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検索対象: わたしの出会った子どもたち
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1. わたしの出会った子どもたち

タッちゃんのような人間に出会いながら、ぼくは文学をやりはじめ、いっそう傲慢な人間に なり果てていったのだった。 「いっかタッちゃんのこと小説に書いたるでえ」 といいながら、友だちの誰にも、タッちゃんのことを話さなかった。そういう人間が落ち 艚ていく先は、お決まりのデカダンスだった。 の タッちゃんの前では楽天的な人間であるようにふるまいながら、そのくせ、ある女性にだ らしなく小遣をもらいにいくという生活や、自分が睡眠薬の中毒にかかっていることは、ひ い とた隠しに隠していた。 そんな生活をつづけているぼくの前からタッちゃんが姿を消したのは、一九五三年の秋で を ある。ぶつつりとぼくの前から姿を消した。 い二年たって、ぼくは一通の封筒を受け取った。裏に「タッちゃん」とだけ書いてあった。 は 封筒をあけると、うすっぺらな一冊の雑誌がころげ落ち、タッちゃんの手紙はついになか ぼっこ 0 タッちゃんの送ってきた「きりん」という雑誌をぼくはぼんやり見ていた。 ぼくは雑誌のページをくった。 「今月号は君の『ぼくは悪いことをした』という作文を一つだけのせることにしました。 四こんなことは『きりん』がはじまっていらいのことですが、よんでいくうちにどうしてもみ ごうまん

2. わたしの出会った子どもたち

たがない。文字が文字にならない。 まことにつらいことを書かねばならないけれど、この糾弾で、ぼくは自分の差別性を理解 したわけではなかった。 はじめはふくれつ面をし、それから途方に暮れたと書けば、そのときの状態を比較的正確 に伝えることになるだろうか 同盟の人たちにとって、救い難い人間にうつったことだろう。 これはたんなる差別事件ではない。人を踏みつけて生きてきたその象徴的な現われの一つ 供 舒である。しかし、そのときにはそれがわからなかった。 っ しかし、ぼくにもいくらかの良心はあったのだろう。 会 の兄を狂わし、今、またこうして糾弾を受ける。自分の生き方が何か決定的に間違っている たという子感はしていた。そして、そのことに深い絶望を覚えていた。 ぼくにも自分に絶望するだけの良心はあった。 前にも書いたことだが、兄が自殺をはかる数日前、ぼくの家に泊まっていったことがある。 あらぬことを口走るだけではなく、発作がおこると何をするかわからないという不安があっ た。兄ョメは刃物を隠し歩いていたくらいである。 兄の横にねていて、自分のからだが固くなっているのがよくわかった。しかし、やつれて 土気色の顔をしてねている兄を見て、ぼくは涙した。涙を止めることができなかった。兄に

3. わたしの出会った子どもたち

六歳の子どもが、両親に捨てられるということは、想像を絶する絶望であろう。その絶望 の中にあって、なお優しい人間であろうとするこの美しい人間を前にして、わたしは言葉が ない。 あおやま・たかし君の唯一の救いは、この思いのたけをぶちまける教師がかれの前にいた ということだ。 その教師・鹿島和夫氏も、また、極貧の中で育つ。小学生のとき、貧しさのゆえに、友だ 抗ちを家に連れてくることも恥じたという。 ある日教師が家庭訪問にくる。 鹿島氏の母はお茶うけ用のヨウカンを無理して買って出す。 優 その教師はそれに手をつけなかった。そのヨウカンを紙につつんで持って帰ってもらう。 その教師は外に出ると、人のいないのを見すまして、それを道端にぼいと捨てたのであっ 鹿島少年は物かげから、その教師の行為を目撃する。 ョウカンを拾って持って帰る。それを受け取った鹿島氏の母は、カまかせにそれを床にた たきつけたという。 「ヨウカンは欲しかったけど、そのヨウカンだけは食べたくなかった」 こ 0

4. わたしの出会った子どもたち

を向いて 義足が鳴る。熱い息が出る。さとるはけんめいに駆けていた。 しかし、さとるがやっと折り返し点を回ったとき、さとる以外の子どもたちは全員ゴール に駆けこんでいたのであった。 広い運動場をさとるはひとりで駆けていた。運動会特有のあのやかましい音楽が奏でられ ているのに、運動場はしーんとしているーーそう感じてしまうような雰囲気だった。 ち いつ、ころんで泣き出すか、観客のそんな思いが、まわりの空気を固く、冷たくしていた。 長さとるはしつかり前を向いて駆けていた。前に広がる青い空だけを見て駆けていた。自分 つのカのありったけを出して駆けていた。 出無心の眼だった。 いっか観客はその眼に吸いこまれていた。 わ 観客のはらはらした気持が、感動にかわりつつあった。 さとるがゴールに近づいたとき、猛烈な拍手がおこった。突風のように 手はいつまでもいつまでも続くのだった。 あの激しい拍手は何だったろうか。 さとるのカ走を見ていた数千人の子どもたちと親たちは、そのとき、さとると同じように 片足をなくし、義足をつけ、そして走ったのだ。そうでなければ、あんな、すさまじい熱い ふんいき 。しかし、拍

