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検索対象: そうか、もう君はいないのか (新潮文庫)
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1. そうか、もう君はいないのか (新潮文庫)

投稿して二、三ヶ月たったある夜、文藝春秋社から「『文學界』新人賞に決 定しました」という電報が来た。 ふろ ちょうど私は風呂に人っており、容子が電報配達の男性に、 「シロヤマ ? うちにはそんな人いませんけど」 こた かと応えている声が聞こえた。あっと思っていたら、風呂の戸が開いて、容子 なが不審そうな顔つきで、 君「何か電報が来て、シロヤマサプロウって人がこの住所にいるはずだって言う んだけど、そんな人、聞いたことないわよねえ ? 容子は、私がそんな名前で小説を書いたことも知らなかったわけで、いくぶ ん呆れ顔になった。容子が確かめに来なければ、出版社も連絡のとりようがな く、「受賞者存在せず」ということになりかねなかったのでは。 喜びはともかく、容子を嘆かす事態は更に続いた。 文學界新人賞発表の翌夜のことである。中学時代の親友二人が「祝い酒を」

2. そうか、もう君はいないのか (新潮文庫)

あまり思い人れが強くならない方がいいですよ」などと、生意気にも余計なこ ようせい とを言ってしまったことがある。「天使」「妖精」が「天から落ちて来た」とい はず う表現は、父にとって本心だった筈なのに。 私が二人の出会いの話を聞いたのは、母が亡くなる半月ほど前、あまり体調 かが思わしくない筈の母本人の口からであった。今、話しておきたい、と思った なのか、母はとめどなく一気に話した。実は見合いではなく恋愛結婚であった、 君という事にも多少驚いたが、 「私の人生の中で一番ショックだったのは、。ハ。ハが三十代でガンの疑いがある って聞いた時 : : : 」 という一一一口葉は本当に衝撃だった。母性の固まりのような人で、常に子供の事 が一番と思われる人だったから。その言葉のあとは、 「もちろん、あなたたち子供の事も大事だけれど、やつばり。ハ。ハの事がねえ

3. そうか、もう君はいないのか (新潮文庫)

広さにどこか落ち着かない感じもする。体の重心を失いかねない心持がした。 桜の季節、同じような思いの容子が弁当を作り、私は洋酒の小瓶をポケット に人れて、二人でローカル線に乗って多摩動物公園へ出かけた。例によって、 動物好きな私は、青空の下で動物を眺めながら、酒でも呑んで気晴らしをする つもりで。 たしな な車中で酒をゆっくり嗜み、容子と並んで車窓からぼんやり桜を眺めていると、 君ふと心が空つぼになり、それまでの落ち着かぬ感じが消えて、静かで穏やかな 気分になっていくのを自覚した。 人生の一区切りがあって、夫婦二人になるという気分は、良くも悪くも、独 特なもの。しかし、いっか二人きりでいることにも慣れてしまえるが、やがて 永遠の別れがやってくる。 容子の死の翌年、私は『指揮官たちの特攻ーー幸福は花びらのごとく』を書 110

4. そうか、もう君はいないのか (新潮文庫)

Ⅷらぬ、踏み人れられぬ形で。喪主である筈の父に代わり、あれこれ手配を進め る私達に、「悪いねえ」と言いながらも、心はどこかに置かれたまま。形式的 とら にも、現実の出来事としても、母の死を捉えることは耐えられなかったのだろ う。メモ魔の父の手帳には、〃その日〃の空欄に、 「冴え返る青いシグナル妻は逝く」 の い とだけ記されていた。 い ついすみか 君その後、母との終の住処には帰れず、仕事場が父の住居と化してしまった。 もしばら 暫くして父の様子を見に仕事場に行くと、夕日の射す西側のカウンターの隅に、 見覚えのある小さな母の写真が置かれていた。父も気に人って遺影にしてもら った笑顔の母。きちんと写真立てに人れられ、両サイドにはどこから探してき たのか、一対の天使のろうそく立ても。さらにその前には、二人で乗った思い 出のオリエント急行の模型と、動物の置物が数点。どんな思いで、どんな顔を してしつらえたのか。父だけの祈りの場。誰にも邪魔されぬ所で、父は母との はず

5. そうか、もう君はいないのか (新潮文庫)

うそ という嘘の言い訳をしたこと。 中国の宴席らしく、度数の強い酒で乾杯しては、完全に飲み干しました さかずき よと盃の底を見せ合う。当時の上海市長など「四人組」と呼ばれた若手リーダ ーたちもいたのに、彼らも人っての献杯、返杯が延々と続く。 失礼かもしれぬが、私は嘘も方便と、「乾杯 ! ー「乾杯 ! 」の応酬から逃げた の なが、木下さんは私の分も、と思われたか、すべてを受けて立って、ついには音 君を立てて倒れてしまい、思い出しても申訳なさでいつばいになる。 もっとも翌日には元気を回復した木下さんは、私を連れて北京の庶民的な町 おうせい 〈。好奇心旺盛な木下さんは公式の案内だけでは物足りず、突然、「城山さん、 み 映画を観よう」と、私たちに付いた通訳や警備の人に無理を言って、身のこな しも素早く映画館に人った。場内は満員だったが、映画には日本軍の乱暴など も出てきて、通訳の人がたじろいだり、こちらも居たたまれなくなったり。 ちなみに毛沢東主席は、「揚子江に泳ぎに行って、残念ながら留守」とのこ

