顔 - みる会図書館


検索対象: わたしの出会った子どもたち
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1. わたしの出会った子どもたち

別離の向こうから 「人間てなんだろう」 それはそのときのぼくにとって、ずいぶん青くさいことばだった。それで、そういう顔つ きになった。兄はいっしゅん悲しそうな顔をして、それからもう何もいわないで向こうをむ いた。 そのとき、ぼくは兄を殺した。 岡本凉子という十一歳の少女の死にふれておく。 九組の八木さんから岡本さんが死んだということを聞いた時、ぼくはまさかと思っ ていたが、八木さんがうそをつくわけでもないし、しかし、ぼくはしんじられなかっオ 朝会が終わって教室にはいってみると、みんな、「ほんまア」「うそとちがう」とか話し ていた。しばらくして先生がはいってきた。今日の先生は無ロで、青い顔をしていた。 そして机にうなだれていた。しばらくしてたちあがった。先生は大きな字で、黒板に ( 岡本さんがなくなりました。かなしくてものがいえません。今日はおとなしくべんき ようをしてください ) と書いた。 ( 中略 ) 最後のおくりものを、おかんの中へいれてあげ ぼくは岡本さんの手と顔をみた。まるでマネキン人形にそっくりでした。ぼくは花 をいれた。二度いれた。海津さんたちはないている。ぼくはなきたいのをがまんして外

2. わたしの出会った子どもたち

別離の向こうから た それが、ごく普通の人間的な望みとして考えられているものなら、それはそれで、じゅうぶ ん健康的なものの考え方であるが、今在る人間の関係を正常で建康なものに戻したいために そうするほかないと考えた上でのことであるなら、彼がそのような考え方にたどりつくまで の傷つきようは想像に絶する。 その日、兄はぼくの家に泊まっていった。 兄はいびきをかいて眠っていた。、、 ほくはじっと兄の顔を見た。上気色だった。 この顔が、日本の山をほとんど登ってきたスポーツマンの顔とは思えなかった。 あざやかにスナイプを操っていたヨットマンの顔は、もうどこにも見ることができなかっ ぼくは胸が熱くなり、こみあげてくる涙をもてあました。 兄が死んでから数日して、兄の遺留品を受けとりにいった。ぼくは木型工だった兄が愛用 していた鉋やら作業衣をポストン・ハッグに詰めた。みんな兄のにおいがした。 ロッカーの上に木箱があった。なんのかざりもない、それでいて奇妙に優しい木箱だった 小さな箱なのに開けると中はずいぶん広く感じられた。 なんだろうとぼくは思った。 「休み時間に、せっせとそれを作っていましたよ。指物師が顔負けするようなええ仕事やの かんな

3. わたしの出会った子どもたち

二つの盗み ぼくの家に、昔の古い写真が一枚ある。 ぼくの父が兵隊に行く日、記念にとった写真で、ぼくが小学一年に人学したてのころのも のだ。 長正面に、軍服姿の父がいた。軍服姿といえばきこえはいいのだが、二等兵の着る軍服は、 職工服といわれるナツ。ハ服とそっくりだった。 会 出京都のお茶屋に生まれたぼくの父は色白で役者のような顔をしていた。軍服は似合わない。 父の前にぼくの兄二人がいた。ポーイスカウトの制服を着て、いくぶん緊張した顔で映っ わ ている。ぼくは祖父のひざの上に手をおいて、まっすぐに正面を向いていた。黒の大きな帽 つりかわ 子と吊革ズボンが、ちょっとおしゃれな印象をあたえていた。 俗にいうアツ。ハツ。ハを着て映っているのは一番上の妹である。ふちの大きな帽子をつけて おどろいたような目をしている。母は右端で赤ん坊の弟を抱いて神妙な顔をしていた。下の 妹二人はまだ生まれていなかった。 ぼくはときどきその写真を持ち出してながめることがある。

