はまじ ひきろく 0 浜路蟇六夫婦には子どもがなかった双 はま 子の一人を縁切りの条件で養女にもらい浜 かめざさ 路と名づけた亀篠は目鼻だちのかわいい浜 路が自慢の種で自分も派手に着飾って見 ゆさん ものもう せびらかすために遊山や物詣でに連れ歩いた マをら たきのがわ 滝野川弁天の鳥居先 ある秋の朝、有明の月の光を夜明けと思いちがえて、あ たきのがわべんてんさんけい わてて家を出て、滝野川弁天に参詣。まだ暗い田んばの くろをゆくと、背が黒く腹の白い子大が尾をふりふりく んくん鳴きながらついてくる。捨て大なのだろう、手束 すそ の着物の裾にまつわりついて離れようとしない 連れて帰ろうと抱きあげようとしたとき、南の方にう むらさき らうらと紫の雲がたなびいていると見れば、その雲のあい だにあでやかな神女が黒白まだらの老大に腰かけ、左手 にたくさんの珠をもち、右手で手束を招きながら、何も いわず、一個の珠を投げてよこす。手束はその珠を受け ようとしたが、珠は指のあいだからこばれ落ちて、ころ ころと子大のそばに落ちる。そこかしこさがしてみたが、 あお どこにも見つからぬ。ふしぎなことよと向うの空を仰げ ば、紫の雲も神女も跡かたなく消えうせて見えない みおも 手束は、子大を抱いて家にもどるとまもなく、身重と なり、翌年の夏、つつがなく男の子を生み落とした。 「この子の名前は何としよう」 と、よろこんだ番作がたすねると、手束はしばらく考え て答えた。 「わたしたちは男の子を三人生んだのに三人ともすぐな くなりましたわね。子運に弱いときは、男の子なら女の 子の名前をつけ、女の子として養育すればつつがなく育 っと ) しいます。この子も十五になるまで女の子として育 てたら、ぶじではないでしよ、フか」と。 「まさか、名前やなりのせいで、生き死がきまるわけで もあるまい」 と、番作はわらいながらも、薄の穂の長いのをしの薄と ばんさく ありあけ ばんさく こう . ん まね いうから、命の長いように信乃と名つけた。 さしみ せきはん そして赤飯に魚を煮たり刺身にしたりして、村の子供 たちを呼び集めて、盛大なお祝いをした。 ′、し こうして手束は、信乃に女の服を着せ、髪を結うて櫛 やかんざしをささせて、「信乃よ、信乃よ」と呼んだの で、知らぬ人は何とかわいい女の子だろうとほめそやし ひきろく かめざさ ただ、伯母の蟇六・亀篠夫婦は、信乃の後姿を見送っ て「せつかくもうけた男の子を女の子にしておくとは何 せきず ゅうきかっせん のざまだろうね。結城合戦に逃げおくれて、背傷をうけ いくさ たのにこりごり、軍のことを夢に見るのもこわいんだろ 、つよ。そ、つしゃないか」とあざけったけれど、だれもこ しの れに相槌を打つものはなく、村人はかわるがわる信乃を 抱いたり、ものをとらせたりするのだった。 ことわざ いんぶうまずめ かめざさ 淫婦に石女多しという諺どおり、亀篠は四十過ぎて も子を一人も生まなかった。それで夫婦はしきりに養女 をさがしていたところ、たまたま「練馬氏の家臣なに がしというものの子で、二つになる娘がいる。親が厄年 の四十二で、しかも双子だから、よい家があったら、一 えいらくせん 生涯縁切りの約束で、永楽銭七貫目つきで養女に出した し」 という耳寄りの話があった。七貫目の鎤にも魅力が なこうどぐち あって、二人が進んでもらったのは、仲人口以上に目鼻 だちの愛らしい いわゆる三十二相そろった女の子。疱 瘡もすんでいるというから申し伝なしだ「た。 ひきろく この子なら、番作の鼻を明かしてやれると、蟇六夫婦 き・ら は、浜路と名づけて、贅をつくした綺羅で飾り立てて、 ゆさん もの「も・フ げなん ここの遊山、かしこの物詣でと、下女や下男のお供でし あいづち ばんさく - ねり↓・ - フじ
