言い - みる会図書館


検索対象: いのちと生きる
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1. いのちと生きる

Ⅷからこそ生存し得るのである。わたしは自分の生の根源にある生きものとしての本能を そのまま受け容れたい。本能と格闘してねじ伏せようとは願わない。本能をもふくめて わたし自身であるならば、そのまるごとを信頼しようと思う。 眠れないままに、輾転反側しながらそのようなことを考えていると、 「眠れないのかい」 と突然に隣のべッドから声がかカった 「あたしはね、子供を五人産み育て、孫も十三人いる。戦争中はとうちゃんが軍隊へ引 っ張られて、左官をして一家を養った。とうちゃんがシベリアから帰ってきたのは、昭 和二十五年だったからね。十年間、男に混って壁を塗ったのさ」 手術をまだ迷っている様子で、回診のたびに医師から説得されている。 「もう充分に生きたから痛いことはしたくないのさ。けれどねえ、医者がおかあさんを 救う道があると言って、家族をその気にさせたのさ。どうすればいいんだろうねえ」 そう言いながら深刻に悩んでいる様子もなく、すぐに寝入った。暗い大部屋には寝言、 歯ぎしり、いびきが飛び交い、その不協和音だけでわたしは眠れない。 神経を尖らせているのはわたし一人で、告知を受けているものと、受けていないもの との違いなのだろう、他の五人は生命の危機感などまったく感じていない。 もし病名を

2. いのちと生きる

院長の表情にためらいの色が浮んた。 「この際、楽観的な予測をして時機を遅らせたらたいへんなことになります。九十。ハ セントの確率で間違いありません。しつかりと覚悟を決めて、治療を受けましよう。治 療開始は一刻を争いますから」 やはりそうだったのか、間違いないとは悪い方の予測が当っていたのだ。戸塚院長は 慰める言葉もみつからないのか、黙ったままわたしに寄り添うようにべンチに腰掛けて 「先生、ありがとうございました。よく言ってくださいました。仕事をキャンセルする のも、治療の覚悟を決めるのも、病名を知らなければ未練が残ります。これからどうす るか自分で考えますー 一応はそう言ったが、無念の想いがこみ上げてきた。ホスビス建設が軌道に乗ろうと していて、院長とともにその完成をどれほど願ってきたか。だが、わたしはスタッフか ら外れなければならない。 肝 「診察中の患者を待たせているので、これで帰ります。あとのことはどのような相談に も乗りますからね。・ほくを頼りにしてくたさい。元気を出すのですよ 院長は桜町病院へ帰った。

3. いのちと生きる

143 えはじめ、咳きこみがひどくなり、薬で咳を止めると肝機能が弱り、多臓器不全の兆候 が見えてぎた。 「・ほくはこのとき、せめて兄姉だけには知らせた方がいいと思って、医者に相談したん た。まだ大丈夫と言うもんだから、その言葉を信じたばかりに、誰も間に合わなくて 次男の声が涙声になり、言葉が途切れた。 「もういいわ、ありがとう。あんたもたいへんだったのねえ。おとうさんをよく看取っ てくれて、ありがとう」 ようやくそう言って、わたしは毛布を頭からかぶり嗚咽した。 若き日の出会い 出 の 日 き「さあ、起きてみましよう。体を動かさなくては、腸が癒着して予後がよくないのです。 とにかく廊下を歩いてトイレヘ行ってください。少々、足がふらついてもかまいませ 回診の医師にそう言われて、わたしは点滴スタンドにすがりつくようにして、よろよ