4. わたしの出会った子どもたち

といった。とうちゃんがいうたといったら、かあちゃんは 「うそゃ。さとぼうがうるさいから、じゃまくさいから、いきかえるんやとうそっいと うねんや」といった。 ほんなら、ぼく、たいいんしても、いつもばんになると、なきそうにならんならん。 わすれようとおもても、わすれられへん。せんせい、わすれさせてえな。 車地獄がかれの楽天主義にくもりを与えたことは確かだろう。しかし、かれから楽天主義 ち を奪い取ったか。 代さとるは一週間ほど学校にきて、それから、ときどき学校を休むようになり、あるときを っ境にばったり学校にこなくなった。 出ぼくは、かれが学校ぎらいになった原因をいろいろさぐってみた。家を訪ねたり、手紙の やりとりをして、かれの心をひらこうとしてみたり、ふつう、教師のやりそうなことはみん わ なやってみた。 友だちがいじめたというわけでもない。担任のぼくがきらいというわけでもないらしかっ べんきようは好きだというのである。じゃ、どうして学校にこないのとたずねると、と たんに口を貝のように閉ざしてしまうのであった。 親が親の顔をし、教師が教師の顔をして理詰めで攻めてくるーーそういう世界がさとるは いやだったのだろう。そういう世界に孤独を感じていたのだろう。

5. わたしの出会った子どもたち

スピードというものをとりこんだぼくたちは、かわりに失ったものがいくつもある。 「あんな子、生きとって : : : 」という一一一口葉はそっくりそのまま、かの女からぼくたちに向か って投げ返されている言葉なのだ。 ある日、ぼくは重大なことを知る。 かの女をプールへ連れていったときのことである。 危険がいつばいの子だからと辞退する親を説得して、ぼくはかの女をおぶって連れていっ 道たのだった。 の水着に着替えさせ、水に人れると、かの女は嬉々として手足を動かすのである。 ( 意外だった。 ほくはいくぶん拍子抜けした 望そういう子だから、水は恐がるものだとばかり思っていた。。 希 ような気分にもなったけれど、かの女の喜びがぼくにも伝わって、ぼくは、胸が熱くなった。 プールの端から端へ、かの女の体を支えてぼくは進んだ。 顔に水がかかると、いっしゅん息をつめ、それから何かおいしいものでも食べたように、 ぶああんと満足気に息を吐いた。 二十五メートル進んで、かの女はプールサイドに手をかける。かの女は振り向いて笑った。 ほんとうに美しい笑顔が、ぼくの顔を見上げている。 信じられないことだった。 こわ

6. わたしの出会った子どもたち

わたしの出会った了・どもたち の オどノ、 後吐 風た 冷 ら門 たす 場汗 中 取な た人 かか い ぐ電 板 当胸 の て組 がな 上 に 寝 糸は一 つを 転中 ん 為顔 損た 牛と で 天 洗体 顔が を後 の 冂 の追 ン歩 い を 眺 か事 よ所 め る食 鉄や 風を が 休 ま った 、て る囚 歩た の人 内そ は そ 。た で社 ん な の船 組と き む呼 だ け 仕や でれ だ事 の る う な イイ ( 臭 の で し う よ う に し て と る の よ う だ た 食 嘲 しう昼 あ っ て 食 事 の に す る そ の と き 鏡 の 中 の 汚 れ た 自 分 の 顔 を 見 て 自じ れ つ 、た ら錆こも と が埃り る な に 。黒チ つ : 真 や ま ち た でり ッ チ の ぼ く は 熔 接 棒 の さ棒穹 を 、拾 て く イ士 か ら ら さ れ の っ の と ロ を オこ 、人者かた不 れ い 成だ熔 き で き い も い た の前陰ぼあ広た く の っ S ぐま る電た 風 つ接豸 を 。主 た る 業 種 に し て い た が 人 び と に ひ そ か に 外 部 隊 科 の あ る や ヤ ク 。ザ に り ね た 者 何 か の 理 由 で 保 証 人 の 立 て ら れ な い 人 や 祝 み 書 と き に だ つ い ら る 。写外 を 。社ほ 真工は は は通ろ た門ろ く い 30 こ ん で ち長屑享 セ ば り の 片 を 拾 て く 虫 . よ う な 事 に つ け 。た 小 さ な 記 章 を 見 る か 見 せ な い か で て い く : 本 工 と ら る 身 日月 の よ う も を た の に は る こ と を 許 さ 分別職 証だ場 聿た転 か な馬た い こ せむ船 う 首な下 々 し の 相く言目 検がけ あ っ こ い列外 を の あ 工 と な た 工 た