《み、、ろキす今、広ど プを せっしさフきんだん 海にも出られす、暮らしにつまって、殺生禁断の海で魚 を次皿みとりしました。が、 天罰てきめん、それがばれてお さとみ 召捕になり、死罪になるところ、折よくその秋は里見の ふせひめ こいしゃ 殿様のなき奥方とまな娘伏姫さまの三回忌で、赦がお こなわれました。わしもおかげで死罪から追放になりま げんきち した。そこで村長に預けられていた幼い玄吉といっしよ、 かずさ しも・フさ 上総から下総までさすらっていったものの餓えと疲れで し : よじ 歩くのも困難、路ばたに行倒れて死恥をさらすより親子 もろとも、・身投げした方がましだろ、つと宀見伍旧し、もしら らんかん ぬ橋の欄干に足を踏みかけて飛びこもうとしたおり、武 ひきやく 家の飛脚らしい人に抱きとめられました。そこで事情を あ・しかカ′よりうじ 語ると、相手は『わしは鎌倉殿 ( 足利成氏 ) の身うちで、 舉しい職のものだが、四十すぎまでに何人も子を儲けな がら一人も育たなかった。ところがおまえは、一人の子 をもてあまして、親子とも死のうとしていた 。浮世の人 はさまざまだ。どうだい、その子をわしにゆすってくれ ないかね』といわれて、地獄に仏、さっそくもらってい ただきました。その人がいうには『わしは主君の飛脚と して、安房の里見へ使した帰りみちだから、幼子を連れ じようやど てゆくわけにはいかぬ。この近くに定宿があるから、亭 主に話をして、しばらく預けておき、改めて迎えに来る つもりだ。心配しなくてよいよ』と。そして二分金二粒 げんきち と弁当とを分けてくれました。その人は玄吉を抱きとる と、もと来た方へもどっていったが、お互に名を名のら 、よ、つし」く す、息子の将来にめどもついたとほっとして、行徳の浜 えど おおっか から舟で江戸にわたり、この大塚に流れつき、貧乏後家 の入婿になり、十八年間、貧乏暮らしをしてまいりまし め - しし」り いりむこ むすこ さとみ
主要人物事典 、ぬむらだいかくまさのりあか や とやま すぼだ か庫〕っ・ら 小千谷では猛牛須本太を取押える。ま景連を喰殺し、伏姫と富山の河穴に棲・大角 ( 角郎 ) 村大角礼儀。赤谷と塚の山の間の山寺を住家とする山 ふなむし いわいっかく こぶ 4 ご かなまりだいす ' た眼疾となるが霊玉の威力で直る。八む。金碗大輸の銃玉に当り自害する時岩一角の長男。初名角太郎。野州村賊。船虫を女房にし、小文吾・荘助を そうすけ 、ぬむらカもりのりきょ 大士の一人。 首の珠数が八方に散り八大十出生の基の郷士大村蟹守儀清に養われ、その娘殺そうとして却て荘助に殺される。 しゅてれじ やまばやしふさ こなやぶんごべえ 雛衣を妻とする。贋の父一角に疎んぜ ・媼内酒顛二の手下。首領が退治さ ・沼藺古那屋文五兵衛の娘。山林房となる。享年十七歳。 ふなむし だいはち やすへい うーゆきよしろう れる前に、船虫と一緒に有金を持って ・務平 ( 姥雪与四郎 ) 性御河原の老られるが、正体を知って父の仇を討つ。 八に嫁して大八 ( 親兵衛 ) を生む。 ふな ふさはち 、ねやまどうさく うばゆきよしろう ぶんご 逃げ、豊島郡芝浜の近くに住むが、船 八大士の一人。 文吾と房八の斬合の間に入って切られ漁夫。元、大山道策の若党姥雪与四郎。 ふさはち りきじろうーや′、はち おとわ ・雛た村儀清の娘、赤 ~ 石一角の長虫と共に讎乃・小文吾らに殺される。 て死ぬ。信乃は破傷風の傷口に房八と音音の夫。カ二郎・尺八の父。信乃・ ひきたもとふし たろう おうみ の・きょ げんばち 沼脚の生血を注がれ全快する。 ・蟇田素藤近江の物吹山の賊但鳥跖 現八・小文吾が額蔵を救って逃げるの男角太郎の妻。儀清は角太郎の実母の ふなむし ぬれぎぬ あわたてやま やまばやしふさはちふさはちろう しもうさ、にいちかわ じようーうあらめやま 実家。船虫に濡衣を着せられ離縁され、六の子。安房館山の城下で村人の尊敬 ・山林房八房八郎とも。下総国市川を舟で助けて上州荒芽山に落す。 かなまりはちろう いっカ′、 むさしのくにあさや の船主。沼脚の夫。金碗八郎の旧僕杣・船虫毒婦。初め武蔵国阿佐谷村の贋の一角の眼病の薬に胎内の子を呉れを得、奸計を持って城主となる。妙椿 さとみよしなり はまじ きのばくへ、 にせあかいわいっ かもめしりなみしろう に唆かされ里見義成の娘浜路に縁組を 木朴平の孫。五尺八寸。色白で信乃に悪漢鵰尻並四郎の妻。後に贋の赤岩一と責められて自害するが、飛び出した し ^ べえ 似る。偽って小文吾と斬合って死に、 申し入れ戦となり、親兵衛に敗れる。 角・酒顛二・媼などと夫を数人替え玉が一角を倒す。 