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検索対象: グラフィック版 今昔物語 宇治拾遺物語
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1. グラフィック版 今昔物語 宇治拾遺物語

民家の庭さきの洗漫井戸から水を汲むもの 布に水をかけながら垢落しをするもの両端 しんし に針のついた竹ひごで布を突っ張る針子張り をするもの木にかけ渡した竿に着物をほす もの役割さまざまである泣不動縁起絵巻 を受け取ったのである。 とうじ ごんぎよう 「これはなんとしたこと。私に湯治や勤行を勧め、山寺 へ行くと言って連れて来て、こういう目に会わせるとは」 と女は、泣いて訴えたが、男は耳をかさなかった。も ら、つものをもら、つと、早々に馬に這い上り、駆け去った のであった。 女が泣いていると、その家の主人は、これで女を買い 取ったと思いながら、事情を訊く。女は、かくかくしか しかと、今までの真実を語り、泣きながら放免を頼んだ が、その家の主人もまた耳をかそうとはしない。女はた だひとりで、相談相手もなくリ 、逃げ出す手だてもなく、 「私を買い取られても、何の得もございますま い。私を どのように折檻なされてもよろしゅうございます。この 世に生きていようとは、もはや思いませぬ」 と、その場にひれ伏して悲しむのであった。 すす 女はそうしたまま、食物を運んで来て勧めても、起き 上らない。 まして、食物を口にすることなどあり得ない。 主人は困ってしまったが、従者どもが、 「まあ、しばらくこ、フして嘆き伏しているでしようが しまいには起きて、食べるようになりましよう。まあ、 このまま、ご覧にならっしゃれ」 などと、口々に言った。 だが、女は、来る日も来る日も、起き上がらなかった。 はか 「ろくでもない者に謀られて」 などとこばしているうちに、女は連れて来られてから おうのう 七日目に、懊悩のあげく死んだ。女を買い取った家の主 人は、まるまる損をしたことになった。 せつかん

2. グラフィック版 今昔物語 宇治拾遺物語

この右大臣は 「柿の木に仏が現われる事」 みなもとのひかる 源光で「源氏物語」の主人公光源氏の複数の モデルのうちの一人であるといわれる柿の りゆうげん 木に仏が現われたとの流言をきいて車を出し 理性の眼で正体を見ぬいて尻尾を出させる しつ一一 れてしまった糞鳶の姿で、地面に落ちてきた。とまどっ てばたばたしているところを、子供達、寄ってたかって くそとび 4 とつのだいなごんおも 藤大納言の想い女が一つとり落した てん とフのだいなごんたたいえ これも昔の話だが、藤大納言忠家なるお方が、まだ殿 うわさ じようびと 上人でいらした頃、色好みと噂の高い、美しい女中とた わいないおしゃべりをかわすうち、夜のふけるにつれて、 月はいよいよ谺えわたり、かねてから目をつけていたか ら、これは絶好の機会、なんとか口説きおとそうと互い をへだてるみすをかき分け、にじり寄り、肩に手をかけ、 引き寄せたのだ。 「あら、 いけません」女中は、さやさやと髪ふり乱しな がら、少し身をしりぞけようとしたとたん、もののはす みで、大きく一つひびかせてしまった。すると出鼻をく しかれた大納言殿、百日の説法ならぬ口説きを、屁一つ に吹きとばされて、世をはかなみ「なさけない目に会う ものだ、浮世にも愛想がっきた、出家してしまおう」と、 ほっしん ひどく手軽な発心をし、ぬき足さし足女のかたわらをは なれ、しかしまたすぐに、「女中のとりおとしたおなら のために、私が出家することない」あっさり正気にもど って、そのまま走り去った。 女中が、この仕儀の果てに、どうしたかは、分らない ( 巻三・第二 ) そうだ。 打ち殺してしまった。右大臣、矢張りこんな事であった かと、帰って行った。 当時の人々、この大臣を、たいへんに賢い人なのだな と、声高くはめそやしたのだそうだ。 ( 巻二・第十四 ) へ 107

