」 030 を のすけ 之助が、理路整然といった。 。長年立てぬいて 「ああ、よくいった、よく気がついた 来た武士の意地で、仲のわるい者同士なればこそ、かえ って義理が大切だ。お前が命をすてるのも天下のため、 だざい 女の命を助けるのもまた太宰の家のためだ。あとのこと よしの は心配せす、死をすがすがしく、吉野の花の散るように 見せて、武士の手本になれ」と立派に父はいったが、 は千々に乱れ、咲いている桜のような若者を死なさなけ ればならぬ残念さとあわれさを思い、血の涙を小枝にそ だいはんじ そぐ心持で、大判事はその枝を川に投げると、枝は波に 乗って流れて行った。 ひなどり それが恋人の死とつながるとは知らすに雛鳥は喜んで、 「あれあれ、花が流れるのは、うれしい知らせです。久 がのすけ 我之助様のお身が無事だということがわかりました」と 「私はあの世へまいります。あなたは千年も万年 こうせい も、元気に長生きをして下さい。そして後世、死んでか ら行く世界で夫婦になって下さい」と心をこめて別れの 挨拶をのべる。 、 ~ 首 がのすけ 136
十段目・発 場 天 目 段 十 気ま 人は大に いののはと の行ざまい人うたは い主で重し儲 : がで摂第 あ出津 子ついすぞ形より十のつい人か をりな九家たなはつれ荷財たにつ入 ロ がひいでを産商住てり和。、 身の家上泣ともい 子な子らとでち義持人む、す泉 : のでにをきり い弁あ自でるは煙息出よ平ち。天 : りる ま草ってうがで見河 : : つ日河 を泣るい慶げ分 た屋やば本内ち が親前だ のきゅど自 浄きの の 高の遊方髪四筒、く七分い目義ぎな る弁は の 。棹でろに平こ町の り慶父こ太ださびにをつ を はとで大国 にのさこ妻 7 アに い落の持天の つ気長店ろそいあきば し泣んに とは夢いし男 ても持先なれうつなか ばあいじ中ったの 語てかわうまに をで荷はのた港り け伊、、子 受梱え物どは。町で つばりれやりなら五ごで け包をと のな 服 つれと てか としあも金堺をく 聞り母のしはててい子しい さはやしい子う守 りたつ見が か かえ金 まる供丁豸り う時 よ ま せとん し大っぬを る由はこ東り を稚ちを た船て店生むの あだし家出 松離の西 人国 と縁由 t 東おやがて 中だ 呼さ松第西もす、い と船るがよ う活船 と頭る し ぶれで しネ / 「ねえ伊五、もう人形芝居なんか見たくない いやだ。母さんを呼んでおくれ」「そんな無理なことを しいつけて、坊やも追い出す いうのだったら、旦那様に ) てたい ーし・れい ぞ。先月からここの家の身代が傾き、手代たちは、鼠の 子か何かのように、気の利かないばか者だといって追い 出し、台所の飯炊き女には、大きなあくびをしたという のを叱って暇を出し、今では、ここに住んでいるのは、 坊やと私と旦那さんと三人だけ。そのうち、この家から 夜逃げでもするつもりと見えて、少しすっ船に荷物をは こんでいる。逃げ出すなら人形の籀を持って行こうなア」 てっち と丁稚はいう。 「いや、人形より、おれはもうねむたい」「おやおや、 そんなことをいうと、こっちも誘われて、ねむくなって 来たしゃないか。よし、よし、おれが抱いて寝てやるこ とにしよう」「いやだ、伊五には乳がないから、おれは いやだ」「あれまたそんな、しようのないことをいう。 お前が女の子なら、乳よりしし 、ものをやる所だが、男と 男とではそ、つもゆかぬ」とおろかなことをい、つのも、一眠 を誘うあわれなけしきであった。 一三ロ , 刀しなし , カ その時、戸外に二人の武士が来て、「隹、 たのみます。義平殿は在宅か」という挨拶も小声である。 奧からとがった声で、「旦那さんはいます。こっちは人 形をつかっているので忙しい。用があるなら、はいりな 当、し」し はらごうえもん 「いや奥に取り次がないで入っては失礼。原郷右衛門と おおほしりきや 大星カ弥、内々でお目にかかりたいと申しあげてくれ」 えもんおおめし 「何だ腹へり右衛門に大飯くらいだと。こいつは参った。
