ならないのである。若い頃からの短気はますます短気に、我儘はますます我儘に、怖い もの知らすはますます怖いもの知らずに、ものぐさはますますものぐさになっていく。 そうして次第に話の合う友達というのがいなくなってきた。昔は会えば話が弾んだ旧 友と話をしても、楽しいどころかうんざりしてくる。血圧とか、コレステロールとか、 アルッハイマーの予防とか、黄色いタクアンは癌の予防になるとか、リウマチ、原因不 明の腰痛、健康食品、癌のあれこれ、竹踏みの効用、そうして落ちつく先はポックリ寺 あたか ・ : 私は全く興味がない。ところが先方は恰もそれについて語るのが生き甲斐であるか のようで、三人も集ると話が弾むわ弾むわ、私ひとりムツツリ坐っているだけである。 「竹踏みしながらポックリ寺のお札もらったってしようがない」 ポツンとにくまれ口を叩くが、誰も相手にしてくれない。昔のばあさんはよかった。 まず集ると嫁の悪口だった。それから亭主の愚痴。こういう話はバラエティに富んでい て面白い。それぞれの人生がある。話す方も生き生きしてきて、座が盛り上る。血圧や の腰痛の話で生き生きしてくるということはあまりないのである。散々それぞれの体調に 気ついてしゃべり合った後で、 「あーあ。いやだわねえ」 わがまま
「年中ハラベコだった」という話が多い。 トンボの羽をむしって胴を塩焼きにして食べ た、などと話すと、ヒャア、トンポオー といって今の子供たちは仰け反る。それが慰 めになるんです、といっている人がいた。艱難辛苦の話は耐えている最中はちっとも面 白くないが、 過ぎた後での思い出話には迫力があって人を唸らせるのが嬉しいとか。 東京は今に丸焼けになるというので、学童は親元を離れて田舎の寺などに集団で世話 になった。それを集団疎開というんだよ、に始まって、その地でいかに地元のガキども に虐められたか、親が乏しい食糧事情の中から苦労して送ってくれた乾燥芋やら煎豆を、 引率の先生がピンハネした話。もうロ惜しいやら悲しいやら : : : お腹ペコペコで眠れな かった、と母親がいえば、オレは蚊を食ってる蛙を見て、つくづく蛙になりたいと思っ たよ、と父親がいう。 ししオしが、それだけは、 子供らは一一 = ロ葉もなく聞いている。耳にタコが出来てる、と、 ってはいけないという思いがあって、神妙にしている。そこへいくとお前たちは幸せだ よ、感謝しなさいよ、という訓戒が籠っているので。 「マイったよ、あの話にま 「同じことのノり返し」
とアベさんはいっこ。 かっては毎年、そんな話が私を待っていたものである。だがこの頃は何もない。 「どうして面白い話がなくなったんだろう ? 」 と私がいうとアベさんも、 「うーん、どしてだかなア。これもプンメイの進歩とカンケイあるんだべか」 と首をひねる。 そんなある日、忘れもしない八月二十二日の昼前のことである。私は居間で娘と話を していた。何の話をしていたかは忘れたが、私はソフアに腰を下ろし、娘は一メートル ばかり離れた所に立っていた。その時である。 「ドッシーン ! 」 突然、でつかい、何か重い大きな物が落下した音がすぐそばでした。と同時に娘が、 「キャアーツー と悲鳴を上げた。娘のまん前に一メートルはあろうと思える青い蛇がグルグルと渦を 巻いているではないか。青大将である。何が起ったのか、私は呆気にとられてそれを見 守るばかりだ。娘はすぐ傍にあった電話を掴んでアベさんを呼んだ。
つ ) 0 1 、 > 子 / 何というえらいお母さんやろう、と私は、いから感服していたのだが、すっと後になっ て似たような話を何かの偉人伝で読み、 「なーんだ」 と目から鱗が落ちた。母はそこから話を借用したのだ。 当然のことだが、 子供は自分が生れる前の親のありようについては何も知らない。だ からどんなでたらめをいわれても信じるのである。それで親はいい気になって作り話を する。だいたいが子供ながらに耐えた苦労話が多い。私などの年代では二宮金次郎が 「かくあるべき子供の姿」であったから、「柴刈り縄ないワラジを作り、親の手助け弟を 世話し、兄弟仲よく孝行っくす、手本は二宮金次郎」の歌に象徴される子供の責務、 得といったものを親は思い出の中に取りこんだものである。従って「思い出」というよ りは「教育」といった要素が多くなり、そのため自然に作り話、借用話となっていった のかもしれない。 「何が辛いというて、借金のいいわけを書いた手紙を持ってお使いに出されることほど 辛いことはなかったわ」
「わかったよウ、トンボの塩焼きだろ、先生が豆をピンハネしたんだろ、っていいたし けど、なぜかいえないんだよね。いつも初めて聞いたように驚かなくちゃいけないよう な気がしたもんだ」 せがれ と、それが成人した伜や娘たちの思い出話になるのである。 「佐藤さんって思い出話をしない人ねえ」 と私は友達からよくいわれる。そういわれればそうかもしれない。だってお互いに承 知している話をああだった、こうだったといい合ったところで面白くも何ともないでは 「ほら、憶えてる ? 四月の十日頃やったかしら、新入生歓迎会が校庭であったわねえ。 桜の下で」 「ほんまに春らんまんという感じでよかったわねえ」 曲 の「雨が降ると延期になったんよ、ねえ」 乙「延期になった日もまた雨で」 「そのうち桜が散ってしもうた年もあったわね」
