「助けてエ : : アベさん : ・ : ・」 何とも凄い絶叫だった。 「蛇よ、蛇 : : : 天井から落ちて来たのよウ ! 」 そういう間に蛇はゆっくり渦を解き、赤い舌をヒラヒラさせながらズルズルと壁際の テープルの下に這い込んで行った。アベさんは、なに蛇 ? よし、すぐに行く、といっ たそうだが、なかなか来ない。アベさんの店からここまでは車で五分とかからないのに。 漸く車が上って来た。漁師の大久保さんと一緒だ。しらが混りの無精髭に埋もれた、 アベさんより首ひとつ大きい大久保さんは米の空袋を持って入って来て、 「どこだい、蛇は」 悠然というのが頼もしい。アベさんの来るのが遅かったのは、 ( 「よし、すぐに行く」 坊 といった割には ) 大久保さんを呼びに行っていたからだ。大久保さんはかがんでテープ ん ルの下を覗いていたが、間もなく蛇の尻尾と頭を掴んで立ち上った。掴んだ蛇を我々の ん 方へ突き出す。へつびり腰で覗いていたアベさん、私、娘、孫、一斉に 竜「ヒャアー 大久保さん、蛇を首に巻きつけてみせる。我々、また、
「ヒャア , あとずさ と後退り。 ひや 「冷っこくてキモチいいよ」 と大久保さんは調子に乗る。 「蛇は殺さないでよ、お願い。どこかへ逃がしてね」 「これがマムシなら、マムシ酒にするんだがな」 「やめて ! 」 と娘。大久保さんは凱旋将軍のように帰って行った。 その後、私はつくづく天井を見上げて考えた。この部屋にはいわゆる天井板というも のがない。屋根裏の板を縦横にタル木で押えてあるという粗つばい天井だ。いったい一 メートルもある蛇はどこで丸まっていたのだろう ? タル木の幅はせいぜい八センチく らいである。その上では長くなっていなければならないから、落ちて来る時は長いまま で落ちるだろう。だが蛇は丸まって落ちて来たのだ。娘はそれをハッキリ見たという。 何しろ娘のまん前に上から降って来たのだ。見間違うわけがない。
が来る。ェイトマンは腕組みをして考え、 「そういうわけなら、ひとっ盛大に祭りをやるべか」という。 「けど祭りするといったら神主も呼ばなきゃならねえし、金がかかるといっていやがる 者もいるべさ」 「竜神は漁師の神さまだから、オレらはカンケイねえって、商店はいうべさ」 問題はお祭りをすることではないのだ。まず掃除だ。そして謝ることなのだ、と私は 「まずあのガラクタを片づけることから始めたらどうなの」 と娘はイライラしている。 「わたし、片づけて来るわ」 響子さんはしなくていい」 ん ししいいたって、天井から蛇に落ちて来られるのはこっちなんだから、と娘はブップ ん 、竜神さんの社へ片づけに行った。私は家へ帰って仕事をしている。やがて娘が 竜戻って来た。大久保さんやアベさんも来て、そのへんのガラクタをやっと片づけたとい う。しかし片づけたとはいっても「これは捨てるわけにやいかねえべ、祭りの時に使う
162 べさ」と、湯呑や皿小鉢は片隅の棚に並べ、「ストープも捨てられねえな」と、灯油の ポリ容器と一緒に神前に並んでいるという。 翌日私は古神道の泰斗であられる—先生に指図を仰ぎ、洗米、清水、塩、清酒を用意 し、アベさん、大久保さん、エイトマンに山口さん ( は鮭の密漁監視に出なければなら ないので代理として ) の小学生の孫三人とばあさんを従えて竜神さんの社へ行った。ご 神体である鼠色の、いっかひっくり返って割れた時に修繕したセメントの筋が入ってい る大石の前に正座して、おもむろにいう。 「では二礼して四ひら手を打って下さい」 一同神妙にお辞儀。パチ、バチ、。ハチ、。ハチ。 「謹んで白八大竜王神さまに申し上げます。長い年月、この集落をお守りいただいてお りましたのに、このところご無礼を重ね、八大竜王神さまをないがしろにしておりました なにとぞ こと、東栄集落を代表して心からお詫び申し上げます。何卒お許し下さいまして、尚こ の後東栄集落の繁栄と安泰をお守り下さいますよう、重ねてお願い申し上げます : : : 」 後日、東京の友達にこの話をすると、みんなふき出して、 「なんであなたがそんなことしなくちゃならないのよ、村長でもないのに :
我が老後 4 な こそ 文春文庫 IIIIIIIIII II 懶川引Ⅱ川 9 7 8 4 1 6 7 4 5 0 0 6 9 そして、こうなった佐藤愛子 我が老後 4 白内障手術後に目を酷使してシジ ミのような目になるわ、神経性脱 毛症になるわ、さんざんな日々。 「リコンしたおじいちゃんのこと、 アイしてた ? 」と孫に聞かれてあ わてたある日、その本人が訪ねて モーレッ愛子さんの過 きて・・ 激て、愉快な、、我が老後、、シリーズ 第 4 弾。お腹の底から笑い、そし て勇気がわいてくる傑作工ッセイ。 著者紹介 佐藤愛子 ( さとう・あいこ ) 大正 12 年大阪生まれ。甲南高女卒 業。戦後、「文芸首都」の同人とな り、小説を書き始める。昭和 44 年 「戦いすんて、日カれて」て、第 61 回 直本賞を、昭和 54 年「幸福の絵」 て女流文を受賞。ューモアに いろどられた世相風刺と、人生の 哀歓を描く小説や工ッセイは多く の読者のこころをつかむ。父の作 家・佐藤紅緑、異母兄のサトウハ チローを始め、佐藤家の人々の凄 絶な生の姿を描いた大河小説「血 脈」の完成により、平成 12 年第 48 回菊池寛賞を受けた。 佐藤愛子の本 我が老後 なんでこうなるの我が老後 2 だからこうなるの我が老後 3 あの世の話 G 工原啓之・共著 ) そして、こうなった我が老後 4 1 9 2 0 1 9 5 0 0 4 4 8 7 佐藤愛子 さ 18 6 I S B N 4 ー 1 6 ー 7 4 5 0 0 6 - 2 C 0 1 9 5 \ 4 4 8 E 定価 ( 本体 448 円 + 税 ) 文春文庫 さ 6 18 文春文庫 文春文庫 イラスト・市川興一 デザイン・大久保明子 448 文春文庫 十税