てている。一日一日が死ぬか 生きるかのせとぎわだから、どのように充実させて生きていくかを思ってやったことだ と思う。このビデオを見て、ほくも一日一日をもっと考えて生きていきたいと思う。こ のビデオを見て、とてもよかったです〉
それでもリンゴの樹を植える 〈私は精神神経科医として、千葉の片隅で静かに己が運命のゆくままに、神の摂理に従 と考えていましたので、再発転移がわかった今とな って、その終りを素直に待てばいい っても、それ程あわてふためいてはいませんでした。しかし、この五十人の方々の癌に 対する生き様、死に様を知らされて、私に無かった数々の経験や精神的苦悩、死を前に しての素晴らしい輝きの一瞬の光、そして又死を迎えながらライフワ 1 クの実現に、完 成に、全力を振りしばって来た方々の姿を素直に読ませて頂いて、小生の喜びは、まさ につきるところなく、貴殿に深く深く感謝します。 小説井上靖氏の『化石』は読みましたし、佐分利信主演の映画もみて思い出深い作品 でした。癌と思った時から人間が変った様に生き返り、一人の人間を変え得るという事 は、黒沢明氏の作品『生きる』でも、涙したものでした。 、兼こ田 5 われますが、又治療を始めている今、これは何とも 私の人生はそれ程長くなしオ。 分りません。しかし人様に比べて明らかに短い有限のものとなったことだけは確かのよ うです。残された私の時間、人生の経験を一 n ( egra ( e しながら、何もカッコ良さを見せ : ( 中略 ) る為ばかりでなく、最善をつくしたいと決心しています。 のうしゅよう なお 尚、私事になりますが、今から丁度一一十年前、私は脳腫瘍の実験的研究をしており、 朝日新聞社より癌研究特別奨励金を当時六十万円程受けたことがございます。その癌研 究者が自らも又癌で倒れゆくという運命のいたずらを苦々しく思ったり、さもありなん かたすみ おの
わけガン患者となり、自分の人生があまり長くなさそうだと自覚してからは、ライフワーク としていた分裂病の再発と分裂病者の社会復帰に関する研究を、やめるわけにはいか 倒れるまで続けるんだ、と考えるようになっていた。それを生きるための一つの支えにした のである。 西川医師の生き方は、ある意味で、自己中心的な生き方ということができる。 ある意味でーーとは、どういうことなのかを、少し説明しておく必要があろう。 かんべき 例えば、神経症の患者のなかには、完璧主義の傾向の強い人が少なくない。親子関係、友 章 序人関係、会社での人間関係などについて、「かくあるべし」という規範のようなものを固く 〈抱き、そこから逸脱することができない。あるいは、道徳的な規範を絶対視して、それに反 、。吉局、自分をがんじがらめにして、対 医することは自分であっても他人であっても許せなし 死人関係が成立しなくなり、社会生活に適応できなくなってしまう。こういう患者に対しては、 医師が、 「人間、少してれんほれんなところがあったほうがいいんですよ」と、自由な生き 方について話しかける。「そんなに親のことばかりを考えなくてもいいんですよ。親のこと なんか二の次にして、自分本位になってみてはいかがですか」とか、「友達に一所懸命尽く したのに、感謝されないのでがっかりしているといいますが、人に親切にするのは、そうす ることが自分にとって楽しいとか満足だとか、そういうときだけにしておいたほうかよいで すよ . とか、あるいは「会社で部下がいうことを聞かないので落ちこんでいるということで すが、課長に反発するくらいのほうが、活気があっていいじゃないか、と考えてみてはどう 230
二年をこゆる生をつなぎて 171 西川医師も二月下旬から三月にかけて、数回にわたって、女性の記者の取材を受けた。 記者は小此木助教授から紹介されたということで、取材申しこみの電話をかけてきたのだっ た。インタピュー取材だというので気軽に了承したのだが、 いざ来訪を受けてみると、長時 間にわたって様々な問題について質問を受け、非常に疲れさせられた。しかし、自分の生き 方や発病以来考えてきたことを、あらためて整理し思索を深めるという点では、よい刺戟に なった。 二回目の取材を受けて間もない三月二日、西川医師はノートに次のように記している。 〈私は思う。私の書いたものが人の心を動かし、人をいくらかでも感動させ、その人の 生きる力、残された生き方のひとつのサンプルになるなら、私は人の為にもなれるのだ。 だとしたら、私の今の生き方がライフワークそのものなのではないか〉 前の年に小此木助教授と話した頃には、「死んだ後で手記を出版」という考えだったが、 少しずつ気持が変わってきたのだった。 三月二十九日になって、私は西川医師に用件があって、自宅に電話をかけた。その際、一 月に手紙ですすめた闘病記出版の話について、その後どのように考えられたかをうかがった。 西川医師は、まだ迷っていると答えた。 その頃、西川医師の体調は、かなりよく、通常通り病院に勤務していた。翌三十日、闘病 ため
