馬上の武人 ぐんじ にもてなしてくれる、好意を尽してくれる郡司の、その 妻に対して、よからぬ気を起すのは、余り良いこととも 思えないとして、この女の様子を見るにつけ、このまま、 黙って過すのも、これ、我慢できることではなく、近寄 って傍に寝たところ、女、憎らしいことに、何たる反応 そでぐち ほほえ も示さず、袖ロで口元をかくし、微笑みうかべて寝てい みちのり るのだ。道則、言いようもなく、嬉しくなってしまった。 九月もまだ十日頃だったから、着物をたくさん着込むこ ともなく、男も女も、一重ねほど着ただけ、それに、仲 仲よい香りがする、道則、自分の着物を脱ぐと、女の懐 へ入って行く、女は、はじめのうちこそ、体を固くして いたけれど、本心からいやな風でもなく、道則を受け容 れた。道則、どうも、男根の辺りがむず痒い感ししたの いちもっ で、探ってみると、なんと、一物がない。そんな馬鹿な あごひげ ことと、今度は、よくよく探ってみても、顎鬚をなぜて るようなもので、何の痕跡もなくなってしまったのだ。 仰天してしまい もう、女の愛らしさなんてものは、頭 から失せてしまった。この男、一物のあった辺りを探り、 ろうばい これは一大事とばかり、すっかり狼狽しているのに、女 の方、相変らす、微笑んでいるもので、ますます、わけ がわからなくなってしまい、そっと抜け出て、自分の寝 床へ帰り、探したところで、見つけることは出来なかっ 途方にくれ、そばで使っている家来を呼び、事情の 「一」こには、 説明は抜きに、 いい女がいるぞ。自分も、 今しがた、行ってきたところだ」と言えば、家来、喜び 勇んで出掛け、しばらくすると、なんとも言えない妙な 表情して戻って来る、道則、さてはこの男もしてやられ こんせき かゆ ふところ たな、とまた別の家来を呼び、けしかけた。この男もま た、しばらくして出て来た所を見れば、空を仰ぎ、どう にも腑におちないと言った顔つき、と、まあこうやって、 家来たち七八人を、そそのかし行かせたところ、全員、 そろってやられてしまったようだった。 そうこうするうちに夜もすっかり更けてしまったが、 みちのり かんたい 「宵の内は、この家の主人に、 く歓待され、 気分も好かったけれど、こう、わけのわからぬ、とんで ここを出た方が良 もない事件が起るのなら、早いとこ、 さそうだ」と、まだ夜の明けぬうち、大急ぎで出発、七 八町も過ぎたころ、後から、何やら叫びながら、馬を走 らせて来る者力しオ ゞ、こ。追いっき、白い紙に包んだ物を捧 げ持って来るものだから、一行、馬を止め、待っている っ と、先程の宿舎で給仕をしていた男で、「これは、い ぐんじ たい何だ」と訊けば、「実は、これ、郡司が差し上げよ と一一一一口うものです。こんな大切なものを、どうして捨てて 行くのですか。形どおり、朝食の用意をしたのですが、 あまりにお急ぎになるものですから、こんなものまで落 してしまわれたのです。そこで、拾い集め、持って来た 次第です」、「はて、何だろう」と、包み開けて見ると、 まったけ 松茸つめ合せたように、男根が九つ出てきた。これは奇 怪なことだと、八人の家来達も、かわるがわる、不審に 思いながらも、確かめてみたが、間違いなく、九個の男 根だった。と、思う間に、九つの男根、さっと消え失せ てしまった。そこで、使いの者は、馬を走らせ、帰って いった。その時、道則をはしめ、家来たち全員、「ある、 ある」と言った。 ささ 124