3. グラフィック版 今昔物語 宇治拾遺物語

芥川龍之介と今昔物語長野嘗一 あくたがわりうのすけ 芥川龍之介大正十四年三十三歳頃田端の自宅で 説話集への興味 あくたがわりゅうのすけ こんじゃく うじしゅう 芥川龍之介が『今昔物語』や『宇治拾物語』 おうらようもの から取材して、多くの「王朝物」を書いたことは、 今日では周知の事がらである。 『今昔』から取材した作品として、『青年と死』 らしようもん いもがゆ らゆうとう おうじよう 『羅生門』『鼻』『芋粥』『運』『偸盗』『往生絵巻』 なら、 ~ ャへヤをま ま咄 「好色』『藪の中』「六の宮の姫君』の十編があ どうそ じごくへん り、「宇治拾遺』から「道祖問答』『地獄変』「龍』 の三編がある。 しゅんかん もりとお このほか、軍記物語から『裟と盛遠』『俊寛』 すさのおのみこと の二編、『古事記』から『素戔嗚尊』一編、『今 おおかみらよもんじゅう 昔』『大鏡』「著聞集』などから部分的な材料を得て、 じゃしゅうもん ( 未完 ) 独自の構想を企てた作として、『邪宗門』 ゃぶ 一編がある。軍記物語や『古事記』「大鏡』などは、 説話集ではないが、中に多くの説話をふくんでお り、その部分に芥川が着眼して取材したことは紛 れもない。 してみると、彼が「王朝物」を創作するにあた って、取材源として着目したのは、そのほとんど すべてが説話集、もしくは他の諸古典の説話的部 げんじ 分であるといってよい。なせ、『源氏物語』『枕 のそうし かげろう 草子』『蜻蛉日記』など、王朝文学の正統派と目 せられる古典には目もくれす、それまで傍系の如 くに言われてきた説話集に着目したのか。同しく 「王朝物」もしくは王朝風な作品を書いた作家の中 たにざきじゅんいちろう でも、谷崎潤一郎が『源氏物語』や『栄華物語』 ほりたつお を中心とし、堀辰雄か日記を中心とするに対して、 いちじる これは著しい対照をなしている。「源氏の谷崎」 「日記の堀」「説話の芥川」とでもいわなければな るまい これには二つの理由が考えられる。 それを指摘する前に、芥川がどのように説話集 を利用して新たなる創作を企てたか、取材の方法 を確かめておきたい。 六の宮の姫君 芥川の「王朝物」の中で、傑作として評価の高 いもカゅ じごくへんやぶ いのは、『芋粥』『地獄変』『藪の中』『六の宮の姫君』 えいが 150

4. グラフィック版 今昔物語 宇治拾遺物語

しな みちのりみちのく さて、道則、陸奧で金受けとり、帰る途中、また、信 わし のぐんじ 濃の郡司の家へ寄り、宿をとった。郡司に、金、馬、鷲 の羽など大量に贈り、郡司、たいへんに喜び、「これは また、どんなわけあって、こんなに気を遣ってくださる のですか」と問えば、近寄って、「まったくもって、気 恥すかしい話なんですが。この間ここに泊った折、妙な をてつい、フ一」 AJ 事が起ったのだけれど、あれはいったい、 なんですか」と言う、郡司としては、贈り物を沢山もら った事だし、断りづらく、正直に答え、「それは、私が 0 、 0 .4 「の 正体を表わした鬼長谷雄草紙 ぐんじ まだ若い頃、この国の奧の郡にいた郡司が、年を随分と ってはいたのだけれど、若い妻を持っており、そこへ忍 いちもっ んで行ってたところ、例のごとく、男の一物がなくなっ てしまったもので、これは不思議なことだと思い、その 郡司に礼の限りを尽し、なくしてしまう術を教えてもら ったわけなのです。あなたに、もし習ってみようという 気があるのなら、今回は、朝廷の御使いの途中でもある ので、早いところ京へ上り、あらためて、こちらへ下り みらのり むね お習いになるといい」と言ったところ、道則、その旨約 束すると、急いで京へ上り、金を献上するや、休暇をと って下ってきた。 みやげ 道則、相応の土産の品を、持って来て贈ると、郡司、 またまた大喜びで、出来る限りのことは教えましようと、 「いいですか、これは、いい加減な気持で、習うことでは さいかいもくよく ありません、七日間、斎戒沐浴し、習うのです」。言わ れる通り、道則、身を清め、七日目、郡司と二人連れ立 ち、深い山に入っていった。大きな川の流れるはとりに 行き、様々なことをし、ロに出してと、ってい言えぬ、仏 の罰が下りそうな、誓いを、郡司、道則に立てさせ、水 上へ移り、「この川上から流れて来る物が、たとえ何で あれ、それが鬼であっても、何としてでも、抱きとめな さい」そ、つ一一 = ロ、つと、一打ってしまった。 しばらくすると、水上の方から、雨降り、風吹き、暗 くなり、川の水かさは増した。そうするうち、川上から、 その頭ひとかええほどもあり、目は金の椀でも入れたか こんじよう 首から下は紅の の如く輝き、背中は紺青を塗った如く、 如く赤く見える。大蛇あらわれ出で、「ます、出てきた 125