きながら、「母様、よくわかりました。お言葉に異存は ありません」と答えた。 「では、い うことを聞いて、入内しておくれか」「ハイ」 いった。それでこそ貞女だ。馴 「ああ、、つれしいよく れない御所での宮づかえ。武家の娘として笑われてはい きようからは御所の貴婦人、髪もすべらかしに 直さなければいけない。お祝にこの母が、結い直してあ げましよう」といそいそ立ち上りはしたものの、娘の心 を思いやって、別れの櫛を心もとなく手に持ち、どうに さだか もおさまらぬ暗い、いに、定香の胸は重かった。 一方の背山の家の中では、若者が父の前にうやうやし こがのすけ く手をつき、「久我之助の心中を知って、切腹すること をお許し頂き、この身にとって、どれはどありかたいこ せやま よしのがわ 妹山 ( 左 ) と背山 ( 右 ) をへだてる吉野川 ( 奈良・吉野 ) じゅだい いもやま とか、わかりません」といえば、しっと黙って聞いてい だいはんじ た大判事は、、つつすら涙をたたえた目を開き、「きよ、つ うねめ 入鹿大臣がこの大判事を呼び、先帝が愛された采女は身 せがれ を投げて死んだというのはうそで、お前の倅の久我之助 きっとお前たちの かどこかへ逃してやったに相違ない、 家にかくまっているのであろうという返事のしようかな い御沙汰。もとよりそんなことをすこしも知らぬこの大 判事だが、よく考えると、采女の身の危険を避けるため さるさわ に、猿沢の池に入水したと見せかけ、そっとどこかへつ れて行ってあげたのは、とても久我之助の思いっきでは かまたりこう ない、鎌足公のおさしすを受けてのはからいと、このこ とを私が知ったのは、今日がはじめて。この大事を親に も包み隠した決意のはどは、若い者にしてはみごとなや り方、うむよくやったと思うにつけても、心の至ってよ こしまな入鹿が、久我之助が自分につかえるならば命は 助けてやる連れて来いといったのは、甘い言葉で誘って おいて拷問にかけようというたくらみにきまっている。 入鹿に責め殺される苦しみよりも、切腹させてしまえば、 采女を探す手だてを絶ちきるという大きな効果がある。 天下のあるしの帝のおんためなら、なアに倅の一人殺す ことなど、野原の草むらに生えた草を引きぬくよりも、 たやすいことだわ」と涙一滴こばさすにいうのは、武士 の立て前、しかし、「子の可愛くない者が、およそこの 世に生きる者の中に、あるだろうか。あまりにもけなげ 力いしやく な子にむしろ親が感心して、介錯 ( 切腹の世話 ) をしてやろ いかめしく差している う。武士とて美々しくよそおい 大小の刀が、自分の子の首を切る道具になるとは、五十 いるか じゅすい 133
恵臣蔵の作者たち 4 らゆうしんぐら 歌舞伎の「忠臣蔵」六段目は、勘平とお軽という 美男美女の悲恋物語の色合いが濃いように思う。 いちもんじゃ お軽が一文字屋の駕籠に乗ろうとする時、それま でうつむいていた勘平が突然「お軽待て」と激し く呼びとめ、抱き締めて別れを惜しむ。かけ声の かかる印象的な場面である。 かなでほん しかし『仮名手本忠臣蔵』の原作、および原作 ぶんらく にほば忠実に演じている文楽の六段目には、こう いう場面はない。原作の勘平は、お軽が父親を殺さ れたとも知らず、その面倒をみてくれるように頼 むいじらしさに心を痛める。が、それを口に出し ていうことは出来す、結局お軽が情なく思うはど おし黙ったまま、彼女を送り出してしまう。誤っ て舅を殺してしまったという恐しい事実の重味に 内おしつぶされている勘平には、お軽との別れを心 兵ゆくまで惜しむ余裕など、ありえないのだ。それ 与は当然の心情であろう。 目 た観客としては、そのこととは別に、身売り 段 六までして勘平のために尽しているお軽に対し、勘 こた 平の方も、どこかで強い愛情をもって応えてはし 」臣 いと思う。そうでなくては、お軽がかわいそうだ、 六段目という芝居は 「手勘平はあまりにそっけない、 ということになって、歌舞伎の、あ 。