思い - みる会図書館


検索対象: そうか、もう君はいないのか (新潮文庫)
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1. そうか、もう君はいないのか (新潮文庫)

説の書き手だというイメージが定着するまで、その種の作品を書き続けるべき というのである。 小説は小説であって、社会小説とか経済小説とかレッテルが必要なのは面白 くない、という思いは私にあったが、「作家も多いのだから、イメージを定着 かさせるのが大事」という編集者の言葉も当然のことなのかも知れなかった。 な当然のことかも知れぬが、何か冷ややかな感じもし、それならそれで、なぜ 君出かける前に一一一一一口言ってくれなかったのかと、うらめしくもあった。 没になったため、もちろん原稿料も入らなかった。学界と文壇の違いはあっ そても、新人への風の冷たさに、変わりはなかった。 二夏続けて家を空けて、収獲なしだったが、容子は、何ひとっ文句も質問も、 口にしなかった。 それも、深い考えや気づかいがあってのことというより、「とにかく食べて 行けて、夫も満足しているから、それでいい」といった受けとめ方であり、お

2. そうか、もう君はいないのか (新潮文庫)

Ⅷらぬ、踏み人れられぬ形で。喪主である筈の父に代わり、あれこれ手配を進め る私達に、「悪いねえ」と言いながらも、心はどこかに置かれたまま。形式的 とら にも、現実の出来事としても、母の死を捉えることは耐えられなかったのだろ う。メモ魔の父の手帳には、〃その日〃の空欄に、 「冴え返る青いシグナル妻は逝く」 の い とだけ記されていた。 い ついすみか 君その後、母との終の住処には帰れず、仕事場が父の住居と化してしまった。 もしばら 暫くして父の様子を見に仕事場に行くと、夕日の射す西側のカウンターの隅に、 見覚えのある小さな母の写真が置かれていた。父も気に人って遺影にしてもら った笑顔の母。きちんと写真立てに人れられ、両サイドにはどこから探してき たのか、一対の天使のろうそく立ても。さらにその前には、二人で乗った思い 出のオリエント急行の模型と、動物の置物が数点。どんな思いで、どんな顔を してしつらえたのか。父だけの祈りの場。誰にも邪魔されぬ所で、父は母との はず

3. そうか、もう君はいないのか (新潮文庫)

分であった。 他人については描写したことがあっても、私自身には、何の心用意もできて 居らず、ただ緊張するばかりであった。 長い時間、あれこれと悩んだだけで、何の答えも出せずにいると、私の部屋 に通じるエレベーターの音がし、聞きなれた彼女の靴音が。 の うたごえ こぶし な緊張し、拳を握りしめるような思いでいる私の耳に、しかし、彼女の唄声が 君聞こえてきた。 こちらがこんなに心配しているというのに、鼻唄うたって来るなんて、何と あき そいうのんきなーーと、私は呆れ、また腹も立ったが、高らかといっていいその 唄声がはっきり耳に届いたとき、苦笑とともに、私の緊張は肩すかしを食わさ れた。 私なども知っているポピュラーなメロディに自分の歌詞を乗せて、容子は唄 っていた。 126

4. そうか、もう君はいないのか (新潮文庫)

んであげ、他愛のないお喋りをする。そして、こういう時間ができるだけ長く 長く続くように、なにものかに祈る。そんなことしかできなかった。 二月に人ると、衰弱が目立つようになり、やがて起き上がれなくなって、モ ルヒネも使うようになった。ああ、もう別れるんだ、本当におしまいなんだ、 かと覚悟した。 きようねん な二〇〇〇年二月二十四日、杉浦容子、永眠。享年六十八。 は 君 あっという間の別れ、という感じが強い。 そ癌と分かってから四ヶ月、人院してから二ヶ月と少し。 四歳年上の夫としては、まさか容子が先に逝くなどとは、思いもしなかった。 もちろん、容子の死を受け人れるしかない、とは思うものの、彼女はもうい ないのかと、ときおり不思議な気分に襲われる。容子がいなくなってしまった 状態に、私はうまく慣れることができない。ふと、容子に話しかけようとして、 134 しゃべ

5. そうか、もう君はいないのか (新潮文庫)

とは何であろうか、とぼんやり考えはじめた。はげしく生き、そして死んでし まった者たちに代って、私は、何ができ、どう生きればいいのだろう。私は大 じゅばく 義の呪縛からいかにして自分自身を回復して行けるのだろうか。 やがて私は、そうした問いかけに対して、小説という形で答えようと決めた。 か話を旧に戻す。 い 天使かと思ったほどであったから、「彼女を伴侶に」というのは、当時の私 い 君にとって、かけがえのない大きな夢であった。 もともと私は単純というか、思いつめるタイプなのに、戦後はじめて燃え上 たた そがった思いを、たちまち叩き消されたのだから、たいへんなショックを受けた はず。 ところが、そんなに長いあいだ、深いショックに沈み込んでいたという覚え がないし、その種のメモも日記も残していない。 我ながら不思議な気がするが、ふりかえってみれば、私はまだ在学中の身で

6. そうか、もう君はいないのか (新潮文庫)

