テレビ - みる会図書館


検索対象: みみずのハナ唄
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1. みみずのハナ唄

あの兄貴に十四歳のまだがんぜない頃から、スパルタンに徹底して滅茶苦茶に仕込ま れたので、甘い性根の俺もなんとかこの歳まで生きて来られたと、この頃になってつく づく感謝している。 それにしても阿部錦吾は、凄い男だった。 民放テレビがはじまった頃だから、あれは昭和三十年代もまだ初めのことだったと思 どこかからモノクロのテレビを手に入れた兄貴は、 「カステラ一番、電話は二番」 とカ 「ワッワッワー、輪がみつつ・ なんてがはじまると、さっとお茶を入れたりトイレに行ったりする舎弟の俺を、 拳固でひつばたいた。 「馬鹿もん、テレビはこの広告が急所なんだ」 つかないところにイチャモンをつけるのがヤクザで、テレビの広告はその稽古に一番 の レしいと阿部錦吾はいったのだ。 は「ナニッ、そいじゃなにか、俺はカステラと電話の次で、三番だってえのかい」 なんて、兄貴は考えていたのだろう。 まだだとかなんて一一一一口葉は、一般的ではなくて、広告とか宣伝なんていってい

2. みみずのハナ唄

144 某月某日 仕事をひとっ了えると、次にとりかかる前に、なにか気分を変えることをしなければ、 俺の頭はスイッチが切替らない。 散歩したりビールを呑んだりすることもあるが、そんなに優雅には出来ないときは、 仕方がないからテレビを見る。 自分で「出たがり譲二」を決め込む割には、俺はテレビに批判的だ。八割五分までの 番組が、下らなくつまらない。 ばんやりテレビを見ていたら、画面ではふたりの釣師が鯉を釣っていた。 うめ それがなんと「吸込み」で鯉を釣っていたので、俺は小さく呻き声をもらした。 安部流釣りバカ日誌

3. みみずのハナ唄

某月某日 テレビ・コマーシャルに出ることになった。「リリカラ」という壁紙メーカーの O である。 マネジメントをしてくれている赤尾の健ちゃんは、 「この辺でひとつやっておかないと、安部譲二は主義としてには出ない、なんて思 われてしまうかもしれない」 とい , つ。 みじよう それに俺の場合は正直な話、身状が特殊だから、あまりに出ないと、なにかプラ : と勘違いされてしまうこと ックなことが倫理規定にひっかかっているのではないか : もある。 O はテレビの急所

4. みみずのハナ唄

174 某月某日 伊東で地震があった。 テレビに出て来るなんとか委員長とか学者の先生を見ていると、いろいろプレートだ とかマグマなんて、専門用語はご存知なのだが、それが急所の、これからどうなるのか : ということは、ごく曖昧なのだ。 「本当のことをいうとバニックになるから、口止めされているんだ」 なんて、知ったげにいう奴がいるのだが、そんなことはない。 これからどうなるかわ からないのに決っている。 本当のことを知っているのに、口止めされていていえないのか、本当になにもわから にら ガラス ないのかぐらい、テレビを三分睨んでいれば、硝子なのだ。 買いかぶりというものは、滑稽だけど怖しい結果をもたらすこともある。だから、よ くよく睨んで見極めなければいけよ、。 昭和五十四年に出所した俺が、味噌汁にする蟹を獲りに葉山の磯に行き、腕組をして 御用邸を見ていたのを、どこかから馬鹿が見ていて、 「ナオは革命か地揚げの絵図を画いている」 といったのも、思えば気宇壮大な買いかぶりだった。

5. みみずのハナ唄

236 それでは皮肉とあてこすりが上手で、大袈裟でスピードのある久米宏には、余程魅力 のある男でなければ敵わない。 視聴者にしても、そんな程度の内容で満足しているから、テレビも新聞も、戦争中か らニュースは質的な進歩はないと俺は思っている 若い諸君は、一度戦争中の大新聞を図書館で読んでみるといし まだマスコミには、敗戦のオトシマエがついていないのだ。 某月某日 先日放映した「家の中の懲りない夫婦」の視聴率が良かったと、皆とても喜んでくれ る。 その人たちのようには視聴率というものを信じていないし、とて 俺も嬉しいのだが、 うさん も胡散臭く思っているので、どうも素直に手放しで喜べないのだ。 家庭のテレビになにか仕掛をつけると聴いたが、こんなに大勢友達がいるのに、そん な物がついているとか、つけてあったなんて話は聴いたことがない。 それにわすか三百台しかつけていないというのだから、俺は統計学なんて知らないが、 それで正確な数字が出るなんてとても思えない。 内緒でとりつけたら失礼千万だから、断わってつけるのだろう。 おおげさ