0 旅の一団無法・無警察に等しいこの時代 には集団で旅する事が道中の危険をさける 方途であった妻とニ人で旅をしていた男が あくたがわりゆうの 盗賊に目の前で妻を犯される話は芥川龍之 介の「藪の中』の原話である一遍上人絵伝 のぞきこむ女 すけ なるはど、みごとな太刀である。妻を連れた男は、欲 しくてたまらなくなった。 太刀を抜いて見せた男は、その様子を見て、 しよもう 「この太刀を所望されるか、それなら、主の持っておら れる弓と取り替えて進ぜよう」 と一一一口、つ。 妻を連れた男は、自分の弓は、たいした品ではない、 いっぴん 太刀は逸品である、太刀が欲しくてならぬ。取り替えれ ば、大いに得をする。そう思って、異議なく交換した。 しばらく進むと、また男が言った。 「私が弓ばかり持って矢を持たないのは、人目におかし い。この山を越える間だけでも、その矢を二本ばかり貸 してほしい。 こうして供をして行くのだから、どちらが 矢を持とうと、同じことではないか」 なるほど、そう言われるともっともである。つまらぬ 弓を名刀に替えてもらったうれしさもあって、夫は男に え肇り 言われるまま、矢を二本、箙から抜いて渡した。 男は、弓と矢二本を手に持って、夫妻の後からついて えびら 行く。夫は箙だけを負い、太刀を差して歩いた。 やがて、昼食をしたためようと藪の中に入ったが、男 おうらい 「往来に近い所では見苦しい。もっと奧に行こう」 と言うので、さらに奧に入った。夫が妻を馬から抱き おろしたりしているうちに、男は弓に矢をつがえて、夫 に向けて引きしばり、 「動くな、動くと射殺すぞ」 ばうぜん 思いもよらぬことであった。呆然として立ちすくむば カ ゃぶ かりであった。 「もっと奥へ行け、山の奥に入れ」 と男は脅す。命惜しさに、妻と共に、七、八町ほど山 奧に入った。 たち しようとう・ 「太刀と小刀を捨てろ」 と男は命令して、夫が言われる通りに刀を手放して立 っていると、寄って来て組み伏せ、馬の曳縄で、ぎりぎ り立木に縛りつけてしまった。 そうしておいて、女に近づく。女は、年は二十余り 可愛らしい女であった。男は女を見ると欲情にとらわれ、 ひたすら女の着物を脱がせにかかる。女は掴みようもな いので、男に言われるままに着物を解いた。男も着物を 解き、肌を合わせた。女は、男の言うなりになるしかな かったのだが、木に縛り付けられていた夫は、どんな気 持で見ていたことであろう。 やがて男は起き上がり、もとどおりに着物を着て、竹 箙を負い、太刀を帯き、弓をかかえて、女が乗っていた 馬にまたがって、「気の毒だが、おれは行くぞ。そなた に免して夫の命は助けてやる。馬はもらうぞ」 と言い捨てて駆け去った。どこへ逃げ去ったものやら 知りようもない 女は縛られた夫に近づき縄を解いた。男は腑抜けのよ うな顔をしている。女は言った。 「あなたは、なんと頼りない人でしよう。これからもこ んなふうでは、心細くてなりませぬ」 夫は、その言葉に答えようがない、妻と連れ立ってふ たんば たたび丹波に向かったのであった。 えびら おどか か ひきなわ たか
き第 いし日 け = = 前にたたんで置いてある。「さては、この外には、私に くださる物もないのだろう」と思うにつけ、わが身の上 の不幸思い知らされる思い 「この帷は決してもらうま にしきみちょう い、私に少しでもゆとりがあるならば、錦を御帳に縫っ てあげたいところなのに、この御帳だけもらったのでは、 帰ろうにも帰れない。お返ししなければ」と、大防ぎの 中へ差し入れておいた。 さて、またうつらうつらまどろむうち、夢の中で、「ど せつかく うしてこざかしい事をするのだ、折角の贈り物を、こう やって返してしまうとは、けしからぬことだ」と、再び 授けてくれる、目覚せば、前と同しに置いてあり、泣く 泣く戻した。こんな事三度も続け、なおも返したのだが、 最後には、「今度も返すというのは、無礼な振舞いだぞ」 いぬふせ きよみずでら みち当 と戒められた。そこで、寺の僧に、自分が御帳の帷を盗 んだと疑われるのもいやだから、まだ夜更けのうち、帷 に入れ、そこを去った。 