ガンが治る例が増えているのです。しかし、西川さんの場合は、不幸にして進行してしまっ たのですね。 テープを聴いておりますと、西川さんは、死への覚悟がもう出来ているんですね。 真剣な対話を求めている。 死に直面しますと、宗教家、芸術家、哲学者、あるいは事業家、人それぞれの生き方があ るのですが、西川さんの場合は、選んだ生き方が、いかにも科学者らしい、そして実践的な 臨床家らしいものだったと思うのです。つまり、一つは、自分の病気の経過を正確に記録す ジ 一る。もう一つは、病人の心理ーー迷いとかあせり、不安、恐怖、希望、絶望、それから病ん テ スでなければあじわえない生きる喜びーーー・そういうものを、テープや手紙や日記に記録してお 贏いて、そっくり社会に提供する。そして、そういう努力を通して、社会に自分の考えたこと 熟を訴えようとした。それは何かというと、次のようなことだったと思うのです。 成 自分は死ぬのだ、と。だけど、皆さん、あなた方もやはり死ぬんだ、と。人間は生まれて くれば、皆死への旅なのだ、と。それなら、医師や看護婦や家族は、みえすいた嘘でかため たり、あてもなくからだをいじりまわして、不自然に命を引き延ばすといったことだけをし たりしないで、病人の心に触れて、少しでも心やからだの苦痛を和らげてあげて、最後の瞬 間まで生きていく手助けをする協力者であってほしい。死が近いとき、それから目をそらさ ないで、ごまかさないで、立派に生き抜いてこそ、価値ある死をかちとることが出来るので あって、医師や看護婦や家族はその協力者であるべきなのだ、と。 307
うになり、美しさを再発見した。生きることの貴重さを自覚するのも、同じだ。自分はいま、 死に直面して、今日という日を一所懸命生きたいと切望している。だから、医療にたずさわ ろうとする者は、死と生を見つめる心を持ってほしい。 西川医師は、そんな口調で医師 や看護婦や学生たちに説いたのだった。 実際、この章で紹介した手紙の筆者たちは、死に直面することによって、懸命に生きた人、 あるいは生きている人たちなのである。彼らや彼女らは、みなある年齢に達した人たちばか りだが、 この章の最後に 、小児ガンを克服した秋田の少年の生き方を記しておきたいと思う。 ・章 きさかれに 序その少年は、秋田県由利郡象潟町の須田亘君である。一九八五年夏に母親の須田さくさん 、から寄せられた手紙で、私は亘君のことを知った。 医さくさんは、私の『最新医学の現場』という本を読んで、「医学の進歩のめざましさを私 ありがた 、どうしても手紙を書きたくなってペンを執っ 死達ほど有難く受けた者はないのでは」と思い たのだという。その手紙によると、闘病の経過は、こうである。 亘君は、一九八〇年八月、中学一年生のとき、激しい胸の痛みを訴えて入院した。悪性リ せきずい まひ ンパ腫と診断されたときには、胸水のために胸が膨れ上がり、脊髄も冒されて下半身麻痺の 状態になっていた。そのときのことを、さくさんはこう書く。 〈主治医の先生に、命は取りとめても歩けるようにはならない事、しかし五年生き延び た例がある事などを聞かされ、胸もつぶれる思いで泣いてしまいました。でも息子の亘 しゅ
て 淡々とした簡潔な文章から、差出人の心境が静かに伝わってくる。最初に手紙をいただい っ をたのは一九七九年十月だったから、あれからはや二度目の正月を迎えたことになる。最初の る 手紙も素晴しかったけれど、その後の手紙も、またこの年賀状も、心に浸みこんでくるよう ゅ をな響きがある。そして何よりも、〈今年も素直に精一杯生きたいと思います〉という結語が 二す・かす - かしい 《これだけの文章を書くのだから、西川先生がご自分のガンとの闘いの日々を、精神科医の 眼で見つめた記録を書けば、医学的に貴重であるばかりでなく、一般の人々にとっても、そ れぞれの生き方を考えるうえで、多くの示唆と励ましを与えるものとなるに違いない》 私はそう思う一方で、そんなことをいきなり提案したら、失礼になるかもしれないという迷 、も抱いた。どうしたものかと思案しているうちに松の内も過ぎた。結局、《西川先生は精 神科医なのだから》という私なりの勝手な理由を見出して、思い切って執筆をすすめる手紙 169 欲も出、仕事も広げたくなって来ています。しかし、今後再び運命の受容ができるかど 、つかとなると不安です。有限の人生と云、つことに常に心いたし、裏切られたと田 5 、つこと なく、今年も素直に精一杯生きたいと思います。 皆様の御多幸を祈っています。 一九八一年元日一 西川喜作〉
