132 ストレッチャーに横たわっているわたしの顔に、自分の顔をくつつけるようにして看 護婦が言った。入院以来今まで、検査で関わってきた医師が緑色の手術着を着て傍に寄 ってきた。 「・ほくたち、皆で手術に立ち会います。執刀は教授です。安心してください」 と一 = ロった。 意識はそこまでであった。午前八時から夜の八時までの十二時間、わたしは手術室で 別世界の人間になっていた。 夫の葬儀 午前八時から夜まで、絶対的な無の世界にわたしは入っていた。どれほど眠りが深く ても無意識が存在するが、全身麻酔には眠りすらない。わたしの人生から、すとんと断 ち切られた十二時間は、臓器だけが動いている無明の世界である。 夜半に少し意識が戻ったとき、周囲に何人かの人の気配を感じた。その気配はわたし に集中し、注意力のすべてが注がれている。それに対してなにか応えなければと心は動
絶食も四日目になると体が軽やかに弾む感じがする。それとともにわたしの意識から すべての思惑が拭い去られて、本来の自分そのものを生きているという実感がある。 今まで暮していた場から脱け出たことで一枚衣裳を脱いだ。食べることを禁止されて、 今までの生理的働きのリズムが変えられた。身分、肩書、家族の一員としての制約、社 会的責任、それらをもうしろに置き去りにした、捨ててしまったと言うべきか。 捨て去ったのちに、それでも残っているのは、個としてのわたしであり、わたし自身 の核となるべき存在だろう。その存在は人間存在の核にある普遍的霊性である。 癌は致死的な病気であり、その病気にかかったことで、わたしは自分自身の奥へ奥へ となにかを探ろうとする。癌はリトマス試験紙のように、本来のわたしを照らし出し、 証明しようとする。そして、霊性の存在を深く信じていることに気がつく。たとえ癌細 胞がわたしの体の隅々まで跳梁しても、霊性は決して損なわれることなく、むしろ光を 増し加えられる予感がする。 わたしの人生は意外にも正しい秩序のもとに計画され、大宇宙の一隅に生かされるも のとして、大きな運行の企ての一環であることを知るのだ。そしてわたしの奥深い一占 にある霊性に、常に働きかけ、今をよりよく生かしめようとする意志が、風のようにど こからか吹いてきて、その爽快感がわたしを救う。
180 びに自分の病名を確認しているようで、少しつらいのですけれど わたしがそう言うと、女医は息を呑んで、 「あなた、自分の病名を知っているのですか。この病院では一切お知らせしないのです が、いつごろ知ったのですか と言った。わたしは最初からの事情を説明し、手術後三日目に夫が亡くなったことも つけ加えた。女医はカルテに走らせていたペンを止めた。しばらく黙したまま考えこん でいた。 「一生に一度しか遭遇しないことが、一カ月足らずの期間に二度も起きたのですね。た いへんでしたねえ」 女医は呻くようにそう言った。診療ののち、 「まことにお気の毒ですが、あなたにまったく責任のない、意識下の苦しみ悲しみが、 体に出てしまったのですよ。あなたは立ち直ろう、立ち直ろうと努力されたのです。大 手術のあとのさまざまなトラブルを乗り越えることができたのは、あなたの精神力の強 さです。しかし、精神力の及ばない意識下で、体が拒否してしまったのですー 一生に一度しか遭遇するはずのない運命の波に、二度も立て続けにさらわれた。理性 で耐えようと努力しても、理性を超えた意志力の届かない部分が活動を停止した。