帷をどうしたら良いものかと、広げて考えた末、着る べきものも持たぬ身、ひとっこれを着物に仕立てて着る 事にしたのだが、いざ着てみれば、男であれ女であれこ の女を見るものすべて、この女をいとおしく思い、縁も ゆかりもない人から、様々なものを沢山贈られる。大事 ざた な人の訴訟沙汰も、その着物着て、見も知らぬ高貴な人 の所へもって行くと、すべてまとまった。こうして、人 から贈り物され、立派な夫にも恵まれ、楽しく過すこと か出来た。 そこで、その着物を大切にしまっておき、ここを先途 と思う時だけ取り出して着れば、何事も必す上手くいっ たとい、つことた。 ( 巻十一・第七 ) おおいのみつとお 大井光遠の妹の強力の 力いのくに す「もう・と おおいのみつとお 今はもう昔の話、甲斐国の相撲取り大井光遠、背低く太 カんじよう すがたかたら り頑丈な体格、力強く足速く、姿形や人柄はじめ、立派 な相撲取りだったが、その妹に、年の頃なら二十六、七、 器量、人品、態度、どれとっても素晴しく、姿形もはっ そりした女がいた。妹、光遠とは離れた家に住んでいた が、ある時、その家の門より、人に追われる男、刀抜い ひとじち たまま逃げ込み、この女人質に、その腹に刀つきつけた のだ。 ふところ ′」、つりき せんど 134
。 , 影第いイ第第ら どろ 島帷子をかぶり、顔も手足も泥にまみれて、見るからに すね ひる ひざうら 汚ない。膝裏のくばみや、脛には蛭が吸いついていて、 うつ 血が流れている。奥方はそれを見て、欝した気持になり ながら、人に言って、食べるものや酒を出させて勧める。 男は、車に顔を向けて、出されたものを、ガッガッ食う。 その顔が、奥方には、なんともうとましいのであった。 あし 「葦を刈っている下衆たちの中で、この人は、なにか由 しょ 緒ありげに見えます。なにか気の毒で : : : 」 と奥方は、車の中の女房どもに弁解しながら、これを あの男にあげておくれ、と、紙の端に次のように書いて、 着物を一枚、車の中から取り出して与えた。 あしからしと思ひてこそは別れしか などか難波の浦にしも住む 悪くなるまいと思えばこそ、私たちは別れたはすでし あしかり なにわ たのに、なぜあなたは、この難波の浦に住み、葦刈など をしていらっしやるのでしよう、と詠んだのである。 男は着物をもらって、思いがけぬことだ、こういうこ ともあるものなのか、と思いながら、見ると何か書かれ た紙片がついている。それを読んで、眼の前の奥方は、 なんと自分のむかしの妻であったのか、と気が付く。そ 恥オ , かしく田わ れにつけても、自分の不運が、悲しく、 「御硯をお借りしたく存します」 と男は言った。硯を与えられると男は、 君なくてあしかりけりと思ふには いとど難波の浦ぞ住みうき そなたと別れてから、このようにますます悪くなりま 75
どろ それに泥が付いているとあっては、貴族 ぐにはどけて見苦しい の目から見たら「穢げなること限りなし」 綿も蚕からとった真綿だから貴重品で、 0 生きがたき世 0 市 えきびよう 庶民の敵は「貧」だけではない。疫病 庶民には容易に得られない。貴族が絹のであったろう。そんな葦刈男でも、頭に や盗賊・天災や飢饉、行政官とくに又 は、クタクタになった粗末な烏帽子をか 着物を何枚も重ね、真冬にはの入っ 一ム かれん , ゅう た衣服を着用していた時でも、庶民は粗ぶっている。当時の男、とりわけ貴族は、 きん か・りむーし 。上きがたき憂き世に庶民と生まれた不幸を、 い麻や紵で作ったつんつるてんの着物を無帽でいることは決してない。女と同衾 一彼らはどんなに嘆いたことであろう。一 着て、寒さにふるえていたわけだ。だかする時でも、烏帽子だけは脱がないのだ。 道方に貴族の栄華を見聞しながら、偶然が こういう庶民だから、家もろくなもの ら貴族の目から見れば、粗末でたけの短 分けたにすぎぬ出生の相違が、現世にお いョレョレの和を着た庶民の姿は、たではない。