はだしの幼女 ゃう ばくあさ か国正た入しをにと裸 足ど ′つ かやあ白りまになにさ て僧ただのく俊が藁をとれきはな と さ れくわ眼め ろ藁し てりぐるまな は し身し尻と廊は うをて た人 ? てを 自 ろ のつ け心て出いすしろの横か下 牛、おっ分表は上布て国なな れ地ら側しかかろ老骨たさを にあいその門何にをみ俊いが り牛のの碁ご解るがのら どを近てがなぎ人をわい歩う 藁出車皐脇変盤いと、文 なのもで との と 何り僧息さで出あった 、ふ句そ ちちをてに りをて ーっつ たれ、来るびら つ国そ長、い乗かも裏、たとつ をも ふ おど顔えま側豸すしど ういのつりくなが 裸俊 し思ぶで だし近え く運との し間せて しいえのかいや した水えたの横う打わ よし藁につきえ て引る 僧ためちるとりみやきと帰門待うにを藁いっさ やかをに っかつにし包がてつい か返声がわきつく れま - つ て僧け事を様りもけ てら み沢 わ 呪がつ とさす来もと仕む い正、もか子ド立てむ文らさ 山風どか る何介まけう 牛 ~ れぐたど四組し代敷呂ささ てしし唱ま す のご抱弩またか らまろえ風知 に車っ時んろりいへつい かとすながが いさ家をて間だでにて入と れつのて呂ら を と ぬた下仰場すのぞに呼来ば お湯ゅあり横 分かるら - つ らをうぬ僧て 少か走びたか お桶る ほのの向むに ふ ち有正 どだ碁ごけ入例年しらよかり な いをかむお す 盤に いつ、様、び に疲せせら 、下らしな の ち ま ぶよ。半 痛 命れて よ 僧 牛車のしかえしにしては、ちと、 ちといえよ、つ。 絵仏師良秀家の焼けるのをみて喜んだ これも昔の話だが、仏画をなりわいとする、良秀とい う者かいた。家の近くから火が出て、おりからの風にあ おられ、火の粉を浴び、とても駄目だと、いち早く表通 りへ良秀逃げ出したのだが、 依頼を受けて描きかけの仏 みじたく 画もそのままなら、身仕度ととのわす、うろうろしてい る妻や子供は、まだ家の中にいるのだ。 それをけろっとして、自分だけ高見の見物決めこみ、 やがて火がわが家に燃えうつり、煙や炎が、吹き出して 「ど ) 、つ 9 も も、平然としてながめ、手出し一つしない このたびはとんだことです」近所の、誰かれが見舞いの 言葉をかけたが、これにも他人ごとのごとくで、「どう してそんなにのんびりしてるのです」ふしぎに思った 人がたすねても、なお炎上中のわが家から眼をはなさす、 時には、つなすき、さらにほくそ笑んでさえいる。 「ああ、これはねがってもないことだ、 いままでは、嘘 ばかり描いてたんだなあ」と、良秀、ふとひとり言をも らし、これを耳にした見舞いの者たち「どうしてそうの んびりかまえてるのです、あきれたものだ、気でも狂っ たのか」と、たしなめた。 ふどうそん 「なんで気の狂うものか、これまで私は、幾度も不動尊 えそら かえん せお の背負う火焔を、描いてきた。しかし、そのすべて絵空 えぶっしよしひで だめ いたすらの過ぎた仕打 ( 巻三・第五 ) よしひで 110
かどべのふしよう 「門部府生が海賊を射返す事」ゆれる舟の 上から府生の放った矢は見事に海賊の首領の のりみ 目にささる府生は弓道の鬼で賭弓の第一人 者若い頃には夜射るために屋根板を燃やし て明りに使うほどだった宇治拾遺物語絵巻 門營万 ロの 府ふの い賊 皮窰も 龍ご なンかま 弓て 装さ こうぶりおいかけ 式とり出し、きちんと身につけ、冠、老懸ゃなにかも作 法通りにつける、これ見た従者たち、「この期に及んで、 気でも狂ったのですか、かなわぬまでも、何とか抗う方 ととの 策を立ててください」馬 蚤ぎひしめく。