なのに書かないのはどういうわけだ、とだんだん腹が立ってくる。品物を届ければ相手 は必ず礼状を書く。差出人住所に郵便番号を書いておかなければ、その時に手間をかけ る。そのことを相すまんと思わないのか、この野郎 : : : と ( 目は既にショポショポして きている ) 罵りながら郵便番号簿をあっちめくり、こっちめくり。 おそらくこの連中は物を貰っても礼状を書かないでほっとく手合なんだ、と思い決め る。一度でも礼状を書いた経験のある人間なら、郵便番号のためにどれだけ手間がかか るかを知っている筈だ。だいたいお中元を送る方はデバート や商店の中元係に注文を出 すだけで、あとは知らん顔。誰に送ったかも忘れているのにちがいない。気らくなもの だ。チェッ ' そんなに怒るのなら礼状を出さなきゃいい と娘はい , つ。しかしいくら奴 5 っていても、 礼儀は礼儀だ。物を貰ったからにはいうべき礼はいわねばならぬ。「〒」の印がある以 上、書くべき郵便番号は書かねばならぬ。それが私の主義だ。 かくて私の目はシジミになったり治ったり。やっとお中元の時期が終って、これで目 もよくなるでしよう、と手伝いの Z さんもほっとしている。 そんな折しも客が来た。親同士が懇意にしていたこともあって昔からの知り合いで、 ののし
「いいんですか、そんなことして」 と手伝いの Z さんは心配してくれるが、宛名を書くことが気晴しになるという情けな い日々なのである。どこも痛くない、熱もない、それなのに何もしないでいるのは徹夜 で原稿を書くより辛いことなのだった。 ところがこの宅配便というもの、差出人の住所は書かれているが、郵便番号が書いて ないことが多い。仕方なく郵便番号簿を開いて調べる。これは目によくないだろうと思 いながら、ひとつだけ : : これだけ : : もうひとつだけ : : と思い思いして調べては書 そのうち目頭の奥が重苦しくなってきた。 コ あ、きたな、と思う。思うがやめられない。 の 「あとでわたしが調べて書いときますよ」 ジ シと Z さんはいう。だが、あとひとっ・ : これだけ : : もうひとっ : け「やめられない止まらない、カッパェビセン」状態になっている。 荷物の貼付票には郵便番号を書くように、ちゃんと「〒」の印がしてあるではないか。
ろ 7 ハゲ丸シジミ目のミコト 私の目はワラジ虫のおかげでシジミ目に逆戻りしたのであった。 八月は例年のように北海道へ行く。北海道へ行けば人も来ず、宅配便も来ず、静かな 日を過せよう。孫と娘の三人暮しだ。気の好いムコどのは、「お姑さん、のんびりして、 十分目を治して来て下さい」といってくれる。 八月の北海道は毎日晴れて暑くもなく寒くもなく、最高の陽気だった。岡の上の我が めぐ はがね 家から望む太平洋は鋼色に輝き、岡裾を廻る牧草地にはいつ見てものんびりと馬たちが 草を喰んでいる。牧草地の小径を孫と歩けば、アザミ、ホタル草、萩、せいたかアワダ チ草、黄金色のオオハンゴン草、野苺、野菊、名も知らぬ野花が咲き、白い蝶が舞う。 草蔭を小蛇が走る。いっ来ても「命洗われる」思いのする光景だ。 だが、私の目は相変らすである。一向によくなる気配がない。読みも書きもしていな いのに、目頭の奥の重苦しい圧迫感がどうしても消えない。東京にいる時は目の調子の 悪さを何かのせいに出来た。郵便番号のせいとか、凝視男のせいとか。だが、ここでは 思い当る原因が何もないのである。北海道へ行けば治る、北海道へ行けば、と人からい われ、自分もそう思って来た北海道だ。 かあ