5. わたしの出会った子どもたち

供の私に中絶はショックでした。 xx 先生の紹介で今のお店にうつることが出きました。前の店で 3 年今の店で 3 年目にな ります。 昨年の今頃 % 日にご主人が住み込みの私のへやにきてへんなことをしようとしました。私 はショックでしたが出きるだけの声を出していました。奥さんとご主人と私とで泣きながら 話しました。 私は前の店のことを奥さんにないしょにしていました。このご主人だけは大丈夫と思って スキがあったのかもしれません。 き「もうしない」と言うことで私は今の店でがんばっています。私にはよくして下さいます。 でもショックです。ずーと消えることはないと思います。 ( このことは x x 先生にも言って 生いません ) 幻年間生きてきて女であることお金のないこと生活のことずーと考えています。これから の母のこと妺 2 人の幸せのこと。 この 2 月からア。ハート借りてもらって 1 人で生活しています。 宮城まり子さんが大好きです。「太陽の子」ふうちゃん大好き。 今私は考えます。 3 度の食事が出きて人並に物をもって人と話が出きることうれしいです。そして今までの 233

6. わたしの出会った子どもたち

希望への道 子どもたちの「生」の中に、「逃亡」という文字はない。ぼくが教師として、子どもたち と共に暮らすようになって、その子どもの見事さにうたれながら、それが同時に、ぼく自身 えいごう 道を永劫に責めつづける刃にもなるという事実の前に、ぼくは立ちすくんだのだった。 の児童詩の古典といわれる作品がある。 へ 望 雪 希 103 雪がコンコン降る 人間は その下で暮しているのです 石井敏雄 無着成恭編『山びこ学校」百合出版刊より

7. わたしの出会った子どもたち

ぼくの前にくると 「やあ」 と気さくにいった。 思わず会釈する。 失礼な話だけれど、ぼくははじめ、乞食かと思った。 初老の小柄な男で人なつつこそうな眼が奥で笑っている。 ち 男は、飯ごうを取り出して海水を汲んできた。そこへ拾った貝を人れている。 供 舒はははーんとぼくは思った。酒のサカナを作ろうとしているのである。 っ 手提から泡盛のビンがのぞいていたので、それがわかった。 会 の男は貝をゆでると、泡盛のビンを取り出した。 「あんた、やりますか」 わ ちょこ と、ビンのふたを猪口がわりにした。 「おじさん、どこからきましたか」 なんとなく親しみを感じて、ぼくはそれを受けながらたずねた。 「広島だな」 と男はいった。 「はあ」 120 こじき

8. わたしの出会った子どもたち

に、なんで本職の方では。へケばかり出したんやろなあ。それが病気いうもんやろか」 兄の親友だった中尾さんが、ぼくの後ろでぼつんといった。 「なにを人れるつもりやったんやろ」 ぼくは小さな声でつぶやいた。 「えっ ? 」 「いや」 と、言葉をにごした。 ( きれいな箱ゃ。このきれいなもんがどうしてぼくに見えなんだんや ) 中尾さんがいなければ、ぼくは号泣していただろう。 あの冷たい目つきの人たちが、ぼくを送って出た。この前どうしてあんな冷たい目つきを していたのかと不思議に思うくらい優しげな目つきなのだった。 co 組のとしぼんたちは、そういう使い分けできる目ン玉は持っていなかったなあと、ぼん やり、ぼくは思っていた。 ひとりの男は、手にジョウロを持っていた。 正門のすぐそばの一角に、ひとつまみの土があった。青い芽がのぞいている。 菊ですか、とぼくはたずねた。 菊です、とその男はこたえた。

9. わたしの出会った子どもたち

変わるということ 守口市の梶小学校で授業をさせていただいた。長年、つづり方教育に取り組んでこられ、 古くからの「きりん」の協力者でもあった吉田俊一校長のご好意によるものであった。 ち 六年一二組の子どもたちを前にして、ぼくは黒板に「やさしさについて」と書いた。 「きようはノートをとったり、何かを覚えるという勉強ではなく、一つの問題をみんなで考 っえる勉強をしたいと思います。〈やさしさについて〉といっても、漠然としていますから、 出はじめ、〈かわいがる〉ということから考えていきましようか。人間の赤ちゃんをかわいが るということと、大の子をかわいがるということはいっしょですか。それとも違いますか」 わ 久し振りの授業だった。 子どもたちより、ぼくの方が緊張していた。子どもたちは活発に手をあげ、つぎつぎ発言 してくれた。 「ぼくはいっしょやと思います。なぜかといったら人間の赤ちゃんも、大の赤ちゃんもいの ちに変わりはないんだから : : : 」 「もし火事がいったとするでしよ。人間の赤ちゃんと大の子がいたら、だれでも人間の赤ち 216

10. わたしの出会った子どもたち

わたしの出会った子どもたち 元気にしていますか。那覇には数日いただけなのですが、観光客のふるまいに胸のむ かっくことばかりでした。沖縄の人たちはどんな気持でくらしているのだろうかと思う と、胸が痛くなります。 国際通りの本屋で買った、「青い海」という郷上月刊誌に次のようなことが書かれて ありました。 「沖縄は基地経済から観光経済に移行している。観光は三、つまり三つのですすめ られ、一つは戦跡地、そしてショッピングにセックスである」 また、次のようにも書いてありました。 つらいことです。 あす、八重山にむかいます。 これらの手紙は、ノートの落書きを破り捨てる前に書いたものである。今、読みかえすと いい気なものだという気がする。 可能な限り働いて生活をしていたとはいうものの、どんづまりにくると星さんの厚意にす じようとう がっていたというところも、よわい人間の常套だ。 こういうこともあったのだということをさらしておく。 「″笑いの止まらない人がいる一方では " 涙の止まらない″人たちがいる」 なは