身仕度整うと、 肩脱ぎ、右手や後ろ見まわし、屋形の上に立ち、「そろ そろ四十六歩の距離まで寄って来てるか」と問えば、従 者たち、「それどころの騒ぎではありません」と、余り の布さに胃液まで吐いてしまう、「どうだ、もう頃合か」 もう一度問い、「四十六歩の距離まで近寄ったようです」 の声に、上屋形へ出、きまり通りに弓構え、しばしあっ て弓高くあげ引きしばる、海賊の首領、黒っぱいもの着、 赤い扇開いて、「早いとこ漕ぎ寄せて乗り移り、品物をぶ かどべのふしよう ん盗って来い」指図していたのだが、門部府生少しも騒が す、狙い定めるや、ゆっくりと矢を放つ、弓倒してよく見 れば、この矢目にもとまらす海賊の首領向けて飛んで行 き、いたっき矢、左目に命中した。海賊、「ぎゃあっ」、一声 ざま 発すると、扇とり落し、のけぞり様倒れた。その矢抜いて みると、戦用のものではなく、儀式の時などに使う小さ な代物、海賊共、これを見るや否や、「ややっ、これは普 通にある矢ではない、神の矢に違いなかろう。まごまご せす、早いとこ漕ぎ戻ったが身の為だ」と、逃げ帰ってし まった。 ちょっと かどべのふ さて門部府生、うす笑い浮べ、「あの奴等、もう一寸 つば のとこで命落すとこだったのに」と、袖おろして、唾吐 き捨てる。海賊、うろたえ騒ぎ逃げる折、袋一つとか物品 かどべのふしよう 少しばかり落して行き、門部府生、海に浮んだのを取り ( 巻十五・第四 ) 上げ、笑っていたとか。 しろもの は あらが 139
いものをひりちらしたという。この為盛の人柄に ているが、おかしげな笑話ばかりを収めており、 や ( を 「をこ」の文学の名にふさわしいものであった。柳ついては、「極めたる細工の風流ある物の、物云 わら なれもの たくにお ひにて人咲はする馴者なる翁」と説かれている。 田国男先生の「不幸なる芸術』によると、もとも はたのたけかず とねり このえふ 第十の秦武員も、近衛府の舎人の一人であったが、 と「をこ」というのは、人を楽しませるわざであ そうじよう ぜんりん きんらよう ったのが、後に , か」とかわって、人にいやが褝林寺の僧正の前で、あまりの緊張のせいか、た たけかず られるよ、つになったとい、つ。たしかに、 『今昔物かく一発を放ってしまった。しかし、当の武員が、 語集』巻二十八を通して、この時代の「をこ」の両手で顔をかくして、「あはれ死なばや」と言っ たので、その場の空気もたちまちほぐれて、まわ 技芸が、いたってひろい範囲にわたっていたと知 とね このえふ りの僧たちもみな笑いあったという。「物をかし られる。その第一に掲げられたのは、近衛府の舎 はつうま ふしみ いなり く云ふ近衛の舎人」でなかったならば、うまくそ蚊の泣くような声で、「ただ所司開きにせよ」と 人たちが、二月の初午の日に、伏見の稲荷に参る 一一一口ったとい、つから、まことにふざけている。この の場をとりつくろえなかったであろうと、『今昔 道で、美しい装いの女にあったという話である。 せいしようなごん まったのしげかた とねり 戒秀も、清少納言の異母兄と考えられているが、 茨田重方という舎人が、その女に言いよって、「私物語集』巻二十八には説かれている。 もつまらない女房をもっていますが、そいつの顔 そういうわけで、この時代に「をこ」と呼ばれやはり「極めたる物云ひ」であったという。たた どうみさっ よねざわ しやせきしゅう し、『沙石集』の米沢本では、道命という法師に るものは、まことにさまざまであったと知られる は猿のようで、その心は物売り女のようで」など まおとこ はお ついて、同じ間男の話が伝えられている。