一九九四年六月 中公文庫既刊より 風雪の中の対話日夏耿之介 谷崎潤一郎 陰翳礼讃 日本文学 新選組新選組始末記子母沢寛 谷崎潤一郎 森鷦外痴人の愛 渋江抽斎 三部作 フィリッビン 新選組新選組遺聞子母沢寛 あぎなるど山田美妙人魚の嘆き・魔術師谷崎潤一郎 三部作 独立戦話 新選組新選組物語子母沢寛 泉鏡花蘆刈・卍 ( まんじ ) 谷崎潤一郎 薄紅梅 三部作 子母沢寛 味覚極楽 有島武郎春琴抄・吉野葛谷崎潤一郎 或る女 ふところ手帖 ( 正続 ) 子母沢寛 谷崎潤一郎 思い出すままに正宗白鳥盲目物語 谷崎潤一郎よろず覚え帖子母沢寛 長塚節お艶殺し 子母沢寛 小説のタネ 萩原朔太郎 帰郷者 渾齋隨筆 ( 正續 ) 會津八一 コンスタンチノープル橘外 - 田刀 三万両五十三次野村胡堂 日本捕虜志 ( 上下 ) 長谷川伸 ( 全四巻 ) 相楽総三とその同志 長谷川伸妖花ュウゼニカ物語橘外男 竹久夢二 どんたく ( 上下 ) マレー蘭印紀行金子光晴 長谷川伸 みなかみ紀行若山牧水石瓦混淆 改版 金子光晴 どくろ杯 谷崎潤一郎生きている小説長谷川伸 潤一郎訳源氏物語一 . 五 ある市井の徒ー越しかた 金子光晴 長谷川伸ねむれ巴里 武州公秘話・聞書抄谷崎潤一郎 は悲しくもの記録 金子光晴 野上彌生子西ひがし 谷崎潤一郎秀吉と利休 青春物語 四十八人目の男大佛次郎 折ロ信夫 谷崎潤一郎死者の書 細雪 ( 全 ) しぐれ茶屋おりく川員松太郎 村松梢風 谷崎潤一郎女経 鍵 久保田万太郎 私のお化粧人生史宇野千代 谷崎潤一郎火事息子 台所太平記 おはん・風の音宇野千代 谷崎潤一郎我が愛する詩人の伝記室生犀星 文章読本
夫は黙ってうなずいた。 「うちの家族、誰一人として手術なんかしたことないのにな。おまえ一人だけが : : : 」 それだけで充分だった。夫も子供たちも盲腸も切ったことがない。手術はわたしが一 人で引き受けている。「かわいそうに」と言いたい言葉を、夫が呑みこんだことをわた しは察した。 翌日、手術が終ったのは夕方であった。夜半に眼を覚ますと、夫が椅子に腰掛けて居 眠りをしていた。 「横になって眠ってちょうだいー わたしがかすれた声で言った。夫はあわてて眼を覚まし、 「おう、気がついたか、さっきまで子供たちもいたんだが、帰ってもらったよ」 と言った。急に体じゅうが痛くなった。両脚を拡げられて、動かないように固定され ている。同じ姿勢で何時間も動かないための痛みである。手術創も焼火箸を当てられた ように痛い。「痛い、痛い」とわたしは呻いた。夫がナースコールを押し、看護婦が来 て痛み止めの注射を打った。 「痛いか」 と夫が尋ねた。「痛い、痛い」と呻いた。そのあと、うとうととまどろんでいると、
127 てうなずいてくれるだけでよいのである。 タ陽の残照が西空を赤く染めていた。活動的な昼間の時間から沈静した夜の時間に移 行する、たそがれのひとときである。病院の門の前にバスが止まり、次々と吐き出され あかねいろ る人々をかき分けるようにして夫が道に飛び出してきた。茜色の空を背にしてその姿 は黒い輪郭だけのシルエットである。 夫は病院の門から全力疾走で玄関目指して走って来る。コート の裾をひるがえして、 走る、走る。そしてすぐにその姿は玄関のなかに消えた。三階のわたしの病室まで、夫 は階段を駆け登って来るのだろう。 病室の入口から夫が入ってきた。息を切らせてはいなかった。門から走ってきたこと も、階段を駆け登ってきたことも、わたしには悟らせまいと意識したのか、いつもの落 査ち着いた夫の様子であった。 の 「どうだ」 術そう言っただけだった。 あれも聞いてもらいたい、 これも話したいと思いつめていたわたしは、話す必要がな くなっていた。 「手術、明日九時からだって、終るのは夕方か夜になると思うよ
