二人 - みる会図書館


検索対象: だからこうなるの
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1. だからこうなるの

708 「あれから何年 : ・・ : 」 私「タ暮前で」 「イケズやった」 私「アホやった」 と二人同時。 私「黙ったままツンツンして」 「話しかけたら」 私「せせら笑って」 「にくらしかった」 私「いやらしかった」 と二人同時。 「夢物語や : ・・ : 」 まあこんなふうになってしまうのである。 「人は妙な道を辿る」とピエールは述懐する。「今は別人になってしまった」と。 しかし私とは今も変らぬであり私だ。お互い妙な道を辿ったかもしれないが、な

2. だからこうなるの

2 り 8 かくかくしかじかと説明すると、サキサンは私の粗忽を怒るよりもそんなにしつこい 無一一 = ロ電話があるのかと驚き、すっかり感心してしまった。 サキサンはピアノの先生をしながら娘の Z チャンと二人暮しをしている。 Z チャンは 二階に自分専用の電話を持っているので、サキサンは仕方なく Z チャンの電話でかけて きたのだ。 「そんなら私の方から電話出来るようになるには、あと三十回、無言電話がかかって 順々に解除されんならんというわけやね ? 」 サキサンはそう納得して、 Z チャンの電話を使うようになった。ところが「サキサン の長電話」といえば友人間で知らぬ者がないくらいで、一時間二時間は普通、最長記録 は朝まで七時間というのがある。電話料は月に十万近い。かって夫なる人がいた頃、夫 婦喧嘩で電話料のことをいわれるのが一番の急所だったという人だ。 Z チャンの部屋で は二時間も三時間も心ゆくまでしゃべることが出来ない。 「ママ、電話料払ってよ ! 」 といわれたと歎いている。 「なんとかならんの ? アイコ」

3. だからこうなるの

740 それから三日ばかりして、私はこんな夢を見た。 私は何日も風呂に入っていなくて気持が悪くてしようがない。風呂へ入りたい入りた いと思いつづけている。そこへ風呂があるというので行ってみると、その風呂桶 ( 木で ふすま 作った丸い置き風呂 ) が襖を外した押入みたいな棚の上段に天井すれすれに置かれて いるのだ。湯加減はいいらしいが、これでは身体が入らない 。それが夢の第一場で ある。 私はなだらかな階段状の、野外劇場を思わせる建物ーーというか何というか、天 井もなく壁もなく右も左も上も下も限りなく座席がつづいているゆるやかで広大な場所 の、その真ん中の段々を遠藤周作さんと二人でふざけながら上って行っているのだ。右 左に果しなく広がっている腰かけには、老若男女がくつろいで腰を下ろしていて、私た ちの方を見ている人もいれば見ていない人もいる。 私と遠藤さんは子供みたいにふざけ、もつれ、笑いながら上って行く。階段も座席も 全体に淡いクリームがかったオレンジ色だ。それが第二場。 遠藤さんと私は岩屋のような所にいる。天井は低く岩がでこばこしており、左も 右も足もとも岩だ。ふと見ると岩の床の一部が浴槽型に窪んでいて、驚くはど清澄な水

4. だからこうなるの

2 あの岩屋。あれは天空に浮かぶ死の世界だったのではなかろうか ? クモの子のようにざーっと動き逃げていた黒い集団は「この世」の人たちで、私がい るのは「あの世」だったのか ? 地震か、洪水か、何かの爆発か。天変地異が起っているらしい。そしてそれが起る前 に私は死んだらしい。遠藤さんがそこにいることが何よりの証拠だ。私たちのほかにも 五、六人の人がいるが影法師のようで顔はよくわからない。だがその人たちも眼下の光 景を見て、なんだ、なんだ、といっていた。 いったいこの夢は何の象徴なのだろう ? 「ソレって天国なの ? 」 話を聞いて娘はいった。 「多分そうよ。天国への階段を上って行ったのよ、遠藤さんに導かれて」 「けど岩だらけの場所なんでしよ。天国にしてはどうもねえ : : : 」 そういわれれば絵で見る天国はふわふわした雲の上にあって、優しい光に包まれ、光 の輪を頭に載せたエンジェルが飛んでいる。岩だらけの天国というのは聞いたことが

5. だからこうなるの

「夜中はどうやろ、と思て験してみたらかかるんよ。わたしの研究では朝から夜までは かからへんけど、夜の十時以後はかかるんやわ。けどね、いっぺんだけ午前十時にはか からんと午後一時にかかったことがあった。これはどういうことやろ ? 」 まるでメモでもとってあるように克明に憶えているのであった。 と私がいうと、電話鳴っててもあんた とにかく夜中の験し電話だけはやめてはしい、 は出んでいいよ、わたしは験してるだけやねんから、と彼女はいう。出んでいいといわ れても、電話が鳴れば目が醒めるのだ。なんでそんなもの験す必要があるのだ ! あん たのことやない、わたしのことや ! という声に怒気が籠った。 なのにその夜中、電話は鳴った。二回鳴って切れた。 「あんた、またかけたね ! ゅうべ : 「かけたけど、起したらいかんと思て、二回だけで切ったんよ」 「あんたね ! 二回でも目工醒めるんよ ! 醒めたらあと、朝まで眠れへんのよ ! 」 争 戦「ごめん、ごめん。二回でも醒める ? けど気になって気になって、どうなってるやろ 電と思たら、もう抑えられへんのん」 女学生の時、彼女と二人、掃除当番をサポって二階の教室から外を見ていたら、目の ため

