生活を日記体で書いたものが、私の最初の小説である。 詩と評論中心のアカデミックな同人誌にはじめて載った小説は、もはや思い 出したくもない時代ということか、「いまさら戦争ものなんて : : : 」とくささ れ、「もう創作は掲載しない」などと同人の間では不評であったが、容子が読 んで、「泣けたわ」と一言だけ感想を言った。おかげで、私はくじけずにすん の なだ。もっとも、容子が私の小説を読んだのは、これが最初で最後であったよう は 君な。 『輸出』を書き上げると、「文學界」誌に投稿した。城山へ三月に引越したか そら、ペンネームは「城山一二郎」として。 本名の「杉浦英一ーのままでもよかったのだが、県下には杉浦姓が珍しくな みんべい く、たとえば、杉浦明平さんが既に作家として活躍しておられる。 そこへ、万々一、私が何かのはずみで打って出ることになっては、明平さん きゅうごしら が迷惑なさるかも知れぬなどと、大それた心配までして、ペンネームの急拵え。
学好き同士で勉強会を持ったら」と、すすめて下さったことがきっかけ。さい わい良い仲間四人を紹介して貰い、以後、日曜日の午後を潰しての読書会が始 まった。 お互いに、出身とか経歴とかに関係無しに、一冊のテキストについて、徹底 的に討論をしようというもので、会の名は「くれとす」。 の 文明の起源はギリシャ、それも文学が花と開いたのはクレタ島あたりとされ い ており、読書会を始めた頃には独立問題を抱えて、古い文明を持つけれど、い わば死火山ではなく、いっ爆発するかもしれない休火山。その「クレターは古 そ名をクレトスといったことからの命名であった。むろん戦後間もない当時のこ ととあって、仲間の誰ひとり行ったことのない土地だが、古代ギリシャに通じ るような響きもよく、目立たないながら火を燃やし続けるイメージにも惹かれ て、若い私たちは一も二もなく飛びついた。 はげ その名に恥じぬ水準かどうかはともかく、文学好き同士の烈しい会にしよう
猶予を返上し、七つボタンの制服への憧れもあって、海軍に志願し、少年兵と なった。待っていたのは、「大義」も何もなく、「人の嫌がる海軍に志願してく るバカがいる」と、朝から夜中まで、ただひたすら殴られ続けるだけの毎日。 戦後になると、その大義がまちがいであり、「あんなものを信じて海軍を志 願するとは、子供のように幼稚で低能だ」などと批判され、こちらは「戦争に の ひきようもの なも行かないで、何をこの卑怯者 ! ーと思うものの、論戦となると歯が立たない。 君そこから立ち直るのは一苦労であった。立ち直るために、ひたすら本を読んだ。 はいきょ 私は廃墟になって生きていた。私はすべてを疑うことから始め、すべてを自分 その手で作り直さなくてはならなかった。 救いは、戦後の空が、限りなく高く、広く、青いことだけであった。 私は、復員してからずっと、ひょっとすると今に至るまで、「はげしく人生 が終り、別の生を生きている」という思いにとらわれていた。自分を廃墟のよ うに感じていたが、そんな余生に似た人生の中で、私にとって、たしかなもの ゅうよ あこが
っ ( 。 この時代、酒呑みの行末は、癌か、脳卒中とされていた。 私の父は、後者。朝は、ウイスキー人りのコーヒーとも呼びにくい、コーヒ ーを浮かせたウイスキーで始まる。本番というか、昼と夜は日本酒。 身内や医者はもちろん、来客からも警告続出で、先行きの酒の人手に不安を の な感じたのか、折あらば家人の目を盗んで、酒屋へ寄っては買い出し、買い溜め。 君両手に酒壜を提げて帰ってくるところを、近所の人に見つかったが、 「こういうものを両手にぶら下げた方が、バランスがとれるもんでなも みとが 見咎められる前に、素早く自己弁護。 ほりごたっ このため、父親専用の掘炬燵はいつも十本を越す伏見の一升壜で囲まれてい そのせいというか、おかげというか、父は元気なままで、ある朝、不意に昇 天していた。甥によれば、亡くなる二日前まで酒屋に買い出しに行っていた由。 121 0 びん おい よし
も、ともかく私にしか書けない小説を書くためには、一刻も早く、この暖かな じゅばく 呪縛のようなものから脱け出さなくてはならぬ。それは分かっているのだが、 気の小さい私には、その気力も体力もない。 となると、唯一の退路というか活路は、名古屋を離れることしかなかった。 もちろん、妻子のある身で無職になるわけにはいかないので、文学そのもの の なですぐ食べて行くことは考えず、大学教師は続けよう。肝心なのは妻子を養う 君ことと、文学への情熱や初心を失わぬこと。とりあえず住まいを東京に移し、 私はそこから特急列車で勤務先の岡崎へ通えばよいのではーーと思いついた。 せつかちな私は、年の瀬にもかかわらずそれをすぐ行動に移した。 すわ 次に思い出すシーンは、東海道線三等車の窓枠に坐っている赤ん坊の姿。 それこそ小学唱歌ではないが、彼は「変わる景色の面白さ」に惹かれ、窓外 を見つめて動かない。 この先、何が起るのか、何が待っているのか。私そのものがよく分って居ら ゆいいっ
