はちす っと血が出尽くしたところで、蓮の葉を煮て、その汁で 傷を洗うと、唇はひどく腫れ上がった。その後、傷は化 のう 膿して、男はしばらく床に就いたのであった。 これを見聞した人は、主人をはしめみな、気の毒だと ちさフしさフ は言わすに、愚かな男よと嘲笑したのである。もともと じようだん 薄馬鹿の男が、つまらぬ嘘冗談を好めば、かかる愚行を わずら 演じることになり、そのあげく、病み患い、人に嘲笑さ れるのがおち。男はその後、そうした冗談を言わなくな 仲間の者たちは、そうなればそうなったで、ま た笑った。 亀の首は、四、五寸も伸びるものである。それに口を 近づけて接吻しようとすれば、食いっかれない方が不思 議なくらいである。こういう愚か者もいたのである。世 の人々は、度の過ぎたつまらぬ悪ふざけは慎まなければ ( 巻二十八・第三十三 ) いけないと評したそうな。 せつぶん つつし 谷に落ちた守の殿が茸を取 0 て上が 0 た舌 かみふじわらののぶただ しなの 任地へ下 むかし、信濃の守藤原陳忠という人がいた。 じようらく って国を治めていたが、やがて任期を終えて上洛の途に みさかとうげ いた。御坂峠・にさー ) かかる 荷を負った馬、人を乗せた馬の数知れす続いた道中で かみ しなの あった。ところで人もあろうに、信濃の守の乗っていた かみ あとあし かけはし 馬が、懸橋の端の木を後肢で踏み折り、守は馬もろとも に谷底に転落したのであった。 底知れぬ深さだから、とても生きていようとは思えな ひろ : 谷底には二十尋もあろうという檜や杉の大木が生え はる ているが、その頂上の梢すら、遙かの底に見おろせると いうのだから、谷の深さの想像もっこうというものであ ついらく る。その谷底に墜落したのだから、無事なはすはないの かけはし ろうどう である。大ぜいの郎等どもが、みな下馬して懸橋の端に 並んで谷をのぞいたが、さりとて手の施しようがない こう 「降りることのできる所があれば、降りて行って守の殿 のご様子を確かめるのだが、これではどうしようもない まわ もう一日歩いて、谷の浅い方から廻り道して尋ねてみよ とうしたもの う。ここからでは、降りる手だてはない。、、 でござろ、フ」 などと、ロぐちに言い騒いでいると、遙か谷底から、 かすかに叫び声が聞こえてきた。 こう との 「守の殿が生きておられるぞ」 しなの かみ 上からも呼びかけると、信濃の守が何か叫んでいる声 が、遙か遠くから聞こえるのである。 こずえ ひのき との
「何かおっしやっておられるぞ。静まれ、聞け、聞け」 と耳をそばだてると、 なわ 「旅籠に縄を長く付けておろせ」 と一一一一口っている。 してみると殿は、何か物につかまっておいでになるの ひきなわ だと郎等どもは、馬の曳縄を集めて結びつなぎ、それに 竹皮で編んだ旅行籠を付けて、するすると谷におろした。 、つばいに縄をおろすと、縄の動きが止まった。殿の もとに届いたらしい。そう思っていると、谷底の方から、 「ト小し、引医」上げよ」 という声が聞こえた。 「それ、引けと申されたぞ」 と言って、たぐり上げたが、いやに軽いのである。 はた ) 」 こう との 「なんと軽い旅籠ではないか。守の殿が乗っておられる なら、もっと重いはすだが」 ろうどう と、一人の郎等が言うと、別の郎等が、 「木の枝などに取りすがりながら上っておられるのであ ろう、それゆえ軽いのであろう」 そのようなことを言いながら、集まって縄をたぐって はたご かご いるうちに、籠が上ってきた。ところが引き上げた籠 ひらたけ いつばいに平茸が詰まっていただけであった。 ろうどう わけがわからない。郎等どもは、互いに顔を見合せて、 「これはいったいどうしたことだ」 と言っていると、また、下から声が聞こえて来た。 はた′」 「さ、また旅籠をおろせ」 それを聞いて、 「さ、またおろせ」 と、郎ザどもは、籠をくり下げる。 「さ、また引け」 という声に応じて、またたぐり上げたが、 今度は、、 やに重いのであった。大ぜいで取りすがり、力を合わせ しなの かみ て、たぐり上げると、旅籠に乗って信濃の守が上がって かみ 来た。見ると守は、片手で縄をつかみ、もう一方の手に ひらたけ は、平茸を三ふさばかり下げているのであった。 