私はそう思った。プーは野生の本能に目覚めたのだ。あれは解放された囚人の歓喜の 踊りだ。たとえ明日の餌の心配があるとしても、鳶から逃げまどい戦い敗れる日が来る い。私はバカ としても、野生の本能のままに元気ィッパイ生きるがよい。これでよろし ポンのババのよ , つに、 「これでいいのだ : といったのであった。 目チャチャ猫の話をしようと思ってペンを取ったのに、スカンクの話になってしまっ た。つまり私は目チャチャ猫を飼うことに対する反対を、この悲しい物語を語ることに よって強調しようとしたのである。我が家で動物を飼うと必ず可哀そうな話になってし まうのだ。 ところがある日、二階へ上って行くと、床に仔猫が、チョコナンと坐っているではな しか。いつの間に治ったのか、目はバッチリしてへんに小綺麗になっている。首に鈴な んかつけて。そこへ孫が学校から帰って来た。 「ルドちゃん、ただ今」
Ⅷとラーメン屋のおかみさんがいってくれた。 「岡の上の灯が消えると、今年も夏は逝ってしまったと寂しくなります」 と町の人から手紙を貰ったことがある。ああ桜が咲いたね、赤トンポが出てきたね、 あるいはいよいよ颱風シーズンだね、というように、私は季節の移り変りを告げる存在 になっているらしい そうして今年も私の夏は始まった。 「センセ工、またなんか、ここの面白い話、書いてくれ」 とスー ーのアベさんは私の顔を見るという。 「書きたいけど、この頃面白い話、何もしてくれないじゃない と私は答える。何年か前まではここは東京にはない暢気な話の宝庫だった。 昔、この集落の外れにあった橋の下に川の主である大蛸がいて、月夜に橋を渡って来 る人を見ると、美しい若僧に化けて笛を吹いた。その時、橋を渡って来た人がそのまま 通り過ぎると忽ち川に突き落される。そこで人々は橋で若い僧が笛を吹くのに出会った 時は、小腰をかがめていう。 「ああ、たいしたいい音色だ、こんなうまい笛は聞いたことがない」 おおだこ
と母はいった。養家先は贅沢をしているくせに借金があちこちにあったのだ。 「秋やったなあ : 。猿沢の池の真中へんに、その頃細い道が一本あって、そこ通って ると河童が出て来て池の中へ引きずり込むという噂があったけど、そこは近道なんやわ。 池のぐるりを廻ってたら日が暮れてしまうもんやから、怖いけどその道を通る。怖うて 怖うて、まっすぐ前を向いたまんま、胸ドキドキさせて、タッタッタッタッと歩いたも んやった : : : 九ツの時や。烏がカーアと啼くだけで、あとはシーンとしてる : : : 」 その話は絎針で太腿を突く話よりもリアリティがあるから、私は胸を絞られる思いで 傾聴した。母の苦労を偲んで「親孝行せなあかん」と心に誓ったものだった。その点、 父の思い出話というのは、 「父さんは中学の頃、数学をやると頭が痛くて割れそうになったんだ。それで数学の教 科書の上に『毒本』と書いたカバーをつけたら教師に見つかって、いや怒られたのなん のって : : : アッハッハッハア」 曲 の といったたぐいのものであったから気らくだった。同じ思い出を語るにしてもそこが 女 乙父と母の違いなのであった。 私より少し年代が下る人たちの子供の頃の思い出というと戦争が中心になるから、
154 またまた佐藤が妙な話を持ち出した、と嗤う人は嗤いながら、わア、コワイイー 。この夏の私の奮闘 ( ? ) 話を。 思う人は怖がりながら、まあ、聞いて下さい だがそれを語る前にひとっ説明しておかなければならないことがある。それは今から 十三年前のこと。 その年はこの集落に私が家を建ててから十年目に当るというので、十周年記念の祝い の酒盛をやろうということになった。家は粗末だが庭は広い。 ( 何しろ山の一軒家だ ) ーティをしようと決めた。それなら何人来てもかまわない。食べ そこでジンギスカンパ 竜神さんは怒りん坊 2 わら と
「そんでから、旦那はんの部屋つき止めて、夜中に風呂場の手桶に水汲んで行って、襖 をソオーと開けたら : ・・ : 」 裏のおばさんはそこでふと一一 = ロ葉を切り、 「ちょっと奥さん、お嬢ちゃん聞いてはるのやおませんか ? 」 とシーシー声でいった。私は凝然と本に目を落している。 「アイコ嬢チャン」 裏のおばさんは猫なで声を出した。 「聞いてはる ? こっちの話 : 私は初めて気がついたというように顔を上げ、 と目を瞠って、 ととばけたものだ。それで裏のおばさんは簡単に安心し、 「こんな話、子供に聞かせたらあかんわなあ : : : 」 といいつつも、しゃべりかけたことをどうしてもいってしまいたいという欲求を抑え みは