『今昔 と、勝手なことを述べたてた。いきなり頬をうた が、わけても、その場に応して巧みにものを一言う いくつかの説話集によると、 物語集』をはじめ、 れて、はっと気がつくと、その女は自分の妻であ ことが、もっとも重んしられていたと言えよ、つ。 きょはらのもとすけ この道命というのも、巧みな誦経とともに、おか ったという。自分の妻とも知らないで、その悪口巻二十八・第六によると、清原元輔という歌人は、 きようげん おおじ しげなものいいをもって知られたものである。 賀茂の祭の使で、一条の大路を渡るうちに、馬か を並べたてることは、狂言の「花子」などにしく かんむり まれており、後代の笑話でももてはやされている。 ら落ちて冠を飛ばしてしまった。折からの夕日に、 はげあたま とねり その禿頭はきらきらと輝いて、多くの見物はどっ 自分の妻に言いよる舎人などは、まさに「よ、 , 力」 と笑った。ところが、当の元輔はすこしもあわて の男にちがいないか、『今昔』巻二十八にあらわ ないで、冠を落したという先例を引きながら、こ れる「をこ」の者は、そのような「ばか」の者ば えちぜんのかみ れを笑ってはならない理由を弁じたてたという。 かりとは限らなかった。たとえば、第五の越前守 せいしようなごん ためもり ′一うけっ ろくえふ この元輔というのは、清少納言の父親にあたるが 為盛は、なかなかの豪傑であって、六衛府の役人 なれもの わら たいろうのよねきようしゆっ 「馴者の物をかしく云ひて人咲はするを役とする に対して、大粮米の供出をおこたっていた。そこ こくしゅ 翁」と伝えられている。また、同じ巻の第十一に で、六衛府の役人たちが、国守の家におしかけて、 ず・りよう ぎおんべっとう よると、祇園の別当の戒秀が、ある受領の妻に通 門の前にすわりこんだ。六月のあつい日で、腹も のど っていたが、その主人の帰宅にあわてて、とりあ へり咽もかわいているところに、塩からい物ばか からびつ えす唐櫃の中にかくれた。その主人は、うまくその り食わされ、すつばい酒を飲まされた。そのため に、たちまち腹のぐあいがわるくなって、つぎつ場をおさめようと、祇園にこの唐櫃をもってゆか ずきようりよう ぎおん ぎにその座をたたなければならなかった「それで せ、誦経料としてさしださせた。祇園の僧たちが、 べっとう とねり この唐櫃をあけてみたくても、別当が見あたらな も、陽気な舎人たちは、すこしも怒らないで、「み いので困っていた。そうすると、唐櫃の中から、 ごとにはかられた」と、たがいに笑いあって、汚 ためもり 3 らしよ、もん 羅城門趾 ( 京都・九条通 ) いかさま聖 『今昔物語集』巻二十八などとくらべると、『宇 っそうおおら 治拾遺物語』の独自の説話には、い かな笑いをうかか、つことができる。たとえば、『宇 いかめしく偉そ、つな 治拾遺物語』第五によると、 みたけ やまぶし 山伏が、ある人の家に来て、「このたび御嶽に参 って、もう二千日も籠ろうと存するが、御寄進に あすかりたい」と一一一一口うのであった。この山伏を見 まゆ ると、額と眉との間に、髪の生えぎわに寄って、 二寸ばかりの傷があり、なおりきらすに赤らんで いる。家来がそのわけをたすねると、とうとげに ずいぐだらに 声を作って、「これは随求陀羅尼をこめたのです ぞ」と答えた。そこに、十七八はどの若者が走り ひたい しり 158