みようちやっふさ とやま 力しろ・フ かいびよう にせあかいわいっかく しゆきゅう ・妙椿八房に乳を飲ませた富山の八 ・牙ニ郎怪猫が化けた贋の赤岩一角 信乃の首級の身代りとなる。 悪事の限りを尽したが、最後に信乃・ たまずさ おり 4 っ いっカ / 、 めすだぬき いぬえしんべえまさしやまばやしふさはち と、一角の後妻窓井との間の子。本当百歳の古牝狸。玉梓の怨霊にとりつか ・親兵衛大江親兵衛仁。山林房八・ 小文吾らに殺される。 はっぴやくび だいか ( しばちあだなだいまち 上・・、わり ~ ちーのすけよワたね 沼脚の子。幼名真八、渾名大 ;< 。左の・馬加大記千葉介自胤の家老。の一角の長子角太郎 ( 大角 ) を父と共れ、八百比丘尼となり妖術をも 0 て素 しゅ ふさまち いかいげんまち こぶんご じゃち にないがしろにするが、大飼現の手藤を助け、天助尼公と呼ばれる。幻術 拳を握って生れ、小文吾・房の斬合邪智にけ、主家を横領しようとして、 いねえしべえ 物へなてんいくあさけ わらたねのり を以て一度は大江親兵衛を斥けるが、霊 で悶絶、蘇生して手を開き玉を出す。忠臣粟飯原胤度を殺す。女田楽旦開野、裏剣に倒される。 親に死別れ、神隠しとなり伏姫の岩窟実は胤度の子墟に言い寄り、対・石亀屋次団太越後小千谷の旅宿の玉の光に照されて本性を露わして死ぬ。 さとみよしなりちヤ、な 4 ・、いむこデればち さとみよしみぢ ぎゅうろう もとふじ 主人。旧名鰤聟源八。小男ながら腕カ・里見義通里見義成の嫡男。十一歳。 で神霊に養われた怪童子。九歳で素藤牛楼で討たれる。 諏訪神社に参詣し蟇田素藤の奸計によ を討つ。八大士の一人。 ・籠乢東太縁和葉自寵の第二家があり、舎角力の大関。 ひとじち こ・フししゅて ^ じ えち ~ 一おぢ みようしんやまばやしふさまち しっとめふさ わらたわのワ ・酒順ニ童子 ~ 隔子酒顛一一。越後小千って捕えられ人質とされる。 ・妙真山林房の母。沼藺の姑。房老。忠臣の粟飯原胤度を奸讙によって もむ あまざきてるふみ にせあ力いわいっかく 八亡きあと蛋崎照文と共に安房に赴こ殺す。後に贋赤岩一角の師範代、また 力い」′、ろ・フ うぎがやっさだまさ うとして悪漢舵九郎に阻止され、 扇谷定正の手に属し五十子城の正使童 しんべえ やまめだゅうよりつら 大八 ( 親兵衛 ) は黒雲にさらわれる。 山免太夫縁連となり、毛野に討たれる。 かなまワだいす ' ちゅだいほうし じ 4 よみつひろ あさけ いぬさカ のたねとも ・金碗大輔 ( 、大法師 ) 神余光弘の・毛野 ( 旦開野 ) 大坂毛野胤智。千 かれ↓・りは・つろ・ 1 わ ~ カト・ーし とやま たカのり ばよりたね わらたねのり - つくり 忠臣金碗八郎孝吉の子、孝徳。富山で葉自胤の老臣粟飯原胤度の妾布が生 八房をわらい、誤「て伏姫も撃つ。出んだ子。女装をして毖といい女田 ちゅだいほ いぎゅうろう 家して、大法師と号し、姫の菩提を弔楽を業とする。対牛楼でた田小文吾に あ ^ ぎや 諸国を行脚して八大十を捜す。 会い、仇敵馬加大記を討つ。八大十の あまざきてるふみ ふせひめ とやま ・蛋崎照文伏姫を尋わて富山に入り あまざきじゅうろうてる・、け あかいわいっかく しもつけり、にあかいわむら 谷川で溺死した守役蛋崎十郎輝武の子・赤岩一角下野国赤岩村の郷士。 じゅういちろう むだいか ( 十一郎。君命により忠勇の武士を召抱村大角の父。近くの庚申山中に入り、 えるために諸国に遍歴する。 怪猫に喰殺される。それ以後長い間怪 ふせひめ さとみよしざわ いっか′、 ・伏姫里見義実と奥方五十子の一人猫が一角に化け、一角の後妻窓隼に じろう ふなむし 娘。義実が敵将の首を挙げれば娘を与二郎を生ませる。また船虫を正妻とす やっふさあんざい えるという冗談から、大の八房は安西るが大村大角に討たれる。 もんゼっ しんべえ よしざね こぶんご しんべえ こぶ・れご ふなむし しゅてんじ 、ぬむら あ ふせひめ いつ、′、 の こぶれご の ひなぎれ しゅてんじ いっか′、 いっカ′、 たろう ころう ・ - ろう いっカ′、 かん 3 ひきたもとふじ よき 大坂毛野胤智 の か 4 そうすけ のたわとも 165
