と思わず笑うのではないか ? ・ : 」と喜ぶか。誰が嗟嘆し、誰 「やつばりあの人は : : : 」と嗟嘆するか、「さすがア : が笑うか、喜ぶか、を想像していると、つい本当にそうなってみたい気がしてくる。 はたち かえり 省みれば七十五年の我が人生、二十までは蝶よ花よと育てられ、この幸福は一生つづ くと自他共に信じていたが、二十の結婚を境にドンデン返し、逆落しになった。以来一 ひしめ 年として安泰はなく、大事件小事件が犇いて、「あんたんとこ、一週間会わないと、何 か起きてるわね」とよく友達からいわれたものである。幸せに倦んだ友達は、 「どうしてる ? 何か起きてない ? 」 と楽しみに訊いてくる。連続テレビドラマのスイッチを入れるという気分なのであっ 考えてみると、こけつまろびつの我が人生は必ずしも人から強いられて ( あるいは不 、したいよ 可抗力で ) そうなったわけではないようである。すべていいたいことをいし さが うに突進する我が性のためである。ひと頃は私の人生、「なんでこうなるの」と思って ようや 、こが、そのうち漸く反省して「だからこうなるの」と思い到るようになった。そう田 5 し到りはしたが、だからといって、「だからこ , っしましよう」と改める気にはなかなか っ ) 0
142 それも全く憶えていない。同じ時間を共有していても、思い出の形というものは人に よって違うものであることがよくわかった。 それにしてもあの若い兵士はどうなっただろう。生き永らえたとしたら、八十くらい はくせき やろね、とアメ玉の友はいった。八十 ? あの白皙の兵士が八十 ! ああ私もずいぶん長く生きてきたものだと感慨を催すのはこういう時である。もしか したら彼の思い出の中にもあの夏のガタガタ汽車でナイフを借りに来た「愛くるしい女 学生」の姿が残っていて、あの子、どうしてるかなあ、空襲で死んだかなあ、生きてい れば七十五、六だろうなあ、と懐かしみ、会ってみたいが、いや会わない方がいい、 いたくない。あの愛くるしい女学生がどんなになっているか、想うだけでも怖ろしい : そう思っていることだろう。いや、ごもっとも。当方もまったく、同感です。
Ⅷ「七十六。せやから喜寿ですがな。こういうことはほんまの年に一つ足しますねん。 違いおません。喜寿です」 「そうかしらん。けど誰もそんなこというてへんわ。京都だけ、そんな数え方するのと ちがうの」 「いいや、全国的に七十六は喜寿ですねん」 としつこい。そんなことどっちでもええがな、もう、と ったとしてもそれがどないしたというねん。 思えば七十歳の古稀の時、私はこんな句を詠んでいる。 秋晴や古稀とはいえど稀でなし 喜寿といわれた今の心境はこうだ。 秋晴や喜寿とはいえどどうてことなし いいたかった。たとえ喜寿や
は去り、あとはケロリとして暫くは穏やかな日がつづく どうもまだ死にそうにない。それならそれで仕方ない。カラ元気を出して生きつづけ るしかないと心を決めた。しかし今の世清、どこからどう見ても暗澹とするばかり、神 一尸の「少年」とやらの少年少女惨殺事件を皮切りに、ヾ ノスジャック、リンチ殺人、耳 殺ぎ、暴走族の暴行殺人、今朝の新聞には高校生の男女が会社員の両耳を安全ピンで刺 し、 ( それにしてもなんで安全ピンなんだろう ? 安全ピンで耳たぶを二つ折にして止 めたのか。どんなふうに刺したのか。そういうことを新聞はきちんと報道してくれなけ れば ) 大怪我をさせたと報じている。 「バスジャックの時、もしママが乗り合せてたら完全に殺されてるね」 しわでものこと と娘はいう。私もそう思う。私のように老いても血気にはやる者は、、 を口走ったりして、真先に殺されているだろう。自分が殺されるだけならまだいいが、 る 「あのババアが余計なこといいやがったから」 て という理由で、隣席の人までやられないとは限らないのである。それを思うと滅多な まことはいえない。 ことなかれ主義に徹するしかないのである。ことなかれ主義の人生を 長生きしなければならないのなら、 いっそ犯人と刺し違えて死んだ方がマシだ。だが娘
188 昨日も高校卒業後、専門学校に入ったが一年足らずで辞めてアルバイトを転々として きたという女性の相談が載っていた。仕事につく時は長く勤めようと思うがすぐに疲れ、 職場の人に悪口をいわれたりするともういやになってしまう 。パソコン教室、カルチャ ー教室などに通ったが、どっちも資格を取れずに終った。仕事だけでなく趣味や人間関 係にも飽きつばく、い つもその場限りの楽しいことで気を紛らせている。そんな私はや つばり甘ったれた我儘娘なのでしようか、という相談者は二十九歳の独身女性である。 , っとしわ ~ こういう相談にはどう答えればいいのか、私には何の答えも浮かばない。い ら、「しつかりせえ、あんた、年ナンポや ! 」と怒鳴るだけである。 さて回答ゃいかにと目を転じると、数学者の藤原正彦先生の回答は、 「その通り、あなたは甘ったれの我儘者なのです」 のつけからそういい切っているのが嬉しい。 「何かをしたいと思って始めても、ちょっといやなことや苦しいことがあるとすぐにや めてしまうというのではどうしようもありません。恐らく親にいやな手伝いを強制され たり、何かをしたいという自由を侵害されたりすることなど殆どないまま甘やかされて 育ったため、忍耐出来ない人間になってしまったのでしよう」 ( 全く同感。その通り )