中納言師時が法師の男根をあらためた事 : たきね ばた餅に呼ばれ狸寝入りした児僧の事 : むこ さりい 小藤太という侍が聟におどかされた事・ かじてっち 鍛冶の丁稚が鮭を盜んだ事 せいとくひじり 清徳聖の奇特の事 第 - うかん 静観僧正が雨乞いに成功する事 : はかまだれやすまさ 盜賊袴垂が保昌にあう事 柿の木に仏が現われる事 とつのだいなごんおも 藤大納言の想い女が一つとり落した事 : やまぶし 山伏舟を祈り返す事 : し」′・要 : フじよ・フ′、に」し 羽僧正が国俊にしてやられた事 えぶっしよしひて 絵仏師良秀家の焼けるのをみて喜んだ事 : 雀の恩返しの事 : 狐が家に火をつける事 : 芥盈之介と今昔物語 長野嘗一 ・大島建彦 説における庶民の心 ・解説・ム楊語・宇治拾遺物語・ : : 吉田精一 あまご 仮名暦をあつらえた事・ ある僧が氷魚を盜み食った事 : こしきぶのないし 小式部内侍歌詠みかける事 : ぐら 大喰いの三条中納言が水飯を食べる事 : えんぎ しぎさん 信貴山の縁起にまつわる事 : ようじゅっ たきぐちみちのり 滝ロ道則が妖術を習う事 : 博打ちがまんまと聟入りした事・ ばんだいなごんおうてんもん 伴大納言が応天門を焼いた事 : きよみずてら み - う 清水寺て観音から御帳を給わる事 おおいのみつとお 大井光遠の妹の強力の事 : つねより 経頼が蛇にあう事 : みどうかんば おんみようじあべのせいめい 御堂関白の御大と陰陽師阿倍晴明の事 : かどべのふ・ 門部府生が海賊を射返す事 かな ~ 工み ■説話と絵巻・ 0 地図ーー平安京 : 0 生活事典 : 装幀・レイアウト : かいぞく よ ~ ) ・フり、 160 すいはん ■図版目録 : 日 下 弘 166 149 140 れい 五鈷鈴 ( 密教の修法具 )
0 「鬼に瘤をとられた事」おなじみの瘤とり ほお じいさんの物語頬に瘤のある翁が鬼の酒 ひろう 盛りに ' 日 い侍意の舞を披露する喜んだ鬼ど もは「かやうの御遊びには必ず参れ」と瘤をね じ切り質にとって帰って行く今昔物語絵巻 貧しい絵師 おんあそ 7 とと、島帽子を顔の前に垂らし、腰に斧をさしこみ、洞 からひと田 5 いにとび出すと、頭分の前で踊りはじめた。 一座の鬼は仰天して「こいつ、何者だ」とさわぎ立て たが、翁はかまわす、のび上りかがみこみ、身をくねら せ、声ではすみをつけながら、あたりせましと、狂った ように舞いつづける。おどろいていた鬼たちも、やがて、 おもしろかり しっしょにはやし立てた。 舞い終えた翁に、親分の鬼は「すい分酒盛りもしたが、 こんなおもしろいとび入りははしめてだ。これからは、 お前、かならす我々の酒盛りにつきあえ」という、 ちろんのことです。なにしろ今夜は急なことで、うまく 舞い納められませんでしたが、もし、お気に召したなら ば、つぎはきっと、心ゆくまでごらんに入れます」翁 かしこまって答えた。 「よくいった、かならす来るんだぞ」親分は、すっかり かみざ じようきげん 上機嫌となったが、上座から三番目の席にいた鬼がしゃ しやり出て、「しかし、今こう申していても、約束を守 らないかも知れません。なにか、物を置かせた方がいい のでは」と口をはさみ、「なるほど、それがいい」親分 もうなすき、「何を、置かせよう」一同相談する。 「あの、翁の顔にある瘤はどうだろう、瘤は福運のしる しなのだから、きっと大事にしているはす」親分がいい 。目や鼻な 翁はあわてて「こればかりはおゆるし下さい ぎようてん おの らまだよろしゅうございますが、この瘤は、私か長い間 大事にしておりますもの、無理にとるというのは、あま りにお情けのない仕打」と、尻込みした。 「ほら、あんなに大事にしているのだ。