庶民の九十パーセントを占め だきたならしいもの、うとましいものと る農民の住家がどのようなものであった 平安京には東西に市があって、月の前ける苦楽をこのように隔てるとは : にもかかわらす、彼らは生きた。餓え 映ったのだ。「今昔物語』の巻三十・第五かについては、明徴がない。おそらく粗半は東の市、後半は西の市が開いた。東 話は、「身貧しき男の去りし妻、の末極まる小さな屋であったろう。彼らの市には五十一の店、西の市には三十三て死に、疫病に倒れ、盗賊に襲われて落 がたり ・ばね あー」かり 命する者があっても、その屍を乗り越え 妻となる語」と題されて、有名な葦刈説は酷な徴税をのがれるために、家屋やの店があり、各一種類の品物を売ってい 田畑を売り払って、大農の下人や奴婢と 話を語っているのだが、夫と別れた後に、 た。一つの店で種々の品物を売る雑貨店て、彼らはたくましく生き抜い 昔物語』は彼らの「生の足音」を、さな なり、その家に寄食しつつ、労働力を提はない。東の市には、米・塩・麦・干魚・ 思いがけす摂津守の後妻に出世した女は、 な : わべしさつよう かりむし 供し、収穫を没収されていたものが少な 今の夫とともに一日、難波辺を逍遙し、 紵・針・筆・薬・刀・弓・馬などの店、がら録音しているのだ。もし説話集なか ちさつばう くなかったとい、つ かなたこなたの海岸風景を眺望している りせば、歴史の暗黒の中に埋もれたであ 西の市には、米・塩・海藻・菓子・生魚・ 都市の庶民とて大同小異で、多くは一 うちに、葦刈る下の中に、偶然もとの 絹・糸・綿・牛などの店があった。京の人ろうわれわれの祖先の姿が、ここにその えんぎしき 夫を発見する。「土に穢れてタ黒なる袖 間か二間の小さなあばら屋に住んでいる。人はここで日用品を買う ( 「延喜式」巻四残像をとどめていることは、何よりも幸 トをろ もなき麻布の帷の、膕のもとなるを着た せといわねばならぬ。 『今昔物語』巻二十六・第四「餓二 ) 。 長野嘗一 ( 立教大学教授 ) り。帽子のやうなる鳥帆みをりて、顔朝臣、若き時女のもと ~ 行く評」は、大市には多くの都民が集い、商品や金銭 え ~ な にも手足にも土付きて、穢げなること限 皿藤原明衡という悼士が、若い時、さの授受が行われるので、盗人のかせぎ場 りなし」と本文にある。帷とは裏のない る所に宮仕えしている女房と忍びあう物所ともなり、僧の説法の場としても利用 ひとえ ひざ こうや 単衣のこと、膕とは膝の背のくばんでい された。空也上人はここで説法したので、 語だが、密会の場所として借りたのが、 ひとえ る所をさす。膝までしかない麻布の単衣、雑色男の家であった。その家はわすかに市の聖と呼ばれた。また、市には女が多 一間切りの小屋である。この時、主人のく集まるので、流行の源泉となり、彼女 雑色は留守であったが、妻は厨にでも寝たちをねらって好色な男もまた潜入する。 たのであろう。床の板敷にしく一枚の畳平安朝切ってのドンファン平中は、ここ 一第鷺・■■第を一一を第一 で武蔵守の娘に求愛し、女の心と体とを 現もなく、屋根は板ぶきで、所々穴があい 、ゞ日ている。そこから月影がもれる。なかな射止めている ( 『今昔物語』巻三十・第 か風流ではないかなどと言うのは富める二話 ) 。「中ごろはロに出でてのみなむ、 第 - うまん い者の驕慢で、このあばら屋の住人にして色は好みける」と、本文にある。欠字のーツ やまと 部分、『大和物語』では「市」とある。 みれば風雨の日はたまるまい かたびら かたびら そて あら 目病み男と医師病草紙 うず 161