かけはし とにかく、守を引き上げたのである。懸橋の上に守を 坐らせて、郎等どもは喜び合った。 「そもそも、この平茸は、どういうわけのものなのでご ざい士 6 しよ、つか」 と訊くと、信濃の守は、 「谷に落ちたとき、馬は私よりさきに底に落ちた。私は、 遅れて墜落しているうちに、茂り重なった木の枝の上に、 イ、冫ちかかり、その木の枝をつかんで転落しているう ちに、下に大きな木の枝があってひっかかったので、そ また の枝を踏まえて、大きな木の股に取り付いて、抱き付い ひらたけ て、留まったのであるが、その木に平茸がたくさん生え ておったので見捨てがたく、ます手の届く限り取って、 かご かご はた′」
「私が死んでも、しばらくはそのままにしておいてくれ。 経を→み終、えるまでは」 と言って、間もなく亡くなったというのである。妹の 女御は、その言葉を忘れて、少将をったのであった。 すると、その夜、少将は母の夢に現われて、次のように 詠んだ。 しかばかり契りしものをわたりリ かへるほどには忘るべしやは かた あれはど堅く約束したのに、私がまだ三途の川を渡り 終らぬうちに、もう、忘れてしまったのですか、と詠ん だのであった。 絵 石 出 に、はや、別れての秋になりましたね、と詠んだのであ 少将の妹は、驚いて眼を醒まして、泣いた。 また、少将がまだ病気で床に就いていた時、妹の女御 ちぎ 野卑で無学の侍が女をいじめた舌 たかしなためいえあそん はりまのかみ むかし、高階為家朝臣が播磨守として任也こ、 よ ( したころ さしたることもないある侍がいた。その侍の本名は知ら ない。通称を佐太と言って、播磨守もまた佐太という通 称で呼んでいた。 佐太は、さしたることもない侍てはあったが、永年と らようぜいり にかく忠実に仕えていたので、小さな郡の徴税吏に命し られていた。佐太はこの役に張り切って、担当の郡に出 ぐんじ かけて行くと、郡司の家に宿を取って徴税に励み、四、 かみやかた 五日ほどして、守の館に帰って来た。 ところで、郡司の家には、都からかどわかされて来た 遊女がいた。郡司夫婦は、この遊女を気の毒だと引き取 って、縫物などをさせていたのだが、結構、似つかわし く家事をやってのける、というわけで郡司夫婦に可愛が られていたのである。 やかた さて、佐太が、守の館に帰って来ると、従者が言うに 「あの郡司の家には、髪の長い、美しい女かおりました なあ」 それを聞いて佐太は、 「こりや貴様、なぜそれを郡司の家で言わなんだ。ここ 母は驚き眼を醒まし、泣き悲しんだ。 和歌をよく詠む人は、死んだ後に詠んだ歌も、かくの ごとくみごとだ、とい、つ話 ( 巻二十四・第三十九 ) 一三ロ
えらぜん つかさびと 0 食事の用意越前の守の奇策は官人たちに しおからいものをうんと食べさせ下剤入り の酒を幾杯も飲ませて疾く下痢をさせて追 っ払おうというものであったひっかかった しゅは / 、ろ / 、 官人たちはほうほうの態で逃げ帰る酒飯論 み わらわ さま。召しかかえる侍、女の童どもも、空き腹をかかえ ております。そのうえ、このような恥をさらすというの ぜんしさフ は、前生からの悪運でございましようか。その実は、 みなさま方に、ありあわせの弁当さえ差し上げられない しゆくは - フ でおりますことからもご推察ください。前生の宿報った しさフえん なくて、永年官職に恵まれす、たまたま己の荘園のある かみ 国の守に任ぜられると、このようなつらい思いをしなけ ればならない これは、人を恨み申すべきことではござ いませぬ。ひとえに、私の悪しき宿報でありましよう」 と言って、おいおいと泣くのである。 かねときあっゆき 声をあげて泣くのである。兼時と敦行とは、 「仰せられることは、至極道理でございます。さぞかし、 と推察申し上げてはおりますが、しかしながら、これは、 私一人のことではありませぬ。近頃、衛府には、一粒の つめしょ 米もなく、 詰所の侍たちも困り果てております。そうい うわけで、大挙して参った次第で、いわば、相身互いの こと。守の殿のお立場を気の毒とは存じながらも、かく 推参した次第で : : : 」 と一一一口っている、っちに、腹かしきりに・りだした。兼時 , と敦一丁とはすぐ近くに坐っていたから、しきりにゴロゴ えちぜんかみ ロと鳴っているのが、越前の守に聞こえるのである。