「怒れば金を投げ捨てる」女であることをよく知っていて、怒らせては金を持って行っ た。彼がニコニコしてやって来ると、反射的に「またお金 ? 」といったその習慣が、浅 ましや三十年経ってもまだ消えぬとは : しかし今は心にそう思うだけで、明日ババが来るってよ、と娘がいっても私は、「ふ ーん、そう : : 」というのみである。そこが昔と今との違いだ。 逗子での仕事を片附けて家へ帰ると、孫が出て来て、 「おじいちゃんが来たよ」という。「そうかい」といって留守中の郵便物を片附けにか かった。孫はい , つ。 「おじいちゃんは、あたしのお母さんのお父さんでしよ」 「そうだよ」 軍「そしたらおばあちゃんのダンナさんでしよ」 「うん、まあ、そういうことだったわね」 る 相「どうしてこの家にいないの ? 」 答に窮して、忙しく郵便物の封を切る。 「ねえ、どうしてここの家にいないの ? 」
正月三が日、私は暇だった。ルドも暇そうだった。私はさりげなく幸福の樹の上のル ドのそばへ行った。奥さんの留守に校長先生が自制し切れなくなって女中部屋に夜這い をかける時とはこういう気持ではなかったか。私はガラス戸を少し、さりげなく開けた。 そのまま書斎へ入って本を読む。暫くすると娘の大声が、 ・ル、ドオ・ 「ル、ドオ・ と捜している。それからとうとう、 「ルドッ ! どこにいるのツ ! 」 と悲鳴とも怒号ともっかぬ声になった。私はどこ吹く風で本を読みつづけ、 「これでいいのだ : ハカボンのババのようにいったのだった。
「わたしはおとつつあんに似たのや」 というのが母の自画自讃の始まりである。母には六人の兄姉弟妹がいたが姉や妹はな ぜか母親似だった。母親は「女布袋」といわれるほど不器量だったそうだ。母が養女に 選ばれたのは、「一番器量よしで、おとなしいし、賢い子」だったからだと母はいった。 小学校ではいつも一番だった。授業中もわき見をせず、一所懸命真面目に勉強したの で、受持ちの丹沢先生は、 「みな、横田を見習うんじゃ」 といって贔屓してくれた。これが二番目の自慢である。 養家先の暮しが辛かったためか、子供ながら母は何らかの形で「身を立てたい」と考 えていた。やがてアメリカへ行こう、と心に決めた。アメリカへ行って何をするという 目的があるわけではない。とにかく行こう。アメリカの土を握って帰って来るだけでも いいから行きたいと思った。つまり進取の気象に富んでいたというわけだ。女学校を出 曲 のると英国人夫婦が開いている「関西英学校」という所へ行った。必死で勉強した。夜更 乙けまで勉強していると居眠りが出てくる。そこで絎針を持った左手を腿の上に置き、コ クンと居眠りが出ると針の先が太腿を突くという仕掛を考えて勉強したもんや、と母は ひいき
考えてみれば私の人生は「たかを括る」のくり返しだった。そしてついに七十五歳に なったが、 まだ改まらずにこのどん底に落ちてしまったのである。 、といわれるまでもなく、読み書きが出来なくな 目を使うことは当分の間控えなさい った。少しでも集中すると目頭の奥が重苦しくなり違和感が起る。瞼が縮んでシジミに なりかける。 目を使わずにいるためには音楽を聞くのが一番だ。しかし音楽というものは雑然とし た日常の中で、ひとときの安らぎを得るために聞くものである。朝から晩までぶつ通し : クラシック ートーベンを聞いてごらんよ。ショパン、モーツアルト、ワグナー 漬になっているとうんざりしてくる。気を変えるために落語のテープを聞く。圓生って なんて色つばいんだろうと、初めは喜んでいても来る日も来る日も圓生とっき合ってい でばやし るとやつばりうんざりしてくる。志ん生、文楽と趣を変えるが、やがて出囃子の三味と あんたん 太鼓を聞くだけでうんざり、というよりも暗澹としてきた。落語を聞いて暗澹とするな んてことがあるんだなあ、と更に暗澹とする。 そのうちお中元の時期になった。あちこちから宅配便が届くので、礼状を出さなけれ ばならない。礼状の文面は娘がワープロで打ってくれているから、宛名を書くだけでよ