まさご らである。 られる。そうしてその見ている前で、妻の真砂を が手寵めにされた後の、女ごころの奇怪な動きや、 芥川は、この生命欲のかわりに、虚栄心という 手籠めにされる。その後の女の言動、それによっ それにつれて動揺する男二人の気持の変転もない ゅ 別の本能を置き換えた。動物的な生命欲を去り、 て激しく揺れ動く二人の男。あげくの果て、武弘 女の格も、「藪の中」にあるように「男にも劣ら しよう ) 」しん 人間的な虚栄心を入れたのだ。三人の主要人物が は殺され、真砂は逃げ、多襄丸もまた逃げる。こ ぬ位、勝気な女」にはされていない。護身用の小 こんかん とうかいらゆう れが事件の根幹だが、芥川が書かんとしたのは、 刀も懐中しておらす、盗人の暴力に激しく抵抗す加害者は自分だと言い張るのは、そのせいである。 しんざん 殺人の罪は着ても、カッコよい人間になろうとし 手籠めにされた後の女の奇怪なふるまいであり、 ることもない こんな深山 ( 場所は大江山 ) で、 ているのだ。事件が複雑にもつれ、真相が容易に それによって動揺する男たちの心である。歴史は 頼む夫がしばられてしまった以上、万事をあきら へんばう 貞 女によって作られる、と 判明しないのもそのためだ。このように変貎させ、 いいたいところだが、 めて、言われるままに着物を脱ぐ。されば、気性 しゆくおんりようかめん じゅうよくざんぎやく つめかく 淑温良の仮面の下に獣欲と残虐な爪を隠している の激しい女が必死の抵抗のすえ他し男の獣欲に屈発展させた、芥川の創作の功は大きい きんばく しからば『今昔』原典は文学として何の取りえ のが女だとの、作者の不信がさりげなく込められする緊迫はなく、その結果、彼女が格別美しく見 もないかというに、そうではない。夫の見ている ているかに見える。 えるという利点もない。芥川が各人各様の告白で じよじ ところで、この作品の素材となった『今昔物語』 一編を構成しているのに、原典では客観的な叙事前で妻が他の男に手籠めにされる。こんな異常な たんば 事件を描いた文学作品は外にない。日本の古典に の巻二十九・第二十三「妻を具して丹波の国へ行 で話が進められる。 おおえやまお はむろんなく、 『今昔』全編の中でもこれ一つあ く男、大江山にいて縛らるるものがたり」では 大きな相違は、以上の四点である。が、最大の るのみだ。外国の文学にはあるのかどうか、私は どうあるか。紙幅がないので、小異はすべて省略 相違は夫が殺されていないこと、この一点に尽き かぶん これは単なる人妻の 寡聞にしてそれを知らない。 る。 し、大きな相違に限定する。 ごうかん かんつう 最も大きな相違は、殺人事件が起きていないこ 姦通や強姦事件ではない。夫の目前で妻が犯され 芥川のねらいが、妻が手籠めにされた後、夫が しぎやく る。加害者にとってかほど嗜虐的な性犯罪はなく、 とだ。夫は殺されていないのだ。したがって、妻殺される ( 自殺もふくめ ) までの、三人三様の心 被害者にとってかはど屈辱的な事件もない。そう の動きにある以上、これは原典からの距離が遠く、 けんちょ して読者にとって、想像力の作動する余地がかほ 創作化の顕著な作品というべきであろう。もっと ど広く残された物語もないであろう。鑑賞とは、 も、この部分については、欧米の作家の手法に摸 原文の書かれていない行間の空白を読者の想像力 したとの吉田精一博士の研究もあるにはある。が、 によって埋めてゆく作業であるが、それは作者の ここでは東西の文学の比較が目的ではないので、 創作の片棒をかつぐことになって、こよなく楽し いっさい省く いわざである。少しく筆に自信のある人なら、こ しナ′し 、『今昔物語』には、人間の本能が原始 の材料を使って自分もひとっと、創作欲をかき立 の姿さながらに描かれているのだが、この説話で てられるような説話である。 も、物欲・性欲・生命欲という、三つの根元的な ゃぶ お 芥川が『藪の中』を書くに際しては、当時彼の 本能が扱われている。この三つの本能が織りなす 身辺に或る女性 ( 人妻 ) がまつわりついており、 悲劇、それがこの物語である。