4. いのちと生きる

相手によっては反応がさまざまで、病気のことを深く詮索せずに、こちらはなんとか するからと慰めてくれる人がいる。その反面、さし迫った予定をどうしてくれるかと、 わたしを強くなじる人もいる。主催者としては無理もない。途方にくれている様子が上 く分る。わたしは相手に対して頭を深く下げながら、言いわけをくり返した。 長女から電話が入った。午前中の便が満席で、正午過ぎのチケットがようやく取れた という。そして「とても重大なことだから、おかあさん、ちゃんと聞いてね」と言った 親しくしている家庭医に相談したら、べッドが空くまで待つような悠長なことをして はいけない、札幌の病院ならば何とかなるので、この際来てもらったらどうだろうか、 医療の水準は東京と変らず、人手が多いだけ有利であると。 北海道はわたしのふるさとである。そう聞いたとたん、生れ育った北海道の原野の風 の匂いや陽の光が脳裡をよぎった。あの豊かな大地が待っているような気さえした。 「先生から言われて考えたの。おかあさんの病気、皆で協力しなければ乗り切れない よ。わたしはうちの受験生も放って看病しようと決心していたけれど、おかあさんが利 幌に来てくれたら、わたしたちの生活の基盤を離れずにできそうなの。もちろんおかあ さんの気がすすまないなら、そんなこと考えなくてもいいのよ」 長女が信頼している家庭医は、肝臓に見える怪しい影、という情報だけで、仕事をさ

5. いのちと生きる

得できない思いにとらわれて髪が薄くなった助手席の夫を眺めた。そしてその思いをひ きずったまま、羽田空港に着いた。 待合ロビーは旅行者でごった返していた。楽しそうな家族連れ、幸福そうなカップル、 ビジネスマンらしいスーツ姿、旗を先頭に行列を組むツアー客。わたしと夫は並んでべ ンチに腰掛け、ただ・ほんやりと人々の群れを眺めていた。 これから先、自分の運命がどう変ってゆくのか、前途にどのような険しい道程が待っ ているのか、漠然とした不安のなかで二人は無言だった。話すことが詰まっているよう でも、いざ言葉にして口に出そうとすると、適切な言葉がみつからない。 「行ってまいります」 わたしはぎこちなく言った。夫は無言のままだった。 「手術のとき、来てね、札幌に来てねー 重ねてわたしは言った。それでも夫は無言だった。病気のことを口にするのが怖ろし 「熱海の皆さんによろしくね。わたしの病気のこと、絶対に言わないでねー もっとましな話題があるはずだ、と思いながら話題がみつからない。わたしが病名を 夫に告げた夜から、二人ともその話題を避けるようになっていた。

6. いのちと生きる

216 手術のため札幌に発つ前夜、私は重兼家に伺った。長男、長女の方が、母上を見守る ように座り、その二人を前にして、彼女は、いつもと変わらない明るさで、こう言った。 「私は病気とは戦いません。病気と自分では思えないけれど、こんなことになってみる と、私は、本当にいい家族に恵まれたと実感しているんです [ 彼女があの大きな手術を越えて生き抜けたのは、医療関係者の尽力はもとよりのこと であるが、この言葉に集約される二つのこと、「病気と戦わない、家族の支え」が、カ になっていたことは疑いもない。 「ガン細胞も身の内ですもの、仲良く共存して生きますよ」 ガンを宣告され、その宣告を否定したい気持ちがいつばいなのに、現実を受け入れよ うとする姿勢は初めから、彼女の中に揺るぎない力を与えていた。受け入れ難いものに 対して、「身の内」という感覚を持ち得たのは、彼女が一生を通して培ってきた「信頼ー の賜物であったろう。彼女は病を癒す秘訣をはからずもこう述べている。リンパ球が癌 細胞を殺してゆくシーンをイメージするとしたら、「わたしは異型細胞を憎むべき悪の 根源のようには描かないだろう。むしろ、いつのまにか正常細胞から似ても似つかぬか たちに変化した異型の、哀しみに充ちた表情を描くだろう。変化したとしても、元はわ たし自身の細胞なのである。それがどう変化したとしても、敵意を燃やしたり、憎悪を

7. いのちと生きる

眼の前に夫の蒼ざめた顔があった。わたしの攻撃から逃れるように小さくうなだれて いた。虚ろな眼を大きく見開いて、ロを軽く開けていた。なすすべもない凍りついたよ うな表情のままであった。 「おれは遺されるのかー 夫カ小さく申、こ。 「そうよ。わたし、もうすぐ死ぬの。あなたより先に死んでしまうの」 「診断は確かなのか、ほんとうなのか 夫は肩で大きく息をしている。恐怖に歪んだ顔で上眼遣いにわたしをみつめた。夫に とって遺されることがそれほど恐怖なのだろうか。先に逝くものの恐怖はどうなる。わ たしは夫の身を案じる余裕を失っていた。 「どうする、おれはどうしたらいい」 すがりつくように夫は言った。 この一大事にしつかりしてくださいよ、とわたしはロのなかで言った。うろたえる夫 の姿を見たくなかった。病名を告げたことを後悔しはじめていた。 「戸塚先生からくわしく聞いてください」 戸塚院長ならば上手に話してくれるだろうし、昨年まで隣り合わせに住んでいた気安