つらつら思うに、今こそ「その時がきた」というべき時ではないのか。三十年前の 『その時がきた』の中で、私は女主人公にこんな台詞をいわせている。 「なぜ私があなたを愛してはいけないの ? 私のような年の女が、あなたのような青年 を愛するのは恥かしいことだとでもいうの ? 醜悪 ? 」 いやア、若かったなあ。てれくさいねえ。 いったいどんな顔をして書いていたんだろ 私にはもう、どうサカダチしてもあんな情熱的な小説は書けない。「若気のいたり」 としかい一んないよ , つな : と、ここまで書きながら私は思わず、 「痛ててて : ・・ : 」 と叫んだ。このところ右手の指が四本とも曲りにくくなっていて、字を書くために無 色 理に曲げていると手首が痛くなってきて、あまりの痛さに万年筆をほうり出してしまう のである。指は万年筆を握っていた形に曲ったまま固まっていて伸ばせない。無理に伸 ばそうと努力していると、突然、ピン , ピン ! とバネのように弾んで伸びるのが けんしようえん ( 何という痛さ ! ) ゼンマイ仕掛の人形のよう。これは腱鞘炎特有の「バネ指」という
「今年も相変わらず、卒業式で君が代を歌う歌わないが問題になってるけど、佐藤さん は否定組だったんですね」 いやあ : : : そう直線的に結論づけられても」 と我ながら歯切れ悪く答える。 「私はただ、あのメロディは困るなあと思っているだけで : : : 」 「じゃあ、起立して歌うほう ? 」 「いやあ、歌うのはどうも、あんまり気は進まないけれど、でも」 「でも ? なんです ? 」 新聞記者という人たちはどうしてこう、結論を急いで白か黒かと詰め寄るのだろう。 我が友ながら殆ど習性になっている。 いうならば私にとっての君が代は「落ちぶれた親類の伯父さん」という趣なのだ。こ 仲の伯父さんは昔、何やかやと問題のあった人で、伯母さんや身内に苦労をかけたかもし れないけれど、だからといってそう喧嘩腰で虐めることはないという気持である。 「どうもねえ、昔は人に利用されてばっかり、今はポロクソ。気の毒だけど、バッとし ない人だねえ」
「ねえ、おかしいと思わない ? 蛇はいったいどこにいたのか。普通の天井なら天井裏 にいたといえるけど、この天井には裏がないんだもの。ねえ、ふしぎだと思わない ? 」 私は娘にい、、 、アベさんにいった。たまたま訪ねて来た不動寺の和尚さん にも話した。 「それはナンじゃな。この電燈のコードを伝うて降りて来て、そんでからに落ちたんじ ゃな と和尚さんはい , つ。 「でもコードを伝ってたら長くなって落ちる筈でしよう。丸まって落ちてきたんです 「ふーん、そうか」 ん「おかしいと思いません ? 」 怒「うーん : ・・ : しかし、コードじゃな。コードを伝うてたんじゃな」 「ですからね、コードを伝っていたとしたらですね。落ちながら丸まったというわけで 竜すか : 体操の選手じゃないんだよ、まったく。何のために蛇が落ちながら丸まるんだ。
モヤなんてもんじゃない。行かぬ先から腹を決めてかからねばならないのである。 だが腹を決めているから噴火しないかというとそうではないのだった。ある日本海側 の町では朝の八時に家を出て夜の九時に家へ帰り着くというスケジュールを平気で組ん でくるし、最後の町では講演日の三日前になっても電車の切符を送ってこない。問い合 せをしたら速達で来たが、見るとグリーン車ではない。人を何と思うか。私は七十五の ハアサンだそ。しかもへトへトの。 ( あんた、自分の親だったらどうする ? ) しかし相 手は平然といった。 「当県ではグリーン車は出さないという規定になっておりますんで」 それならそうと早くいったらどうなんだ。それがわかっていれば自分で切符くらい買 うよ ! 出発はもう明日だ。急いで交通公社へ走ったら水曜日のこととて休んでいる。 噴火につぐ噴火のさなかにクリントンが来日してテレビ出演した。その時の「一般市 里民との討論」の場で大阪の主婦が質問したことが評判になっていることを知ったのは、 狐噴火疲れで寝込んでいる時である。 「モニカさんの件でお聞きしたいんです。ヒラリー夫人と娘さんにどのように謝らはっ
天井から落ちて来た蛇を見て私が竜神さんを思い出したのはそういうことがあったか らなのである。更に考えるとその前の日、私はアベさんと焼肉を食べながらこの夏は昆 布は二日しか採れなかったし、水温が高くて魚もいない、集落は散々だ、というような 話を聞き、ふと思いついてこういったのだ。 「アベさん、それは竜神さんをほったらかしにしてるからじゃないの。竜神さんの社は 汚いの汚くないのって、まるで物置きじゃないの。竜神さんは怒ってもうこの集落を守 らなくなってるんじゃない ? 」 「そうだべか : とアベさんはいったが、話はそれきりになった。その夜中、娘の部屋 ( 例のザラザラ ズーの部屋 ) の雨戸に突然、ドッカーン ! と何か大きなものがぶつかるものすごい音 がした。しかし我が家族は多少の奇怪な物音など、屁とも思わぬ修練を積んでいるから 怒娘はそのまま眠りつづけ、翌朝になって思い出し、 「あの音、何だったのかなア」 竜と暢気にいっただけだった。天井から蛇が降って来たのはそれから数刻後の昼前であ る。