5. グラフィック版 今昔物語 宇治拾遺物語

かどべのふしよう 「門部府生が海賊を射返す事」ゆれる舟の 上から府生の放った矢は見事に海賊の首領の のりみ 目にささる府生は弓道の鬼で賭弓の第一人 者若い頃には夜射るために屋根板を燃やし て明りに使うほどだった宇治拾遺物語絵巻 門營万 ロの 府ふの い賊 皮窰も 龍ご なンかま 弓て 装さ こうぶりおいかけ 式とり出し、きちんと身につけ、冠、老懸ゃなにかも作 法通りにつける、これ見た従者たち、「この期に及んで、 気でも狂ったのですか、かなわぬまでも、何とか抗う方 ととの 策を立ててください」馬 蚤ぎひしめく。身仕度整うと、 肩脱ぎ、右手や後ろ見まわし、屋形の上に立ち、「そろ そろ四十六歩の距離まで寄って来てるか」と問えば、従 者たち、「それどころの騒ぎではありません」と、余り の布さに胃液まで吐いてしまう、「どうだ、もう頃合か」 もう一度問い、「四十六歩の距離まで近寄ったようです」 の声に、上屋形へ出、きまり通りに弓構え、しばしあっ て弓高くあげ引きしばる、海賊の首領、黒っぱいもの着、 赤い扇開いて、「早いとこ漕ぎ寄せて乗り移り、品物をぶ かどべのふしよう ん盗って来い」指図していたのだが、門部府生少しも騒が す、狙い定めるや、ゆっくりと矢を放つ、弓倒してよく見 れば、この矢目にもとまらす海賊の首領向けて飛んで行 き、いたっき矢、左目に命中した。海賊、「ぎゃあっ」、一声 ざま 発すると、扇とり落し、のけぞり様倒れた。その矢抜いて みると、戦用のものではなく、儀式の時などに使う小さ な代物、海賊共、これを見るや否や、「ややっ、これは普 通にある矢ではない、神の矢に違いなかろう。まごまご せす、早いとこ漕ぎ戻ったが身の為だ」と、逃げ帰ってし まった。 ちょっと かどべのふ さて門部府生、うす笑い浮べ、「あの奴等、もう一寸 つば のとこで命落すとこだったのに」と、袖おろして、唾吐 き捨てる。海賊、うろたえ騒ぎ逃げる折、袋一つとか物品 かどべのふしよう 少しばかり落して行き、門部府生、海に浮んだのを取り ( 巻十五・第四 ) 上げ、笑っていたとか。 しろもの は あらが 139

