こで慌てて竜神を祀ると、それからは崖が崩れることはなくなった。竜神の祭りを忘れ るでない、と漁師たちの先祖は戒めを残しているのである。 もしかしたら、竜神さんは憤怒しておられるのではないか ? 竜神さんはすぐ怒るん だよな、怒りつばいんだよな、というばかりで、この集落の人心は竜神さんから離れて しまった。竜神の社の荒れよう、汚れよう。鳥居は錆びたヤスリのよう。社の中には去 年の祭りの残骸ーー汚れた茶碗やコップや箸や、干からびたお供えなどがそのままにな 竜神さんの堪忍袋の緒は切れかけているのではないのか ? もしかしたら「我輩は憤 怒しておる」という印をいろいろと見せているのかもしれないのだが、今はそれに気づ く人もいない。何をしてもピンとこない。たまりかねた竜神は、かくなる上は丘の上の んサトウのばあさんにサインを送るしかないと考えて、青大将を投げ込んだのでは ? : : : 怒私は真剣にそう考えた。 ん 神
158 早速私はかねてから信頼している霊能者のさんに電話をした。かくかくしかじかと 、、終らぬ , っちに、 「お察しの通りですね」 とさんはいった。竜神はもう百年以上もこの集落を守って来たにもかかわらず、 人々はその恩を忘れ目先の損得のみを考えて竜神をおろそかにしている。竜神は今やキ レかけていて、最後の手段に出た。これがラストチャンスーーと思って蛇をプン投げた。 これで気がっかなければ、アバョだ ! そんな気持であるという。 「竜神は我慢の緒が切れると、そうか、そんな気か、わかった、そんならこっちも好き にするよとさっさと離れて行くタチでしてね。その点、お稲荷さんはいつまでも執念深 く怨んでいて仕返しをするんですが」 ということであった。なるほど、ずいぶん私に似ているんだなあ、もしかしたら竜神 きようだいぶん さんは私を兄妹分と思ってるのかもしれない。何かというと私のところへやってくる。 さんはいっこ。 「一番可哀そうなのは蛇ですよ。そのへんの野原で気持よくトグロを巻いていたんでし よう。それをいきなり投げ飛ばされたんですから」
「どうだかね」 アベさんはいっこ。 「ともかく、竜神と決めたんだべさ」 ともかくその石は竜神となった。集落の外れの山裾にこの石ーーーっまりご神体を立て、 その前でカンカン帽をかぶり紋つきを着た数人の漁師たちが威儀を正している写真が社 の壁に懸っている。昔は社はなく、野ざらしだったらしい 山口のヒイじいさんは竜神さんのお祀りを熱心に行ったということである。そのうち ヒイじいさんは死んでじいさんの代になった頃のこと、毎日のように昆布採りの舟がひ つくり返って怪我をしたり溺れたりする者が続出し、それが一週間もつづいた。さすが に暢気な浜の者もこりや普通じゃないべ、といい合うようになったある日、竜神さんが 坊 ひっくり返ったままになっていることに山口のじいさんが気がついた。そこで慌てて竜 ん 神さんを起し、ヒビ割れをセメントでくつつけたりして立て直したら浜はびたりと鎮ま 竜そんな話を山口さんから私は聞いている。 「竜神さんはすぐ怒るんだよな」
天井から落ちて来た蛇を見て私が竜神さんを思い出したのはそういうことがあったか らなのである。更に考えるとその前の日、私はアベさんと焼肉を食べながらこの夏は昆 布は二日しか採れなかったし、水温が高くて魚もいない、集落は散々だ、というような 話を聞き、ふと思いついてこういったのだ。 「アベさん、それは竜神さんをほったらかしにしてるからじゃないの。竜神さんの社は 汚いの汚くないのって、まるで物置きじゃないの。竜神さんは怒ってもうこの集落を守 らなくなってるんじゃない ? 」 「そうだべか : とアベさんはいったが、話はそれきりになった。その夜中、娘の部屋 ( 例のザラザラ ズーの部屋 ) の雨戸に突然、ドッカーン ! と何か大きなものがぶつかるものすごい音 がした。しかし我が家族は多少の奇怪な物音など、屁とも思わぬ修練を積んでいるから 怒娘はそのまま眠りつづけ、翌朝になって思い出し、 「あの音、何だったのかなア」 竜と暢気にいっただけだった。天井から蛇が降って来たのはそれから数刻後の昼前であ る。
「怒りつばいんだよな」 とその時、居合せた漁師もいっていた。 昔むかしこの集落の外れは切り立った崖になっていて、その上に大きな沼があった。 「その沼は無気味な静けさの中に横たわり、水の色は青葉のかげが映っているかと思わ れるくらい緑の色が濃かった。底知れぬこの沼の底は、地獄の道に続いているかと思わ れて覗き見るのも怖ろしいほどであった」 と町史のロ碑伝説にある。その沼に竜神が住んでいて、「わしはこの沼の主である」 と独り呟いて漁師たちが祀るのを待っていた。だが一向にその気配がない。そこで竜神 は暴れ出した。緑色の水を波立てかき廻したので沼の水は溢れ地盤がゆるんで崖は崩れ、 道路は土砂に埋もれた。だが漁師たちは、 「どしてこの崖はこう年中崩れるんだア ? 」 これでもか、これでもわからんか、と竜神は暴れ と不思議がるばかりで何もしない。 そんなある日、一人の漁師が夢を見た。竜神が現れて祀らなければもっと暴れるぞ、 と怒ったのだ。彼がその話をすると同じような夢を見たという者が四人も出て来た。そ る。