瘤をとってしま え」親分が命じ、「では、とるぞ」と、手下の鬼が、ね 「きっ じりながらもぐと、なんと、大して痛くもない と、次ぎの遊びに来るのだぞ」念押しをして、やがて烏 のかしましく鳴きさわぐ夜明けとなり、鬼たちは去って し / 翁が、顔をまさぐってみると、長い年月とりついてい た瘤は、あとかたもなく、まるでぬぐったよ、つに、きれ いになっていたから、もう木を伐ることも忘れ、家へも どった。 妻の姥が、 「これはまた、ど、つなさいました」びつ りして訊ねるから、これこれしかしかと説明し、姥は、 「まあ、奇態なこともあること」と、不思議がった。 ところで、この翁の隣に住む、やはり翁の、これは左 の頬に大きな瘤があり、瘤の消え失せたことを知ると、 「どうしたのです、どこの医者に取ってもらったのです か。教えて下さ い、私もこの瘤には弱っているのです」 とたすねるから、翁は「実は、医者に頼んだのではなく、 これこれしかじかのあげく、鬼がとったのです」「では 私も、その通りにしてみて、瘤をとりましよう」さらに くわしく訊くので、いろいろ説明してやった。 おきな 左瘤の翁は、教えられたまま、木の洞に入り、待って いるうち、聞いた通りにして、鬼たちがやって来た。車 座になって、酒を汲み交し、やがて「どこにいるのだ、 ひだりこぶ はお うば しり′」
ばんだいなごん とねり 舎人の子と伴大納言の家来の子がけんかを していると家来が飛び出して舎人の子を蹴 とばし自分の子をつれて行ってしまう以 前に伴大納言の放火を目撃していた舎人は黙 っていず放火をあてこする伴大納言絵詞 大口あけた男 とねり けんか 計理を担当している者の子供と、この舎人の子供が喧嘩 をはしめ、泣きさわいでいるから、舎人が分けようとす ると、先方の親も見ていて、なんと乱暴なことに、自分 の子供は家へ入れ、舎人の子供を地面にたたきふせた。 さらに髪ひつつかみ、踏みつけたりするから、舎人は、 しよせん どちらが悪いにしろ、所詮子供の喧嘩、引き分けるのが 当然で、それをわが子ばかりひどい目にあわせるとは理 ふじん 不尽きわまる。「どうしてそういうむごいことをなさる いたけだか のか」抗議すると、大納言の家来は居丈高に、「何をほ とねりふぜい ざいておる。舎人風情のお前たちを、どう扱ったってこ うしろだて っちの勝手だ。わが主人大納言様の後楯がありや、何だ って困ることはない、ひっこんでいろ乞食野郎」と、 きまくからなお舎人は腹が立ち、「そっちこそ口をつつ しんだ方がよかろう、手前の主人を、そんなに大したも ののように、笠にきてたって、わしの配慮があらばこそ、 つつがなく世渡りしてるだけのことじゃないか。もし、 わしが、ひょっとロすべらしてみろ、ただしやすまない んだぞ」とやりかえし、家来は、 ) ) 、 しし力、疋しもならぬま ま、家へひっこんだ。 けんか この喧嘩さわぎに、物見高い連中、群れ集り、見物し あくたい とねり ていたのだが、 舎人が、どういうつもりで、あんな悪態 をこともあろうに身分ちがいの大納言に対し、ついたの か見当っかす、あるいは妻子にこの次第を告げ、顔見知 りに話をし、やがて口づてに広まって、評判となり、つい にはお上にまできこえてしまった。 とねり お上が舎人を呼び、事情をたすねると、舎人さすがに いしぶってはかばかし えらいことになったと後悔し、 かさ こじき 清で観音から御帳を給わる きよみずでら 今はもう昔の話、頼って行く先もなく、清水寺へ足繁 さんけい く熱心に参詣する貧しい女、もう何年となく続けたのだ ごりやく か、別にこれといった御利益もない。