7. わたしの出会った子どもたち

優しさの源流 143 が、ずーと雨にたたられつばなしでした。船も飛行機も出ず、一週間カンヅメ状態でし た。製糖工場でやとってもらいましたが、雨のため糖キビが人荷せず、一日でクビ。 土方のくちがあったのでよろこんでいったら、やつばり雨で仕事ができないといわれ てしまいました。 お金を節約しなくてはならないので、空屋にはいりこんでねました。寒くて、オレ、 なんのためにこんなことをしているんやろと涙が出ました。ムダなことをしているよう あんど にも思いますが、どこかで自分の確かさに安堵しているようにも思います。こういう子 どもじみた生き方は ( 注ーーー今ならこういういい方は決してしないのだが ) 、星さんからみると ゼイタクに思えるでしようね。ごめんなさい。お金を送っていただいたので、あすは小 浜島という小さな島へ行きます。 あまり小さな島はアル。ハイトができないので、お金がないといけないのです。お金の ありがたさが身にしみます。大事に使います。こちらにくる前、偶然のことから足立さ ん ( 足立巻一氏 ) に会いました。 ビールをごちそうになって、三時間ほど話をしました。ぼくが八重山にいくというと たいへん賛成してくれました。 沖縄に行ってコク・ハンを捨ててこい ( 多分、学校の先生の顔を捨てろという意味だと 思います ) といっておりました。足立さんもだんだんいい顔になりますね。

8. わたしの出会った子どもたち

沖縄戦では数々の悲劇に遭遇する。食べているにぎりめしを日本兵に奪われたこともある。 ス。ハイ容疑で日本軍に惨殺される小学校長を目の当りにする。泣き声を立てると米軍に発見 されるという理由で、我が子を殺さなければならなかった母親の悲劇もまた目撃する。 地獄としかいいようのない修羅場だったろう。地獄はまだ続く。 e 氏はいうーー沖縄に上陸した米軍は沖縄の女性を見るなり、「ライオン」「トラ」のごと くおそいかかり、暴行したあげく、父と娘をはだかにして、親子で〇〇〇こいをやれと言い、 やらなければ竹ざおで「インプ」と「インケイ」をつつき、楽しんでいる事を見ましたら、 戦争はこわいものでなく、かなしいものと思うようになりました。 苦 そういうことが一度や二度ではないのだった。 肝ある女性が米兵に輪姦されるのを e 氏は目撃するのだが、数年後、その女性が教師になっ ていることを知る。 よく同じ道を通るので顔を合わせるのがつらくて、横道にそれると、その女性も横道にそ れていて、ばったり顔を合わせて・ハツの悪い思いをしたという話もある。 えんざい 氏が最初に刑務所にはいったのは冤罪である。盗まれたカメラを取り戻しにいった現場 で、いっしょにいった友人が盗みを働くのである。 e 氏は共犯者にされるのだが、取調中に こうがん 拷問を受け睾丸をつぶされる。

9. わたしの出会った子どもたち

別離の向こうから 兎は沈黙を守った 客の帰ったあと あにはいったものだ つかれた顔は決してするな 以心伝心ということもある 兎はまっすぐ運河を渡っていた 悲しい話に身が軽くなっていたが 泳ぎ渡るには都合がいいと 兎はみずから思いこんでいた 淋しい話を一手にひきうけ それは決して美しい話ではないと ひそかに考えているふうだった けんそう 喧噪な鉄の音がきこえてくると あにはいったものだ

10. わたしの出会った子どもたち

「恐いなあ」 ぼくはぼそっとつぶやいた。 盗んだトウモロコシを焼いているあいだ、ふたりとも面白いように手足がふるえた。どう かしてそれを止めようとするのだったが、どうにも止まらなく、ふたり思わず顔を見あわせ トウモロコシはみんなで食べた。 ち 人間は飢えるとどうして目が光るのだろうか。 代五歳の弟も一二歳の妹も、ぎよろぎよろ目を光らせて、トウモロコシにかぶりついていた。 会 出 チューインガム一つ の わ せんせいおこらんとって せんせいおこらんとってね わたしものすごくわるいことした 三年村井安子