二 しやく 人は腹の音を、しばらくは、笏で机をたたいてごまかし ていたが、そのようなことで間に合うものではない。守 すだれ が簾越しに見渡すと、末座の者にいたるまで、みな腹を すび 鳴らし合って、弓の素引きのような音を立て始めている。 ー ) ばらノして、兼時が、 「ちと、失し ネいたします」 小手をかざす男 と て、一 おお との め と言って、あたふたと小走りに出て行った。兼時が立っ とねり のを見ると、他の舎人どもも、われ先にと後を追って座 を立ち、重なり合って板敷を下ったが、ある者は、長 を下りるあたりで、ピチピチと音を立てて漏らした。あ ′、 1 まやどり る者は、車宿に行ったものの、着物を解くのが間に合わ す、垂れ流してしまった。ある者はまた、素早く、着物 んぞう を解くには解いたが、楾の水を注ぐように、ジャーとひ り流すのであった。またある者は、隠れ場所を見つける よゅ・フ 余裕もなく、垂れ流しながら、うろうろするのであった。 さんじよう こ、つい、つ惨状であったが、 ためもりのおきな 「こんなことになるだろうと田 5 っていた。 為盛翁のこと ゆえ、まともなことでは治まるまいと田 5 っていた。なに か、してやられるのではないかと思っていた。いかさま、 との 守の殿は贈くは思わぬ。われわれが、酒を欲しがってひ た飲みに飲んだ報いしや」 と、大笑いして、ひり合ったのである。 侍がまた門をあけて言う。 つかさびと 「それではお帰りくだされ。続い て、次の官人方をお入 れ申そう」 すると、 「それはよいことじゃ。すぐ入れて、またわれわれ同様、 ひらせてやれ」 このえふ と、左右近衛府の官人舎人たちが、袴などにひりかけ たまま拭いもせすに、先を争って退出すると、他の四つ の府の官人どもは、それを見て、わあわあ笑いながら逃 げ散したのである。 ためもワあそん いかにもこれは、為盛朝臣のたくらみであった。この
則の守が官人たちに下をひらせた舌 えちぜん ふじわらのためもりあそん むかし、藤原為盛朝臣という人がいた。この人が越前 かみ しょ・んふ の守であった時、諸衛府への納米が遅れた。すると、左 えもん うえ このえ つかさびと 右近衛、左右衛門、左右兵衛の六府に勤める官人たちが、 ひらばり 下部に至るまで、大挙して、平張の道具などを持って、 為盛の朝臣の家に押しかけた。門前に平張を張って、そ しさつぎ の下に床几を並べて一同居並び、屋敷の者の出入りを停 しょえ めて、発粮米をよこせと責め立てた。大根米とは、諸衛 つかさびと 府の官人たちに下給される米である。 六月の暑い盛りである。日は長く、早朝から未の時 ( 午 つかさびと すわ 後二時 ) 頃まで坐り込んでいたので、押しかけていた官人 たちは、照りつけられて、暑さにうだっていた。だが、 カまん 要求が通らないうちは帰れないと、我慢してがんばって いたのである。 えちぜん かみ 0 給仕に大わらわ越前の守が諸官人に支給 される食米の割当分を収めなかったので怒 った官人たちは大挙して邸におしかけ坐り 込みの実力行使に移った計を案じた越前の 守はますしおからい食事攻めにとりかかった しもべ こいろうのよね たいうフのよね ひつじ そのうちに、屋敷の門を細目にあけて、年配の侍が首 を出して言った。 『早速にも対面したいの 「守の殿が、申せとのことだ。 だが、あまりに物々しく責め立てられて、女、子供など 怖がって泣いている始末。というわけで、対面しての談 えんてんか 合もできすにいるか、この炎天下でいつまでもあぶられ ルれ のど ていられては、さぞさぞ、咽喉もおかわきであろう。簾 越しにでも対面して、事情を申したいと思うが、ます、 いかかでござるかな。差支え そっと一献差し上げたい。 とわり つかさびと このえふ なくば、ます、左右近衛府の官人方、舎人方からお入り くだされ。他の衛府の官人方、舎人方は、近衛府の方々 こ、御招き申そ、つ。一度に御案内できるとよ が済んだ後 : てぜま いのだが、むさくるしく手狭な屋敷内、大ぜいは無理で ござる。しばしお待ち願おう。ます、近衛府の方々、お 入りくだされ』」 のど 真夏の陽にあぶられて、事実、咽喉からからになって つかさびと いた官人たちは、その言葉を聞いて、喜んだ。こちらの 事も聞いてもらお、つとばかり、 「これは、うれしい仰せじゃ。早速、入って、押しかけ 参った理由も申し上げよう」 このえ と、その侍が門をあけると、左右近衛府の官人、舎人 一同が入って来る。 ろう なが . ) ろ ちゅうもん く北の廊に、長筵を東西向い合う 中門から殿舎につづ 三間ばかりに敷かせて、そこに中机を二、三十 しおから ほど、向い合わせに据えてある。その上に、塩辛い干鯛 しおびき の切り身を盛ってある。見るからに塩辛そうな塩引の鮭 との おお ねんばい さぶらい