6. みみずのハナ唄

あいかわらず 相不変とてもチャーミングなので、俺は堪らず、前でバタバタしてしまう。 グレート この方がデビューなさって間もない頃、亡くなった偉大なマネジャーの吉田史子さん さっそう に頼まれて、まだ颯爽としていた売出しの俺は、帝劇にキャデラックのフリートウッド を運んで、この方の護衛をした。 あれは昭和四十二、三年だったか : ・ 俺はすっかり頭の毛が少なくなって、動きもノソノソしてしまったのだが、二十数年 の歳月が流れても、加賀まりこさんは変らず素敵なのだ。 いったいなにを召上っておいでなのだろう。 某月某日 E*22tJ) の「たけしの頭の良くなるテレビ」に出演した。 テレビに出ると単行本が売れなくなる、と出版社の人たちには嫌な顔をされるのだが、 今日は直木賞作家のねじめ正一さんと一緒だから気が軽い。俺だって、少しは気にして いるのだ。 プロデューサーに、 三雲孝江さんはもうお帰りになってしまっただろうかと呟いてみ たら、なんでも口にしてみるものだ、電話をかけてくださった。 控え室まで来てくださった三雲孝江さんと、自動販売機の横で、年末にどうでも一杯 呑もうと話していたら、通りかかったビートたけしに、「見いちゃった、見いちゃった」

7. みみずのハナ唄

O はテレビの急所 神様からのエルドラド 安部流釣りバカ日誌 たず 故きを温ねて新しきを知る 幻に終ったオペラ出演 俺がアメリカ贔屓なわけ 大好きなタンク・トップ 地震は忘れた頃に : ゴロッキ流将棋の真髄 一九八九年夏、北の国へ ふる 165 18 155 149 144 137 131 183 177 171

8. みみずのハナ唄

某月某日 出たがり譲二と人にいわれ、自らも称してこれだけテレビに出演して来た俺なのに、 ポロポロ涙をこばしたのは今まで覚えがない。 俺が出ている日本テレビの「追跡」という番組のスタッフが、これまでしきりと生存 が伝えられていたが確認出来なかったタイの旧日本兵二人と接触して、証拠の手紙まで 手に入れたというのだ。 らそれそれ七十六歳と七十一歳とおっしやるのだから、もうそれだけで胸が熱くなって ロ いたというのに、画面では俺と同い歳ぐらいの娘さんがインタビューに応じられてい ~ 炳っ ) 0 六歳の頃に父親と別れたというその娘さんは、想い出を語った後で、 病は口から

9. みみずのハナ唄

某月某日 で週日の夜十時からやっている「ニュースデスク」は、以前は俺の大好きな三 雲孝江さんが出ていた「プライムタイム」だった。 俺は、三雲孝江さんが「プライムタイム」のキャスターに決ったとき、同年輩の友人 でいずれも「かくれ孝江」の三人と一緒に、真夜中の二時にの前で何度も大声で 万歳をしたほどだから、六時半のニュースに移ってしまったのが悲しかった。 「十時と六時半じゃ、十時が兄貴じゃないのか」 と、テレビ・マンに訊いたら、俺の剣幕が大変だったからかもしれないが、曖昧なこ とをいわれて、はぐらかされたのは気分が悪い。 俺はゴミか :

10. みみずのハナ唄

某月某日 マネジャーの和佐田トロロは二十四歳の好青年で、マネジメントを頼んでいる会社に 入って五年目だという。 骨惜しみせずに、親身になってくれるので、俺は本当に感謝している。 へ 国そのトロロから電話があって、から初めてテレビ出演の依頼があったと嬉しそ うな声でいった。 年「待て喜ぶな、番組によるぞ」 と俺が慎重な年長者の手本のような声を出すと、トロロは悪くないという。 九 一脚本家の倉本聰さんは、六年前から北海道の富良野で、俳優と脚本家を志す若者たち のために富良野塾というのをやっていらっしやる。 一九八九年夏、北の国へ