それをテレポート ( 瞬間移動 ) というのだそうだ。何しろ竜神は怒っている。だから 瞬間移動させるにも力が入っている。蛇が落ちて来た時の「ドッシーン ! 」というあの 地響にはただならぬものがあったと思う。 とるものもとりあえず私と娘はアベさんの所へ行った。かくかくしかじかと話す。 「ふーん、あの蛇、竜神さんに飛ばされて来たってかい」 どうもそんな口調でいわれると、話がうさん臭い趣になる。アベさんは暢気にいった。 「いやあびつくりしたなあ。電話かかって来て響子さんがいきなり、アベさん助けてエ っていうんだもんな。強盗でも来たかと思ったけど先生が強盗に負けるわけないもんな。 何だべと思ってよ。そしたら蛇だアっていうんだもんなあ : : : 」 それか 竜神さんは怒っておられるのである。私はここでアベさんに仰天してほしい。 んら心配して、解決策を考える姿勢になってほしい。だがアベさんは「アベさん、助けて ェ」の娘の電話が大いに気に入ったらしく、そればかりくり返す。そこへ山口さんがや って来た。話を聞いて、いつものニコニコ顔が真面目になり、 竜「あの竜神さんはうちのヒイじいさんが祀ったんだ。その頃は社はなくて道端に立って たのさ。それがいつの間にかひっくり返ってたんだよ。それに気がっかないでいたもん
男の衰退を歎く 乙女の曲 竜神さんは怒りん坊 竜神さんは怒りん坊 2 恋はウメポシ色 本日のおキモチ 相談回答失格者 背中いろいろ 君が代との仲 まだ生きている 14 ろ 154 165 176 1 ろ 2 210 199 187 221 121
で昆布採りの舟が毎日毎日・ひっくり返ってよ : : : 」 知ってる。その話は何べんも聞いている。それより竜神さんの怒りをどうするか、そ の相談をしたい。だが山口さんはくり返す。 「竜神さんは怒りつばいんだな。うちのヒイじいさんが : とまた始まる。そこへ漁師のエイトマン ( なぜェイトマンなのか知らないが。飼犬は アポロ一号という ) が来た。早速アベさんは、 「響子さんから電話がかかってよ、アベさん助けて工、っていうんだよう : と始める。終ると今度は山口さんが、 「あの竜神さんはおらのヒイじいさんが : 私は業を煮やして、 「じゃね、とりあえず私が掃除して来るわ。箒とバケッと雑巾、貸してちょうだい」 「いや、先生はしなくていい」 それなら皆で掃除をするよということになるのかと思ったら、 「いや、びつくりしたなあ、響子さんから電話がかかってよう : と始まる。新しく漁師のタカミツが入って来たのだ。ここはスー ほうき バーだから次々と人
いつもシラけている娘も珍らしくムキになっていた。 東栄の秋は更けたことだろう。海は濃い紺碧に沈み、白く波立ちはじめているだろう か。竜神は気持を鎮めてくれただろうか。海に魚は戻っただろうか。そしてアベさんは いっているのだろうか。 「いや、びつくりしたなあ、響子さんから電話かかって、いきなり助けて工、アベさ ん ! っていうんだもんな : それにしても竜神さんに飛ばされたあの蛇、今頃はどこでどうしていることか。悪夢 を見たような気持だろうなあ。
「いや、蛇ちゅう奴は何をするか知れん。ピュッと飛ぶやつもおるしな」 しかしね、と私がいいかけるのを無視して和尚さんは、どことかの老人ホームで八十 四のばあさんと七十六のじいさんが結婚して、ばあさんはハリ切り過ぎて腰の骨を折っ た、という話をして帰って行った。 やしろ 夜になって更に私は考えた。この集落の外れには八大竜王神を祀る小さな社がある。 社といっても六畳ばかりの部屋で正面に高さ一メートルほどの灰色の自然石に草書体で 「竜神」と彫ったご神体が安置されている。今から百年余り昔のこと、ここに漁港を作 ろうと、山口さんのヒイじいさんたちが浜を掘っていたら土の中からこの石が出て来た。 いつだったか、このご神体に そこで、それを竜神として祀ることに決めたのだという。 ついて私はアベさんとこんな会話を交したことがあった。 「なぜその石を竜神と決めたの ? 」 「なぜ決めたんだろね」 「形が竜に似てるわけでもないしね」 「そうだね」 「石が出たときに何かお告げがあったの ? 」 まっ