6. グラフィック版 今昔物語 宇治拾遺物語

もろすけ きの師輔の例とともに掲げられている。しかも、 りあげて、一口にその男を食ってしまったという。 百鬼夜行 そんしようだらに おにひとくち まさに「鬼一口」というわけであるが、『宇治拾それらの説話を通して、いすれも尊勝陀羅尼の功 どく うじしゅう らんばう こんじゃく 『宇治拾遺物語』の説話には、『今昔物語集』や遺物語』の説話では、それはど乱暴な妖怪は、は徳で助かったと伝えられている。ところで、『宇 みなせどの かにあまり出てこない。第百五十九の「水無瀬殿治拾遺物語』第十七は、「修行者百鬼夜行にあふ 『古本説話集』など、先行の作品との間に、あき みなせ らかな伝承の関係をもつものが、かなり多く認め むささびの事」によると、水無瀬の離宮では、か事」と題されているが、それによると、ある修行 者が、津の国のりうせん寺にやどって、ひとりで られるが、そのような伝承の関係をもたないで、 らかさはどの光物が、夜ごとに山から飛んできた。 じゅ ふどう むしろ独自の性格を示すものも、すくなからす含かげかたがそれを射とめたところが、実は年とっ 不動の呪を唱えていた。そうすると、夜中ごろに こう しカめし なって、おそろしげなものどもが集って、「ここ たむささびであったという。そこでは、 ) 、 まれている。それらの独自の説話は、しばしばロ とう・ しようたい いっそう自由な発想を 頭の伝承をふまえながら、 い蚤物も、たやすくうちまかされて、正体をあら に新しい不動尊がすわってござるが、今晩だけ外 わしてしまうのである℃第百六十の「一条棧敷屋 においでなされ」と言いながら、片手で修行者を とることによって、まさに独特の魅力を加えてい れいき ようかい えん 鬼の事」によると、一条の桟敷屋で、ある男が傾 さげて、堂の縁の下にすえた。夜明けになって、 る。霊鬼または妖怪についても、『宇治拾遺物語』 どこかとたすねると、津の国のりうせん寺と思っ に限られるものがいくつか数えられる。第百五十城と寝ていたが、夜中ごろになって、軒ほどの身 しよぎようむじよう てんぐ ひぜんのくに ようぜいいん ようぜいいん のたけで、馬の頭をもった鬼が、「諸行無常」と たのに、肥前国の奥の郡であったという。天狗に 八の「陽成院ばけ物の事」によると、陽成院の御 おおじ おきな 詠しながら、大路を通りかかった。しかも、この さらわれ、神かくしにあって、遠い国に連れてゆ 所では、みすばらしい翁があらわれて、「浦島が子 かれたという話は、後の世までひろく伝えられて の弟」と名のり、「昔からこの所に住んでいるの鬼が、格子をおしあけて、顔をさしいれながら、 また「よくよ′ 「よくも御覧になったな」といい いるが、それにしても、『字治拾遺物語』の説話 で、ここに社をつくってまつってほしい」と願い 御覧になるがよい」といって、そのまま立ちさっ は、まことにおおらかなあしわいをもっている。 出た。番の男がその場で聞きいれなかったので、 たのは、百鬼夜行ではないかと記されている。お本文の中に、「百鬼夜行」と記されていなくても、 「にくい男の言いようだ」と、三度も上の方に蹴 そろしい鬼と いいながら、むしろューモラスにさ 「百人ばかり」というだけで、それとわかったもの え感しられる。 であろう。なお、第三の「鬼に瘻とらるること」 百鬼夜行というのは、さまざまな妖怪が、夜中 は、昔話のこぶとり爺さんにあたるが、 おおかがみ に通行するというものであった。 「大鏡』巻三に 大かた目一つあるものあり、ロなきものなど、 ふじわらのもろすけ よると、藤原師輔があはのの辻で百鬼夜行にあい 大かたいかにも言ふべきにあらぬものども、百 ごうだんしよう ふじわらのたかふじすざくもん 『江談抄』巻三によると、藤原高藤も朱雀門の前で 人ばかりひしめき集りて 百鬼夜行にあったと伝えられる。『今昔物語集』 などとあって、やはり百鬼夜行のさまについて語 ふじわらのつねゆき 巻十四・第四十二によると、藤原常行が夜あるきの られている。 びふくもんいん うちに、美福門院の前で鬼どもの通るのに出あっ うちぎきしゅう たという。『打聞集』第二十三や『古本説話集』 「をこ」の技芸 第五十一にも、ほば同じ説話がとられているが それらの鬼の形については、手三つ、足一つ、目 さまざまな説話の中で、多くの人々の好みにか 一つ、目三つなどと伝えられている。さらに、「宝 なったものとして、珍しい世間話とともに、おか ぶっしゅう つねき みつゆき 物集』巻三でも、常行でなく光行という者が、神しげな笑話をあげることができる。「今昔物語集』 せんえん はん - うつ ~ りせぞく 」 . 〔、要、い地泉苑の前で百鬼夜行に出あったということが、さ巻二十八は、「本朝付世俗」という見出しをもっ こぶ 157