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「明日、大腸の半分以上を切り取りますので、腸内を清潔に保たねばなりません。腸宀 は細菌の巣ですから、とにかく、きれいに洗い流さないと危険です」 医師はそう言ってわたしの脈を診た。 ロ腔からはじまって、食道、胃、十二指腸、空腸、回腸、上行結腸、横行結腸、下に 結腸、字結腸、直腸へと繋がれた切れ目のない管が、わたしの体のなかをくねくね , 通っている。いつもは管のなかに、なにがしかの栄養物が、下水道を通るように動き がら通過してゆく。 しかし今は、くねくねと曲った管のなかには、少しの内容物も存在しない。。ヒノク 肉色の管のなかは液体によって洗い流され、細かい襞の隅にまで容赦なく液体が注が る。注がれては吸い出され、吸い出されては注がれる。それをくり返しているうちに、 わたしの消化管は垢をこすられた皮膚のように清潔になり、風呂上りの桜色の肌と同” に桜色に染まったことだろう。 「終りました。ごくろうさま。今夜は睡眠薬を飲んでぐっすりと眠ってください。明 八時に看護婦が迎えに行きます。よくがんばりましたねー 医師はそう言ってわたしを車椅子に乗せた。「がんばりましようー「がんばりまし 4 ね」と何度も医療者から声をかけられ、励まされるが、わたしは少しもがんばってい
と言いながら、学校の話、友達の話などを、小鳥がさえずるように話して聞かせる。 わたしは彼らの話をうっとりと聞いている。それがいっか知らぬが、孫たちは十代で 祖母を見送ることになるだろう。彼らの人生の過程のなかで、順序として年長者を見送 る、。フログラムの進行として実に自然である。 名残りは惜しいが長く生きたものから先へ、という順序に組みこまれてしまえば、孫 たちはわたしとの別れの空白を、年月とともに自然に埋めてゆくだろう。孫たちにとっ て祖母の病気と死は、人生の光とともにある影として真実を知ってゆくチャンスになる。 すでに祖母と孫という領域を越えて、世代の隔りを繋ぐ友情を感じている。子供たち、 その配偶者をもふくめて、人間同士としての友情を感じる。わたしの治療に当っている 医療スタッフに対しても、友情の兆しを感じている。 それは致命的な病気を抱えているわたしの、いのちへの愛おしさがそうさせるのだろ うか。一人一人のいのちが貴重なものとして迫ってくるのだ。 夜、処置室に呼ばれて腸を洗うことになった。医師が二人、つきっきりでわたしの腸 に液を注入し、。ハキュームのような機械で吸い出す。液を注入しては吸い出す作業が続 けられているうちに、ふっと気が遠くなりそうな気分になった。体のなかの水分がすべ て吸い尽されて、打ち萎れて枯れ果てた樹骸になって横たわっているようだ。
123 ます。先生方が、あの人、まだ生きてるのかと驚くくらい、延ばしてみせますよーと言 「とにかく万全の手を尽します。がんばりましよう。午後から家族の方に説明しますか ら、医局に来るようにお伝えください」 わたしは無言で立ち上り、一礼して部屋から出た。医師は励ますつもりで生存率を強 調したが、術後八年生存しているのは、三十九人中のたった一人だけである。その一人 の僥倖に望みを託すほど、わたしは甘くない。 午後になって長女夫婦と十七歳、十三歳の孫二人が揃ってやってきた。長女夫婦は医 師に呼ばれて手術の説明を受けるために、医局へ行った。病室で高校生と中学生がふざ けている。二人はわたしの病状を知らず、手術をすれば病気は必ず恢復すると知らされ 査ている。 の 伸び盛り、食べ盛りの二人に接しているだけで、わたしもつられて弾んでくる。長女 術の一家は出産の前後の三カ月を、わたしの家に同居した。長女の妊娠、出産、産後の肥 立ち、すべてをわたしは援助してきた。孫たちは誕生のときから少年少女になった現在 まで、祖母のわたしと深く関わってきた。 「ばーばちゃん、手術して、早く元気になってね。帰ってくるの、皆で待ってるよ」
