「ああ、連れて行くとも」 「忘れるなよ、ハチ タネ子が念を押し、花子も納得したようだ。 私はいつのことたかわからないような話に念を押してみても仕方がないと思う。そ れよりも小正月の綱引きの方がよっ。ほど面白そうだ。 かみしも 上と下に分れるとなると、要めはさしずめ下ということになるだろう。この綱引き だけは、下から上へ嫁に行った者は下へ戻って、上から下へ聟に行った者は上へ帰っ て綱引きに力を合わせても文句は言ってならない規則になっているそうだ。もちろん 帰りたくなければ自分の行った先で引っ張りつこをすればしし 采配は町内の頭だけ れど、八郎は松葉町組に負けないように、政勝に応援をたのんだのであろう。私は最 近政勝親父を見たことがない。親父は暮しに困ってとうとう家を売ってしまい妻子も 実家へ帰したという噂だ。 かしら 204
どョ。美絵子ちゃんお前、三河ってどこだか知っているか」 「知らない 「東京より遠いんたそ。愛知県だ、それに三河ってとこは雪が降らないから働きいい そうだ」 「雪が降ったって、ときどき家さ帰れる方がいいよ 雪を蹴散らしながら花子が口を出した。 「それでもョ、おら家のお父とお母は、まとめて五十円も前借出来るんたから、少し くらい遠くても我慢しろと言うんだもの、仕方ね工よ」 八郎は口からあぶくを飛ばしながら勢いづけ、 「オレ、修学旅行に行けなかったからョ、遠くまで汽車にのって行くのも悪くないと 思っているんだ」と眼を輝かした。 それもそうかもしれないと私は思う。けれどもなんだか知らないところへ一人で働 きに行く八郎が一等可哀相でならない。私の居残り勉強の不服などとても = = ロえない気 持ちになってしまうのだ。 が 196
仲間日記 私と加乃ちゃんは廊下に突っ立って、座敷へ入り兼ねた。 「くそ爺い奴 ! と、今度は先生が大声で怒鳴ったからである。 「ほらね、あなただってそういうふうにすぐ親の悪口を言うではありませんか。ああ 睦夫や、死んではいけませんよ。すぐお祖父さんを呼びますからね」 「バカ ! 爺いが来て治るか 加乃ちゃんはとうとうたまりかねてお座敷へ飛び込んだ。私は睦ちゃんの顔を一目 見て、睦ちゃんは本当に死ぬのではないかと思った。睦ちゃんの顔には血の気がなか った。そして私はある一つのことに思い当ったのだ。
んはあやめだ。先生は」 タネ子は瞳を丸くした。 先生のは紙巻なの、そっと内緒で家へ帰ってから 「萩ゃあやめは刻み煙草でしよう。 吸うのよ。驚いた」 「ううん、紙巻を吸う人はハイカラなんだね、うちの父ちゃんそう言っていた。先 生、タ・ハコっておいしいのしか 「おいしい。匂いが好きなの。でも女はタバコ吸うと嫌われるわね。だから学校では 吸わないのよ」 「学校で吸うと意地悪されるヨ、先生」 「だから内緒。やつばり雲はみんな煙りってことにしときましよう」 「したら、おら今夜から風呂焚くとき、うんといぶして、大つきな雲のカタマリをつ くるべ 機 行「あら、あら、黒雲をこしらえては駄目よ、雨を呼ぶから。柔らかい、天女の衣のよ 飛 うな、ふわっとしたのを作ってね 137
山 遊 水担ぎをしなければならない。 おまけに豚を飼いはじめたので、その世話も八郎がやっている。夕方はあちこちの ばあ 台所へ餌貰いに行くのだ。まったくよく働く子だが、それでも眼の悪いお祖母に、こ のろくでなしがと、怒鳴られてばかりいる。 サテンヤレ不思議やを三、四遍繰り返し、もう帰ろうやと、みんながそろそろ腰を 上げそうになったころ、やっと八郎の仕事が片付いたのか、ななめに原を突っ切って 飛んで来た。 「ハチ、遅いそー 八郎はどすんと大きな地響をたてて輪の中へ飛び込むと、遅れて来た申しひらきの よ一つに、 「サテンヤレ、たべられないかなア」 と唄い出した。 腹ペコなのだ。お月さまを見てもたべたくなるらしい 「ハ力、たべられるかよー かっ
綱引き おまさを見送って私と蓑吉は門のところまで従いて行った。おまさはちょっと立止 まり、 「お土産にアンコの入った粟餅を搗いて来るんて、待っていてたもれー と言った。紫のお高祖頭巾の中から覗くおまさの白い頬や、長いまっげに粉雪がちら ちらかかた 「さいなら」 少し歩いてからまたおまさは振り返り、 「風邪引くんて、早ぐ家さ戻ったんせ。早ぐ」 と眉をしかめた。 おまさはにつこり笑ったりすることのない女で、いつでも怒っているような顔をし ているが、あの時のおまさの顔は眼も鼻も口もないのつべら・ほうの、雪女のようで私 はとても恐かった。 おまさの村まで三里もあるのに、のりものがないからおまさは歩いて行かなければ ならない。おまさはそんなことなど少しも苦にならないような足どりで、鱈を引きす っ っ 213
