明「編物をドアの外に置いて帰ってしまったといってカンカンに怒ったと母はいいまし ェイ、も , っー じれったいねえ。お前はオウムか ! お前さん、これは自分のことで しようが。自分のことなら私なんかに相談して来るよりも、その時の様子をもっと詳し く知ろうとするもんじゃないのンー ・ ( 例によって短気の虫がモゾモゾと動き出す ) だが彼女はいった。か細い声で。 「黙って編物を置いて帰ったのは礼儀知らず、非常識な人間だと思われたのでしよう 「いろんな考え方があるんですよっ。カンカンに怒ったというだけじゃ判断がっかない のよっ ! 」 という私の声には、ついに怒気が籠る。 彼女の手紙を見て彼はこう思った。シメシメ、シメコのウサギと。何しろ四十三 の独身だ。女ズレしているか、それとも飢えてるか。いずれにせよ心ひそかにほくそ笑 み、今夜のイツ。ハツを楽しみにいそいそとカーテンを開けた。そうして彼女が来た後の 手順などを考えて待つうちに、次第に劣情が昂まってくるのは健康な男の自然というも
それをテレポート ( 瞬間移動 ) というのだそうだ。何しろ竜神は怒っている。だから 瞬間移動させるにも力が入っている。蛇が落ちて来た時の「ドッシーン ! 」というあの 地響にはただならぬものがあったと思う。 とるものもとりあえず私と娘はアベさんの所へ行った。かくかくしかじかと話す。 「ふーん、あの蛇、竜神さんに飛ばされて来たってかい」 どうもそんな口調でいわれると、話がうさん臭い趣になる。アベさんは暢気にいった。 「いやあびつくりしたなあ。電話かかって来て響子さんがいきなり、アベさん助けてエ っていうんだもんな。強盗でも来たかと思ったけど先生が強盗に負けるわけないもんな。 何だべと思ってよ。そしたら蛇だアっていうんだもんなあ : : : 」 それか 竜神さんは怒っておられるのである。私はここでアベさんに仰天してほしい。 んら心配して、解決策を考える姿勢になってほしい。だがアベさんは「アベさん、助けて ェ」の娘の電話が大いに気に入ったらしく、そればかりくり返す。そこへ山口さんがや って来た。話を聞いて、いつものニコニコ顔が真面目になり、 竜「あの竜神さんはうちのヒイじいさんが祀ったんだ。その頃は社はなくて道端に立って たのさ。それがいつの間にかひっくり返ってたんだよ。それに気がっかないでいたもん
「思い出した ! 『寸前ミイラ』か『ミイラ寸則』か、どっちがいいやろ , つって、この 人、真剣に脳んでるのよね。どっちでも同じゃというたら、怒ってからに、いや違う、 渾名はこういう微妙な点が大切なんやというて」 私は全く思い出せない。 「それでどっちに決ったん ? 『寸前ミイラ』 ? 『ミイラ寸前』 「『寸前ミイラ』になったのよ。『ミイラ寸前』はわかり易いけど、その分、説明的なの 力いかんとかい , って」 ずいぶんつまらないことを憶えてる人だ。 「それからほら、憶えてる ? 痩せてチビの貧相なおっさんが、大きなおにぎり食べて たの」 「いたいた : : : アイちゃんがこういうたのよ、おにぎりの中に梅干か何か入ってるのか 曲 のと思たら何も入ってない。ただの麦入りむすびのあんな大きいやつをおかずなしで三ロ 乙で食べたというて、えらい感心して : : : これぞ日本の底力です、とかいうて」 「何の底カか知らんけど、そういうことをいうのが好きやったわねえ、この人 : : : 」
るが如くサッチーの話になった。 「わたくし、テレビ見てて印象に残ったのは、どこかの駅の構内でサッチーを追いかけ てるカメラマンに向って、彼女がいってるんですよ。『もうよしなさいよ。あなただっ てこんなことはほんとはしたくないんじゃないの』って。そうしたらカメラマンが、 『子供を食べさせなきゃならないんで』と答えてるんです。わたくしその時、佐藤先生 を思い出したんです。これを見て先生はなんてお怒りになるかと : 「いやもう、怒りませんよ。笑うだけよ」 実際、今の世の中、もう笑っているよりしようがないのだ。 「そうしたらサッチーは『この人、かわいいのね』っていいましてね。『しつかり育て なさいよ』といってさっさと行ってしまいました。いったいこの構図って何なんでしょ 気鋭の女史らしくいうことが凝っている。 女 「何なんでしよう ? 」と丸い目を瞠られてもねえ : ・ : ・。要するに正直という美徳をまと え どった気概も見栄も捨てた男が出て来たということじゃないのか。それに比して駅や道端 でサッチーを追って質問を浴びせかける若い女性レポーターのあの勇猛さはどうだ。あ みは
口々にいった。 「どんな顔してやってたの。顔が見たかったわね」 「しかもご神体はセメントで修繕してある石」 じゃよ、 「後ろに並んでるのが子供三人にエイトマンにばあさんってところが、しし オし」 しかし私はあくまで真剣だったのだ。この真面目、常に真剣勝負。そこが竜神さんに 信頼されるゆえんかもしれない。 娘は竜神さんの社の中のストープやポリ容器や食器のたぐいを収納する小さな物入れ 小屋を寄附したいと考えた。アベさんに電話すると、 ししよ。いらないよ、 「物入れってかいししょ 、らね」 という。ケチの娘がそんなことを考えるのはよくよくの気持なのだ。 坊「アベさんはいらね、 ししいいっていってるよ」 怒というと娘はプリプリしていった。 「我々で何とかする、ちゃんとやるからいらねえっていうのならいいよ。ストープやな 竜んか神前に置いといて、 、らねはないでしよ。蛇、飛ばされるのはこっちな のよう ! 」