122 わたしがすでに知っていることで、医師たちは嘘をつく緊張感から解放されている。 解放された勢いで、なにもかも話してしまおうとする姿勢に変えられたようだ。 「三十九例のうち、三年生存率は四十。 ( ーセント、つまり十六人が術後三年間生きてい ます。もっとも長期間生存している人は、術後八年です。それも肝臓に再発して再手術 したのですが、八年も生存しているのですよ」 医師たちは誇らしげに言った。 わたしは胸のなかで計算し、三十九人のうち二十三人は、術後三年経たずに死亡して いることを確認した。医師たちはわたしのショックをやわらげようとして、生存率のみ を強調する。 しかし、三十九人のうち三年以内に二十三人が死亡しているのだ。かなり高い死亡率 である。わたしは一度としてくじに当ったことがないことを思い出した。お年玉つき年 賀葉書も、宝くじも、年末大売出しの商店街のくじさえ、当ったことがないのである。 幸運な十六人に入るか、不運な二十三人に入るか、それは誰にも分らない。くじ運の よくないわたしがどちらに入るのか、それを思うとやはり心が騒ぎ立つ。わたしは自分 の心の動揺を医師たちに見透されたくなかった。 「術後生存率の最長年数が八年だとしたら、わたしはさらにそれを上廻る記録をつくり
深刻な話になりそうなところを、もう一人の医師が明るい声で、 「あなたは肝機能がとてもよい。検査のデータがいいのです。だから悪いところを切 さえすれば、あとは正常な肝臓がふくれてきて、正常に機能するのですよ」 と一一 = ロった。 大腸と肝臓を同時に切除するので、かなりの難手術になりそうだが、医療チームが 1 善を尽して努力するので、安心して任せてくたさいと、三人は口々に言った。 「それで、手術は成功したとして、あと、どのくらい生きていられるのでしようか」 答えを期待したわけではなかった。医師たちがどのような表現でわたしの余命を知 せるのか、それを試してみようという意識があった。医師たちが単なる外科的な手技亠 会得しているのでなく、生命に対する畏敬の念がどの程度あるのか、それが知りたか一 たのである。 「開けてみなければ分りませんが、そうですねえ、この病院では腸肝同時切除は三十亠 例あります。あなたは四十例目になります」 告知を絶対にしない方針なので、患者に病状を説明するとき、もっとも医師が緊張 る瞬間である。一つ一つ言葉を選び、決して癌ではないと患者に思いこませなくては らない。
三人の医師は口々にそう言い、わたしの反応を見た。 「これがわたしの腸なんですか。長いですねえ。半分も切ってしまったら、機能的に大 丈夫なんですかー そう尋ねると、三人は安心したようにうなずき、「半分あれば大丈夫ですよーと何度 も大丈夫をくり返した。 「次は肝臓ですが : : : 」 レントゲン写真を外し、写真を並べた。見たくなかった。自分の臓器の欠陥が 次々とあばかれるようで思わず眼を伏せた。事実をありのまま見せられて、克明に説明 されたとしても、客観的に冷静に受け止めることができるだろうか。わたしには自信が 「肝転移は三個あります。幸いなことに肝臓の右側に偏っていますので、三個とも切除 可能です。この病院では三個までなら切除する方針です。極端な例では十七個もできて しまった患者さんがいたのですよー 「で、その患者さんは : : : 」 「なにしろ若い人でしたからねえ、手術は成功したのですが、術後七カ月で亡くなりま した。若い人は早いのです」