こんろ 泥ンコ綱引きを最後に、連動会はお昼で終わり、子供達は体を拭いて焜炉まで持ち 込んだ各自の教室で御馳走にありついたが、私達の折角つくった日の丸の小旗はつい に役立たずであった。 ドプロクで酔っぱらう大人もいたし、まったく奇妙な運動会であった。奇妙と一一 = ロえ ば、もっと奇妙なことには、この雨降り運動会以来、八郎が政勝にえらく惚れ込んで しまったことだ。 「オレな、今度の日曜日に政勝親父ウと一緒に、風林堂へ仕事に行くんだそ と小躍りしている。 政勝はもともと指物師なのだから、戸障子でもっくりに行くのかと思ったら、そう ではなく、風林堂の御隠居の寝棺をつくりに行くのだそうた。 死後の用意にこしらえるのたというが、御隠居はビンビンしている。どうもおかし なことになってしまった。町の風習に従えば、死んでからでもお棺は充分間に合うは ずである。 政勝につくらせるとはどうした訳なのだろうと私の母は、風林堂さんから杉の柾目 まさめ
あとがき ふるさとのある人は幸福だというが、ほんとうに、ふるさとのない人があるのだろうか。 もしもふるさとのない人があるとしたら、それは記憶を失った人のことではないたろう 人間はどこかで生まれ、そしてどこかで育つ以上、いっかはそこを振り返ってみずには、 られないのだ。それがふるさとだと私は思っている。たとえ、それはどんなに貧しくとも、 小さくとも、人間は何かの思い出と一緒に生きてゆくものだと私は信じている。 みちのくの、私を育ててくれたふるさと。その小さな町に、私はこの物語の舞台を設定し た。思い出の中に、思い出の人々を自由に登場させながら、なっかしい山や川や、土や草 や、雪を渡る風、匂い、強く烈しい光を求めて私は存分に書きたかった。 もうめったに帰ることのないふるさとだが、おりにふれて私はなっかしく、思い出さずに いられない。 しかし、真実そこにはもう、私の思い浮かべるふるさとはない。ふるさとの小さな町も、 今ではすっかり変貌し、森も林も伐りひらかれて、原つばもない。昔の面影はもうどこにも 、刀 、 0
力が互角になると、風林堂さんも禰宜さんもじっとしていられなくなり、立ち上が って声援をはじめる。 政勝と染八が綱の中央で精根かぎりカを出し合っている。 孫市が歯のない口をあふあふさせて、綱の中央へまたやって来た。 「おお、政勝どうした。この腰抜け奴が ! それ、頑張れ ! 松葉町のちょろげ ( お わっしよい」 飾り ) 野郎になんそ負けるな、男の面汚しだそ。ソレ、わっしよい。 ちょろげ野郎がかんかんになって怒り、綱から手を放した。 「なんたと、このクソ爺イ奴 ! 」 孫市爺さんは年の功で、そんなことくらいでは一向動じるふうもなく、 「おや、妓さんたちお晩だなンす。あんまり顔をしかめてカむもンでね工し。それ、 そっちの別嬪。まなこ吊り上げて、歯くいしばってハンニヤみたいだョ。まずまず、 泡ふいてお前てんかんでも起こしているのでね工か。おや、この人モンべはかない で、アンビン風邪引くよ」 べっぴん 230
仲間日記 御隠居は急ににこにこして、 「その汚い着物は脱げよ。新しいお棺だ。汚さないように気をつけれ。裸になって寝 たら、こういうふうに胸のところで合掌して、どんただ気持ちになるもんだか、話コ してけれー と手の組み方を教えてくれた。 おれが早速帯を解きかけると、親父が怒った。 わらし 「止めれ、この馬鹿童子。お前だってまだ出世前の人間だ。死人の真似なんかさせて たまるか、よし俺が入る。そこを退け 親父はおれを突き飛ばし、フンドシ一本の裸で棺の中へ入った。 おれはなんだか少し悲しくなって涙が出そうになったが、お棺の中の親父は白眼を むいて、おっかない顔をして御隠居を睨んでいた。死人の顔はああいうものだろう か。おれなら、ちゃんと眼を瞑ってみせるが 親父がいつまでも白眼をむいているので、風林堂さんは歯の欠けたロをあけ、あっ はははと笑い つむ しびと
「政勝、どんた気分だ。死ぬのもまたいい気分でねが ? と棺の中の親父をからかった。 親父はプンプン怒っていた。 「あの死に損いの爺い奴、罰当っていまに死にたくも死なれねえほど長生きするど しやく おれも少し嬪にさわったが、貧乏人は仕方がねえ、ケチン坊の風林堂さんはそれで もおれに二十銭玉を御祝儀にくれた。 親父は帰りに松葉町でソ、、ハをおごってくれ、勘定の中からヒカヒカと光る五十銭玉 を一つくれた。 も、フ どうも変な気分だが、おれは死人にもならずに七十銭儲かった。これは修学旅行の が 貯金にするつもりだ。六年生は仙台まで修学旅行にゆけるが、おれん家のお父やお母 は、五円なんて大金は出してくれそうもない。ト / 遣い銭も一円位は要るとみんなが言 っていた。その分もためなければおれは秋の修学旅行に行けそうもない。 夕方、水汲みと豚の世話で大いそがしであった。おまけに風呂まで沸かした。寝て オ