仮陰気すぎる のいささかの甘い見せ場が生まれたのであろう。 文原作の六段目には、こういう悲恋メロドラマの よいちペえうら ぶんら ( しゅうと かぶき かんべい かる 手法は混在していない。原作では、運命にもてあ かんべい そばれて、一歩一歩と死に踏み込んでいく勘平を、 いわば人間その 勘平個人の悲劇としてではなく、 ものの典型的な姿として、醒めた目で見詰めよう とする。そのために勘平は、本来誠実な善人では あるが、利己主義で盲目的な面も持つありふれた 男として描かれる。勘平がロマンチックな悲恋劇 の主人公などになっては、運命劇とか醒めた目と かの基本線が崩れてしまうからだ。その上、原作 の勘平にとって最大の関心事は、失われた武士の 面目を回復することである。いまや妻となったお かる 軽への愛情など、とりたてて問題にならないのだ。 お軽が、戯曲全体を通じて、勘平のことばかり思 い続けているのとは、立場が違うのである。その とい、つト小りゞも封 意味で、勘平とお軽の間には 建社会に生きる男と女の間には、一種の断絶があ る。その断絶をはっきり見据えている原作の六段 目が、陰気でそっけない印象を与えるのは当然で あり、一方その断絶を緩和してメロドラマ化した のが、歌舞伎の六段目ということになる。 ちゅうしんぐら 一口に忠臣蔵」とか「六段目」とかいっても、 ぶんらく 歌舞伎と原作 ( 文楽 ) とでは、このように質的な相 うんぬん 違がある。作者を云々する場合には、この原作の、 醒めた目を持っ運命劇の作者、男と女の断絶とい う問題から目をそらさなかった作者、について考 内山美樹子 156
側近く寄ることを許されるが、十分な話 とくに発端を「大一同が人形身から人間の役者に変る。本 さ、た上演し続けられ、 もできなかったので「おそかりし由良之 家の人形芝居に敬意を表した演出とされ 序」と称し、練りあげられた型がある。 せれ 0 やフ 助」という常套句が生まれたのもここか ている。明和ごろの川 ます開幕前に舞台中央から幕をく ふるびなみせ かえな こうじようにん・ ~ - う らである。 序開きは古雛見世の如く也 て現われる口上人形が役人替名 ( 配役 ) 判官この九寸五分 などとある。 りに「右の役 - 多のを述べる。口上のしめくく もものいやかた は汝へ形見、この短刀を以て我が 二段目桃井館の場は、幕末の七代目市 : 物刀人残らすまかり出で、懸へに相勤めます ぞんわん か上・′、・らけんち・宅っドし かわだ・代じつろう 存念を。 川団十郎が場所を鎌倉建長寺に改めた演 れば、お茶おたばこなど召上りながら、ゆ わかさのすけ ト言おうとする 四る、ゆるゆるゆるとご見物くださります出もある。これは死を覚悟した若狭之助 由良委細。 が先祖に別れを告げに建長寺へ来たとい るよう、そのため口上、さように : ト胸を打って思入れ という「ゆるゆるゆる」のところで、首う設定である。 臣 判官ム、 三段目の「進物場」は滑檮で面白い演 をぐるりと回して観客を笑わせる。「悪 ど・フけや′、さぎさかばんない これが主従の別れである。この胸とも腹 。名臣蔵」を見るときは、開幕時間として記出が工夫され、道化役鷺坂伴内の見せ場 かるか・ハべ ともっかぬあたりをはんと打って覚を となっている。お軽勘平が落ちのびるこ 『された時間より十五分位前に着くように 伎 知らせるのが「腹芸」なのである。 とについては前に述べた通り して、開幕前のこの人形の口上を見落さ 舞 しろあけわた あんえい 城明渡しも歌舞伎では重要な場面であ 四段目は切腹の場であるから沈痛な一 ぬよう心掛けるべきである。これは安永 段である。芝居では茶屋から運び込む菓る。背景になっている城門の大道具が二 「忠臣蔵」が独参湯、ぶりを何度となく果二年 ( 一七七三 ) に始められて型になっ 度はどぐいと引きさげられて、遠のいて 子、弁当、鮨をカベスと略して称したが、 したといっても、原則はその時々の新作 宀に」い、つ てんのうだち いくさまを見せる演出は、歌舞伎の演出 を上演することであった。