なかんすく最も強 しゅうあく へんげんきかい じゅうよく その変幻奇怪な女ごころの醜悪を見て、かの作を いのが生命欲だ。妻が盗人の獣欲に手もなく屈し くつじよく たのも、 いっさいが終わり、この上ない屈辱を与構想したと言われている。だが、彼の創作欲を第 ししよう ふくしゅうくわだ 一に刺衝したもの、少なくともそれに大きな刺激 えられた夫婦が、死にもせす復讐も企てす、トボ を与えたのは、「今昔』原典における事件の異常 トボと旅を続けて行くのも、みな生命が惜しいか 谷崎潤一郎 堀辰雄 たの あだ かたばう か おか 153
おっとり刀 がてん 手に合点が行き、飛びかかって剥ぎ取ろうとしたけれど、 くだん 妙に恐ろしく、そのまま二三町もつけてみるが、件の人、 自分が誰かにつけられてることなど、感付いた気配もな それどころか、ますます笛吹き鳴らし歩いて行く 袴垂、ここらで一発と、足音高くつつかかって行けば、 笛吹きながら振返った感しが、とうてい、簡単に剥ぎ取 れそうな相手ではなく、思わすすっ飛び逃げてしまった。 こうした調子で幾度となく、あれやこれやとやっては どうよう 見たが、少しも動揺してる風には見えす、十余町程もっ けて一打く。そ、つかと一一一口って、このまま引きさかるの、も癪、 刀抜き、走りざま斬りかかった、と、今度は、笛吹くの をやめ、立ち止り、振り返るや、「おまえは、い 何者だ」。気力失せてしまい、わけのわからぬまま、ヘ なへなと坐り込んでしまう、もう一度、「何者だ」し つめられ、こうなってしまったのでは、もう逃げように おはぎ も、と、ってい逃かしてはもらえそ、つにはなく、 「追い剥 はかまだれ でございます」「名前は」「袴垂と呼ばれている者です」 やから くだん 正直に答える。件の人、「そういう輩がいるとは聞いて ぶっそう 「一緒 いたか、なんと物騒な、けしからん輩だ」言い について来い」とだけ一言うと、前と同しように笛吹き鳴 らし、歩き始めた。 こんな調子では、もう逃げようったって、おいそれと たましい 逃がしてくれる相手ではない、袴垂観念し、鬼に魂抜き 取られでもしたかの如く 一緒について歩くうち、その 人の屋敷まで来てしまった。件の人、何処の誰かという せつつ ぜんじやすまさ と、摂津の前司保昌だったのだが、袴垂を家の内へ呼び わた 入れ、綿の厚く入った着物一枚与え、「着物が欲しい時 はかまだれ くだん しやく 柿の木に仏が現われる その昔、醍醐天皇の御代の事なのだが、五条の天神の あたりに、大きな柿の木で、実を結ばないのがあった。 その木の上に、仏が現われているとの噂に、京の人々こ ぞってお参りに行ったものだから、その一帯、馬や車と めておくのもままならす、あまりにたてこんで、人の流 れ塞き止めることも出来す、ただもう、やかましく騒ぎ おが 立てて拝むのみ。 そんな騒ぎ続き、五六日も過ぎた頃、右大臣、どうも これはおかしいと思い つまり「実際に、本当の仏が、 まつばう この末法の世の中に、出て来られるはすはない。出掛け しようぞく て行って、しかと確かめてみよう」と、昼用の装束礼儀に のっとり着込み、檳榔毛の車仕立て、先払いの者いつも より多く連れ従え、集まり群がっていた人々整理させ、 ながえ 車から牛はすしてその轅しかるべく置かせると、柿の木 の梢を、瞬きもしなければ、わき目もふらす見据え、か ひととき れこれ一時、件の仏、しばらくの間は、花降らせたり光 放ったりしていたけれど、何しろあまりに長い間見つめ られていたもので、とうとう根負けしてしまい、羽の折 は、ここへ来てそう一言うがいい。気心も知れぬ者に襲い かかるような真似は、もうするな」という、袴垂なんと も恐ろしく、気味悪かった。「今思い出しても、立派な人 物だった」とは、捕えられて後、袴垂が語った言葉だっ ( 巻二・第十 ) こずえ またた くだん びろうげ はかまだれ 106