主要人物事典 いれづかしのもりたか ・信乃大塚信乃戍孝。塚番作・ヤの信乃を残して死ぬ。享年四十三歳。 おおっかレやフさく あしか力もちうじ むさしの、 : と 束夫妻が北叩弁だに祈願して授「た ・大塚匠作足利持氏の臣、武蔵風豊 いなずけ むらさめまる しま ~ りおおっか ゅうきかっせんもちうじ 子。浜路の許嫁。父の没後、村雨丸を島郡大塚村を知行。結城合戦に持氏の なワうじ ーるんのうあ ^ のう 持って古河に赴き、成氏に疑われて号子春王・安王を守護して戦い、宝刀村 いかいげんばち ばんさく さめまる 流閣で大飼現八と闘う。八大士の一人。雨丸を一子番作に預け、捕えられた二 はまじ ひきろ ( むさしり、にねりま きんだち ・浜路蟇六の養女。実は武蔵国練馬公達の刑場金蓮寺に切り死にする。 やまどうさく どうせつ さとみよしざわゆうきうじとも ゅうき 家の臣大山道策の娘で、道節の腹違い ・里見義実結城氏朝と共に結城の城 さもじろう さとみすえもと の妹。信乃の許嫁。左母一一郎に誘拐さに立籠った里見季基の子。落城の後、 あんざいかげつら れて殺される。享年十六歳。後に魂が安房に亡命する。安西景連に卸の城 甲物猿行の村長四六城木工伊の養女鴻を攻められるも大の八房に救われ、 じぶのたゆう 路に宿り信乃に言い寄る。が鷲にさら房一国を統治して治部大輔に任ぜられ さとみよしなり ふせひめ われた里見義成の五の姫浜路姫であるる。室十子との間の子が伏姫。 あまざきてるふみ あわのくに かめざさおおっかしさっさく 【んさく ことが分り、蛋崎照文が安房国に送り ・亀篠大塚匠作の娘、作の腹違い いぬやまどうせっただ どうせつ・、くまくどうじけ 0 ゅう やややまひきろく ・道節 ( 寂寞道人肩柳 ) 大山道節忠 届ける。浜路姫は最後に信乃の妻となる。の姉。信乃の伯母。弥々山蟇六を入夫乃の村雨丸の献上先。 いわづかばんさく ・大塚番作信乃の父。大塚の子。し番作・信乃父子を迫害し、養女の鴻・鴎島郡大塚の百姓。番挙。全国を行脚して不思議な術を使う 、ぬやまさたとも あしか力もちうじ じ ねりまますもり にせしゅげんしゃ じだいひみ , ゅうろ ( 飼贋修験者。実は練馬倍盛の臣大山貞与 父と共に足利持氏に仕え、十六歳で結路を陣代簸上宮六に嫁がせるのに失敗作の裏の近くに住み、一人暮し。大 きかっせん はまじ げばち 城合戦に参加、敗走の時に父より潦氏して殺される。 現八の実父。病気の床で讎乃に一子女道策の子。浜路の腹違いの兄。左母二 むらさめまる 学つぎやっさだまさ むさし やややまひきろく かめざさ げんばち 郎から村雨丸を奪い、扇谷定正をねら の重宝村雨丸を渡され、父の故郷武蔵・弥々山暮六亀篠に入夫して、武蔵吉 ( 現八 ) を探すことを頼んで死ぬ。 り、におおっか かめざさ り、におおっか いれかわそうすけよしとう ・て・フすけ カ・、ぞ・つ う。八大士の一人。 国大塚に住むが、家を腹違いの姉亀篠国大塚の村長となり、村雨丸を番作か ・荘助 ( 額蔵 ) 大川荘助義任。伊豆 むらさめ かんれ、 挙っいやっさだまさ はまじ いかわえじのりとう 夫妻に奪われ、塚氏を名乗る。村雨ら奪おうとし、更に養女の浜路を陣代北条の荘官大川衛一一則任の子。父没後・扇谷定正管鑈。練馬・豊島氏らを , ゅうてき ひみ , ゅうろく るろうひきろく カ′、ぞ・つ 丸を信乃に託して自害する。四十五歳。簸上宮六にとりなそうとして失敗、亀母と流浪し蟇六の下男となり額蔵と呼亡ばし、八大士に仇敵とわらわれる。 どうせつ じ《だいひみ , ゅうろく ・手心塚番作の妻。信乃の母。結篠とともに殺される。 ばれた。信乃をかばい陣代簸上宮六を鈴が森の戦に敗れ、道節に追われて兜 いのたぞうなおひて あしか力なりうじ えいじゅまる 城方の井丹三直秀の娘。母の命に換え・足利成氏持氏の子、幼名永寿丸。切って捕えられるが、信乃ら三大士にを射落される。 さ - うえのかみし て信乃の息災を願掛け、病を得て九歳滸我御所と称せられる。左兵衛督。信刑場から救われる。八大士の一人。 げ人きちあしかがなりうじ きんじゅう 学「をいやっさだまさ あばしさもじろう の百姓糠助の子。幼名玄吉。足利成氏 ・網乾左母ニ郎元扇谷定正の近習。 ' べえ ひきろく おおっか 浪人して大塚に住む。