食べ - みる会図書館


検索対象: いのちと生きる
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1. いのちと生きる

今日のすべての検査が終ったあとで、わたしは医師に呼ばれた。 「一週間後に、どなたかおうちの方と一緒に来てください、そのときお話しします」 人間ドックの結果を聞くだけですのに、どうしてわたし一人ではいけないのですか。 自分の体のことですから、わたしが知っていればよいと思うのですがー と言ったのだ。そのとき医師は迷ったような表情を浮べ、 「やはり、おうちの方に来ていただぎます」 と一 = ロった。 ちらっと不安がよぎったが、わたしは頭を振って不安を打ち消した。そして、メニ = ーを見ながら食べたい料理を選ぶことに没頭した。 運ばれてきた料理に口をつけた。意外に食欲がある。体に異変が起きたのであれば、 料理がおいしいはずがない。脂がたっぷりと含まれた肉料理を、これほどの食欲で食べ ることができる。体の底から活力が充ちてくる。デザートまでのフルコースを、わたし は少しの食欲のかげりもなく終えることができた。 食欲だけでなく、体は好調そのものである。肝臓の丸い影など忘れることにしよう。 健康であるという確かな実感を信じよう。 そう思ってわたしはレストランを出た。講演会の開催時間まで一時間の余裕があった。

2. いのちと生きる

たとき食べるのよ」 押しつけがましくないが、食べてもらいたいという期待をこめている。 病室に入ってきた医師が、 「今からおなかに穴を二つ開けます。腸間膜にたくさんの膿が溜っています。それを外 へ排出しなければ熱は下りません。開けた穴にドレーンをさしこんで、機械によって膿 を吸収しますー と言った。長女がわたしをみつめて深くうなずいている。とにかく生きてみようよ、 おなかになにが溜っているのか見て確かめてみようよ、今はそのことだけを思っていよ う。眼顔でそう言っている。 それまで抵抗の姿勢だったわたしが、医師の言葉にうなずくと、気が変らないうちに と器具を並べたワゴン車を押してきた。肩に注射を打たれ、左脇腹に局所麻酔を打たれ、 二つの穴が開けられた。 しばらくしてべッドの下に置かれた機械が洗濯機のような音を立てはじめた。眼に当 てられたガーゼを除けて顔を横に向け、機械の正体を探ろうとした。わたしの脇腹にさ しこまれたビニールの透明なチーブを伝って、血の混った黄色の膿が吸引されてゆく。 一定の間隔をおいて機械が作動するたびに、膿が絶え間なく吸引され、床に置かれた

3. いのちと生きる

て、それから家に帰った頃、じゃがいもの緑色の新芽が出ているよ。畑一面、緑色、そ のあと白い花が咲いて、とてもきれいだよ いいなあ、とわたしは思った。知らないことの幸せとは、このようなことなのだ。土 に根ざした農民の強さ、たくましさ。彼女が植えたじゃがいもの新芽が出る頃、その畑 にわたしも行ってみたい。北海道の肥沃な大地にわたしも接してみたい。 「奥さん、これ食べないかい」 畑で穫れたアス。ハラガスを粕漬けにしたと言って、盛んにすすめてくれる。手術の先 輩として同室の人たちが口々に経験談を話して欲しいとせがむ。 「ああ、痛くも苦しくもなくてぐっすり眠っている間にすんでしまうよ。悪いところさ え取ってしまったら、すぐにもとの生活に戻れるよ。じゃあ、急ぐからさよなら、月曜 日の朝戻ってくるからね。漬物をどっさりお土産に持って帰るからー そう言って彼女は病室から出て行った。 彼女の言葉に病室のムードが明るくなった。三回目の手術を控えていても、あれほど 元気だという思いが皆にも伝わって、元気を出そうと言い合っている。彼女の逞しさに 較べ、わたしは自分が文弱の徒であると思い知らされたようで、少々気恥かしい。