えらぜん つかさびと 0 食事の用意越前の守の奇策は官人たちに しおからいものをうんと食べさせ下剤入り の酒を幾杯も飲ませて疾く下痢をさせて追 っ払おうというものであったひっかかった しゅは / 、ろ / 、 官人たちはほうほうの態で逃げ帰る酒飯論 み わらわ さま。召しかかえる侍、女の童どもも、空き腹をかかえ ております。そのうえ、このような恥をさらすというの ぜんしさフ は、前生からの悪運でございましようか。その実は、 みなさま方に、ありあわせの弁当さえ差し上げられない しゆくは - フ でおりますことからもご推察ください。前生の宿報った しさフえん なくて、永年官職に恵まれす、たまたま己の荘園のある かみ 国の守に任ぜられると、このようなつらい思いをしなけ ればならない これは、人を恨み申すべきことではござ いませぬ。ひとえに、私の悪しき宿報でありましよう」 と言って、おいおいと泣くのである。 かねときあっゆき 声をあげて泣くのである。兼時と敦行とは、 「仰せられることは、至極道理でございます。さぞかし、 と推察申し上げてはおりますが、しかしながら、これは、 私一人のことではありませぬ。近頃、衛府には、一粒の つめしょ 米もなく、 詰所の侍たちも困り果てております。そうい うわけで、大挙して参った次第で、いわば、相身互いの こと。守の殿のお立場を気の毒とは存じながらも、かく 推参した次第で : : : 」 と一一一口っている、っちに、腹かしきりに・りだした。兼時 , と敦一丁とはすぐ近くに坐っていたから、しきりにゴロゴ えちぜんかみ ロと鳴っているのが、越前の守に聞こえるのである。二 しやく 人は腹の音を、しばらくは、笏で机をたたいてごまかし ていたが、そのようなことで間に合うものではない。守 すだれ が簾越しに見渡すと、末座の者にいたるまで、みな腹を すび 鳴らし合って、弓の素引きのような音を立て始めている。 ー ) ばらノして、兼時が、 「ちと、失し ネいたします」 小手をかざす男 と て、一 おお との め と言って、あたふたと小走りに出て行った。兼時が立っ とねり のを見ると、他の舎人どもも、われ先にと後を追って座 を立ち、重なり合って板敷を下ったが、ある者は、長 を下りるあたりで、ピチピチと音を立てて漏らした。あ ′、 1 まやどり る者は、車宿に行ったものの、着物を解くのが間に合わ す、垂れ流してしまった。ある者はまた、素早く、着物 んぞう を解くには解いたが、楾の水を注ぐように、ジャーとひ り流すのであった。またある者は、隠れ場所を見つける よゅ・フ 余裕もなく、垂れ流しながら、うろうろするのであった。 さんじよう こ、つい、つ惨状であったが、 ためもりのおきな 「こんなことになるだろうと田 5 っていた。 為盛翁のこと ゆえ、まともなことでは治まるまいと田 5 っていた。なに か、してやられるのではないかと思っていた。いかさま、 との 守の殿は贈くは思わぬ。われわれが、酒を欲しがってひ た飲みに飲んだ報いしや」 と、大笑いして、ひり合ったのである。 侍がまた門をあけて言う。 つかさびと 「それではお帰りくだされ。続い て、次の官人方をお入 れ申そう」 すると、 「それはよいことじゃ。すぐ入れて、またわれわれ同様、 ひらせてやれ」 このえふ と、左右近衛府の官人舎人たちが、袴などにひりかけ たまま拭いもせすに、先を争って退出すると、他の四つ の府の官人どもは、それを見て、わあわあ笑いながら逃 げ散したのである。 ためもワあそん いかにもこれは、為盛朝臣のたくらみであった。この