蟇六の頼みで神の家来大飼見兵衛に養われる。初め見 ばち ほ . つりゆ、つか / 、 むらさめまる 八、後に現八。芳流閣上で信乃召取り 弋川荘義任宮河原で信乃の村雨丸をすりかえるが ・しゃ′、まく ゅ・つ力い 自分が奪い、更に沢路を誘拐し、寂寞の為闘って一緒に墜落する。八大士の はお どうじんけんのゆう いぬやまどうせつ 一人「右の頬先にあざがある。 道人肩柳 ( 大山道節 ) に殺される。 しもうさ、にかっしカ・ ~ ・うとく ・簸ど郁六塚の城主大行廰衛の翠・古那屋文吾兵衛下総国葛飾行徳の じんよみつひろ ひみじゃだゅうせいれはまじ 宿屋の主人。元は神余光弘の臣那古七 代。簸上蛇太夫の倅。浜路に恋慕した ろう さもじろう が、左母二郎に奪われ、額蔵 ( 大川荘郎の弟。小文吾・沼藺の父。流れ着い けばち た信乃と見八を救ってかくまう。 助 ) に主人の敵として討たれる。 こぶんごやりよりぶんごべえ はまじ ぬるてごばいじ ひがみきゅうろく ・小文吾大小文吾悌順。文吾兵衛 ・軍木五倍ニ簸上宮六の下役。浜路 こ・フしんづか , ゅうろく を宮六に取持つが、庚申塚で信乃・現の倅。見八と乳兄弟。身長五尺九寸、 ばち 腕力に秀れる。大猪を拳で倒し、越後 八に殺される。 1 第 ・ぬづかばんさく を一 きんれん ・物・つ・フド ) むらさめまる 第 ばんさく じんだい むさし むら むらさめまる いぬかわそう いぬ力い ろう むらさめまる いのしし わりま れづかしのもりごか 弋塚信乃戍挙 164
・、つやまめんたゆうよりつら こみやま、つとうだ 翌日、五十子城から山免太夫縁連 ( 籠山東太 ) は、 ぞう - うげ しせつ おだわらはうじよう 小田原北条家への使節として副使四人、百名近い雑兵下 ながびつ 荷駄、長櫃まで一町あま 男を連れて堂々と出立した。小口 しながわ すずがもり たみ - フち 一行が品川をすぎて鈴森の波打 りもつづく行列だった。 むしゃ ぎわ 際を進んでいくと、前面の森蔭から一人の若武者があら は・り↓・、、 われた。白布の鉢巻、髪を後に振りみだし、二尺八寸の しらきざや 白木鞘の太刀をさし、鉄砲をさげて、行列の前に立ちふ さかり、 たつやまめんだゅう こみやまいっとうだよりつら 「やあやあ、竜山免太夫、もとの名籠山逸東太縁連、し かんしさフ すぎと ばらくとまれ。今はむかし寛正六年の冬十一月、杉戸の たえじ わらおおとたねのり 里のこなたにて、汝のために撃たれたる粟飯原首胤度の のたわとも ともてん ラらみ カたみいのさカ 忘れ形見大坂毛野胤智ここにあり。倶に天を戴かざる怨 つつさき の銃丸受けても見よや」 と名乗るとともに鉄砲をぶつばなせば、ねらいたがわす、 縁連の馬の脚骨打砕く。馬は倒しに転倒して、主の 縁連も地上に倒れる。毛野は太小を鷓向に抜きかざして、 飛ぶように走りかかる らと・フ こみやまいっとうだよりつら 舌闘の末、毛野は籠山逸東太縁連をついに仕止めた。 いぬかわそうすけ いのたこぶんご そしてこのときあらわれた大川荘助と大田小文吾の手兵 とともに十子の使節一行を全滅させた。 しんし」う . つぎがやっさだまさ この報をうけた扇谷定正は怒り心頭に発し、みすから 三百人をいて鑷にかけつけたが、た山道節、た瓔 よち 、むらだいかく まちぶ どうせつはな 、た村大角の待伏せに遭って大敗を喫して、道節の放 かぶと ーあぶいおか った矢で兜を射落され、命からがら忍岡の城に逃げこん るす いのづかしの その留守に大塚信乃は十子城を攻略。倉を開いて民 ゅうゆう に施し、攸 5 々と宙心ヒ」にもどった。 なん はどこ きっ 135
