風林 - みる会図書館


検索対象: みちのく子供風土記
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1. みちのく子供風土記

どョ。美絵子ちゃんお前、三河ってどこだか知っているか」 「知らない 「東京より遠いんたそ。愛知県だ、それに三河ってとこは雪が降らないから働きいい そうだ」 「雪が降ったって、ときどき家さ帰れる方がいいよ 雪を蹴散らしながら花子が口を出した。 「それでもョ、おら家のお父とお母は、まとめて五十円も前借出来るんたから、少し くらい遠くても我慢しろと言うんだもの、仕方ね工よ」 八郎は口からあぶくを飛ばしながら勢いづけ、 「オレ、修学旅行に行けなかったからョ、遠くまで汽車にのって行くのも悪くないと 思っているんだ」と眼を輝かした。 それもそうかもしれないと私は思う。けれどもなんだか知らないところへ一人で働 きに行く八郎が一等可哀相でならない。私の居残り勉強の不服などとても = = ロえない気 持ちになってしまうのだ。 が 196

2. みちのく子供風土記

高等科へ二年行ったらもう働きに行くと言っている。私が女学校へ行くというのはや つばり贅沢なことかもしれない。もっと驚いたことはツュとよぶ同級生が、家へ子守 に来るということだ。 ッュはきようだいが多すぎるので、ロ減しのために家を出されるらしい。給金もな にも要らないから着せてたべさせてくれればいいのだと、ツュのお父が頼みに来たそ 「仕方ね工、世の中は不景気で、どこの家も子供にたべさせるのがやっとこだア とばあやは溜息のように、季節労働者になってカムチャッカへ稼ぎに出るお父達の話 をするが、それにしても季節労働者のお父達は、春になればまた帰って来られるの に、三河というところへ瓦を焼きに行く八郎の奉公は長すぎると私は思うのだ。 「ハチ、お前三河へ行ったら本当に兵隊検査まで帰って来ないのかー 私は学校の帰り途、八郎に訊いてみた。 八郎はフランネルのマントボッチの中で鼻をすすりながら、 「ああ、三河は遠いもんなア、汽車賃がかかるからそうやたらに帰れるもンじゃね工 ぜいたく 195

3. みちのく子供風土記

私は困って母の言ったとおり答えると、先生は黙って私の顔を見ていたが、呆れた 突っ放すように落第しても知らないよと言った。そして例の・ほそぼそと 親だと一一 = ロい した調子で、 「どうも教育に不熱心な親達ばかりで困る。しかし農村は不況だし、今年も進学する 子は少ないと思うから、ま、なんとかなるだろう 願書の手続きだけはして上げると言った。 私は家へ帰って大いに不服を並べたが、そんな不服不満は誰もとり上げてくれな い。ばあやでさえ知らん振りをするのはなぜだろう。要めの原つばの子供達は親の手 助けだけしていればいいのだろうか。 私はその不満をみんなにぶちまけたいと思ったが止めた。なぜなら、みんなは私の 女学校へ行けるのをとても羨んでいるからだ。 思案中だと言っていた八郎は学校を出るとすぐに三河というところの瓦屋へ奉公に 行くことにきめたらしい。オレは三河へ行ったらもう兵隊検査まで帰れないんだョ、 前借の年期奉公で七年も稼がせられるんだといっているし、花子だってタネ子だって 194

4. みちのく子供風土記

先生は一番最初の日に、教壇へ上がると、この町には中学校も女学校もないから進 よそ 学する者は他所の町へ行かねばならないが、一体誰と誰が受験するのだ。わかってい る者は先生の方へ申し出ればいいし、わからない者は家へ戻ってからお父さんお母さ んによく相談して、放課後の居残り勉強をみっちりやるんだなア、学科の万も大分遅 むち れているそと、少し嚇かすように言った。そして生徒ががやがや騒ぐと、竹の笞で机 の廻りを。ほん。ほんと叩き、何かぼそぼそ言いながら睨むような眼つきでじろっと眺め る。それがどうも先生の癖のようだ。 八郎はすぐ先生の真似をして、私達を笑わせた。 家に帰って、私も受験勉強がしたいと言ったら、母は、何もこの日の短い時に居残 り勉強などすることはない、特別に勉強しなければ試験が受からないほどのバカ頭な ら、高い授業料を出してまで女学校に行く必要もないだろうと、鼻の先であしらうよ うな素っ気ない返事である。 A 」にかど、准一 どういうつもりで母はそんなことを言うのか、私にはよくわからない。 おど にら 192

5. みちのく子供風土記

昔 弟の足跡は雪に埋まってしまうし、吹雪で行く手は見えず、貪欲兄さんもとうとう あきらめて家さ戻るが、途中で道に迷い、凍えて死んでしまったどし。十二も土蔵を 持っ金持ちになっても、死んでしまったんではどっと払いだなンし。人間の欲張りは 一等ダメ、兄弟は仲良く助け合うもンだし。 ばあやはそれが言いたかったのだろうが、蓑吉は眠たそうにとろんとした眼で大き あくび な欠伸をした。 御大師講の夜は今年もどうやらひどい吹雪になって、雨戸をがたびし鳴らしてい る。雪は今朝から小止みなく降っていたから、明日の朝までには一尺も積るにちがい これが根雪になって、もうすっかり冬になるのだ。 この年も押しつまって、大正天皇がおかくれになったのは、それから間もなくであ った。日の丸の旗に黒い布がついて、なんとなく暗いお正月だったが、三学期が始ま ると、私達の受け持ちの先生がきまった。 年とった男の先生で、痩せて・ほそ・ほそしたものの言い方に、私達は何か馴染めな どんよく 191