4. いのちと生きる

患者さんはお熱を計ってお待ちくださいーと声が聞える。 と 朝の光が射しはじめて、うとうととまどろみのなかにいる頃、「患者さんは : 声が聞えてくると、自分の身分が患者であることをあらためて自覚させられる。当り前 のことだけれど、起床時間、消灯時間、家族との面会時間、食事の時間まで、すべて時 間によって管理されている患者なのである。 そして、朝の採血がくる。多いときは十本の試験管が立ててあり、そのなかに端から 血液が採取されてゆく。採取された血液がどのような目的に使われるのかは、不明であ る。百項目にもわたる検査のために、毎朝のように採血しなければと、看護婦が血管に 注射針を刺しながら言う。 しばらくして検温と脈拍の記録にくる。食欲、便通、睡眠の状態、気分の良し悪しな どが記録される。自己申告なので申告しない限り、「著変なしーと記録され、訴えが少 なく手のかからない患者として印象づけられる。 わたしは良い患者を装うつもりはなかったが、ナースコールを押したことは、それま で一度もなかった。眠れない夜を過すこともあるが、昼間眠ればよいと思い、そのまま 眼を覚ましている。病院食が食べられなくても、別の食べもので補っている。 病院食が廊下の向うから台車で運ばれてくる。大部屋の六人のべッドは頭の方を壁際

5. いのちと生きる

ったく不明である。 病室に戻ると明日の注腸検査に備えて下剤をたつぶりと渡される。残滓の残らない掵 査食を食べさせられて、さらに下剤で追い打ちをかけられて、わたしの腸はまったく空 っぽの状態である。毎日面会に来る長女が、 「おかあさん、ぐったりしちゃって : つらいでしようが、手術までの関門だから ね」 と励ました。家庭料理を運んでくれるのだが、検査食のために食べることができない 向いのべッドの患者は胃の摘出手術後二週間経ているが、食べものを呑みこむとすぐ に大きな音を立てて吐いてしまう。吐いたあとも決して諦めないで、同じくらいの分帚 の食べものを再び呑みこむ。すぐに吐き、また食べる。 同室の患者たちは眉をひそめてその音とっき合うのだが、本人は気にかける様子もな 食べる努力をするようにとの医師の言葉を忠実に守って、洗面器に顔をつつこむよ うにして吐き、そして食べる。吐き出されない食べものがいくらか胃に残って、恢復に 役立つだろうと信じているようだ。すごい生命力である。 廊下側のべッドに四十三歳の患者が寝ている。この春、十八歳の長男が国立大学の入 試に、次男が名門の高校に合格した。そして三男も中高一貫教育の次男と同じ中学に合

6. いのちと生きる

112 わたしは四角の盆にのせられた病院食が眼に浮ぶ。限られた予算内で工夫をこらした病 院食だと知っていても、知っていることと食欲とは別である。 他の五人の患者たちの食べる姿を見ているだけで、わたしも食べなければと焦るのた。 体力をつけるために一口でも口に入れようと一応の努力を試みてみる。しかし、その努 力でさらに食欲は失われ、べッドテーブルの上に置いてある病院食が視野に入るだけで、 吐気をもよおしてくる。 わたしは家庭を営みはじめた時点から、食べさせるための努力もしつづけてきた。家 族の食べものを調整するのは、必然的にわたしの責任だったから、食べる、排泄する、 眠るという生きものの三原則を充たすために、何十年間も責任を果した。家族の一人一 人が独立し、三原則を自らの手で充たしめる力がつくまで、わたしは営々と食べものの 調整に力を尽してきた。 家族が独立して別世帯を持ち、老夫婦二人の家庭となってからも、食べものの調整の 責任はわたしにあった。すでに初老を越えた夫婦の老いの日々を健やかに保っために、 口に合う食事をつくり続けてきた。 完全絶食の指示によって、わたしは食べることすべてから解放されたのである。生れ 落ちたときから一刻の休みもなく動ぎ続けてきたわたしのなかの消化器も休むことを許