綱引き と広いこと。高く澄み渡った空でお月様がにこやかに笑っている。 汗びっしより、カの尽きた子供達は動けない。雪の上に寝転んでいるのはいい気持 ちだ。起き上がれないほど頑張ったのだ。 とうとう松葉町組に勝ったのだ。要めの原の悪霊も退散した。大満足た。 勝った方がええ、勝った方がええ こ」ま 八郎は真っ先に列を離れて躍りながら唄い出した。誰だって勝った方がいい冫 っているが、八郎は特別の嬉しがり屋だから、顔をくしやくしやにし、手放しで喜ん でいる。それでも足りないのか、みんなの背中を叩いて廻った。 私もタネ子も花子も三つずつ背中を叩かれた。叩かれても勝って嬉しいから、誰も 文句を言わない。綱引きが終わると私達はすぐ家へ帰ったが、八郎の話ではそれから が面白かったようだ。 風林堂さんは孫市爺さんを狸の屁みたいな奴だと怒り、孫市も看護婦も車夫まで要 めについたと怒り、折角応援した松葉町組が負けたと腹を立て、そのあげくに孫市煎 餅を一罐買わされたと文句を いい、朝まで松葉館で妓コ達に機嫌をとられながらどん たぬきへ 233
いのち 「ああ、若い者達の威勢のいい声をきいていると、生命がのびてゆくように気持ちが しいことよ。見るは眼の しいもンだし。なア禰宜さん、見たかえあの妓共の腰つきの、 法楽と言ってなア、さわらなくともいいのだし。ああ、なンまいだ。なンまいだア。 いのちながえひしやく 年のはじめの生命長柄の柄杓をとりて、銭汲み、金汲み、宝を汲んで、旦那の身上の あがるように 御隠居さんはぶつぶつ呟くように眼を細くして半分眠ってしまっている。わっしょ わっしよいを子守唄に、湯タンボのぬくみでいい気持ちなのたろう。 「なんと、なんと、御隠居さん。今夜の勝負は一体どっちさ上がるのであんすべな」 「ああ孫市かーーー」 二人の間を割って入って来たのが孫市爺さんと見るや、風林堂さんは急に興味なさ そうにまたラッコの毛皮に頤を埋めた。 「禰宜さん。あなだ、この綱引きにお神酒賭けたらどうだすか。なんならわだしも煎 餅一罐賭けやんすよ。御隠居さん、あなだもひとつどうだすかー 「松葉町が勝にきまっている あご 226
「竹子先生はバカでない」 と政勝に突っかかった 「ああ、馬鹿でね工、馬鹿は男先生どもだア、なんだア、どれもこれもいい年をし て、こういう時は、前から抱いてもいいもンたべがとぬかしやがった。前から抱いて も、後から抱いても怪我人だ。早く医者に診せないことには死んでしまうではね工 が、と俺が怒鳴ったらョ、おや、気味悪いね工と来た。人間一人、生き死に関わる境 だっていうのにヨ、てめえのカカア以外の女は抱いたことがねえような紳士面しやが あお ったって、はじまるかよ。邪魔だ。そこ退けって突き飛ばしてやったら、蒼くなっ て、おい乱暴するのは止せだと。俺ア学校の先生てのは大嫌えだ。もっともガキの時 分から学校は好きでなかったから仕様がね工よなアー」 どうやら政勝は竹子先生が岩清水の下へ墜落した時のことを怒っているらしい。あ の時、政勝と染八が陣場岱にいなかったら竹子先生は本当に死んでしまったかもしれ 生 先よ、。 風林堂さんを呼びに走らせたり、怪我人をのせる戸板を借りて来たりしたの 子オし 竹 も、みんな政勝と染八なのだ。竹子先生は運がよかった。 149
というのは、私は今日風林堂先生のところへ行った。 風林堂先生というのは学校の先生ではない。お医者さまで、八郎の日記の中に出て くる金貸しの御隠居のところともちがう。 風林堂先生は町で医院を開業しているが、私達の小学校の校医だから、私達はお医 者さまと言わず先生と呼ぶのだ。 風林堂医院の睦ちゃんも私の仲良しである。本当の名前は睦夫で、風林堂の御隠居 の孫だ。ややこしくなったけれど、風林堂の御隠居は睦ちゃんのお母さんのお父さん になるそうだ。 睦ちゃんは頭がいいから級長である。でもお医者さんの子供にしては体が弱すぎ た。睦ちゃんは何事によらず大変な負けず嫌いで駆けっこだってなんだって一等賞を 貰う。死にものぐるいで走るからだ。だから決勝点までゆくとばったり倒れてしま そんなに夢中にならなくていいと思うが、そこが睦ちゃんのいいところであろう。 運動会の日は必ず倒れることになっているのだ。さあ睦ちゃんの番だと、合図がある むつ
ものもらい 私の麦粒腫は、二三日前から赤くふくらび出した。 ばあやはおまじないに、私を桶屋の花子の家へ連れてゆき、台所の窓からおにぎり とうも利き目はなかったようだ。ものもらいだから、乞 を一つ貰ってたべさせたが、。 食の真似をすればたいてい治るものだというが、どうもばあやのやることは眉つば でも迷信だと笑えないことだってある。蓑吉が咽喉に魚の骨をひっかけ、風林堂医 院でとれなかった時、魚をとる網をどこからかもって来て、蓑吉の頭にかけて、大漁 だ、大だと背を叩いたら簡単にとれたことがあった。 たまにはおまじないもいいものだが、母は風林堂先生に診ていただいた方がいいと 言った。 色ガラスのはまった風林堂医院の玄関を押すと、看護婦の加乃ちゃんが顔を出し、 はらいた 「今ね、睦夫あんさまが腹痛おこして大変な騒ぎをしているからちょっと待って下さ と奥へ引っ込んでしまった。 0 、」 0