明治以降、次 この一段はカベスの類を運び込むことも 口上人形が引込むと「天王立下り端」 手法の一つといってよい 第に特定の一幕のみ上演されるという傾という荘重な下座の鳴物になり、それに客の出入りも禁じられ、人形芝居では上でもすぐれた ぐ・うしぎ 「通さん場」と呼んでいる。歌舞伎も同これは明以後の工夫だという。ソヴィ 向になったのは、歌舞伎が現代性をなく 合わせてチョンチョンと拍子木を打ち、 エトの映画作家ェイゼンシュティンのモ く。拍子木は四十七士に様に重く扱う。なにしろ「忠臣蔵」の主 していったことを意味しているともいえ引幕があいてい ゆらのすけ ンタージュ理論に歌舞伎の演出が刺激を 役中の主役である由良之助がこの幕にな る。国立劇場が建設され、歌舞伎は通しちなんで四十七回打ち、それが打ち終る てれ 「て初めて登場するのである。それは判与えたといわれるその演出とは、こんな 狂言として上演するという国立劇場方式とき幕をびたりとあけきることがロ伝と 官が待ちかねて腹に刀を突立てたとたんところでもあろう。 は、それまでの松竹系の見取式上演法とされている。 に花道から駆けつけるのだが、この型に 違って、その作品の初演時の意図を再現幕があくと、定められた場所に役者た 「忠臣蔵」の面白さ も種々ある。一々は記さないか型か多い するという点では有位であるかもしれぬ。ちが居るが、人形身といって頭を下げ目 五段目についてはまた有名な話が残さ たか、上演されなくなっている幕の復活をつ、ぶった姿である。チョボの浄瑠璃のということは、この場の由良之助を演し れている。 る役者が、この登場を重要視した現われ 上演は、演出が伝えられ、時々上演して演奏が始まリ浄瑠璃の中に自分の名前が 明和三年 ( 一七六六 ) 初代中村仲蔵が いる幕との間に舞台上の濃度の違いが出出てくると頭を上げ目を見開く。この体である。現在の型は明治の九代目団十郎 さ , くろう が始めたもので、花道に一旦すわり、懐定九郎の役をもらったときのことである。 及び目の動きでその役の格を示すことも て、全体をちぐはぐなものにしている例 あしかかさ - うえのかみただよし い役亠が演 この場の型である。足利左兵衛督直義か中へ手を入れる。これは駆けつけるときそれ以前は定九郎はあまリ も多い。とくに序幕などは通しとなると こうのむさしのかみもろなおわかさのすけやすちか しる役ではなかった。そのことで癇にさ に締めていた腹帯をゆるめるためとか、 復活上演の形をとるものがはとんどであら始まり、高武蔵守師直、若狭之助安近、 えんやはれいんた力さた 塩谷判官高定の順で、そのあと並び大名締め直すためとかいわれている。主君のわっている仲蔵は新演出を考え出して驚 る。その中で「忠臣蔵」に限っては序幕 ロ卩い なかむらなかぞう 164
( , をろ 6 ー・ 0 ーをま 1 て手 3 授 ん云 璃 瑠 ら、下男をつれて急いで出かけて行った。 「さアうちの子供と仲よくさせましよう」と新しく来た 子を若君のそばにつれてゆき、機嫌をとっている、ちょ げんぞう うどそこに帰って来たのが主人の源蔵である。 いつになく青ざめた顔をして、ふきげんそうに、そこ にいる子供の顔を見まわし、「ああ、氏より育ちとはよ くいったものだ。賑やかな都とはちがって、里の子はどれ を見ても、 いかにも田舎くさく育っていて、世話するか いのない 役に立たぬやつら」という様子は、心配ごと かありそうに見える。 不安そうに女房はそばに寄り、「いつもとちがって顔 色も悪く、およばれのお酒に酔ったのかしら、田舎の子 だということはわかりきっているしゃありませんか。憎 まれロは聞き苦しい ことにきようは約束した子が寺入 じようるりばん りしています。ロぎたない人と思わせてもいけません。 こたろう 機嫌を直して会ってやってください」と、小太郎をつれ て来て会わせたが、うつむいたまま、その顔を見もせす、 考えこんでいる。 