7. グラフィック版 今昔物語 宇治拾遺物語

こうつ ) 一う むるい 、フことが、夫にはよくわかっている。わかってい とって、いっそう好都合であったろう。彼は無類 ごうかん ても、愛する妻がいま目の前で盗人に強姦された の鑑賞眼をもって『今昔』の価値を最初に発見し、 ようげん こう その印象はぬぐえない。そんな思いがこもごも胸 それを揚言した人である。人生を知るに街頭の行 こうさく じん 中に交錯して、彼はうつけたような顔付きになっ 人をながめす、もつばら読書によってそれを知っ たのであろう。それを『今昔』は「われにもあら た芥川に、人間悲喜劇の宝庫を提供したのが『今 ぬ顔つき」と書いたのだ。この無表情に似た表情昔』である。その扉を開く秘鍵を、彼は発見した きん のである。この古典の魅力を野性のなまなましさ の描写は、一見何げない文言に見えながら、千鈞 の重みがあると思う。 にあると、彼は後年書いているが ( 「今昔物語鑑 賞』 ) 、これは都会の弱い文化人芥川にとって、全 あんなひどい目にあいながら、死にもせす、ま く異質の魅力であったろう。無智ではあるが雑草 た旅を続けて行く夫婦の足は、さぞや重かったに そう いのち のようにたくましい古代庶民の生命力、それは聡 違いない。が、それでもなお捨て切れぬこの生命 明ではあるが弱い近代の知識人芥川にとって、ま それもまた人生の縮図ではないか。類似の話柄を ぶしいほどの強さであったろう。そういう人物を われわれは三十年前の戦争や敗戦の際に、 らゆうとう 描こうとして失敗した例も少なくない 『偸盗」 か聞いて知っている。だからといって、この哀れ すさのおのみこと の盗賊どもや「素戔嗚尊』における素戔嗚尊がそ な犠牲者を、だれがいったい笑うことができよう の例だ。変にちぢこまって、インテリくさい盗賊 か。同様にして『今昔』の若夫婦も、意気地がな ゃぶ たじようまる ちょうしよう 性にあると私は考える。この前半の事件の異常性 「藪の中』の多襄丸 いと嘲笑することができようか。そこには古代庶や英雄になってしまうのだ。 はたん ひょうはく 日ザよ、つ。破綻な に加うるに、さらによりいっそう異常で複雑な後民の生の哀れが漂泊して、事後の自然な推移をすなどは、比較的成功した例といい彳 えしよしひで く描き切ったのは、 半の事件を芥川は構想したわけだが、『今昔』原 ら見るのである。 『地獄変』の絵師良秀や「秘 さくざんまい たきざわばきん かなざわたけ かっとう しゅこう 典では、後半はすこぶる平凡である。 私は芥川の創造した後半の葛藤にも十分首肯す作三昧』の滝沢馬琴、それに『藪の中」の金沢武 ひろ 盗人が去った後、妻は夫のいましめを解いてや 弘くらいなものである。自分の甲羅に似せて掘っ べきものをみとめるが、だからといって『今昔』の た穴が、一番掘り易かったということになろう。 る。彼は「われにもあらぬ顔つき」をしている。 平凡な結末に不満をいだいたことは一度もない。 「汝が心いふかひなし。今日より後もこの心にて 芥川が説話集から取材した理由の第二は、事件 は、更にはかばかしきことあらし」と妻にまでさ の外廓や人物の行動だけを描く説話の語り方が、 こうべん なぜ説話集に取材したか 「それ げすまれても、一言の抗弁すらできない。 作家の想像力を働かせるのに、至極都合がよかっ たんば げんじ れんど よりなむ、具して丹波に行きにける」とある。 ここで初めの問題に立ち返る。芥川は、なぜ、 たからだ。『源氏物語』のように錬度が高く完成 をむ ひしよう もとはといえば夫が欲に目がくらみ、盗人に欺説話集に取材したかという問題だ された古典に取材し、それを高く越えて飛翔する ほっ かれ、たわいなくしばられたのが、この悲劇の発 その第一は、彼が青少年時代から怪奇趣味とも のは、至難のわざである。その点、説話集という こうしよう しゅ′」 れんま 端である。旅の空で妻を守護すべき立場にある夫 いうべき好尚を持っており、『今昔』や「宇治拾あらがねにも似た鉱石を発掘し、これに錬磨と彫 ていそう たく が手もなくしばられてしまったのでは、妻の貞操遺』を愛読したことがあげられる。当時、これら琢を加える方がやり易い たて を守る最後の楯が破れたにひとしい。カ弱い女が の説話集は、かんしんの国文学界から文学として 鑑賞家芥川、作家芥川が、かかる未完の鉱石に しゅうぞう 盗人の暴力に屈したとて、どうしてそれを非難すの価値をみとめられす、たんに「話」の集蔵とし 興味を寄せたのは、決してゆえなきことではない。 ることができよ、つか。責めらるべきは自分だと、 か見られていなかった。このことは、作家芥川に ( 立教大学教授 ) たん しなん とっ 154