221 解説 してくれるなにかの力がそうさせるのかもしれない そして著者はひとつの確信に到達する。これこそ死に至るまで彼女が視点を定めて動 じなかったものである。 「捨て去ったのちに、それでも残っているのは、個としてのわたしであり、わたし自身 の核となるべき存在だろう。その存在は人間存在の核にある普遍的霊性である」 「わたしの人生は意外にも正しい秩序のもとに計画され、大宇宙の一隅に生かされるも のとして、大きな運行の企ての一環であることを知るのだ。そしてわたしの奥深い一占 にある霊性に、常に働きかけ、今をよりよく生かしめようとする意志が、風のようにど こからか吹いてきて、その爽快感が私を救う」 こういうかたちで「生きる意味」を見いだし、それを私たちに遺してくれた重兼芳子 さんという作家に深い敬意を感じるとともに、すばらしい永遠の友情にわたしの心は、 ( 聖心女子大学教授 ) いま豊かに満たされている。
され、しばらくの鎮静したときが与えられた。 自らなにかを為す必要のまったくない日々。生命を存続させるためのすべての肉体の 営みを意識することもない。排泄される尿ですら質量ともに克明に記録され、機能の師 った消化管から排泄されるわずかな便ですら、やはり記録の対象となる。わたしの肉休 のすべてが医療者にとっての情報源となり、どれほど小さな情報であっても、その管理 下に組みこまれる。なんと無責任な身分だろう。 絶食のための爽快感がそうさせるのか、わたしは自分の体内に在る異型細胞に対して 敵意も憎しみも湧いてこない。倉敷市にある柴田病院で提唱されている「生きがい瘠 法ーは、癌の治療にかなりの効果をあげている。そのプログラムの一つに、イメージ 法があり、リンパ球が癌細胞を殺してゆくシーンをイメージして、患者にそれを描かせ 査て闘病への意欲を強くさせる方法をとっている。 の しかし、仮にわたしがそのシーンを描くとしたら、異型細胞を憎むべき悪の根源の上 術うには描かないだろう。むしろ、いつのまにか正常細胞から似ても似つかぬかたちに亦 化した異型の、哀しみに充ちた表情を描くだろう。変化したとしても、元はわたし自身 の細胞なのである。それがどう変化したとしても、敵意を燃やしたり、憎悪をつのらせ Ⅱたりする気にはどうしてもなれない。「わたしが斃れるときは、あなたもともに斃れみ
「会社の机の何番目の引き出しに重要書類が入っているとか、人事異動はどうなってい るとか、うわごとのようにロ走っているそうです。廊下の隅には会社の人が集って、葬 式の打ち合わせなんかしているんですからね」 付添婦さんは洗濯物を畳みながら大きな溜息を洩らし、 「患者さんは、意識が途切れるそのときまで会社のことを思っているのにねえ、むごい ものだねえ。当の会社では、亡くなったあとの相談をしているのだからねえ」 と一言った。 意識が途切れるそのとき : : : 夫の脳裡を駆け抜けたのは誰のことなのだろうか。 しばらくして隣室に人のざわめく気配がし、女の人の悲鳴が聞え、そのあと人々の出 入りが多くなった。 せ「駄目だったらしいわねえ」 知とわたしがつぶやくと、付添婦さんが目顔でうなずいた。 意夫だけでなく他人にも死が訪れる。今更のように気がついて、わたしは安堵した。死 不 は公平なのである。いつ、誰にそれが訪れるのか、突発的なように見えても計算され尽 した天の配剤なのか。 一時のパニック状態が過ぎて、わたしはようやく夫の死を考えはじめようとしていた。
世界のトツ。フレベルに立つ日本の医療ではあるが、そこには病名を知らせる知らせな いという、日本人の意識を問いかける問題を孕んでいる。わたしは全身をくまなく診察 されながら、科学として進み続ける医学と、日本人の意識とが交わる接点を考えていた。 、葛湯などである。夜になって 翌日から検査食となった。薄い塩味のスープ、ゼリ 強力な下剤を飲まされ、次の日の朝食、昼食は抜き。午後から内視鏡の検査だ。検査室 に入ると担当医が待っていた。 ハリウムを入れ 「今日は内視鏡で腸の内側の状態を調べます。三日後、注腸検査です。 て腸の全体像を調べます。両方とも大切な検査ですので、少しつらいでしようが、我慢 してください。鎮痛剤の注射をします」 「痛くないようにしますから」「力を抜いて」「深呼吸をしてーなどと、幼い子に呼びか で 病けるように優しい声で呼びかけられる。 幌検査がかなり進んだ頃、 「なにか見えますか」 とわたしは尋ねた。医師は検査に気を取られると、言葉に無防備になるのをわたしは 経験から知っていた。