小太郎は、かわいらしく手をついて、「お師匠様、き ようからよろしくお願いします」というので、ふと顔を あげてそっちを見て、しっと見守ったまましばらくいた が、急に顔色がやわらいで、「これはこれは、いい顔を している。品もあって、貴族の御子息だといっても、お かしくはなさそうだ。ほんとに、お前はいい子だなア」 となみ とすっかり心持がおさまった様子に、戸浪も、「何とい しい弟子でしよう」といった。 しし AJ 、も しいとも、この上ない。それで連れて来た 母親はどこに行った」「お前様がるすなので、そのあい だに隣村まで行って来ようといって」「それもよし、大 ぐあいだ。ます子供たちと奥につれて行って、 げんぞう 機嫌よく遊ばせてやれ」と源蔵がいうので、「さアさア みんなお暇が出た、小太郎もいっしょに奥へ」と若君も ともどもつれてゆかせた 「さっ 戸浪は、あたりを見まわしながら夫に訊い きの顔色は、いつもとちがった様子、なぜだろうと思っ ていましたら、今度はまたあの子を見て、すっかり上機 嫌にまたなられましたのが、ますますわかりません。わ けがありそ、つで心配です。話して下さい」 源蔵は話す。「心配するのはもっともだ。今日御馳走 するというロ実で、庄屋の家に呼びつけられたが、そこ しゅんどうげんば ふじわらのときひら にいたのは、藤原時平の家来の春藤玄蕃と、もう一人は 116
しゅうとおおたりようちく りえんじよう 義平に離縁状を書かせる舅の太田了竹義平 ゆらのすけ は由良之助にたのまれた武具の調達の秘密が もれないようにと使用人はやめさせ女房のお そのは実家に帰した了竹はおそのを他の家 に嫁にやるつもりで義平に離縁状を書かせる て次々に暇を出し、あとに残ったのは頭の足りぬ小僧と こせいれ 四つの小倅だけ。決して人に知れるような、い配はありま せん」 「さてさて驚き入りました。そのことを父に話して安心 させましよう。郷右衛門殿、まいろうではありませんか」 、出発について、気がせきます。義平殿、失礼し ゆらのすけ ます」と二人の武士がいった。「では由良之助様に、ど 「はい承知しまし うぞよろしく、おっしやって下さい」 た」さらば」「さ、らば」と別れて、二人は一佰に帰った。 しゅ -7 」おお 表の戸をしめようとするところに、この家の舅の太田 ご - フえもん 2 りようちく 了竹が来て、「おっと閉めるな、義平はいるか」と中に 通り、目をきよろっかせる。 「これは親父様、よくいらっしやった。さて、このあい だから女房のおそのを、病気の養生のため帰しておきま したが、さぞお世話でございましよう。薬を飲んでおり ますか」と訊く。 「ハイ薬も飲む。食べ物もよく食べる」「それは結構」 だゅう 「結構ではござらぬ。貴公も国にいたころは、斧九太夫 から給金をもらって、かなりの暮らしをしていたが、今 は一人の奉公人もいない。そういう時、大した病気でも ないのに、養生しろといって帰してよこしたのは、何か 訳かあるのだろう。が、それよりも、あの若い女に何かけ しからぬことがあってそうなさったのだとしたら、貴公 も不名誉だし、私もこの老人の腹を切らなければならぬ。 ところで一つの相談というのは、世間並みに暇をやる時 りえんじよう いっ何時でも、そちらの都合 の離縁状を書いて下さい で呼び戻してもよろしいが、ちょっと一筆、いま書いて と軽い口調でいうのも、義平にしてみれば、了 下さい」 竹の腹にたくらみが何かありそうだと思う。 しかし、ことわれば女房をすぐにここに連れて来るだ ろう。おそのが帰ったら、頼まれた人々に申しわけがな いと、あれやこれや考えている。 「いやか、どうだ。不承知なら、おれの家に、一日も置 いてはおけぬ。おそのを帰したあと、この了竹も一緒に ここにはいりこんで、でんと坐って、娘とともに厄介に なる。いやか、承知かどうだ、どうだ、返事を」とき めつけられてさすがの義平も、了竹のたくらみに乗せら おの