-5 みい」 豸イ / を / らパ " を イ石 あらわれ、一同に奧の模様を自慢たらたら、くわしく説 明した。これは十七年昔のことである。 カくたろう いっカ′、 一角にはなくなった妻の子角太郎という子があったが、 こ - フしんや - ま 一角が庚申山から無事帰還してから一年後に、後妻から くたろう いっカ′、 めじろう 牙二郎という子が生まれた。それ以来一角は角太郎を目 おじいぬむら の敵にしていじめはしめた。これを見た母方の伯父大村 氏が、うちは一人娘だから角太郎を養子にもらえないか いねむら と申入れると、一角はよろこんで長男を大村家にくれて ころう ぶんぶりよフどう やった。た郎は、文武両道の達人だった養父の教育に いぬむら よって若くして文武の奧義をきわめた。大村家では角太 むらかくす ころ - フ - まさのり げんぶく 郎が十八歳になったとき、元服させ、大村角太郎礼儀と ひなぎの 名乗らせて、娘雛衣と添わせた。二人は仲むつましく父 母に孝行を尽くしたけれど、養父母とも一、二年のうち に相次いでなくなった。 あかいわいっかく 一方赤岩一角の方は、後妻が頓死して、その後、妾を 抱えたけれど、どれも尻が落ちつかず幾人となく取りか ふなむし えたが、一昨年の秋ごろ、武蔵方面から流れてきた船虫 という妾だけはすいぶん気に入ったのだろう、まもなく あかいわ 本妻に直したほどである。角太郎夫婦がしばしば赤岩家 あんび に親の安否を訪ううちに、大村家に遺産がたくさんある ふなむし という噂を耳にした船虫は、夫にすすめて角太郎夫婦と カじろう 一しょに住むことにした。が一角も牙二郎も角太郎をば みおも ところが雛衣が身重になるや、 かにして相手にしない ふなむし いっカ′、 あや 船虫は義父一角どのと怪しいなどとふれまわったので、 角太郎はやむなく離縁状を渡して、雛衣と別れた。 「おらがこういう事情を知「とるのは」と店の爺さん あかいわ は話を結んだ、 「昔猟師のころ、赤岩どのが一番お得意 ろ・フ いっカ′、 かたき カ′、 4 ろ - フ めかけ っカく おうぎ むさし いぬむら いっカ′、 カくたろう たつじん とんし ひなぎね ひなぎぬ カ . 、ろ - フ めかけ 104
かんこつだった、 りんちゅうりよっざんばく 話に比べれば、大分穏やかなものに変っ これを「楔子」と呼んでいる。この楔子の林冲が梁山泊に頼る話を換骨脱胎した こうしんふくまてん ばきん すいこ ( ん ものである。すなわち、官権に圧迫され、 は、大尉洪信が伏魔殿に眠っていた百八 ている。また馬琴は、八大伝は、水滸伝 せっしさっ 箇の魔君を地上に解き放ち、それが後に盗賊の仲間入りするしか手だてがなくな のように無益な殺生をやたらにしてはい すいこてん 罩百八人の豪傑と生まれ変わる、といった 「た椒は、盗賊の要塞である梁山を ないと語って、そこに水滸伝とは異なる かんゼんち 4 つあく 〔一ものである。琴は、この楔子をも勿論訪ね、仲間入りを申込む。椒冲の才能に 八大伝の勧善懲悪主義を強調している。 おうりん やっふさ すいこてん 人 4 乙 採り入れている。大の八房の気をうけた 恐れをなした頭目の王倫は、自己の地位さらにいえば、そもそも水滸伝が次皿賊の けねん ふせひめ力いた、 りんちゅっ 【款伏姫は懐胎し、体内より八大士をこの世がおびやかされるのを懸念して、林冲を物語といえばいえるような作品であるの . しゅ・ - ・フ い落 の に出現させる、という趣向がそれである。 追いかえすべく無理難題をふつかける。 に対して、大士たちは盗賊どころか、完 琴 ばきんすいこてん 馬このように見てくると、馬琴は水滸伝の 三日以内に旅行者の首を献上せよという 全な正義の士である。そうした相違にも すいこてん のである。水滸伝の話と八大伝の話がよ水滸から離れて自己の勧懲の理念を貫こ の別の豪傑が主人公となる、という形式基本的な構成法を八大伝に導入したとい すいこてん ばきん く似ていることは、すぐに了解されよう。 しく。たとえば、 える。すなわち、水滸伝の基本的な構成 うとする馬琴の自負が窺われる。という をとって話が進められて、 あやたり ばきん おうしん 別の これによって見れば、細部の趣向に関し は、楔子ーー・豪傑の登場・列伝 ようなわけで、馬琴自身も綾足と同様に 第二回では王進が主人公として扱われる ばきんすいこてん おうしん ししん が、王進は史進と知りあいになり、第一一豪傑の登場・列伝ーーー豪傑の集結、とい ても、馬琴が水滸伝のそれを学び、利用水滸に学びながらも、細部にまでわたっ ししん 回の後半から第三回にかけては史進が主 うように図表化されるのであるが、八大していることは、はっきりしている。もて模倣するようなことをせす、全く世界 ばきん ししん すいこてん 伝の基本的な骨組みも同様に図表化でき 人公となる。