113 りやめに。 それから何年も経って。 『指揮官たちの特攻ーー幸福は花びらのごとく』の取材で、容子とカナダのヴ アンクーヴァーへ行き、そこで私は水上機に乗った。その数ヶ月後、容子は亡 かくなった。 い 約束は、約束した相手が亡くなれば、まあ無効。 い かん 君私はハワイで、もう一度、水上機に乗り、こっそり操縦桿を握らせてももら った。飛行機操縦の夢も果たせたわけである。 帰国して、登場人物について、あれこれ思いをめぐらせていたとき、容子が 死んでみて分かったことだが、死んだ人もたいへんだけど、残された人もたい へんなんじゃないか、という考えが浮かんだ。理不尽な死であればあるほど、 遺族の悲しみは消えないし、後遺症も残る。そんなところから、少しの時間で も結婚生活を送って、愛し合った記憶を持っ夫婦を描けないかと思った。夫婦

7. そうか、もう君はいないのか (新潮文庫)

『彼も人の子ナポレオン』を書いている時はナポレオンが出てきたし、『落 こうき 日燃ゅ』の時なら広田弘毅が、という具合。『指揮官たちの特攻』の時は、自 なかつるたつお せきゅきお 分が中津留達雄大尉か関行男大尉になっているのか、あるいは戦時中の私と年 の変わらぬ少年兵になったのか、何度も特攻機に乗って敵艦めがけて突っ込ん で行く夢を見て、その度に大量の冷汗をかき、叫ぶような思いで目覚めたもの の なであった。 君そして、容子も夢に出てきた。 しかし彼女の場合は、他の人たちと違って、書き上げないと、化けて出て来 そそうな気もする。 あわ もともと私は慌て者というか、すでに何度も書いたように、せつかちな人間 だが、それでいて、腰を上げるまでには、時間がかかる。人見知りをするし、 出不精なせいもある。

8. そうか、もう君はいないのか (新潮文庫)

所の小学校勤務の女教師が住みこみ、その二階ならーーということであった。 あさまさんれい やや心外という感じもあったが、浅間山嶺をのぞんで見晴らしはよく、何よ り静かであった。とにかく、ここで中篇を一本書き上げねばならない。 私は準備してきたテーマに取り組んだが、もともと筆がおそいため、そまっ うな な机に向かって唸り続け、一月近くかかって、ようやく、まとめ上げた。 の かぎも なタイトルは『鍵守り男』。 君学歴で劣る会社員が、事務職というより、警備員の助手のように扱われ、複 雑な思いの日々を送るーー・という話である。 夏が終わり、いったん東京へ戻った私は、その足で受賞第一作を編集部に届 けたが、次の日には、電話があって、「没」。 うらぶれた中年男の話などは、幾つもあって、新鮮味がない。そうではなく て、『輸出』の延長上の新しいタイプの社会小説を、と注文がついた。 経済小説という呼び名が既にあったかどうか、いずれにせよ、新しい社会小

9. そうか、もう君はいないのか (新潮文庫)

うそ という嘘の言い訳をしたこと。 中国の宴席らしく、度数の強い酒で乾杯しては、完全に飲み干しました さかずき よと盃の底を見せ合う。当時の上海市長など「四人組」と呼ばれた若手リーダ ーたちもいたのに、彼らも人っての献杯、返杯が延々と続く。 失礼かもしれぬが、私は嘘も方便と、「乾杯 ! ー「乾杯 ! 」の応酬から逃げた の なが、木下さんは私の分も、と思われたか、すべてを受けて立って、ついには音 君を立てて倒れてしまい、思い出しても申訳なさでいつばいになる。 もっとも翌日には元気を回復した木下さんは、私を連れて北京の庶民的な町 おうせい 〈。好奇心旺盛な木下さんは公式の案内だけでは物足りず、突然、「城山さん、 み 映画を観よう」と、私たちに付いた通訳や警備の人に無理を言って、身のこな しも素早く映画館に人った。場内は満員だったが、映画には日本軍の乱暴など も出てきて、通訳の人がたじろいだり、こちらも居たたまれなくなったり。 ちなみに毛沢東主席は、「揚子江に泳ぎに行って、残念ながら留守」とのこ

10. そうか、もう君はいないのか (新潮文庫)

気たつぶりに話す父。眼光鋭く資料を見つめ、じっと考え込む書斎の父。思い よみがえ 出の父が次々に甦る。そして、目の前には老いた父。 こうして、メンバーは代われど、かって自宅から仕事場へ通っていた頃の生 活が再開した。父と歩く仕事場までの散歩道。ほころびかけた梅のつぼみ。芽 か吹きはじめた木々、草花。春を求めてさえずる野鳥たち。どれもが温かく幸せ なに感じられた。すべての命がいとおしい。こんな思いになれたのも、父からの 君最後のプレゼントだったかもしれない。 正直、この間、私の全神経は二十四時間父に向けられ、心身共に休まること そはなかった。なのに、心の中は今までにない温もりで満たされていた。「しん どいーのに「ありがたい」。大変だと思いつつ、今は親孝行をさせてもらって いるのだ、という不思議な感覚。 そんな早春のある朝、ソフアに座ったままの父が動かない。手にはペンを握 ったまま。明らかに様子がおかしい。熱もある。しかし、父は「大丈夫だよ。 150