七段目祇園ーカの場 ぎお人いらりき ぎおん 「花に遊ぶなら、祇園あたりの色揃え、東方南方北方西 方、まるで弥陀の浄土のように、びかびか塗り立て、光 りかがやく遊女や芸者に、どんなお客も、魂をぬかれて 「ぐどんどろっくどろっく、ワイワイノワイトサ」とさ わぐ唄の聞こえる祇園のくるわである。 声をかけて、「誰か頼もう、亭主はいないか、亭主亭 主」「これはせわしない、何というお方じゃ、どなた様 じゃ」と迎える。「おや斧九太夫様、案内を乞われると はおどろいたことで」「今日ははしめてのお方をおつれ した。大層忙しそうだが、われわれを通す座敷はあるか ゆらたいじん な」「ございますとも。今晩はあの由良大尽といわれる おおばし 大星様の御趣向で、評判の女たちを集めていますので、 下の座敷はふさがっておりますが、離れがあいておりま 「これ す」「離れか、それでは蜘蛛の巣だらけだろう」 はまた悪い御冗談を」「いやいや、よい年をして、女郎 の蜘蛛の巣にかからぬよう気をつけなくては」「これは 耳の痛いお言葉、あなた様も隅にはおかれませんな。そ れでは二階の座敷にしましよう。これ仲居どもあかりを 入れろ。お盃お煙草盆」と亭主は高い声を調子づける。 奧のはうでは、さわぎの太鼓や三味線が賑かだ。 九太夫はふり返って、「どうしゃ伴内殿、由良之助の 様子を見られたか」という。伴内は、「九太夫殿、あれ ぎおんいちりき 七段目・祗園一カ おの ばんない は結局狂人でござる、たびたびあなたから内密に知らさ もろなお れては居りましたが、あれほどとは、主人の師直も知ら す、この拙者に京に上って情報をさぐり、 気になること かあったらすぐ知らせるようにといいつけられましたが、 いやはや、さすがの私もこれにはあきれ果てました。時 おおばしせがれ に大星の倅のカ弥めはどうしておりますか」「こいつも 時々このくるわに来て、やはり遊びに夢中、親子で平気 な顔をしているのがひとつのふしぎでござる。今夜は彼 等の心の奥までさぐってみようと工夫してまいった。な お内密にお話ししよう。さア二階へ」「ますあなたから」 「では、こう来さっしゃれ」と二人は段ばしごを上って 「実は、いに田 5 いはせすに、惣れた偬れたと、つい口先だ けでいうのは、大層なまめかしい色里のならい」といっ た心持を歌った唄が聞える。足軽づれの三人の武士が来 て、知十々郎が「弥五郎殿、喜殿、これが由良之 い・り、 え 助殿の遊び茶屋で、一カと申す家でござる。これ平右衛 用があったら呼び出すゆえ、どこかで自由にしてお , れ」 A 」い、つ 平右衛門は「かしこまりました。よろしくお願いいたし ます」「誰か、ちょっと頼みたい」仲居が出て「アイア イ、どなた様ですか」「いやわれわれは由良之助殿に用 事があって参った者。奥に行ってこう申しあげてくれ。 せんざき たけ ~ ーツり・ 矢間十太郎、千崎弥五郎、竹森喜多八でござる。この間 から何度も何度もお迎えをあげましたが、お帰りがない ので、三人っれ立って参りました。すこし御相談しなけ ればならぬことがあるので、会って下さるようにと、し もん りきや
はりべやヘえ 堀部弥兵衛 むすびふた 四つ目結双っ は京大坂に勢力を持ち、物語の女護島ほどの奉公人を抱 いちもんじゃ えている一文字屋だ。渡さない金を渡したなどと嘘をつ いたりするものか。まだそれに、 たしかな事があるぞ。 ここの親父があの五十両という金を手拭にぐるぐる巻い 、す三ろ て畿に入れようとしたから、それは危い、これに入れて 」えもの 首に紐をかけて行きなさいと、この私が着ている単物の 縞のきれでこしらえた財布を貸してあげている。まもな くそれを首にかけて帰られよう」勘平は、「何ですって、 あなたが着ているこの縞の財布ですか」「そうとも」「あ の、この縞で」「何とたしかな証拠だろう」聞くとすぐ、 ソと勘平はその言葉が胸を刺すようだ。 あたりを見まわして、そっと袂の財布と一文字屋の縞 を見くらべると、まるで寸分ちがわぬ、同し糸入り縞で ある。