8. グラフィック版 今昔物語 宇治拾遺物語

タ涼みの男 鍛冶の丁稚が鮭を盗んだ これも昔の話だが、越後でとれた鮭を、二十頭ほどの かたなかじ 馬に積んで、京に運びこむ人がいた。行列が、刀鍛冶の あわたぐち 住む粟田口に近づくと、頭のもはやうすくなりかけた、 てっち 鍛治に雇れるひねた丁稚、いかにもうだつの上らぬ態で ふうさい 目つきはしよばくれ、むさくるしい風采のものが、馬の 列にまぎれこみ、道がせまくて、馬のあちこちで押しあ いへしあいするすきをうかかい、通り過ぎるふりをしな がら、鮭二匹くすねて、ふところにかくした。 そして、してやったりとさりげなく、小走りに逃げよ うとするのを、荷につきそっていた男が気づいて、「兄 さん、兄さん、次皿みはいけないよ」襟首をつかまえて、 そう、きつくもなくいた 「何もしてやしないよ、何を証拠にそんなことをいうの だ。きっと、お前が盗んでおいて、とがを私に押しつけ ようというのだろう」と、丁稚は抗弁し、やがて互いに 声高にののしりやり合うから、通行の者たちみなとりか こんで、見物する。 男は人夫頭で、「たしかにお前が盗った、ふところに 、長り、丁稚は、「お前が盗んだの かくしている」とししリ さかな りがえり、肴はまきちらす、酒はこばす、しかも倒れた 拍子に、頭を打ったか、酒徳利だけはしつかとにぎった まま、気を失ってしまったとは、おかしいような、気の ( 巻一・第十四 ) 毒なような。 っ かじてっち えちご えワ′、び だ、京に入って、数を合わせるため、人にぬれ衣着せる のだろう」これも抗弁する。「じゃ、二人ともふところ ていあん の中をあらためよう、それが手つとり早い」と提案し、 丁稚は「いや、この町中でそんなことまでは」と、急に 弱気になったが、人夫はさっさと袴までとって、「さあ みろ、俺がとったのではない」周囲にもたしかめさせ、 丁稚につめよった。 「さあ、お前も脱げ、ぬれ衣というなら、その衣をここ でかわかすかいし」「みつともない、そこまでしなくて も」丁稚のうしうししているのを、人夫頭ひつつかまえ て、無理に着物をはぎとり、調べるとやつばりふところ の奧に、鮭が二匹さしてある。「ほらみろ、しらばっく れやがって」人夫頭が、鮭をつかみ出すと、ひねた丁稚 はなおしらばっくれた様子で、「なんとまあ無礼なお人 だ、こんな風に裸にしてあらためたなら、どのように貴 い女性でも、うるわしき女房でも、ひそかに大きなサケ だじゃれ 目をもたない方はない」と、苦しまぎれの駄洒落をいっ たので、見物していた連中、たまらす笑いころげたとい 、つことた ( 巻一・第十五 ) せいとくひじり 清徳聖の奇特の せいとくひじり 今はもう昔の話、清徳聖と呼ばれていた聖いて、母親 あた′」 なきがらひつぎ が死んだものだから、亡骸棺に納め、一人で愛宕の山へ 持って行き、大きな石四隅に置くと、その上に棺置き、 せんじゅだらに 千手陀羅尼を、片時も休ます、寝ることもなく、食事は 、、 0 ぎぬ 102