何ともはやたより ない限りで、とうとう長いこと住みなれた所ひきはらい、 あてもないまま出奔、とはいうものの、もともと身寄り かんのん のない身の上、観音が恨めしくもあり、「どんな前世の むく 報いなのかは、わかりませんが、ほんの少しでも結構で すから、何かお恵みを」と、泣く泣くお願いし、観音の 御前にうつ伏し寝てしまった。その夜のこと夢の中で、 「御前から」と、「そう熱心に言うもので、気の毒には うのだが、少しでもあるだろう余裕もない、その事が気 ざんねん みらよう 掛りで残念でならない。 これを授けよう」、御帳の帷を きちんとたたんだもの前に置かれる様を見た。夢から覚 とうみよう め、燈明の光で見れば、確かに夢の通り、御帳の帷、目の く答えぬ。もし、説明できないのなら、お前も大納言を ひばう おうてんもん 非謗したかどで、重罪だとおどかされ、ついに、応天門 一件についてしゃべったのだ。 は′、じっ そして大納言はきびしい取調べを受け、一切が白日の るざい もとにさらされて、流罪申しつけられた。応天門に放火 まことおとど あとがま し、その罪を信の大臣にかぶせ、まんまと、大臣の後釜 にすわろうと、浅知恵でしくんだことが、逆に、当然と はいえ、わが身の罰せられる結果となって、さぞかし無 念だったろう。 ( 巻十・第こ 一三口一一 = きよみずでら しゆっぱん みちょう 133
しぎさん 信貴山とその中腹にある朝護孫子寺 ( 奈良・平群 ) はやりまはえ観し あをは得は、に たあらそじ りもしたろな がさ がった者のっ飛与てて仏 たれれてわ たぬまい た倉 ! は、 た たてがは 片胴とろ長仕のか夜でるし 功く田比び残大な着呼は、いえ姉くも法法た 徳 ~ 沙皐つ事りがびろ年るもくあ師師か らつはもら 門てにと納なに月 と尼した 恵様いし、めらな 、け紙会姉米 まをるておらわり とで れつ倉おのれさ、のなあなれ衣このも 好地 るくも守す、れ例胴つつおど 枚意位 のり同りかそての着たた修 ではも か行 しとられい らをの冬よ土 守くうなはた鉢用 う胴さろ地 やる今がに り 本そま縁も、乗て弟む着ぎえ も を過ん . 尊 . のい てた従と下ごでい と木、よっ つなにしうつ すのまってにとも てく着、けさ れひたてい 山って寒とい ばと朽く身るばでだ さっ無 ろきか かちに け以に た用 必け果つこは、たら 、後耐 すらてけのろ倉 も と へぐり らよう そんしじ たきぐちみちのりようじゅっ 滝ロ道則が妖術を習う たきぐちみちのり ようぜいいん その昔、陽成院が天皇であった頃のこと、滝ロ道則、 しなののくに、 みちのく ちよくし 勅旨でもって陸奧へ下る途中、信濃国ひくうという所に ぐんじ 泊ったのだが、その地の郡司の家を宿と定めた。しかる べくもてなした後、主人の郡司は、家来達ひき連れ、出 て行った。道則、どうも眠れぬものだから、そっと起き びようぶ 出し、ぶらぶら歩いていたところ、見れば、屏風を回り トぎれいに畳なにかを敷き、火も灯し、す に立てかけ、 べて感しよくしつらえた一画あり、その辺りで香でもた た虐よ いているのか、そこはかとなく、よい匂いが漂っていた。 なんと奥床しいことだと、よくよく覗けば、年の頃なら 二十七か八、顔も奇麗なら、品も良く、姿形良くて、感 こご一人臥ってい しなどもまた、格段に素晴しい女が、オオ たのだ。 見つけてしまった以上、どうも、そのままにしておく のも、もったいない気がするし、幸いなことに、あたり きちょう あかり に人の気配もない、燈は、几帳の外にともしてあるから、 明るい、となると、道則、考える。ことのはかねんごろ だから、伝え聞いた善男善女、仏縁をたよって、木の 端を買い求めたし、法師の修学した土地を信貴とあがめ れいげん 呼びならわし、たいへんあらたかな霊験たまわる地とし さんけい て、今でも朝夕、参詣する人が、あとをたたぬ。 みようれん 信貴の本尊は、明蓮法師が、修行して、おのすと授っ びしやもん たあの砒沙門様であると、いわれている。 ( 巻八・第三 ) 123