ところが、この史進も魯智 って、馬琴がいかに水滸伝に多くの小説を異にする小説を創りあげることを心が ばきん なっとく 深と交友関係を持つようになり、第四回るのである。かくて、馬琴が日本で最大方法や技法を学んだかが納得されよう。 けたのであった。翻案の方法の最終的な すいこてん しかし、それでは八大伝は水滸伝の物段階が、細部の趣向の導入利用にではな からは魯智深が主人公になる、という 具の長編小説を創りあげようとした時、中 すいこてん 、全編の構成法やプロットの進行の形 合である。このように次々に複数の豪傑国の水滸伝の構成法を参考にしていたこ真似に過ぎないのか、と問われたならば、 はんちょうすい ばきん 否と答えざるをえない。馬琴は、「本朝水式を導入する所にあるとするならば、縣 を一組にして登場させ、その内の一人のとがよく窺えよう。 こてん らびにひま・ きん 琴こそ、江戸時代の長編小説創作上の課 こうした大まかな構成法もさることな滸伝を読む並批評」という文章のなかで、 行動を主として描く、といった列伝形式 ほんちさっすいこてん すいこてん べあやたり ばきん は、八大伝でも大体そのまま利用されてがら、細かい趣向においても、馬琴は多先にあげた建部綾足の『本朝水滸伝』を題であった水滸伝の翻案を、最も高度の すいこてん いづかしの 形において成しとげた作家であった。 くを水滸伝から採り入れている。八大伝高く評価している。本朝水滸伝が水滸伝 いる。すなわち、大塚信乃の列伝を述べ ゅうき いれかわそうすけ ( 明治大学講師 ) に学びながら、その大づかみな構成を導 る時には大川荘助を一緒に登場させ、荘第三回に、結城より安房に落ちのびた里 あんざいかげつら みよしざね まろのぶとき いのやまどうせつ 助の行動を叙する場合には大山道節があ見義実主従が安西景連・麻呂信時をたよ入しているだけで、一々の細部まで模倣 わせ描かれている。このようにして、幾「て、自分を受けいれるよう頼みこむ場していない点を評価しているのである。 ~ 文 人かすっ組み合わされて行動が描かれ、 面がある。義実をあなど「た安西は、帰そのような琴であるから、彼が何から亠「 すいこてん 京 東 ついには八大士が集結する、という構成属したいのならば三日以内に鯉を釣って何まで水滸伝におぶさるような小説作り よしざね すいこてん りっざんばく をするはすがない。先に述べた楔子にし くるよう、義実に注文をつける。ところ も、水滸伝の百八人の豪傑が梁山泊に集 そうじんき 馬 ても、『捜神記』や『太平記』に見える槃 が、安房一国には理はいないのである。 合するという設定にならったものであっ あんざい よしざね の 寺 安西はこれを承知していて、義実が到底瓠説話を利用して、水滸の楔子とは全く 光 約束を果すことができないであろうこと異なるものになるよう工夫をこらしてい 長編小説の構成法を学んだ例として、 ざんさっ すいこてん る。義実に鯉を釣らせようという話も、 谷 もう一つあげてみる。水滸伝には全編のを理由として、彼を斬殺しようと図った さつばっ すいこてん が荷 のであった。この話は、水滸伝第十一回水滸の人の首を献上させるという殺伐な 構想を引き出すべき発端の部分があり、 しん ろちしん はったん ごく よしざね ふう ほんあん 162
いー、当 ヾクヾ、 . ・い、 0 みえ小登 しもうさぎようとく 下総行徳の入江錦絵豊国筆舌河の方流 いぬカ・いけんばち 閣から落ちた大塚信乃と大飼見八を乗せた舟 ばんどうたろう は坂東太郎を下って行徳に流れついた入 ごべえ 江で釣をしていた舌那屋文五兵衛に助けられ れかすけ 見八は糠助が信乃に話した子だとわかった 59