9. グラフィック版 今昔物語 宇治拾遺物語

0 往来で立ち話をする武士一遍上人絵伝 ひげづらの男 とはいうものの、ばた餅の出来上るのを待って、いっ までも起きていれば、いやしく思われるだろう、部屋の 隅で、こざかしく横になり、寝たふりしつつ、様子うか に」 かう内、どうやら出来たらしく、あたりしきりに、 やかー ) い この旧ル田は、きっと誰かが、自分のことを起こしてく たぬきわ れるだろうと、なお狸寝入り決めこみ、やがて、「もし もし、目をさましなさいよ」と、一人が声かけてくれた うれしかったが、また考え直し、いわれてすぐに返事を すれば、 いかにも待ちかねていたよ、つで、はしたない しんば - フ そらね もう一声呼ばれてからと、辛抱して、さらに空寝をつづ ける。すると、「おい、起こさない方かいい 、幼い頃は ねむ気が何よりまさる」誰かの声がして、さあ弱った、 どうぞもう一度、起こして下さいとねがいつつ、そのま ま耳だけそば立てていたら、周囲の、いきおいこんで、 うまそうにばた餅をほおばり、舌鼓打っ有様が、きこえ てくる。 カまん どうにも我慢ができす、間の抜けた頃になって、「は い」と児僧は返事をし、僧たち、おかしがって、大笑い をしたとさ。 ( 巻一・第十一 I) すみ さらいむこ 小藤太という侍が聟におどかされた げんのだいなごんさだふさ これも昔の話だが、源大納言定房という方の家来に、 小藤太なる侍がいて、そのお屋敷に奉公するうち、同じ く住みこみの女と結婚し、やがて生まれた娘も長するに 一 ) し」 - フ・た したづつみ 及び、大納言に仕えた。 小藤太は、お屋敷の奧向きをとりしきっていたので、 出入りの者や、目下に対し、ひどく威張っていた。そし て、その娘には、恋人がいて、良家の息子だったから、 小藤太も二人の仲を認め、娘の部屋に男のこっそり通っ て来るのを、許していた。 ある時、男が娘の部屋にやって来て、添い伏しのうち、 やらずの雨となって帰るに帰れす、娘は殿に仕えねばな びようぶ らないから、起き出し、男だけ、屏風ひきまわして、二 度寝をきめこむ。 春の長雨で、いっ晴れるとも知れす、しとしと降りつ づき、帰るきっかけをつかめぬうち、小藤太が気をきか せ、「あの男も、退屈しているだろう。 さかな と、肴をみつくろって盆にのせ、片手に酒徳利ひっさげ て、表から部屋に入れば、人眼につく、何分、娘との仲 はまだおおっぴらじゃないから、こっそり足音しのばせ、 訪れたのだ。 ふとん 男は、布団ひっか京って、あおむけに寝ていたのだが、 待っ身になれば、また、ひとしお娘がいとおしく思え、 いらいらしているところに、 早くもどって来ないかと、 奧から人の近づく気配があり、これはてつきり娘だろう と、心はずませる。 肌なれている仲だし、びつくりさせてやろうと、下半 身むき出しにし、しかも、むくむくとおやし立て、さら に身をそらせて、わがものを誇示するところに、入って 来たのが、常は威張りくさっている小藤太。 エうてん 卩天、足をすべらせひっく 男の逸物目にしてびつくり いちもっ との いつばいやるか」 101

