新聞記者 - みる会図書館


検索対象: そして、こうなった
34件見つかりました。

1. そして、こうなった

ような人間は病気になってしまう。喧嘩は私の健康法なのです。 森首相はもしかしたら私のような人物なのかもしれない。およそおかまいなしのお方 のようで、「ひとがどう思う」ということは頭にないらしい。政治記者が国会の廊下な どにまつわりついて質問をすると、こんな所でしゃべれるか、うるさいな、などと怒っ て記者たちににくまれ、今回の「神の国」騒動でも新聞の風当りが強いのは、そんなこ とも起因している、としたり顔にいっている人がいたが、頭の中に考えごとがいつ。し 詰っている時にどうでもいいようなことを質問されると「 , つるさいツー つわもの くなるだろう。これが海千山千の強者ならばアタマに来ていても気ぶりにも出さず、機 智やおとばけをもって何とかイナすのであろうが、単細胞の森さんや私にはそんな芸当 は出来ない。「政治家の資質がない」と非難されるのは、まさにその通りで、だから私 は政治家にならないが、 森さんはなった。政治家なんかおよしなさい、村の熱血青年団 る 長になればよかったのにと私は思う。 て 「神の国」発一言以来、野党はこそって森タタキに狂奔している。「この発想はかっての 大日本帝国憲法に近い。国民主権の現在の憲法を正面から否定する話だ。アジア諸国に 与える影響を心配せざるを得ぬ」と民主党鳩山代表はアノ目を光らせて批判した、と朝

2. そして、こうなった

それはさておいて、アベさんの話に戻ろう。 「ゆんべスカンクが死んだ夢、見たんだよ」 「死んだ夢 ! 」 「そうだ。死んだんだ。なぜだか知らないけど死んでるのさ」 アベさんはあっさりいった。 「それで先生がこっちへ来てるんだよ。スカンクの死骸を剥製にするんだってね。その 剥製を九百八十万で買うって人が現れたんだ。誰だと思う ? 」 知らんよ、そんなこと。こっちはプーのことを思い出さされただけで胸が潰れている のだ。 「それが森光子なのさ」 アベさんはいっこ。 「あの人が買うっていうんだ。部屋の飾りにしますって、新聞記者にしゃべってるんだ。 先生が一千万というのを二十万値切ったんだよ。森光子は」 プーがいなくならなければ、ルドはここで飼われることはなかったのである。プーの せんせ

3. そして、こうなった

「今年も相変わらず、卒業式で君が代を歌う歌わないが問題になってるけど、佐藤さん は否定組だったんですね」 いやあ : : : そう直線的に結論づけられても」 と我ながら歯切れ悪く答える。 「私はただ、あのメロディは困るなあと思っているだけで : : : 」 「じゃあ、起立して歌うほう ? 」 「いやあ、歌うのはどうも、あんまり気は進まないけれど、でも」 「でも ? なんです ? 」 新聞記者という人たちはどうしてこう、結論を急いで白か黒かと詰め寄るのだろう。 我が友ながら殆ど習性になっている。 いうならば私にとっての君が代は「落ちぶれた親類の伯父さん」という趣なのだ。こ 仲の伯父さんは昔、何やかやと問題のあった人で、伯母さんや身内に苦労をかけたかもし れないけれど、だからといってそう喧嘩腰で虐めることはないという気持である。 「どうもねえ、昔は人に利用されてばっかり、今はポロクソ。気の毒だけど、バッとし ない人だねえ」

4. そして、こうなった

「きィーみィーがアーあアーよオおオはア どうも気勢が上らぬではないか。 「ちイよオにイイイ やアちイよオにイ さアギ、アれエー」 。しくらひと 活力溢れる明快なテンボ、いやが上にも元気が出るテキの国歌の前でよ、、 息入れて、 「、イしイのオー」 と声をはり上げても太刀うち出来ぬのではないか。第一、腕ふり上げて歌うにも、ど こでふり上げればいいのかわからない。君が代を歌う時の日本国民の常として、直立、 伏目、重々しい気分になってしまうのである。唯一、救いがあるとしたら、あんまり間 が抜けているのでテキはびつくりして黙ってしまうかもしれないことだけである。 こんな君が代観を話していると、 「佐藤さんってそんなに君が代が嫌いだったんですか。意外ねえ」 と私は新聞記者の友人からいわれた。