ぶんげいしゅんじゅう りあえずの報告を「文藝春秋」 ( 一九八一一年一一月号 ) に寄稿したとき、ある男性の医師から、 〈男は黙って死ぬもので、作家に手紙などを書くとは医師としてできていない〉という叱責 めいた葉書を受け取った。私はその男性医師の生き方について論評する立場にはない。生き 方はその人の選択の問題だからである。ただ、その医師がもし " 孤独な沈黙″こそが男の生 き方であり死に方であるとほんとうに考えているのなら、なぜ私に葉書を書いたのか。その 自己矛盾に、ご自身は気づいておられないようだった。私はそういう″強い , 医師には診て て もらいたくないと思っている。死に直面する患者は、動揺し苦悩している。そういう患者に い向かって、「男は黙って死ぬもの」ということは、どれだけのサポート ( 支援 ) になりうる よだろうか 太むしろ次のような手紙のほうに、私は共鳴を覚える。拙著「ガン人の勇気」に対し、 髜船橋市の歯科医師斎藤貞樹氏からいただいたものである。 し 差 〈五十人の方々は全く立派であり敬服する以外ない。しかし自分がもしガンと宣告され まね たら、残念ながらあの方々の真似はできそうにもない。五十人の方々はほんとうに何の 苦しみもなくあんな立派な態度をとれたのだろうか。 ひとたち 私の最後の時に救いになるのは、私の真似できないあの立派な人達の死にざまでなく、 私の親友でガンで死んでいった仲間の死にざまである。彼はおそらく心中ひそかにガン きせき ではないかと疑いを持ちながら、わずかの奇蹟に生きる希望を持ちながら、結局は黙っ しっせき
地下採石場跡の洞窟に、核シェルターの設備 安部公房著方 - 卅さ / \ ら丸を造り上げた〈ばく〉。核時代の方舟に乗れる 者は、誰と誰なのか ? 現代文学の金字塔。 精神科医・西川喜作のガンとの闘いの軌跡を たどりながら、末期患者に対する医療のあり 柳田邦男著「死の医学」への序章 方を考える。現代医学への示唆に満ちた提言。 気宇壮大な発想と強烈な自我で、三国から唐 最陳舜臣著山・国大可人一ムの時代を生き抜〔た八畸人。そのみごとな生 き方を現代に甦らせた歴史人物ミステリー 庫 〈天皇制〉に関するありとあらゆる事柄を語 文猪瀬直封 + 著、、、カにー世一紀亠不り、世紀末・日本の針路を探 0 た対談集。 山口昌男 ー王権の論理ー 「文庫版のための特別対談」を併せて収録。 朝 ・二・ゼロ・三・万ー。ー地球上に生れ た様々な文明は、その神の数で六つに分類で 森本哲郎著そして文明は歩む きる。世界文明の根源を掘り起す新文明論。 ビートルズの登場から、プリンス、 2 まで ロックの進化の歴史をたどり、その全 渋谷陽一著ロックミ、ージック進化論 ィーを明らかにする、絶好のロック入門書。
出版したのである。もちろん著者たちの支え、家人の支えがあったからであろう。 日本のがんの臨床では、がん告知をどうするか、という大命題が存在している。しかし未 だに民族的なコンセンサスを得るに至っていない。しかしながら、「死の医学」の実践に当 って、自己の内面との対話を深めるためにも、インフォームド・コンセント ( 説明と同意と 訳される ) が医師と病人との人間関係の基礎に存在していなければならないと思う。病人は 知らされることによって自己の内面との真の対話が始まり、生きる意欲が生ずるのである。 死の壁を見つめながら「死の医学」を実践した人々の多くの手記を読んでみて、著者は次 章 序の共通する事実を発見している。それは、「光への感動、目に映る世界への感動がうたわれ 、ている」ことである。これを読んで、私はゲーテの臨終の言葉、「光を、もっと光を」を思 学 医い出した。 死自己の病の重さを知ることによって、余命の短さを知ることによって、生きていくことの すばらしさを実感し、内面には見事な成熟のドラマが展開されてくる。立派に死ぬことは、 生の歓喜を実感することに外ならない。花々、新緑、紅葉などの自然が光輝いて見えてくる。 よわい この感覚は齢を重ねながら春秋を高めた人々が感ずるものに似ている。「この桜の花は今年 つぶや は殊の外美しい。この桜をあと幾たび見ることか」と呟く心象風景と似ている人は春秋を 高め成熟すればするほど、この加齢の贈り物、つまり感受性の高揚がすばらしいとわかるよ うになる。旅をしてみても新鮮な発見をし感動するようになる。このように、がんだと自ら 知ることによって、多くの病人はすばらしい感性が与えられる。人生への居直りの心象風景 322 0 い′