10. グラフィック版 今昔物語 宇治拾遺物語

にせえ ふじわらののぶざわ 彖・函表・ む絵師が身の上をみすから絵巻に書く似絵 ( 肖像画 ) の大家、藤原信実に命に数えられて、古くから人々の関心を 彡寄せるところであるが、その病の中で 金地獄の炎北野天神縁起絵巻北野天と〔う形をと「て〔る。はたして、本して「北面・下﨟・御随身などの景」 目満宮蔵 絵巻の筆者自身の事かどうかは別としを描かせておられる。本書掲載の絵巻も特に人々の好奇心を集めるような奇 へいあん ・函表・ て、この絵巻の内容には、何か政治にも藤原信実筆と考えられるものである。病を、平安時代の末に一巻の絵巻に描 じらよっ ふうし やまいのそうし ことばがき かたわら 寺のいらか西本願寺 いたのが病草紙である。その奇病とい 対する諷刺を自嘲のうちに示そうとす詞書はないが各随身の傍に右から、 乂・表紙裏見返し・ るものがあるようにみうけられる。そ「秦兼清」「秦兼任」「中臣末近」「宝うのは 1 鼻黒の一家、 2 不眠症の女、 今昔物語古写本実践女子大図書館蔵して、絵には冷徹したリアリズムの精治元年十月院御随身」「秦久則」「秦 3 風病の男、 4 小舌ある男、 5 屎を吐 し ■片かんのんロ絵■ 神が流れていて、人物の表情や姿態に、兼利」「秦兼躬」「秦頼方」「秦久く男、 6 ふたなり、 7 眼病治療、 8 歯 じろう そうのうろう けじらみ 地獄の諸相北野天神縁起絵巻北野それぞれの個性が捉えられ、しかも、 頼」「秦弘方」と墨書してあるからこ槽膿漏の男、 9 痔瘻の男、川毛虱の男、 かくらん 天満宮蔵 それが一見、ユーモア感の中に更に深れらの人名と、秦久則以外の六名とがⅡ霍乱の女、せむしの法師、ロ臭 い人間性を内に包んでいる。 宝治元年 ( 一二四七 ) の随身であるこの女、Ⅱ嗜眠癖の男、あざのある女、 ■絵師草紙・ 本書掲載の場面は、伊予国を賜わるとがわかる。また、最初の秦兼清以下侏儒、片背骨の曲った男、白子、 じ にんびよう せんじ けんぞく 6 つな 5 という宣旨を受けた後、一家眷属が集の三名は、仁平二年 ( 一一五二 ) ー治四鶏に目をつつかせる女、小法師の ・宮内庁蔵 : 9 、 9 しよう 貧乏絵師の生活と悲運を描いた絵巻。まって、飲めや歌えの大騒ぎとなった承四年 ( 一一八〇 ) の間に活躍した随幻覚をみる男、幻肥満の女、このほか その内容は次の通りである。ある絵師祝宴を描いたもので、人々の顔や姿態身であるが、これら人名には兼の字を別本の鍼治療がある。これらは現在、 こんじゃく よのくに えひめ が突然に、朝廷から伊予国 ( 愛媛県 ) もさりながら、壁や板戸の破れに、こ用いる者が多く、「今昔物語』巻二十三・絵巻の形を解いて、一図すっ額装や掛 おわりかねとき を賜わった。一家は大喜びで祝宴をはの絵師の暮し向きがにじみ出ている。第二十六にみえる尾張の兼時の名が思幅装に改装され、諸家に分蔵されてい かまくら い、つかふ。 る。現在の医学からみて、必すしも奇 りドンチャン騒ぎをする。翌日、絵師鎌倉時代末期の作。 さて、本書掲載の部分は、宝治元年の病といえない病もかなり含まれている は使者を領地にやって検分させるが、月 随身である秦久則と秦兼利の二騎で、 が、その中には病人の生活環境や、そ 日を経てとどいた報告によると、土地 かちえかり わんぐ 草矮のついた細纓の冠をかぶり、褐衣狩の病状にまつわる説話的興味から、特 は土民が武装して穏やかでなく、年貢ー層 4 たち ゆみや 絵袴に太刀を佩き、弓箭を持って巧みにに選ばれたものがあるかとも考えられ は前領主が取立ているので、すでに無 ぎよ 師馬を御すという図である。絵の描写はる。 いということであった。そんなわけで はくよう かぎりひも ・ : がき た ほとんど墨一色の白描で、馬の飾紐な 肥満の女、詞書によると、この女性 絵師一家は召使いも去り、ますます貧 どに朱があるだけであるが、全体を通は京七条辺りに住む金貸しで、家は富 困となるが、そのままだまっているわ ・ : 一一旨して、面貌は細線を幾重にも引いて写み食物がぜいたくなため、歩行が困難 けにいかす有力者を介して朝廷に訴え ( にる実味をあらわす似絵独自の描法を用い なほどまでに肥満して、苦しみがっき たところ、絵師に、もとの伊予国の領 地を還すとの勅答があった。しかし、 。叮 1 任ており、画格からみて、筆者を似絵のないという。人の助けをかりても歩け 名手で宝治頃にも活躍していた藤原信ない女はあわれであるが、彼女に肩を かす女の顔が、冷徹そのものの面ざし 一」伊実に想定することはごく自然である。 絵師」伊予国」遠すぎ 00 近【所一一→ ~ ■病草紙・ をしているのはなかなか意味深長であ すると何とかしようとの返事があった ■随身庭騎絵巻■ : 円・松永記念館蔵肥満の女 : : る。かかる金貸しへの痛烈な皮肉が感 が、その後は何の音沙汰もなかった。 ・大倉集古館蔵藤原信実筆 : ・大和文華館蔵鍼治療 : : 2 しられよ、つ。 絵師としては、今はなす術もなく、 上皇の院に仕える随身の騎馬姿は、 しんごん ・個人蔵不眠症の女 : 鍼治療、鍼は東洋医学独特の治療で いかにもカッコョク人々の目に映した 人の子を真言の道場に送り、事の次第 ここんちよもんじゅう てんぶく あるがこの図は釘のような鍼を用いて を一巻の絵に描きのこすのであった。 らしく、「古今著聞集』によると、天福・個人蔵目病み男・ ごはりかわいん このように、本絵巻は、貧困に苦し元年 ( 一二三三 ) 頃後堀河院は当時の病は人間の四苦 ( 生老病死 ) の一つ背中を突いており特殊な治療法のよう 鸞 / おいかけ しゅ さいえい は はり こびと しみんへき 166