「団子だけは残してたもれ」 ばあやは大きな声でみんなに注意する。 私達も縁台の御馳走がたべたくて、ばあやになんどもせがんだが「昔の人の言った ことは守るもんだし、きめごとは守ってたんせーと許可してくれない。 きめごとというものはどうも不公平が多すぎる。男の子達はふざけながら、あちこ よそ ち庭を歩き廻って、月の光りに照されながら、他所のお庭へ忍び込み、お月様のお供 えものに限って盗み喰いも許されていたのだ。ずっと前、他所の土地から来た人が、 土地の風習を知らず、学童が乱暴狼藉を働いたと学校へ訴えた。乱暴狼藉はつまり、 他所のお庭へ忍び込んでお供えものを荒したということらしい。それ以来、野蛮な行 動はつつしむようにと、校長先生からの注意があって、誰もしなくなった。 あとの名月はなぜ十三夜を選ぶのだろう。 こうこう 今夜あたりは霜が降るのかもしれない。私達は皓々と輝くお月様を眺めながら震え ていると、ばあやは熱くわかした甘酒を運んで来てくれた。 甘酒ですっかり温まるとまた元気になってひとしきり大騒ぎをして遊んだ。次にね 162
眺めて、今年の豆もこれでお仕舞いと、山のように茹でた枝豆をたべる晩なのだが、 私達はみんなで手分けをして、日の暮れない中に夏中使った縁台をきれいに掃除し た。ゴザを敷き、小机を据え、一升瓶に水を入れてすすきもさした。 さんばう ばあやにこしらえて貰った大きな団子を十二、三宝へ積み上げた。 うるう この団子は閏年には十三個になる。十三ヶ月になるからだ。 芋の子もさつま芋もふかして貰った。 縁側に座布団を敷いて、女の子はここでお月様を拝む。 ばあやは芋もカボチャも煮えた順に吊手のついた鉄の大鍋ごと運んで来て、お皿に 入れて女の子達に配った。なぜそうするかというと、縁台に飾ったお月様へのお供え ものを、女の子がたべてはいけないからだ。なぜたべていけないのか私にはよくわか らない。ばあやに訊いても、「昔からそういうことになっているのだしと言うばか 生 豫月の出を拝んでから、男の子はみんなでぐるぐる縁台を廻 0 てお供物を頂戴してい 竹 いことになっている。 161
なかったのかもしれません。卑怯者と誹られた悲しみは、生涯私の胸から消えないで しよう。どんなに忘れようとしても、年に一度、七夕さんは必ずやって来ますもの ね。牽牛さまと織女さんのことで八郎さんと喧嘩したけど、 八郎さんはあんまり織女 さんがきれいだきれいだとほめそやすので、先生は嫉きもちをやいたんですよ。堪忍 して下さいね。自分がみじめで、私はその人が羨ましかったんですー 八郎に謝まっているのか、お墓に話しかけているのか、竹子先生は独り言でもする ように、語りつづけた。 「愛すれば愛するほど、傷つくような恋をしてはいけないのです。でも傷つくからと いって逃げるのはやつばり卑怯なのですよ。私はやっと気が付いたけれど、でももう 遅いわ。何もかも終わってしまいました」 掌を合わせた竹子先生は、むせび泣きをしていたが、やがて立ち上がって着物の裾 の土をはらうと、どうしていいのかわからない八郎の両肩に手を掛け、お世話になり ました、皆さんによろしくねと言ったという。 「つまり竹子先生も細川さんにホレていたんだなア」 そし うらや 156