6. だからこうなるの

778 我が庭は土埃が舞い上っている。その風の中、彼は電話を求めてひたすら歩く。私は閉 ークションー め切った窓ガラスの中で、 折しも鳴る電話。ハナを拭き拭き 1442 ー これをアウンの呼吸といわすして何と ゃいおう。 涙を拭き拭き次の電話を待つ。今か今かと待っている。ジリリと鳴るとふるい立つ。 迷惑電話を迷惑がらずに待っ これが花粉舞うこの辛い日々を強く楽しく生きるコッ なのである。 一歩も出なくても人に会わなくても、ことほど左様に退屈はしないのである。昨夜は 民主党の代表菅直人氏に、三人の女がいるという夢を見た。その女の一人がなんとこの 私なのだ。 私を含めた三人の女は連れ立って競馬場のような所にいる。我々は直人さんが来るの をそこで待っているのだ。ところがふと気がつくと女の一人が消えている。そうしてこ こへ来る筈の直人旦那も来ない。 ハハーン、と私は思う。これはひそかに二人で申し合せて我々を出しぬき、どこかへ

7. だからこうなるの

たいが、帰って来た時にタローが腐乱屍体になっていたりしたら困る。毎日、行こう か、やめようか、とつおいっしているうちに夏も終り近くなってしまった。 北海道の我が集落の人たちは、犬のために行けないと聞いて残念がり、 「けど、そのうち、死ぬんでないかい。死んだら来られるべや」 とタローが死ぬのを願っている気配だった。だがその中に一人だけ、 「なに、来ないってか。ふーん : : : 」 そういって心の中でホッとしているじいさんがいることが私にはわかっている。実は 二年前、私はそのじいさんに金を貸した。ある冬の日、突然電話がかかってきて、 「センセ工、東京でカネ百万円貸してくれる人、いないべか ? 」 と突然切り出された。そんなもの、いるわけがないのである。そう答えると、 ず「そうか・・・・ : やつばそうだろなあ・・・・ : 」 と気落ちしている。「やつばそうだろなあ」という哀切な響きに私は打たれ、 死 か「しやアよ、、 オし私が貸すよ」 といってしまったのだ。その半金の五十万は去年の夏、返してもらった。残りの五十 万は今年の夏に返る約束である。

8. だからこうなるの

二月の末から始まった花粉症がまだ治らない。杉花粉はとっくに散り尽した。例年な ら四月の初旬には完治しているのである。共に花粉症に悩んだ人たちはみな治ったとい っている。 なのに私は五月に入ってもまだ朝からクシャミの連発だ。丸二か月クシャミをし通し ていると、さすがに疲労が重なって何をする力もなくなった。一年連載の新聞小説が三 月一杯で終ったので、その疲れのせいもあるかもしれない。次の仕事に取りかからねば ならないが、二か月間、とっかえ引っかえ飲んだ漢方薬のためか胃は重く頭は靄がかか ゴミ虫 0 もや

9. だからこうなるの

は淡路島の名前は忘れたが小さな港の埠頭で船を待っていた。晩秋のタ闇が空から降り てきて沖は微かに明るいという頃合だった。乗船するのは私と遠藤さんしかいない。徳 島からの見送りの人が二人、都合四人が薄暮の中に立っている。寂しいようなもの悲し いような秋の夕暮だった。 その時、ふと遠藤さんが私のそばへ寄って来てシーシー声でいった。 ケチくさいなあ、あの連中。土産、何もくれへんな」 遠藤さんが声をひそめる時はろくでもないことをいい出す時である。 「向うの土産物屋で何か買うフリしてみよ。そしたら気がつくかもしれん」 遠藤さんはいって、急に大声になり、 「サトくん、何か土産がないとムスメさんが待ってるやろ。オレのとこもムスコが待っ んとるし」 ごといって黄色い電燈が灯っている土産物屋に入って行った。私も「うん」といってつ いて行く。そこで私たちは「蛸の姿干し」という物凄いとしかいいようのない形のもの 遠を買った。それしか買うものがなかったのだ。私たちの後からついて来た徳島からの見 送りの人は、

10. だからこうなるの

ノ 66 互に脚を前に出しつづけなければ倒れる。上半身は前傾して殆ど「く」の字だ。くの字 のまま死にもの狂いで前へ前へと走っていた。 ゴミ集積所の前でやっと体勢が立ち直った。袋を置いて家へ戻りながら、誰か近所の 人、二階から見ていないだろうか、と思う。その人はあまりのことに驚くか、笑うか、 怪しむか。 「まあ、サトウ先生、どうなさったのかしら」 こ , つい , っ場ムロ、「センセイ」とい , っ = 一豆果はまことに宣〕劇的だ。 「何やってんだ、サトウのばあさん : : : 」 これなら喜劇的でも何でもないが。 私は竹馬の友である e 子にこのことを話すべく電話をかけた。子はこういう話を聞 くと、人の何倍もびつくりし、心配する人である。それが私には面白いのだ。 「あぶない ! 気イつけてよう ! 」 案の定竹馬の友は大声を上げて心配し、男モノのサンダルなんかゼッタイ履いたらい かん、大きゅうて重とうて、あんなもん履いてあんた、よく走れたねえ。その時、もし も向うから車が来たらどうするのんよ ! 思うだけでゾーツとするわ、とひと頻りお説 しき