おィーさぶろうえことは 武人の邸内武を事とする侍のなかでも雑念を払うためにわざと醜女を妻にめとって武 ( 励む侍もいた男衾三郎絵詞 はげ それどころか、佐太は、文を見るなり、ますます憤って、 ほころ 「やい、この盲目女め、綻びを縫えと渡したのに、綻び たところを見ようともせす、佐太呼ばわりをしおったな。 佐太というのが賤しい名だとでも言う気か。佐太とはな、 こうどの かたしけなくも、守殿でさえ永年呼んでおられる立派な 名前だ。お前のような女から『佐太が』と呼ばれるいわ れはないぞ」 と、わめき、この女に礼儀作法を教えてやらざなるま と言い、さらに、やいこのアマ、お前の陰部をひね ) つぶしてくれようか、などと、卑猥なことを言っての のしるのである。女はそれを聞いて泣きだした。 ぐんじ 怒りの治まらぬ佐太は、郡司を呼びつけて、 こうどのうった 「このことを守殿に訴え申して、きっと罰してやるから、 そ、つ思え」 聞いて郡司は、震え上がった。 「ゆかりもない女を隣れに思って引き取ってやり、おか こうどの とカ こうむ げで守殿からお咎めを蒙ろうとは、なんとしたことしや」 と、途方に暮れるばかりであった。女も、どうしよう もなく、ただもうつらい気持になっていた。 やかた イ太力」りふりと怒りに怒って館に帰って来て、侍 部屋で一一一口、つには、 「いまいましいことしゃ。思わぬ女に、佐太がなどと呼 ばれたぞ。これはわが身ひとつの恥ではないぞ、ひいて は殿の名折れというものしゃて」 仲間の侍たちは、そう聞いても、わけがわからないか 「どういう目にあわされて、そのようにっておられる さた ふるえ おこ おこ 30
のかな」 と八く。 「かようなことは、われわれ一同にひとしくかかわるこ こうどの とだから、そなたたちからも守殿に申し上げてくだされ」 そう言って佐太は、仔細を語ったのであるか、 「いやはや」 あるいは贈み、み と仲間の侍たちは、あるいは蚩い、 な女に同情したのであった。 はりまのかみ そのうち、播磨守がこのことを伝え聞き、佐太を前に たず 呼んで事情を尋ねた。佐太は、これで自分の訴えが聞き 入れられることになったと喜んで、大ぎように、手ぶり 身ぶりよろしく事の次第を申し述べた。守は、その話を 断くと、 「お前は、愚か者しや、人非人しや、そうとは知らすに、 よくもお前のような者を永年使って来たものよ」 いとま と言って、佐太には、ながの暇を賜ったのである。一 き起 ゞなん 一ゞ山 と っ さた たまわ いム 少女と犬が噛み合「て死んた活 むかし、ある人が、十二、三歳ぐらいの女の童を使っ ていた。 隣家では、白い大を飼っていたが、どういうわ けか、その白い大は、この女の童を見ると、目の敵にし て噛みついて来るのである。 ちょうちゃく わらわ 女の童の方でも、この大さえ見れば、 いきなり打擲し ようとする。それを見て人は、これはいっこい、 わらわ うことなのか、と思っていた。そのうちに女の童が病気 えきびよう になった。疫病にとりつかれたのであろ、つか、日数を加 えるにつけ、病気は重くなる一方であった。その家の主 人は、自分の屋敷から死者の穢れを出したくないので、 病気の女の童を、ほかの場所に移すことにしたが、女の 童の言うには、 「私が人けのない所に移されましたら、きっと、あの大 に食い殺されます。病気でなくても、人が見ていても、 あの大は、私さえ見れば、襲いかかるのでございます。 まして、人のいない所で、私が一人きり、重い病で臥 ぐんじ 方、郡司の家の女には、不憫だと、着物などを与えたの であった。 さた さび 佐太は、身から出た錆で、主人に追放され、郡の出入 りも禁じられたので、しょんばり京に上ったということ とが である。郡司は、お咎めがあるかとびくびくしていたのだ が、委細を聞いて、たいそう喜んだということである。 ( 巻二十四・第五十六 ) ふびん め わらわ やまい