5. そして、こうなった

間から聞えてきた君が代の歌声を耳にすると、瞬間、蛮刀をほうり出して不動の姿勢を とった。それッというのでインドネシアの兵士たちは彼に飛びかかり、抵抗するのを押 え込んだ。この日本兵は日本人ではなく、志願兵として義勇隊の一員になった台湾原住 たかさ′ ) 民、高砂族の一人だったのだ。 その彼が君が代を耳にした途端に不動の姿勢をとったということに私は何ともいえな い、悲しくいとしく辛い、そうしてしみじみと親しみ深い感動を覚えてしまうのである。 だが新聞記者の友人はこの話を聞いていった。 「コワイわねえ。教育って : : : 」 そしていった。 「こんな悲劇をいつばい作ったのよ、君が代と日の丸は」 だからそういう悲劇の詰った君が代と日の丸を、我々は否定しなくてはいけないのだ 仲そうである。 「なるほどねえ」 君としか私はいえない。躍起になってそれを否定したからといって、今はフヌケになり しいたいけれど。 果てた日本に何が生れるんだ、と、

6. そして、こうなった

( ) 内は解説者 辻静雄 新聞記者から転身、あべの辻調理師専門宀子校を設立しフランス 料理の研究、普及に尽力した辻静雄がつづった、料理の楽しみ方 料理に「究極」なし からフランス料理研究の粋にいたる著者最後のエッセイ論集。 土屋賢ニ 愛ってなんぼのものか ? あなたも禁煙をやめられる、老化の われ笑う、ゆえにわれあり楽しみ方、超好意的女性論序説などなど、人間について世界に ついて徹底的に考察したお笑い哲学工ッセイ。 ( 柴門ふみ ) ナ 土屋賢ニ 「わたしのギョーザをとって食べた人へ」「妻への詫び状」「論よ 2 談われ大いに笑う、ゆえにわれ笑うりだんご」など、諸事万端、ユーモアとアイロニー溢れる切り ロで論じたお笑い哲学工ッセイ集第一一弾。 ( 木村晋介 ) ナ 】イ 土屋賢ニ 「大学の塀は何のためにあるか」「それでも美人になりたいか」 文 「人間はなぜ笑うか」など、森羅万象すべてを笑いに巻き込む、 ~ 人間は笑う葦である " 笑う哲学者。の爆笑 = ーモアェッセイ集第三弾。 ( 森博嗣 ) ナ 土屋賢ニ 「革命的超整理法」「才能は早く摘み取れ」「女の論証テクニッ ク」「英単語記」など摩訶不思議 ( ? ) な論理で身近な事柄を ッチャの軽はずみ 哲学する、お笑い哲学者の週刊文春融ッセイ。 ( 中井貴惠 ) ナ 土屋賢ニ 悔いのない人生はあるか、人に信用されるにはどうすればいい 5 かなど、あらゆる難問に明快な答えと笑いを提出しつつ、失敗 棚から哲学 と悔悟の日々を送る、ツチャ教授の週刊文春爆笑ェッセイ。 あし - つ一 10 ー 1

7. そして、こうなった

228 日新聞は報じ、 ( もっとも「アノ目云々」とは書いてないが ) 野党、 ( 産経新聞を除く ) 情報メディアはこそって首相失格を叫んで揃い踏み。 そんな騒動の中、当の森さんはどうかというと、一向にやつれた気配もなく、何かの 集りで「神」と「紙」をかけて、暢気なしゃれをいっていたという新聞記事もあり、 じめッ子がよってたかって虐めても、このいじめられッ子は一向にこたえていないよう なのであった。 森さんの発言の要旨は「神様であれ仏様であれ、天照大神、神武天皇、親鸞聖人さん、 日蓮さんであれ、宗教は自分の心に宿る文化であるからそれを大事にしよう」という占 にあり、それに私は全く同感である。今の少年少女の荒廃は「怖れ畏む」存在が日本人 から失われていることに原因があると前々から考えていたのだ。 しことをいっているのだ。だが八方に目を配ることを忘れて、無頓着にし 森さんはい、 ゃべってしまうのがいけない。 ( と私がいうのはおかしいが ) 野中幹事長、青木官房長 官らがいかに閉ロし、困惑したかはこの私にもよくわかる。殴りつけたいのを我慢して 一所懸命に擁護に奮闘している折しも、 「また舌禍また絶句 かし、一