やや、とんだことを、それではゆうべ鉄砲で撃ち ーゅうと 殺したのは舅だったか、これはどうしたことだと、自分 の胸を二つ玉の鉄砲で撃ちぬかれるよりもつらい思いを している。 「もしあな そんなことを何も知らない女房のお軽が、 た、そわそわしていなさるが、私を今すぐ一文字屋へや るか、やらないのか、きめて下さいまし」と訊く。 や、やつばり、あのようにハッキリおっしやるのだから、 行かなければならないだろう」「あの、父さんに逢わな いでも、ゆくのですか」「いや、親父殿には、けさちょ っと逢ったが、いっ帰るか、わからない」「まア、それ しやお父つアんに、お前は逢ったのかえ」とお軽は目を まるくして、「それならそうといえばいいのに、黙って いて、母さんにも私にも、心配ばかりさせて」とうらむ によ ~ ) かし - ま かんべい カカ たよなこ・び いちもんじゃ 一文字屋も調子を合せて、「七たすねて人を疑えと よよくいったものだ。親父の居どころがわかったので、 そっちもこっちも、気が晴れた。まだこの上、何のかの というなら、出る所に出にゃならぬ。しかしまア、さっ ばりすんでめでたい。おっ母さんも御亭主も、六条の西 ぎおん さ 本願寺参りのついでにでも、祗園にもお寄りなさい アさア、駕籠に早く乗るんだ」「アイアイこれ、勘平殿、 くるわ 私はもう廓にゆきますよ。年寄りの二人の親は、どうせ あなたにみんな厄介になりましよう。ことに父様は重い 持病がある。気をつけて上げて下さい」と親の死んだの を夢にも知らす、夫に頼む様子があわれで、いしらしい 「いっそのこと秘密を何もかも話して聞かせたいと思う が、他人もいることだし」と勘平心中に考え、痛む胸を おさえている。母親は「聟殿はきっと夫婦の別れにしみ しみ言葉も交わしたかろうが、お軽、お前に未練な心持 が出たらいけないと我慢しているのであろう」と慰める。 しえ、どんなに別れても、夫のために身を売 お軽は「 ) 、 ったのですから、悲しくも何ともありません。私は元気 にまいります、おっ母さん。でも、父様に逢わすにゆく のが心残りで」とつぶやく 「帰って来なさったら、すぐにも逢いにおいでなさろう。 よ・フじよう 病気をせぬよう養生して、無事な顔を見せるようにして おくれ。さアこんな鼻紙や扇子もなければ不自由だろう。 ほかにいるものはないか。あわてて怪我をしないように」 と母親は娘が駕籠に乗るまでいろいろ注意し、「さア行 っておくれ、どういうまわり合せで、りつばな娘を持ち ながら、こんな悲しい思いをすることであろう」と歯を かんべ、
さだか がのすけ ひなどり 雛鳥の首を久我之助のもとに送る定香川に 流した雛を嫁入道具に形見の琴にのせられて 雛鳥の首は嫁入していった義理のために子 の首を切ったニ人の親はあの世で夫婦にさせ る悲しみを川に流そうとする錦絵国貞筆 つの新 朝敵 ( 天皇の敵 ) を退治する戦いを、あの世から見物せよ。 ひなどり あらためていま雛鳥と親が永久に長い長いのちの世まで も変らぬ夫婦だとみとめてやる。二人は忠臣と貞女の節 えんま 操を立て通して死んだのだ」と大声でいいながら、「閻魔 とな なむじようぶつ の前を通ってゆけ、南無成仏」と唱える。 こがのすけ その声が聞えたのか、久我之助がものはいえないが合 わそうとする手を、大判事が合掌させ、この世の別れと、 たち 介錯の太刀を切りおろす。時はもう日がとつぶり暮れ、 向うの岸の人も家もよく見えなくなっていた。 だいはんじ 「これから葬る娘の死骸はこっちの山に残っているか」 だいはんじ さだか せやま と定香がいえば、「首は背山のこの大判事のところに来 ている」とうなすく。 それぞれわが子の首を親が切った。こんな世の憂さっ らさはいつになったら絶えるのであろう。わが子を介錯 した大判事は、大和の国の妹山と背山で散った二人の若 者への恩愛と、そうしなければならなかった義理との悲 しみを涙で川に流すような切なさをかみしめながら、吉 野の花を見すてて、出てゆこうとするのであった。 いもやま 139