す。要するにものも見えるし、自分も動けるしと。そうなったときに、自分は 死んでいないと思うわけです。まだ生きていると思うんです。 佐藤やつばり電車が走ったり、人が歩いたりしているのが見えているんです 江原そうです。しかし、気がついてもらえないし、自分が一生懸命に話しか けても無理です。または壁もすり抜けるでしようし、おかしなことがたくさん あると思うんですけど、しかし、自分自身で死んだという、また死後の世界が あるということを自覚できないんです。死んだら無になると思ってきた人です からね。 よく墓場で幽霊がでます。それというのは、死後、人は墓場に行くものだと 思っている人がいらっしやるんですね。 それは死んだという自覚があって、自分は死んだと、であれば墓場に行くん だと。それで、墓場で長い間こう坐っているわけです。でも、いつまでたって
人に迷惑をかけないで、嫁 しオし→古し、まず - に - 死にた、、 、い配と、ころり・と・死ここ、、 や娘に迷惑かけないで死にたいということばっかり考えているけど、死後のこ とは考えなくなっていますわね。 だから、やつばり六十歳の半ばを過ぎたら、それまでは死後のことは考えず に、その日その日の暮らしに追われてきた人も、その辺からそろそろ死ぬ用意 オし力と、私は思うんですけどね。 をするのが年寄りの生き方じゃよ、ゝ だけども今は、年をとっても性欲はあるんだから、遠慮せずに恋愛せえとか、 セックスせえとか、若者は老人の性欲に理解を持たなきゃいかんとか、とにか く楽しく過ごそうということばっかりになっている。どこか間違っているんじ ゃないですか ? 江原ええ。老人は、やつばり死後の世界に近い人たち : : : 、死後の世界の住 人たちに近い要素があると思うんですよね。要するに、物欲、肉欲、食欲なん かからすべて離れていきますね。ですから、それだけきれいな状態になってい
佐藤それでさまよっているわけですか ? 江原そうです。ですから、自殺の名所と一言われているようなところでは、そ のようにして死んで、死んだ自覚がない、苦しいものだからもう一度死になお さなきゃいけない、死んだことに失敗してしまったと思っているのです。です から、そのときに自分では気づかずに人に憑依して一緒にまた飛び込んだり自 と殺するわけです。それを繰り返す。 佐藤つまり、引っ張るってよく言いますわね。池や踏み切りで引っ張られた というのはそういうことなんですね。 江原そうなんです。ですから、死後の世界を信じないというのは、とても 本 後々に大きな影響を与えてしまうんです。 者 佐藤死後の世界を信じなくなったのは、やつばり明治以後ですかね。 章江原だと思います。 佐藤そうですね。しかし大変な仕組みになっているものなんですねえ。
どんな人が幽霊になるか 聞 で 音 本 佐藤そうすると、よく取りついたり、憑依したり、幽霊になって立っていた 者 り、音をたてたりする霊というのは、幽界にもまだ入っていない : 章江原そう、これがやっかいなんですね。死後の世界がない、人間は死後、無 になると思っている方が死ぬと。普通、死んだあとも自分の感覚があるわけで 江原いえ、それでもあるそうです。例えば、背後霊を務めて、それでも自分 も再生してもう一度心を磨いてみたい、魂を磨きたいと思う人はいらっしやる ようです。 あとは霊界でのお役目をしていく、要するに背後となるとか、そのほかにた くさんの仕組みがあるそうですけれども。
方 老いる幸せ 生 報佐藤このごろ老人 : : : 、突如として老人問題になるんだけども、老人の生き 魵方というのが非常に問題になっているんですよね。いかに楽しい老後を過ごす かということがよく婦人雑誌なんかからコメントが来るけれども、昔の老人と 教 いうのはいかに楽しくじゃなくて、いかに死に支度をするかということを、も 章 うそろそろお迎えが来るころだからといって、死後を考えたんですよ。 ところが、今は死ぬということを向こうへ押しやって、心配するのはばけの
はじめに 3 1 章死んでからでは遅すぎる大事な話 臨死体験とは 地獄と極楽 肉体はどうなるか幻 主護霊・指導霊・支配霊 死後の世界を信じない人の背後霊は 不幸な経験も守護霊の導きか 自分の霊はいつ、つくのか貶
うんです。一方、美しいほうの世界に行った人たちはこれほど心地よいところ は↓ないと ) 。 ですから、死というものは怖くないというような考えになってますけれども、 実際には、その方自身の行くところがすべて違うということも一一一一口えるんです。 っ亠まり、 ~ 行ノところが一逞 , っとい , っことはど , つい , っことかと一 = ロ , っと、いわゆる その人の心境いかんであるということが、皆さんにはまだわかっていない部分 なんですね。 る佐藤その人の心境っていうのは、生き方ですか。 遅江原そうです。宗教的な言い方になってしまうかもしれませんけれども、そ で の方自身の生き方というのが死後の世界に大きく影響するということです。 ん佐藤日本人が神仏を信じなくなって、死んだら無になると、私なんかでもか 章っては思っていたんですけどね。で、今でも知識階級の人は死後の世界を信じ 四ない人が多いんじゃないかしら。
れるんだそうです。つらいつらい修行に出るんだということで涙ながらに出る。 佐藤この世に来る、生まれるということは、めでたくないんですね。 江原そうです。こちらの現世の人たちは赤ちゃんができるということで大い に喜んでいるんですが、全く反対なんです。死ぬときも臨終でこちらはわんわ んと泣いて悲しんでいても、向こうから迎えに来る人たちは非常ににこやかに よく帰ってきたというふうに迎えるんだそうです。 話 霊界の人たちに言わせれば、こちらのほうが死後の世界だそうです。向こう 事 るのほうが生の世界だということを言っています。 す 遅 で で ん 死 章
で、そういう話を聞くと、みんな、それと死後の世界というのと同じだと思 いましてね、そんなに気持ちのいいところなら、死んでも怖くないわとか、死 ぬのがひところは布いと思ってたけれども、もう、そういう気持ちがなくなっ たわとか言っている人がいるんだけれども、私はもしかしたら、その気持ちの しい美しいところは道中に過ぎない。扉の向こう側つまり死後の世界と道中と は違うんじゃないかっていうふうに思うんですよ。それは今、ちょっとごっち やにして安心している人が多いんじゃないか、どうなんでしようか ? 江原臨死体験の場合には、大体花が咲き乱れて美しい景色の中で天女がいて 川があって、その向こうで人が待っているというような体験をする人と、あと、 もう一つありましてね。 もう一つのほうは真っ暗やみの世界で、とにかく暗やみばかりが続く筒のよ うな中に入っていると、そういう方と二種類に分かれるんですね。 その暗やみの中に行った人はこのような恐ろしいところは行きたくないと言
ども。 ある有名な霊能者と対談したときのことですけど、佐藤さんのお兄さんで十 、九で死んだ人がいますね、と言われましたの。事実、四番目の兄が十九で 心中して死んでいるんですよ。 すると、その先生はそのお兄さんが佐藤さんを守ってると言われる。そして、 そな そばとアンコロ餅を食べたいと言っているから、お供えしてくださいってね。 確かに思い当たる兄はいるけれど、心中して女は助かって、兄だけが死んでる んですよ。そういう兄に妹を守る力がありますか ? これは私に頼ってるんじ ゃなしかと当時私は思いましたけれどね。 たい、アン でも大先生だから黙ってました。妹を守護しながら、そばが食べ コロ餅がほしいなんていいますか ? 江原守護できる高級霊ならば、ぜったいに食べものなどほしがりませんね。 未浄化な霊である証しです。