127 てうなずいてくれるだけでよいのである。 タ陽の残照が西空を赤く染めていた。活動的な昼間の時間から沈静した夜の時間に移 行する、たそがれのひとときである。病院の門の前にバスが止まり、次々と吐き出され あかねいろ る人々をかき分けるようにして夫が道に飛び出してきた。茜色の空を背にしてその姿 は黒い輪郭だけのシルエットである。 夫は病院の門から全力疾走で玄関目指して走って来る。コート の裾をひるがえして、 走る、走る。そしてすぐにその姿は玄関のなかに消えた。三階のわたしの病室まで、夫 は階段を駆け登って来るのだろう。 病室の入口から夫が入ってきた。息を切らせてはいなかった。門から走ってきたこと も、階段を駆け登ってきたことも、わたしには悟らせまいと意識したのか、いつもの落 査ち着いた夫の様子であった。 の 「どうだ」 術そう言っただけだった。 あれも聞いてもらいたい、 これも話したいと思いつめていたわたしは、話す必要がな くなっていた。 「手術、明日九時からだって、終るのは夕方か夜になると思うよ
深刻な話になりそうなところを、もう一人の医師が明るい声で、 「あなたは肝機能がとてもよい。検査のデータがいいのです。だから悪いところを切 さえすれば、あとは正常な肝臓がふくれてきて、正常に機能するのですよ」 と一一 = ロった。 大腸と肝臓を同時に切除するので、かなりの難手術になりそうだが、医療チームが 1 善を尽して努力するので、安心して任せてくたさいと、三人は口々に言った。 「それで、手術は成功したとして、あと、どのくらい生きていられるのでしようか」 答えを期待したわけではなかった。医師たちがどのような表現でわたしの余命を知 せるのか、それを試してみようという意識があった。医師たちが単なる外科的な手技亠 会得しているのでなく、生命に対する畏敬の念がどの程度あるのか、それが知りたか一 たのである。 「開けてみなければ分りませんが、そうですねえ、この病院では腸肝同時切除は三十亠 例あります。あなたは四十例目になります」 告知を絶対にしない方針なので、患者に病状を説明するとき、もっとも医師が緊張 る瞬間である。一つ一つ言葉を選び、決して癌ではないと患者に思いこませなくては らない。
「では、どうすればいいのでしようか。夫が亡くなったと言われても、臨終に立ち会っ たわけでも、死に顔を見たわけでもありません。もちろんお骨も拾っていません。悲し いけれど、今ひとっぴんとこないのです」 女医は途方にくれたという表情をした。 「困りましたねえ。この病院では経験したことのないケースです。病名の告知と手術、 そして御主人の死と、これほど重なれば、誰だってお手上げです。正直言って、神経内 科の領域ではありません。外科へは報告しますから、とりあえず病室にお帰りくださ と、気の毒そうに言った。わたしは再び車椅子に乗せられて病室に戻った。 医師たちの態度がなんとなくよそよそしくなった。わたしの手足の麻痺は自分たちの 責任範囲ではなく、患者自身の心身の深い痛手によるのが原因であると判明したからだ 痺 麻った。外科の領域には入らないのだ。 然外科は検査によって診断し、手術によって内臓を直接に見る。推測を一切排除して事 実のみを科学的に追求する。そのような医師たちにとって、人間の無意識下の不可思議 さなど、面倒なことを回避したいのは当然のことなのだろう。外科は人間の内的領域と は無縁な医学である。