しか ためらわず、私は声を荒らげて叱りつけ、彼を廊下へ出した。 それでよかった。この教師がどう出るか。私とほぼ同年輩の学生たちは睹け でもしているみたいな感じであった。 もっとも、「景気論」などの講義はきちんとしたが、「学生指導」となるとこ かちらも若く、おぼっかない。学生たちと酒席でさしっさされつやっていると、 な同世代の友人たちと飲んでいる気分になって、つい度を過ごし、こちらが先に 君ダウンして学生に介抱されたり、家へ送り届けてもらったり。 いのち 学期末の三月には、危うく生命を落としかねぬ経験もした。 卒業する学生たちを囲んでの送別の宴でのこと。私の泳ぎ好きを知る学生に 「泳いで見せて下さい」と挑発され、私は酒の勢いもあって、料亭のすぐ前を やはぎがわ すごうがわ 流れる矢作川の支流 ( 菅生川 ) で泳ぐと言って、川へ走って行こうとした。「先 生、危ない ! 」と何人かの教え子が腕ずくで引きとめてくれたから助かったも 四のの、若い教師への反発もあってか、「面白いから、放っとけ、泳がせろ」と
父が遺してくれたもの 155 あふ かった。一瞬、涙が溢れたが、すぐに不思議と落ち着きが戻った。父の顔に のぞ 救われたのだ。額に手を添えながらしみじみ顔を覗き見ると、なんとも幸 そうな顔をしているではないか。こちらがふっと微笑みを返したくなるよ久 な、純心な子供のような安らいだ笑顔。しかし、これは間違いなく母への 顔だった。ちょっと斜め上空を向いたまま、ほっとしたような、嬉しそう さえ見える、不思議な死顔。兄も私も同時に思った。「お母さんが迎えに来イ くれたんだね」と。そして、心も体も、頬を伝った涙さえもじんわり温か / なった。 「お父さん、お母さんのこと探していたものね。きっとお母さんが、『あなた もういいですよ。この七年間よく頑張りましたね、お疲れ様』って迎えに来イ うなず くれたのよ」兄も、「うん、うんーと頷いてくれた。最後の最後まで優しい冖「 持ちを残してくれた父。「よかったねえ、お父さん。やっとお母さんの所に繹 けて」という一一一口葉が、思わず口をつく。不謹慎かもしれないが、これが本心。
城山さんと、それを知ろうとしない容子さんという、お互いに自分の立場を、いや 自分の領分を守って懸命にひた走る若い二人の未来にかけた美わしき姿勢が窺えて ほほえ 楽しく微笑ましい。 新人賞受賞後、作家としてさらに前進すべく、夏休みを妻と離れて一人で軽井沢 にこもり、懸命に書き上げた作品なのに、あっさりと「没」を宣言されたときの話 はまさに夫婦としてのお二人の終生にわたる互いのスタンスを象徴しているかのよ い かっ 0 く うで刮目すべき点だ。 齟〈二夏続けて家を空けて、収獲なしだったが、容子は、何ひとっ文句も質問も、ロ もにしなかった。 それも、深い考えや気づかいがあってのことというより、「とにかく食べて行け そ て、夫も満足しているから、それでいい」といった受けとめ方であり、おかげで私 は、これ以降も、アクセルを踏みこみながら、ゴーイング・マイ・ウェイを続けて 行くことができる、と思った〉 日常生活の雑事や世俗的なことは、感謝を込めて「。ハイロット・フィッシュ」と まいしん 名付けた容子さんにすべてを任せ、ご自分は思う存分理想とする作家生活に邁進し、 うる うカか
の身を案ずるというだけでなく、『城山三郎』という作家の側にいる者の責務 として、何より一読者としてお願いしているのです」と言うと、父は急に態度 を軟化させ、素直に折れてくれた。「そこまで言ってくれるなら」と。 や 実際、寝食を共にしてみると、改めて痩せ細った父の身体に胸が締めつけら れた。まさに骨と皮ほどになった薄い背中を流しながら、痛々しくて不覚にも の 涙が出そうになった。手を貸す度に、遠慮がちに「いいよ。悪いねえ」と一言う れ く父。互いに照れ屋で頑な父と娘。誰が二人のこのような姿を想像できただろう て 、カ 父 強固な心身を持っ父への敬愛が、いっしか慈愛へと化してゆく。親を子のよ うにいとおしいとさえ思う気持ち。命を感じながら生きるようになると、自ず と出てくる感謝の気持ち。そして再び崇高な尊敬の念が生まれてくる。 こぶしたた 幼い頃、庭の鉄棒に吊したサンドバッグに拳を叩き込み、心身を鍛えていた 下駄履き姿の父。健脚自慢で駅の階段を二段跳びし、母に注意されたと茶目っ 149 げた つる
説 解 167 うらや 埋没できた城山さん。羨ましさが猛然と湧いてくるほど素敵なカップリングではな うれ いか。安心して後方を妻に委ねて前線で懸命に後顧の愁いなく戦える夫。夫をさり 気ない気配りで明るく支える妻。お二人の幸せ感がひしひしと伝ってくる。 このように冒頭から本書にぐいぐいと引き込まれたのだが、一方で、僕は妙な違 和感といったものも感じたのだが、皆さんはどうだろうか。それは、率直に言えば、 城山さんらしくない、なんとも生々しい、表現は当ってないかもしれないが、剥き 出しの心を見せられた思いがしたからだ。言葉を替えれば、城山さんの筆致の特徴 はつらっ である、抑制された表現とは違った瀑剌さと活発さに戸惑った、というべきか。も っと言ってしまえば、手放しとも思える妻への熱き愛情物語の底抜けの率直さに目 まば が眩ゆくばちばちとしてしまったのだ。沈着冷静、もの静かでふだんあまり感情を 表に出さずに、鋭い眼差しで真実を見抜き、すべての物事に対処する。いっしか城 山さんの数々の作品を通じて心の中に出来上がっていたそうしたイメージが読み進 むほどに激しく初めのうちは揺らいだからだ。 しかし、そうした最初の驚きが、やがて爆発的な喜びへと変っていった。つまり ゆだ む