「雀の恩返しの事」・雀は毒虫のはいった実のなる瓢の種を運んで 意地悪ばあさんにしっぺ返しをする 宇治拾遺物語絵巻狩野守信 ( 探幽 ) 筆
今北楊語 字治拾遺物語 とねり おとど 近衛の舎人が一発放った話 : 時平の大臣が伯父の妻を盗んだ話 : くらべう ~ ま けのおゼんちんないぐ かねときあっゆき 池尾の褝珍内供の鼻の話・ : 兼時と敦行の競馬の話 : くすし 亀に接吻して唇に食いっかれた男の話 : ある女が医師をだまして瘡を直した話 : との、あこ あくりよう 谷に落ちた守の殿が茸を取って上がった話・ 死んだ妻の悪霊の話 : ふじわらのよしたかあそん 盜賊が死人のふりをして人を殺した話 : 藤原義孝朝臣が死んだ後て和歌を詠んだ話・ : むがくさり、 縛られて妻を犯された男の話 : 野卑て無学の侍が女をいじめた話 : 主人の妻をだまして売った話 : 少女と大が噛み合って死んだ話 : す 名僧が人の家に立ち寄って殺された話 : 子を棄てて逃げた女の話 : っぴ 蛇が女の陰を見て欲情した話・ : 開けてはならぬ小箱の話 : け墨、 - フ めのと へいじゅう じじゅうきみ 同じ姿の乳母が二人いた話 : 平中が侍従の君に懸想した話 : んなご 貧しい男と別れて再婚した女の話 : 女子が行った屋敷が消えてなくなった話 : いなりもそ , 信か馬に変身させられた話・ 稲荷詣に行き美人に会った舌 : よりみつろうどう むらさきの 女人を妻にした犬の話 : 頼光の郎等どもの紫野見物の話 : へど えちぜんかみつかさびと ノラロ 4 酔った行商女の反吐の話 : 越前の守が官人たちに下痢をひらせこ話 : 〈ロ絵〉空飛ぶ鉢と米俵・信貴山縁起絵巻雀の恩返しの事・宇治拾遺物語絵巻・狩野守信筆平等院鳳凰堂門部 府生海賊射返す事・宇治拾遺物語絵巻・住吉具慶筆 野坂昭如 " 序・・ 目次 〈ロ絵〉地獄の諸相・北野天神縁起絵巻絵師草紙百鬼夜行図東大寺大仏殿田楽の図・法然上人絵伝 古山高麗雄。 かさ よ このえ 鬼に瘤をとられた事・ おか
O 受領の屋敷の賑い受領は一期っとめれば 生涯食うに困らぬほどだった谷に落ちても のぶただ ひらたけ 平茸をとって上って来た陳忠の「受領は倒る る所に土をつかめ」ということばは国守の苛 れんらゆうきゅう 斂誅求ぶりを象徴している春日権現霊験記 旅籠に入れて上げたのしゃ。まだ残っておる。おびただ ひらたけ しい平茸であったぞ。まったく大損じゃ。大損をしたよ うな気がするぞ」 「まことに、大損をなされましたなあ」 ろうどう 郎等どもはそ、つ言って、どっと笑った。 「たわけたことを申すでないぞ。よいか、者共。宝の山に ず・りよう 入って、手ぶらで帰って来た心地がするぞ。受領は倒れ ても土をつかんで起きろ、というではないか」 かしらかぶもく かみ しなの 信濃の守は大まじめで言った。それを聞いて頭株の目 代か、内心では贈々しく思いなから、 こうびん 「まことにさよ、つでござりますな。幸便に取れる物を取 : 誰とて取らすには らすに捨てておく法はありますまし みこころ まして、もともと御心賢くおわせられ いられますまい る方は、このような生死の境にあっても、心騒がす、万 事、常に変わらす取り行なわれますから、落ち着いて たけ 茸をばお取りになったのでございましよう。それでこそ、 国の政事も安泰、租税もよく納めさせられて、お望みの こう とのちちはは まま京にお上りになられる。国の民が守の殿を父母のよ うに敬慕いたし、別れを惜しみ奉るのも道理でございま す。行く末も、千年万年いやさかに栄えられますことで ございましよ、って」 などと言ったが、この目代も、仲間うちでは、こっそ り笑い合ったのである。 これほどのことに遭っても心動ぜす、ます平茸を取っ しゅうあく て上がったという心は、醜悪ではないか。任国にあって も、ついでに取れる物なら何でも取って私腹を肥やした ( 巻二十八・第三十八 ) であろうと思われるのである。 はた ) 」 まつり′」と もくだい たてまっ 59