8. そして、こうなった

は去り、あとはケロリとして暫くは穏やかな日がつづく どうもまだ死にそうにない。それならそれで仕方ない。カラ元気を出して生きつづけ るしかないと心を決めた。しかし今の世清、どこからどう見ても暗澹とするばかり、神 一尸の「少年」とやらの少年少女惨殺事件を皮切りに、ヾ ノスジャック、リンチ殺人、耳 殺ぎ、暴走族の暴行殺人、今朝の新聞には高校生の男女が会社員の両耳を安全ピンで刺 し、 ( それにしてもなんで安全ピンなんだろう ? 安全ピンで耳たぶを二つ折にして止 めたのか。どんなふうに刺したのか。そういうことを新聞はきちんと報道してくれなけ れば ) 大怪我をさせたと報じている。 「バスジャックの時、もしママが乗り合せてたら完全に殺されてるね」 しわでものこと と娘はいう。私もそう思う。私のように老いても血気にはやる者は、、 を口走ったりして、真先に殺されているだろう。自分が殺されるだけならまだいいが、 る 「あのババアが余計なこといいやがったから」 て という理由で、隣席の人までやられないとは限らないのである。それを思うと滅多な まことはいえない。 ことなかれ主義に徹するしかないのである。ことなかれ主義の人生を 長生きしなければならないのなら、 いっそ犯人と刺し違えて死んだ方がマシだ。だが娘

9. そして、こうなった

「そうしよ、そうしよ、遠藤さんのオゴ : : : 」 「リ」、という間もなく、「ワリカンや ! 」ときめられてしまったあの年、彼は死んでし まった。あれからもう七年も経つのか。古くからの大切な友達が櫛の歯の欠けるように ( というのも古い比喩だが ) 死んで行く。 逝く人はぬくし残りし者の寒さかな だ。今は死んで行った人を悼むよりも、羨ましいという心境になっている。どう考え ても今は向うの世界の方が賑やかで面白そうだ。 「なにやっとるんだ、サトくんは。まだ生きとんのか」 と遠藤さんがいえば、川上宗薫は、 モ「しかしなあ、愛子サンが来るとなあ : : : またうるさくなるからなア」 こら ~ といい、菊村到さんはいつも歯イタを怺えているようなあの顔で笑っている 本この秋には私が最も信頼し、私の死後はこの人にすべてを托すつもりでいた池田敦子 さん ( 元週刊読売記者だった ) に先立たれた。私よりも七歳年下の池田さんに逝かれた

10. そして、こうなった

たんかお聞きしたいんです。それからね、私やったらね、許されへんわとか思うんです よ。でもあのお二人は本当にね、許して下さったんですか」 と主婦はいったという。 クリントンは隣りのオッサンじゃないのだ。大統領を隣りのオッサン並にあっかうの が民主主義だといいたいのか。呆れたことにはこの質問がアメリカで好意的に報道され、 他の国でも報道されて喝采されているという。更に呆れたことは朝日新聞「天声人語」 までが「明快な質問内容とはっきりした自分の主張」だと褒め上げているのだ。 そんたく ああ日本人、どうなっちゃったんだ。かって我々の美徳であった礼節と忖度の心はど こへ行った。非礼を非礼とも思わぬ無智、人を人と思わぬ非常識。 「クリントンの内輪の事情、それがいったいあんたにとって何やというねン ! 」 それが十一月の最後の噴火だった。 ひさめ 窓に十二月の氷雨が降っている。私は呆然と見ている。私のマグマは出尽した。