竹子先生 生はみんなによろしくって泣いていたよ。それから先生と二人で心中墓を拝みに行っ て来た。どうして行ったか、タネ子にも、花子にも美絵子ちゃんにもわかるまい。先 生はオレに連れて行けって言ったんだ。オレは先生の言うとおり墓に花をいつばいさ して、鉢巻山のりんどうも植えて来た。先生はオレに言ったよ。先生のしたことは悪 おとな いことだけど、あんたも大人になればきっとわたしの気持ちはわかるって , ーー」 八郎に手伝ってもらって、竹子先生はりんどうを植えながら、 「人を愛するということは本当に辛いことなんだけれど、女は人を愛さずには生きて いられないものなのです。本当は、私がここに眠るべきだったの。そうすれば織女さ まは天から落ちて来なくともよかったんです。可哀そうなことをしてしまいました。 私は人の教えにそむいて、愛してならない人を愛しながら、意気地なしで世間が恐か ひきよう ったんです。自分さえ我慢すればと思ったんです。でも牽牛さまは私を卑怯だといい ました。裏切り者だとでも思ったのでしよう。人を裏切るということは結局は自分を 裏切ることなんです。だからどんなお裁きでも素直に受けなければならないんです よ。私に真実勇気があって、もっと早くお裁きを受ける心になれたら、こんな不幸は 155
花子は分別臭く眉を八の字に寄せた。 私もタネ子もだまって顔を見合わせたままうなずき合った。 竹子先生が、飛行機を見に行ったとき、生徒に手を引っ張られて岩場へ転げ落ち、 お腹を打って流産した噂はもうとっくに私達の耳へも入っていたのだ。 未婚の若い先生が流産したということは、ふしだらの見本のように、町中の噂とな り、それを助けたのが政勝と染八だというので、みんながまるで面白いことのように おひれ 次から次へと尾鰭をつけて噂を拡めた。生徒の中にも大人の受け売りでずいぶん先生 を非難攻撃するものもいたけれど要めの原つばの子達だけは、大人に何をきかれても つぐ 知らない、知らないと誰も口を噤んで何も言わなかった。申し合わせをしたわけでは なかったが、お喋りの八郎だってオレが知るもンかとそっ。ほを向いていた。政勝に言 わせれば面白おかしく喋ったのはみんな男先生達だということになる。 竹子先生にかぎってそんなふしだらなことがあるわけがないのだし、私達は竹子先 生 丑生をそんな眼で見るのは厭だ 0 た。 竹 あの日、りんどうの花を摘んでいた竹子先生の横顔は、りんどうの花よりもっと美 153
親のない厄介者みたいで、他の先生のお世話になっていると、なんとなく肩身が狭 言いたいこともいわずみんな憂鬱な顔でやりくり授業を受けた。そして私達はも っと別なことも心配しなければならなかった。 十月の終わりに修学旅行がある。私達六年生は仙台行きだ。松島も見物させてもら えることになっているけれど、受け持ちの先生がいなければ一体誰が連れて行ってく れるのだろう。今年は先生がいないから取り止めなんて言われたらそれこそたいへん だと、みんなはよるとひそひそ、そんな心配ばかりしていた。 私もタネ子も花子も、もう旅行に持ってゆくアケビの蔓で編んだ、、ハスケットをお揃 いで買って貰い、用意はすっかり出来ているのだ。 「ハチ、お前も・ハスケット買わないか」 学校の帰り途、私達は八郎の仕度が出来ているのかどうか心配で、出来るだけ八郎 が気を悪くしないように訊いてみた。 生 先「・ ( スケットか。オレは風呂敷でたくさんだよ。男だもの」 竹 男だものに、妙に力を入れて、それでも八郎は照れ臭げに、鼻の頭をこすりながら つる 151