6. みちのく子供風土記

ふびん んとも不憫で、とても手ぶらでは帰れなくなり、道を引き返してまた一思案、もう一 度兄さんに頼まなくてはと考えたのだア、したども、雪道を踏みしめる足は重く、寒 さは寒しでとうとう悪心をおこしてしまったど。盗人になっても小豆と米は家へ持っ て帰る決心で勝手知った兄さんの蔵へ忍び込んだどし。 ばあやはりんごの皮をむいて私達に一個すっ渡してまた語りついだ。 弟は盗んだ米の袋と小豆の袋を背負ってどんどん逃げて行ったが、悪いことは出来 ないもンだし、蔵の前から大きな足跡を雪の上に残したのにさつばり気がっかなかっ たじもの。飢えと寒さに震えながら、自分の帰りを待っている子供のことで頭がいっ ばいであったべなんし。 やがて兄さんが蔵の見廻りにやって来て、蔵の前の足跡に気がっき、米と小豆を盗 まれたことがわかると「おう、 し、待てエ」と大声をあげて追っ掛けたどオ、つかまっ てえへん たもンでは大変なことだなンす。それを見ていた御大師さまは、なんとかしてこの貧 乏な可哀相な弟を助けてやりたいと思って、雪の神様にお願いしてたもったど。 「雪の神様はどこにいる」 189

7. みちのく子供風土記

ばあやも風呂から上がって、頬っぺたをりんごのように赤く艶々させながら、待ち くたぶれている私達に昔コを語るのはたのしそうだ。 むがし、むがし或るところに二人の兄弟があったどし、兄さんはお金持ちで蔵を十 二棟も持ち、弟は貧乏だが子宝を十二人持っていたど。ある年のこと、弟の方は御大 あずき 師講が来ても餅をつくことも出来ないほどに、貧乏が底をつき、せめて子供達に小豆 粥でもたべさせてやりたいと思い、兄さんのところサどうかお米と小豆を恵んで下さ 春になったら、必ず働いてお返ししますからと頼みに行ったど。 兄さんは欲張りで、弟の頼みなど少しもきいてくれないばかりか、なんだと、米だ と、小豆だと、よくもはずかしくもなくそんなものを貰いに来たものだ。俺の蔵には な、小豆も米も山ほどあるが、お前等のような貧乏者にくれてやれる小豆や米は、一 この貧乏神奴、とっとと消え失せろと、怒鳴りつけ、薄 粒もないわいと悪態を言い、 情にも、戸口から外へ突き出してしまったどし。 たど 弟は涙を拭きふき家路を辿ったが、家では今頃子供達が、お父さんの帰るのをたの ろり しみにお腹をすかせて囲炉裏に火を焚き、湯を沸して待っているだろうなと思うとな がゆ 188

8. みちのく子供風土記

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9. みちのく子供風土記

八郎は筒つぼの袖ロへ互い違いに手を入れ、丸い輪をつくってそこへ頭を入れる支 那式のお辞儀をして土産を受けとった。照れ臭いからなのであろう。このお辞儀の仕 方はサーカスでお・ほえたのた。それからおもむろに、ふところへ手を入れ、細長いっ つみを出して、 「これはムツの子がくれたんだ」 とつつみをひろげて見せた。 まんげきよう 万華鏡たった。睦ちゃんはこれをどこで買ったんだろう。仙台だろうか、松島だろ うか。睦ちゃんは八郎を、八郎は睦ちゃんを、いつも軽蔑し合っているが、睦ちゃん : 八郎に土産を買って来るところを見ると、それほどでもないのだ。 「見せてやろうか、きれいだそ」 八郎は嬉しそうに、修学旅行に行けなかった不満を忘れて万華鏡を覗き込んでいる。 私達は安心して松島の海へ捨てたシャコの話をしてやった。 「オレなんか何を食ったって、中毒なんかするわけがねえしゃないかョ 案の定、八郎は唇をなめて、ひどく口惜しそうだった。 184

10. みちのく子供風土記

生の言いつけを守ってくれたからであると、校長先生は駅前広場でもう一度最後の演 説をやって、生徒は出迎えの父兄の手へ渡された。 私達、要めの原つばの子供達も八郎へやるお土産は、天長節に渡すことにして別れた。 修学旅行から帰って一日置いた翌日が天長節。 天長節にはみんな木綿の紋付きを着て学校へ行く。この日はもちろん授業はなく、 お式だけで紅白のおまんじゅうをいただいて帰る。 前の晩、ばあやは私達姉弟の紋付きや袴を取り出して、腰揚げや肩揚げの寸法を調 べてくれた。 ばあやの言葉を借りると子供は、によきによき背丈が伸びるので、春秋揚げをおろ さなければならないが、私の分はもうその揚げのおろしようがないそうだ。来年は大 人並みの本裁ちでなければとても駄目だと言った。昔なら女の子は十三になれば本裁 ちの着物を着て、そろそろお嫁入りの準備をしたものだという。本裁ちの紋付きをこ しらえてもらうのはいいが、お嫁入りの準備など真平た。それに来年は女学生になる ( 1 ) 大正時代の天長節は十月三十一日。 はるあき 180