「雀の恩返しの事」舌切り雀の原型となった 物語であるよいおばあさんと悪いおばあさ ぜんいんせんか んを設定してそれぞれ善因善果・悪因悪果の おうほう 応報を描く足の折れた雀を助けたおばあさ んは恩返しに雀から一粒の瓢の種をもらう しまうと、なんとなく淋しい気もする。戻って来ること もあるだろうから、待っててみましよう」と、暇もて余 してこんなこと言っていると、それ聞いた家人に笑われ てしまった。 さてそれから二十日ばかりの後、家の外で、雀騒々し いはどに鳴く声がする。女、この間の雀が来たのではと、 くだん 外に出て見れば、案の上、件の雀がいる。「けなげなこ とに、ちゃんと忘れすに来てくれたのか、なんと可愛い くちばし こと」という間に、雀、女の顔を見ると、嘴にくわえ た小さな物、落すように置き、飛び去って行った。女、 3 「雀の落して行ったのは、一体何かしら」と、目近付けれ ひさご ばなんと、瓢の種がただ一個置いてある、「こうして持 って来てくれたからには、きっと何やらわけでもあるの でしよう」、大切にとっておいた。子供たち、「なんと まあ、雀の落していったものを宝物になんかして」と笑う が、女、「まあとにかく、植えてみましよう」と、その 一粒植えたところ、秋になると立派に生い茂り、その辺 ひさご の瓢とは比較にならぬ程、大きな実が沢山成った。女、 隻って 9 も獲っても少し 喜び、隣近所にくばり回ったが、ち もなくならぬ程、沢山成っていたのだ。初めせせら笑っ ていた子や孫たちも、明け暮れこの瓢を食べ、その村落 ひょう 全部に配った末に、中でも大きく立派な七つ八つを、瓢 たん にしようと、家の中につり下げておいた。 そしてまた何ヶ月か過ぎた頃、そろそろ頃合も好かろ うと、調べてみれば、まさに丁度好い具合、おろして口 開けようとすると、少々重い感しに、おかしいなと思い つっ切り開いてみれば、一ばいに何やら、詰っているでは ないか、「何だろう」、別の容器に移すと、なんと、白 米が詰っていたのだ。思いもかけぬことだし、ただもう ひっくりして、とにかく残りを大きな容れ物に移しかえ ただ たところ、これすべて白米、「これは只事ではない、 っと雀かやったことに違、よ、 しオし」と、ロハ々嬉〔ー ) い限り ちゃんと容器に入れて隠し、残りの瓢簟はと調べれば、 同しように白米詰っていた。これ全部を容器に移しかえ 使うと、とてつもない量になり、女、まことに裕福な身 分となった。これを知った隣近所の者たち、驚くと同時 うらや に、余りの出来事に、羨ましくも思った。 112
5 留 ヒ日 おんみようじ そこで、ある陰陽師の所へ行ってみた。事情を話し、難 をのがれる方法はないものだろうか、と訊いてみた。 「難をのがれるのは、むつかしい。だが、そう言われる からには、工夫してみましよう。ただ、難をのがれたい なら、非常に布い目にあわなくてはなりませんぞ。それ に耐えなければなりませんぞ」 たそいれどき と、陰陽師は言って、黄昏時女の死体のある家へ、こ の夫の男を同行した。 男は、話を聞いただけでも、髪の毛が太くなるのでは ないかと思われるほど、布くて震えあがっていたのに、 、に物 ふる まして、その家へ行くなどとは、生きた心地もしないの おんみようじ であったが、ただもう陰陽師に身をまかせて行ったので ある。