ら将乃 取は信で来 引い篠と配で に亀る心ん 敷すが忍 のつ婦こ屋 六ど夫の部 い蟇もと親と はに路のつ 乃装浜実そ = = ロてはと のし路う 路男に兵よ 浜し長し と服村る談 の乃兀目す相 し言と代束に 塚るニ約乃 。大れ来に信 / 0 を 00 を % まらううえ臣 をの らかの うらなだ し夫浜ゆ中 そなな うらか今われにれとい だ路じすが 度さてがかばなよはる落 い親えたのがいしらをが 八つち っ身み。戦流たのかからとつもつ くに蟇でれと子、けうい九りい と相六死る で自られいつだた 談やんとろ、分れしはのとら 兄がるくや 乃のの篠 : の実豊と弟蟇の さろ村必 がつにかの島も 六が何れか人す ひてはた親・あのたのてらた浜 とく相すや練曾る実の用き ち路じ だ談か兄馬まと子し事た両にを 机さしっ弟のいでかでが親弁妻 は両うはつ か解に も 0 向だうの何家 こなたな物らしし 、、知朝 = ツ物し、 つろもかとがとく てて てうな い全を のが信しま い不う滅ひ練曾 につ乃のわ信し 。安名しそ馬ま はつ乃の く 信しで前たか家 信しとそた を 乃のた 乃の 。村 だとにの さまろい教家か恥た 長 ん もよち - ⅱ丿し でいるのをうかがって、爪先立ちで足音を忍ばせ、そっ せつな と信乃の、つしろにいって一一一〔葉をかけよ、つとした刹那、あ よ上・じ わただしい足音がきこえたので、路は「あれ」と逃げ 去る。 かめざさ 信乃がふりかえったら、亀篠が逃げるように立去る浜 かめざさ 亀篠かいう しふかしげに見送っていた。 路のうしろ姿を ) ぬかすけ 「信乃や、ご存じのように、康助しじいは長らく寝てい たが、ムフ日明日も危いらしい。おまえとは日から隣りど うしだったから、息のあるうちに一度会いたいとかど うせ葬式のことか、医者の薬代のことだろうよ。貧乏人 とっきあえば、ろくなことはないねえ。しかしそういっ てきたものがいるから、一応お伝えしておきますよ。行 く行かぬはおまえのご自由に 先ごろ見舞によったときはまだそれはどまでとは田 5 わ しの ぬかすけ れなかったが、と、信乃はすぐ糠助の家に赴い は昨年女房をなくして一人ぐらしだった。 ぬかすけ 「気分はどうだい、 糠助しいや。わかるかい信乃だよ」 ぬかすけ 康助は起きようとするが、もう起き直るだけの力もな のど く、信乃のあたためてくれた薬湯で咽喉をうるおすと、 寝たまま信乃の顔をつくつくながめて、息も苦しげにこ ういう話をした。 「死んでゆくこの身に心がカ 、りは、今までだれにも告げ げんきち たことのないわが子玄吉のことだけでございます。わし くにすさ、、 あわの はもと安房国洲崎の近くのもので、百姓と漁師をかねて 何とかくらしていましたが、 男の子が生まれた翌年、女 房をなくしたのです。二歳の幼な子を抱えては、畑にも つまさき おもむ っ
刀ロ 、、瑩第のはノ 房 回要 だいはち た・きドら みようしん ゝ大法師は、妙真のそばにころがしてある大八の亡骸 をつくつく見て、「この子はかわいそうに。しかし死ん でからだいぶ時間もたったのに、頬べたは赤く、まるで こひ・さ / 月 生きているようだぞ」とひとりごとをいいなから、 みやくみ をついて、いきなり膝の上に抱きあげ、脈を診ようと、 だいはち 握りしめた左手の手首をしつかりとれば、大八はたちま ち生きかえって、わーんわーんと泣きだす。それどころ か、生れてから握りしめたままの左のをはじめて開け たな ~ ) ころ たところ、掌の中には、信乃・小文吾らの玉と同じよう ふさはち な玉があって、仁の字が見える。そればかりか、父房八 あざ に蹴られた脇腹に、牡丹の花に似た大きな痣ができてい だいはち 「おお、大八は大士だったぞよ。お沼藺、よい子を生ん でくれたのう」 みようしん と妙真がほめれば、沼藺は目をひらいて、「あら、うれ しや」といって、そのまま息絶えた。 小文吾が説明するには「むかし入江川の水中で夜ごと 光るものがあるので、うちのおやじ文吾兵衛が網をおろ したが何もかからない。次の日軒にかけようとしたとき、 何かが落ちる音がした。このとき二歳の沼藺がそばに這 いよって、何かしら落ちたとおもわれるものをつまんで 口に入れた。父はおどろいて、ロの中に指をいれて吐き のみくだ 出させようとしたが、 呑下したと見えて、取り出せない でしまった。それが赤子の左の手に入ったのでしよう」 かんたん だいよち みようしん だいはち 一同なるほどと感歎した。大の祖母妙真が「大八と かたわきま あだな は他人のつけた渾名で片輪車のことでございます。本当 は真平という名をつけたのです。当家の姓は江、家号 ちゅだい しんべい わきばら じん けんし のき ぶんごべえ