6. そうか、もう君はいないのか (新潮文庫)

恥にある大学に出かけるが、彼女には、商家の主婦としての生活も待ち構えてい こ 0 早朝に起きて、炊事。 お手伝いさんがいるとしても、住みこみの店員さんや職人さんの分も含め、 十何人分も用意しなくてはならない。 の な店員さんが五人ほどいて、さらに通勤の職人さんが毎日出人りする。残業が 君あり、深夜業も珍らしくなく、三食に加えて、夜食も用意しなくてはならぬし、 忙しいときには、容子もインテリアの作業を手伝わされたりもした。塗装など そに至るまで。 たいへんだったろうが、いま思い返しても、彼女がその辺の苦労を口にした ことはない。それも辛抱してというより、若かったし、多少、物珍らしさもあ はため ったようだ。ただ、愚痴こそこぼさないが、疲れていくのが、傍目にも明らか であった。

7. そうか、もう君はいないのか (新潮文庫)

新婚旅行の写真は、この一枚が残っているだけ。他は失くしてしまったのか、 それとも、その一枚しか撮らなかったのか。 私たち新婚夫婦の姿を、誰かに頼んで撮ってもらうこともなく、二人の写真 は残っていない。 か「まるで私、お猿さんと新婚旅行に行ったみたい」 い 後々まで、九州でのたった一枚の写真を見る度、彼女のつぶやきを聞かされ い 君ることになった。 「私もお猿さん仲間みたい」 「私を猿扱いにして、お気に人りなのね、 ュな′」 AJ 、も 0 うら 怨まれる結果になったが、そもそも別府へ行ったのが、温泉よりも猿見物の ためであり、彼女には不満かもしれぬが、動物好きの私には気に人りの構図の 写真であった。

8. そうか、もう君はいないのか (新潮文庫)

父が遺してくれたもの 145 も恵まれた頃で、二人の間には公私共に幸福でゆるやかな時が流れていた。 一九九九年十二月半ばのある晩、その日に限って母からではなく、父から鎌 倉の自宅に電話が人った。夕食の片付けの途中、濡れたままの手で取った受話 へいたん 器の向こうから、父の抑揚のない、平坦な声が聞こえてきた。「ママが倒れて、 〇〇病院に運ばれた。今、 ( 集中治療室 ) にいる」。私は夫に連絡をとる しわす と、娘に留守を頼み、一人茅ヶ崎へと向かった。師走の人混みや笑い声さえ無 機質に感じながら、賑やかな音や光をすり抜けるようにひたすら走った。青い 光が冴え冴えとする病院に着くと、父はの前の廊下で迷い子のようにポ ツンと一人、背を丸めて座っていた。 秋に判明したガンとの関係はわからぬが、医師は脳血栓と診断。心肺停止で 運ばれ、依然意識不明の状態で、九九。ハーセント一両日の命だと。仮りに一。、 ーセントの確率で命をとりとめたとしても、以後は植物状態のままでしよう、 にぎ

9. そうか、もう君はいないのか (新潮文庫)

それに、彼女自身が物珍らしさの対象にもなった。 たとえば、夜ふけ、ひとり人浴していると、浴室のまわりで小僧さんという おうせい か、住みこみの若い店員さんたちが好奇心旺盛に、 「あ、若奥さん、いま湯に人った」 「体を洗ってる ! 」 の ななどと、実況中継まがいの大きな声。 君恥ずかしくて、湯への出人りにも音を立てられず、洗うに洗えず、動けなく なった、と悲鳴をあげた。 いや、別のことでも容子は悲鳴をあげた。 私は愛知学芸大学商業科の専任講師であったが、英文科のスタッフたちと月 一回、文学書の勉強会を持つようになった。 豊橋市にある愛知大学の教授をしていた詩人の丸山薫さんの知遇を得、「文

10. そうか、もう君はいないのか (新潮文庫)

んであげ、他愛のないお喋りをする。そして、こういう時間ができるだけ長く 長く続くように、なにものかに祈る。そんなことしかできなかった。 二月に人ると、衰弱が目立つようになり、やがて起き上がれなくなって、モ ルヒネも使うようになった。ああ、もう別れるんだ、本当におしまいなんだ、 かと覚悟した。 きようねん な二〇〇〇年二月二十四日、杉浦容子、永眠。享年六十八。 は 君 あっという間の別れ、という感じが強い。 そ癌と分かってから四ヶ月、人院してから二ヶ月と少し。 四歳年上の夫としては、まさか容子が先に逝くなどとは、思いもしなかった。 もちろん、容子の死を受け人れるしかない、とは思うものの、彼女はもうい ないのかと、ときおり不思議な気分に襲われる。容子がいなくなってしまった 状態に、私はうまく慣れることができない。ふと、容子に話しかけようとして、 134 しゃべ