7. いのちと生きる

に向けて、三人ずっ向い合わせに寝ている。食事のときは起き上って、三人ずっ向い合 わせにべッドテー・フルの前に坐る。 テー・フルに運ばれてくる食事をそれそれ前にして、顔色の冴えない、同じ病衣を着た 女たちと顔を見合わせていると、わたしはそれだけで息が詰まりそうになり、持ってい た箸をそっと下に置く。話題は病気のこと、症状のことに集中し、自分の病気がいかに 重いかを競い合う感じすらある。 べッドの上の広さは一畳分、それだけが私的な空間なので、わたしはその場から逃げ ることができない。病気の話題は避けたいと思っても、向い合わせにお互いの顔を見て いる関係では、避けることができないのである。 わたしの念頭には、決して病名を口に出してはならないという制約がある。他の五人 の女たちは、昨夜は眠れなかった、とか、脚が痛い、胃が痛い、肩が凝るなどと口に食 べものを含みながら訴えるが、わたしはそのような話題のなかに入ってゆくことができ もったいないからおらが食べるよ。こちらに 「おくさん、そのご飯、食べないのかい。 よこしなよ 運ばれた病院食に手をつけることのできないわたしに、隣のべッドから声がかかる。

8. いのちと生きる

うところか。それにしても短い。覚悟を決めるには、短すぎる。四カ月くらい、すぐに 経ってしまう。 内視鏡の先端が大腸の曲り角に当るのか、かなり痛い。「痛い、痛い」と言ってみろ のだが、医師は無言のまま内視鏡を操作している。痛みのためにわたしの注意は腹部に 集中し、いつのまにか四カ月と数字に現されたイメージが、意識のなかから脱落してい 「さあ、フィニッシュですよ。あと少し我慢して」 内視鏡の先端がさらに深く突き進む感触がして、シャッター音が高く響いた。 検査を終えて医師が出て行ったあと、わたしは・ほうっとしてそのまま横たわってい 病棟看護婦が迎えに来るので、そのまま待つようにとの指示であった。検査の前に肩に 打たれた鎮痛剤がよく利いていて、酩酊したような気分である。 医師の言葉は実にさりげなかった。「今日のお昼、なに食べますか」「そうですねえ、 麺類が食べたいねえ、それともカレーの方がいいかな」という程度の、軽いやりとりだ ったのである。 「この夏が越せますか」「そうねえ、むずかしいかもしれないけれど、とにかくがんば りましようという会話の内容は、すでに日常会話の域を越えている。しかし、酩酊し

9. いのちと生きる

168 に置かれたガラス瓶の底の方に少しだけ溜る程度となった。医師は左脇腹の管を留置し たまま、十センチほど残して短く切った。 絶えず聞えていたパキュームの機械音は消えて、病室に静寂が戻ってきた。わたしの 体に装着された管は、鎖骨下の中心静脈栄養と左脇腹の二本の短い管のみとなった。管 によってがんじがらめになっていた状態から解放されてみると、生きている確かさがひ たひたと寄せてくる。 四種類の点滴薬の下ったスタンドを押して、わたしは廊下を歩く。床を踏みしめる足 に力が入り、足取りも軽やかだ。付添婦さんにすすめられて、地階の院内食堂へ入って みる。アイスクリームをベッドの上ではなく、大勢の人が談笑している食堂で食べた。 久しぶりに接した社会は活気に充ちている。人々は健康そうな血色で、よく食べ、よく 笑う。 突然の麻痺 手洗いに行くたびに、鏡のなかで向き合う顔にわたしは眼をそむけ、白髪混りの老醜 の表情をそっと盗み見る。体に恢復の兆しが見えはじめると、病人らしくなり下ってし

10. いのちと生きる

し、呼吸も苦しくないし、体がとても楽になったの。おなかが空いた、なにか食べた わたしは元気になったことを強調したくて、声に力を入れながらそう言った。二人は 蒼ざめた顔でうなだれていた。やがて顔を上げると二人は両側からわたしの手を握った。 握った手に力をこめて、 「おかあさん、しつかり聞いてくたさい と一言った。 夫の死の知らせがもたらされた。 羽田から発っとき、わたしはうしろを振り返ったのだった。いきなり振り返ったので、 夫はあげていた手のやり場がなくなり、すぐに照れくさそうにおろした。夫の精一杯の 愛情表現であることを、そのときわたしは感じ取っていた。武骨で、不器用で、わたし 儀に対する愛情表現など一度もしたことのなかった夫が、精一杯の別れの表現をしようと のしていたのだ。 なぜ、あのとき、もう一度わたしは振り返らなかったのだろう。な・せ、夫を安心させ るために、徴笑を返そうとしなかったのだろう。もう一度、別れのチャンスが与えられ るはずだ。それまで夫は待っていてくれる。わたしとの充分な別れをしないままで、消