オ一つた 、ことしたんだもの、何も怒ることはね工し。さあ、栗が煮えこ。 「お前、しし べてたもれ」 笊に上げた栗が湯気をたてて運ばれて来たが、政勝は栗なんそ要らない、酒コ一杯 御馳走してくれと、冷たい茶碗酒をあおって少しおとなしくなり、馬鹿なこった、馬 鹿なこったとぼやきながら帰って行った。 政勝がなんのためにあんなにむしやくしやしているのかわからなかったが、ばあや よ、 「なに、酔っきりのいうことだ。気にするもんでねし と言ったきりである。 だが、政勝の言ったとおり、竹子先生はとうとう学校へは戻らなかった。 先生は病気で学校を止めることになったと他の先生が言い、代わりの担任の先生が 見えるまで私達の授業は手のあいた先生が代わり番こに教えて下さったが、そのため 三時間目のお習字が一時間目にはじまったり、一時間目から体操だったり、授業のや りくりでちっとも落ち着かなかった。第一、受け持ちの先生のいないということは、 ざる 150
「おどウよ、子供の前で学校の先生の悪態は言うものでねえェ」 ときつくたしなめた。すると政勝は唸るように眼を据え、 「なあに、俺が悪態吐かなくとも、わらし共の方がよくお・ほえてけづかる。先す聞け っちゃいあねっちゃんは、なアも心配しなくてもええ。竹子先生は命に 別状なし。だがヨ、もう学校の先生は止めだ」 「まんつ、片輪にでもなったてが ? 」 はし 鍋から一粒、箸でつまみ栗の茹で加減を見ていたばあやは、慌てて口から吐き出す と、私のききたいことを訊いてくれた。 「なもだ。片輪ならまだしも、心の片輪だべや。いまに町中さ拡まる」 「おどウ、何が拡まる ? きかせてけれ 「あした、あしたの朝になれば噂はみんな聴こえてくる。この町には地獄耳のお喋り 共が揃ってけづがるでア。今夜の中に町の半分まで拡がってしまっているべえよ。馬 鹿げた話だ」 政勝の憤慨をみていると、私はなんだか厭な予感がして思わす、 148
近代文学に閃光のように輝いて散った薄幸の詩 人・石川啄木と妻の節子ーーその苦難にみちた 啄木の妻渡辺喜恵子 実生活を、直木賞作家が全資料を駆使して克明 に描いたカ作長編小説。全三冊各一一 0 〇円簡 武士の子として生れ、南部藩御用商人の妻とな ったさと子の有為転変の生産を、岩手県を北流ロ 渡辺喜恵子 馬淵 する馬淵川ぞいの町と北国の厳しい自然を背景替 に華麗に描いた直木賞受賞の長編。一二〇〇円転 書 図 世渡りのすべも得意とはいえず、旅に出れば天 評旅べたなれどなだいなだ謐繼過」〔。第体文 醸しだすワサビのきいたエッセイ集。九五〇円注 の 社 日本の動物園や水族館には意外に知られていな 社 聞 い珍しい動物がいる。その生態や体形、エビソ 本 珍獣戯話吉行淳之介 ドを、名ェッセイストの著者が奔放な発想と接 新 七色の筆にのせて生き生きと描く。一三〇〇円直 日 毎 有名な英国の伝承童謡マザー・グース。日本に ま 一も、これに劣らぬ美しいわらべうたがたくさん 日本まざあぐ、フす谷川俊太郎編 ある。詩人谷川俊太郎によって、二万篇の中か ら選ばれた日本童謡傑作集。 一六〇〇円書 七代将軍家継の生母、月光院に仕えて大年寄に の・ほった絵島 。正室天英院派の仕掛ける罠。最 連坐者千五百名を数えた一大疑獄の〃絵島事件れ 絵島疑獄杉本苑子 の真相を描いた野心作。上下各一一〇〇円
新装版 みちのく子供風土記 定価一二〇〇円 一九八三年六月五日 一九八三年六月二〇日発行 著者渡辺喜恵子 編集人 川合多喜夫 発行人関根望 発行所毎日新聞社 9 一〇〇東京都千代田区一ッ橋 9 五三〇大阪市北区堂島 八〇一一北九州市小倉北区紺屋町 O 四五〇名古屋市中村区名駅 印刷中央精版 製本大口製本