仲間日記 私は猫が可哀相で、可哀相で、どこかに猫の国がないものかと思い、寝てからまた 起きて、猫の親子を私のフトンの中へ入れてやった。 七月四日 ( 火曜日 ) 晴 今日は悲しい日である。 私は子猫を殺してしまった。 私の寝相が悪いので、子猫を押しつぶしてしまったのだ。三毛にすまなくて涙が出 た。死んだ子猫を藁づとに入れてあじさいの花の下へ埋めてやった。 学校へ行って、その話をしたら八郎が、「やア、それではお前は猫殺しのタネ子か、 そんなら今度からそう呼ぶどオ」と私を責めた。 私は猫殺しではない。猫殺しのタネ子と呼ばれるのは厭んだ。 やつばり母の言うことをきいて天保川へ捨てればよかったと一日中悔やんで、夜寝 てからも少し泣いた。 ( タネ子 ) わら
落第さえしなければびりツかすでもいいのだと思うが、私には不得手な学科が多す ぎるので、やつばり不安だった。 誰でもこうして不安な気持ちで生きてゆくものだろうか もし試験が受かって女学校へ進学出来たとすれば、私も家を離れて寄宿寮へ入れら れることになるのだし、八郎も三河へ行ってしまう。花子とタネ子は高等科へ残った としても綱男は畠作りで忙しく、みんなは別れわかれになってしまうのだ。もう一緒 に遊ぶのもあと僅かだと思う。そのせいか、それとも年を一つとったせいなのたろう か、私達はあまり喧嘩もしなくなった。 吹雪の朝の登校にも、みんなで誘い合い、労り合うようになった。綱男は体が大き いので、列をつくって歩く時、誰に言われなくても先頭になって雪ゃぶをこぎ、八郎 ばそり は体が小さいので女の子の後からしんがりをつとめ、私達が馬橇のワダチを踏んで転 ぶと手を引っ張って助け起こしてくれたりする。 私達はもう六年生なのでそんなこともないが、ひどい吹雪の朝、低学年の生徒達は 大人の背中におぶさって学校へ行く。向い風が強いと吹雪で顔を叩かれ、眼も口もあ いたわ 197
「団子だけは残してたもれ」 ばあやは大きな声でみんなに注意する。 私達も縁台の御馳走がたべたくて、ばあやになんどもせがんだが「昔の人の言った ことは守るもんだし、きめごとは守ってたんせーと許可してくれない。 きめごとというものはどうも不公平が多すぎる。男の子達はふざけながら、あちこ よそ ち庭を歩き廻って、月の光りに照されながら、他所のお庭へ忍び込み、お月様のお供 えものに限って盗み喰いも許されていたのだ。ずっと前、他所の土地から来た人が、 土地の風習を知らず、学童が乱暴狼藉を働いたと学校へ訴えた。乱暴狼藉はつまり、 他所のお庭へ忍び込んでお供えものを荒したということらしい。それ以来、野蛮な行 動はつつしむようにと、校長先生からの注意があって、誰もしなくなった。 あとの名月はなぜ十三夜を選ぶのだろう。 こうこう 今夜あたりは霜が降るのかもしれない。私達は皓々と輝くお月様を眺めながら震え ていると、ばあやは熱くわかした甘酒を運んで来てくれた。 甘酒ですっかり温まるとまた元気になってひとしきり大騒ぎをして遊んだ。次にね 162
く大人になって、お金持ちになりたい希望はいつも変わらなかった。 でももう、私に学校の先生になれとはすすめないだろう。髪を巻にして紫や紺の 袴を裾長くはいたあこがれの竹子先生は、もう永遠に私達の前から消えてしまったの 東京へ行った竹子先生はのちに満州のハルビンというところへ行かれたそうだ。 修学旅行の私達の面倒を見て下さるのはどうやら校長先生にきまったらしい。校長 先生厭だなア、怖つかないもの。私達はひそひそと厭んだなアと繰り返し、竹子先生 を恋しがり、おしまいにはやつばり居なくなった竹子先生に腹を立てあった。 修学旅行に出掛ける前に、私達要めの原つばの子供達はみんなで一緒にお月見をす ることになった。 いもめいげつ 例年のお月見は旧暦の八月十五日なのだが、八月十五日の芋名月の頃はあいにく雨 降りつづきでお月見が出来なかったから、あとの月の豆名月に代わってしまったの だ。豆名月は九月十三日である。 この頃は、北国みちのくではどうかするとひどい夜霜が降りるので、お月見しなが 158