と先生の声が感激にうち慄えれば、生徒の私もその慄える声に感動して涙がジンワリ と湧いたのであった。 モト亭と袂を分って三十年。私はモト亭の悪口を書いては稼ぎ、モト亭はその原稿料 をかすめ取るべく策を練っては出撃して来た。彼は「肉を切らせて骨を断っ」という戦 略を用いて私に対し、私はといえば肉を切ることに夢中になって戦略が見抜けず、「あ んなに働いて、ケチケチしても、どうしてこれつばちしかお金がないの ? 」と娘にいわ れている。 だがすべては遠く流れ去って行った日々だ。 ひるげ 「両将昼食共にして なおも尽きせぬ物語 『われに愛する良馬あり 今日の記念に献ずべし』」 と、ステッセルは乃木大将に深い友情を示したらしいが、ここには「愛する良馬」な んてどこにもおらぬ。第一、どっちがステッセルでどっちが乃木大将か、まずこれを決 めるのがなかなかにむつかしいのである。 ふる
こで慌てて竜神を祀ると、それからは崖が崩れることはなくなった。竜神の祭りを忘れ るでない、と漁師たちの先祖は戒めを残しているのである。 もしかしたら、竜神さんは憤怒しておられるのではないか ? 竜神さんはすぐ怒るん だよな、怒りつばいんだよな、というばかりで、この集落の人心は竜神さんから離れて しまった。竜神の社の荒れよう、汚れよう。鳥居は錆びたヤスリのよう。社の中には去 年の祭りの残骸ーー汚れた茶碗やコップや箸や、干からびたお供えなどがそのままにな 竜神さんの堪忍袋の緒は切れかけているのではないのか ? もしかしたら「我輩は憤 怒しておる」という印をいろいろと見せているのかもしれないのだが、今はそれに気づ く人もいない。何をしてもピンとこない。たまりかねた竜神は、かくなる上は丘の上の んサトウのばあさんにサインを送るしかないと考えて、青大将を投げ込んだのでは ? : : : 怒私は真剣にそう考えた。 ん 神
と怒ることになるだろう。それがわかっているから私は何もいわない。 ところでこの頃、民放では一般人を出演させてコメンテーターが意見をいう番組作り がはやっているようである。身の上話あり、相談あり、人探しありというあんばいだ。 なぜ出演するのか意図不明だが、いかに自分が男を手玉にとったか、いかに子供を虐め たかというようなことを ( 顔は見えないようにして ) しゃべる番組もある。 その中のひとつ「鬼看護婦の巻」では、植物人間になった患者を寝返りさせるのが重 いからといって脚で蹴ったり、深夜の急患を勝手に断るというような再現フィルムが流 され、鬼看護婦その人がコメンテーターに向って「でもみんなやってるんです」とか、 「ストレス解消のため」などと返答したために、放映中から視聴者の怒りと抗議の電話 が百本近くも鳴りつづけたという。 活再現フィルムというやつはどうもキナ臭い。多分これはヤラセだろうなあと思うが、 神どのへんがフィクションでどのあたりが本当だろうかと考える。鬼看護婦の受け答えが 耡妙にふてぶてしいのが、リアリティに欠けると田 5 ったり、いや、今はこういう女が出て きている時代かもしれないと思い直したり、まことにテレビは私にとって社会相を知る
と思わず笑うのではないか ? ・ : 」と喜ぶか。誰が嗟嘆し、誰 「やつばりあの人は : : : 」と嗟嘆するか、「さすがア : が笑うか、喜ぶか、を想像していると、つい本当にそうなってみたい気がしてくる。 はたち かえり 省みれば七十五年の我が人生、二十までは蝶よ花よと育てられ、この幸福は一生つづ くと自他共に信じていたが、二十の結婚を境にドンデン返し、逆落しになった。以来一 ひしめ 年として安泰はなく、大事件小事件が犇いて、「あんたんとこ、一週間会わないと、何 か起きてるわね」とよく友達からいわれたものである。幸せに倦んだ友達は、 「どうしてる ? 何か起きてない ? 」 と楽しみに訊いてくる。連続テレビドラマのスイッチを入れるという気分なのであっ 考えてみると、こけつまろびつの我が人生は必ずしも人から強いられて ( あるいは不 、したいよ 可抗力で ) そうなったわけではないようである。すべていいたいことをいし さが うに突進する我が性のためである。ひと頃は私の人生、「なんでこうなるの」と思って ようや 、こが、そのうち漸く反省して「だからこうなるの」と思い到るようになった。そう田 5 し到りはしたが、だからといって、「だからこ , っしましよう」と改める気にはなかなか っ ) 0
「きィーみィーがアーあアーよオおオはア どうも気勢が上らぬではないか。 「ちイよオにイイイ やアちイよオにイ さアギ、アれエー」 。しくらひと 活力溢れる明快なテンボ、いやが上にも元気が出るテキの国歌の前でよ、、 息入れて、 「、イしイのオー」 と声をはり上げても太刀うち出来ぬのではないか。第一、腕ふり上げて歌うにも、ど こでふり上げればいいのかわからない。君が代を歌う時の日本国民の常として、直立、 伏目、重々しい気分になってしまうのである。唯一、救いがあるとしたら、あんまり間 が抜けているのでテキはびつくりして黙ってしまうかもしれないことだけである。 こんな君が代観を話していると、 「佐藤さんってそんなに君が代が嫌いだったんですか。意外ねえ」 と私は新聞記者の友人からいわれた。