民家の庭さきの洗漫井戸から水を汲むもの 布に水をかけながら垢落しをするもの両端 しんし に針のついた竹ひごで布を突っ張る針子張り をするもの木にかけ渡した竿に着物をほす もの役割さまざまである泣不動縁起絵巻 を受け取ったのである。 とうじ ごんぎよう 「これはなんとしたこと。私に湯治や勤行を勧め、山寺 へ行くと言って連れて来て、こういう目に会わせるとは」 と女は、泣いて訴えたが、男は耳をかさなかった。も ら、つものをもら、つと、早々に馬に這い上り、駆け去った のであった。 女が泣いていると、その家の主人は、これで女を買い 取ったと思いながら、事情を訊く。女は、かくかくしか しかと、今までの真実を語り、泣きながら放免を頼んだ が、その家の主人もまた耳をかそうとはしない。女はた だひとりで、相談相手もなくリ 、逃げ出す手だてもなく、 「私を買い取られても、何の得もございますま い。私を どのように折檻なされてもよろしゅうございます。この 世に生きていようとは、もはや思いませぬ」 と、その場にひれ伏して悲しむのであった。 すす 女はそうしたまま、食物を運んで来て勧めても、起き 上らない。 まして、食物を口にすることなどあり得ない。 主人は困ってしまったが、従者どもが、 「まあ、しばらくこ、フして嘆き伏しているでしようが しまいには起きて、食べるようになりましよう。まあ、 このまま、ご覧にならっしゃれ」 などと、口々に言った。 だが、女は、来る日も来る日も、起き上がらなかった。 はか 「ろくでもない者に謀られて」 などとこばしているうちに、女は連れて来られてから おうのう 七日目に、懊悩のあげく死んだ。女を買い取った家の主 人は、まるまる損をしたことになった。 せつかん
のかな」 と八く。 「かようなことは、われわれ一同にひとしくかかわるこ こうどの とだから、そなたたちからも守殿に申し上げてくだされ」 そう言って佐太は、仔細を語ったのであるか、 「いやはや」 あるいは贈み、み と仲間の侍たちは、あるいは蚩い、 な女に同情したのであった。 はりまのかみ そのうち、播磨守がこのことを伝え聞き、佐太を前に たず 呼んで事情を尋ねた。佐太は、これで自分の訴えが聞き 入れられることになったと喜んで、大ぎように、手ぶり 身ぶりよろしく事の次第を申し述べた。守は、その話を 断くと、 「お前は、愚か者しや、人非人しや、そうとは知らすに、 よくもお前のような者を永年使って来たものよ」 いとま と言って、佐太には、ながの暇を賜ったのである。一 き起 ゞなん 一ゞ山 と っ さた たまわ いム 少女と犬が噛み合「て死んた活 むかし、ある人が、十二、三歳ぐらいの女の童を使っ ていた。 隣家では、白い大を飼っていたが、どういうわ けか、その白い大は、この女の童を見ると、目の敵にし て噛みついて来るのである。 ちょうちゃく わらわ 女の童の方でも、この大さえ見れば、 いきなり打擲し ようとする。それを見て人は、これはいっこい、 わらわ うことなのか、と思っていた。そのうちに女の童が病気 えきびよう になった。疫病にとりつかれたのであろ、つか、日数を加 えるにつけ、病気は重くなる一方であった。その家の主 人は、自分の屋敷から死者の穢れを出したくないので、 病気の女の童を、ほかの場所に移すことにしたが、女の 童の言うには、 「私が人けのない所に移されましたら、きっと、あの大 に食い殺されます。病気でなくても、人が見ていても、 あの大は、私さえ見れば、襲いかかるのでございます。 まして、人のいない所で、私が一人きり、重い病で臥 ぐんじ 方、郡司の家の女には、不憫だと、着物などを与えたの であった。 さた さび 佐太は、身から出た錆で、主人に追放され、郡の出入 りも禁じられたので、しょんばり京に上ったということ とが である。郡司は、お咎めがあるかとびくびくしていたのだ が、委細を聞いて、たいそう喜んだということである。 ( 巻二十四・第五十六 ) ふびん め わらわ やまい