8. いのちと生きる

の付け根に栄養補給の点滴、そして脇腹に開けられた二カ所の傷口から、腹腔内の廃液 を出すための二本ずつのチ = ーブ、腕には輸血、そして尿管も : 病室のドアをそっと開けて、受持ちの医師が入ってきた。しばらくべッドの傍に立っ てわたしの様子をうかがい、脈を診た。もう一度盗み見るようにわたしの顔を見て、 「よかったですねえ、症状が安定してきました。これから日を追って恢復しますよ」 と一 = ロった。 「ありがとうございました。もう、どこも痛くありません。それにしても、この鼻のチ = ープだけでも抜いていただけませんか。うっとうしくてたまりません」 医師は、腸がもう少し動くようになってから抜きましようと言って、病室から出て行 入れ違いに、毎日わたしの看病のために病院に通ってくる長女と、その夫が入ってき た。二人とも血の気の失せた沈んだ顔色でべッドの傍に寄ってきた。 「先生がね、もう大丈夫と保証してくたさったの。ほんとうによくやってくれたわねえ、 もう心配ないからね、ありがとう わたしは長女夫婦に心からそう言った。 三日前、朝から手術室に入り、眼を覚ましたのは翌日の朝だった。長女夫婦とその子 っこ 0

9. いのちと生きる

供たちが傍にいて、かわるがわるわたしに声をかけた。 「悪いところをきれいに取ったからね」 「先生は手術が大成功だと言ってくださったからね」 「よくがんばったね」 一人一人の言葉が、実に新鮮に聞えた。痛いところはどこにもなかった。半醒の状態 で聞く家族一人一人の呼びかけが、まるで梢から梢へ渡りながら啼く小鳥の声のように 快く響いた。だがその声のなかに、心待ちにしている夫の声が聞えない。なぜ、と問い かけようとすると眠りのなかに引きこまれてゆき、覚めたり眠ったりしながら、術後の 三日間を過したのだった。 長女夫婦は沈んだ表情で黙っていた。 せ「もう、あれから三日経ったのよ。そんなに心配そうな顔をしないでね。もう大丈夫な 知んだからー 意わたしは長女夫婦を励ましたが、二人は肩を落してうなだれている。わたしの容態に 不 なにか思わしくない徴候が現れて、それを医師から聞かされたのだろうか。疑心暗鬼に なったわたしは、「先生からなにか言われたのーと尋ねた。 「あのねえ、おとうさんが :

10. いのちと生きる

「では、どうすればいいのでしようか。夫が亡くなったと言われても、臨終に立ち会っ たわけでも、死に顔を見たわけでもありません。もちろんお骨も拾っていません。悲し いけれど、今ひとっぴんとこないのです」 女医は途方にくれたという表情をした。 「困りましたねえ。この病院では経験したことのないケースです。病名の告知と手術、 そして御主人の死と、これほど重なれば、誰だってお手上げです。正直言って、神経内 科の領域ではありません。外科へは報告しますから、とりあえず病室にお帰りくださ と、気の毒そうに言った。わたしは再び車椅子に乗せられて病室に戻った。 医師たちの態度がなんとなくよそよそしくなった。わたしの手足の麻痺は自分たちの 責任範囲ではなく、患者自身の心身の深い痛手によるのが原因であると判明したからだ 痺 麻った。外科の領域には入らないのだ。 然外科は検査によって診断し、手術によって内臓を直接に見る。推測を一切排除して事 実のみを科学的に追求する。そのような医師たちにとって、人間の無意識下の不可思議 さなど、面倒なことを回避したいのは当然のことなのだろう。外科は人間の内的領域と は無縁な医学である。