見ると、本当だ、死人の髪は付いたまま、骨はっ ながったままで横たわっている。 陰陽師は、男を馬乗りに死体にまたがらせて、髪をし つかりとっかませて、 「ゆめゅめ、放してはいけませんぞ」 じゅもんとな と指示して、呪文を唱えて祈疇した。 「私がここへ戻って来るまで、そのままでいなされ。さ だめて布いことかあるだろうが、耐えなければならぬ」 そう言って、陰陽師は出て行った。 男は、ど、つしよ、つもなかった。生きた、い地もなく、死 体にまたがって、必死に髪を引っ張っていた。 そうしているうちに、夜になった。夜半になったと思 われる頃、死人が、 「ああ、重いなあ」 と言ったかと思うと、起き上がって、 「きやつめを捜して連れて来よう」 と言って走りだした。 どこをどう走ったのかわからない。随分遠くまで行っ たような気がした。男は、陰陽師の教えを護って、必死 に髪を引っ張っていたが、そのうちに死人はもとの場所 おそ に戻って来て、またもと通りに横たわった。男は、布ろ しいどころではなかった。あやうく失神しそ、つであった。 それでもこらえて、髪を握って放さす、死人の背にまた がっていたのである。 そのうちに鶏が鳴いた。すると死人は、声を出さなく にわとり さカ しっしん
き第 いし日 け = = 前にたたんで置いてある。「さては、この外には、私に くださる物もないのだろう」と思うにつけ、わが身の上 の不幸思い知らされる思い 「この帷は決してもらうま にしきみちょう い、私に少しでもゆとりがあるならば、錦を御帳に縫っ てあげたいところなのに、この御帳だけもらったのでは、 帰ろうにも帰れない。お返ししなければ」と、大防ぎの 中へ差し入れておいた。 さて、またうつらうつらまどろむうち、夢の中で、「ど せつかく うしてこざかしい事をするのだ、折角の贈り物を、こう やって返してしまうとは、けしからぬことだ」と、再び 授けてくれる、目覚せば、前と同しに置いてあり、泣く 泣く戻した。こんな事三度も続け、なおも返したのだが、 最後には、「今度も返すというのは、無礼な振舞いだぞ」 いぬふせ きよみずでら みち当 と戒められた。そこで、寺の僧に、自分が御帳の帷を盗 んだと疑われるのもいやだから、まだ夜更けのうち、帷 に入れ、そこを去った。 帷をどうしたら良いものかと、広げて考えた末、着る べきものも持たぬ身、ひとっこれを着物に仕立てて着る 事にしたのだが、いざ着てみれば、男であれ女であれこ の女を見るものすべて、この女をいとおしく思い、縁も ゆかりもない人から、様々なものを沢山贈られる。大事 ざた な人の訴訟沙汰も、その着物着て、見も知らぬ高貴な人 の所へもって行くと、すべてまとまった。こうして、人 から贈り物され、立派な夫にも恵まれ、楽しく過すこと か出来た。 そこで、その着物を大切にしまっておき、ここを先途 と思う時だけ取り出して着れば、何事も必す上手くいっ たとい、つことた。 ( 巻十一・第七 ) おおいのみつとお 大井光遠の妹の強力の 力いのくに す「もう・と おおいのみつとお 今はもう昔の話、甲斐国の相撲取り大井光遠、背低く太 カんじよう すがたかたら り頑丈な体格、力強く足速く、姿形や人柄はじめ、立派 な相撲取りだったが、その妹に、年の頃なら二十六、七、 器量、人品、態度、どれとっても素晴しく、姿形もはっ そりした女がいた。妹、光遠とは離れた家に住んでいた が、ある時、その家の門より、人に追われる男、刀抜い ひとじち たまま逃げ込み、この女人質に、その腹に刀つきつけた のだ。 ふところ ′」、つりき せんど 134