ふなむし こみやまいっとうだ つ船虫と酒を飲みかわす籠山逸東太角大郎 の家から逃げた船虫を捕えてきた逸東太は マタタビの短刀を返してもらい船虫を白井城 に連れていくことになったしかし宿で船虫 にまんまとだまされて短刀と金をぬすまれる こみやまいっとうたよりつら ふなむし ころへ、船虫を縛って籠山逸東太縁連があらわれて、今 までの罪を謝し、マタタビの短刀を返してもらいたいと いっとうだ 哀願した。二人は協議のけつか、マタタビ丸を逸東太に ふなむし 返し、船虫を白井城に引立てて向うで処分することを承 刃む あざ 角太郎の牡丹の花の痣は臀にあった。まぎれもなく大 ぬむらだいかくまさのり 士の一員。村大角礼儀と名を改め、家を整理して、大 かいげんばち 飼現八とともに、大士たちを探しに出立した。 ふなむし こみやまいっとうだしら ついでにいえば、籠山逸東太は白井城へ船虫を引いて ゆくことになったが、従者が足りぬので、宿につくごと しんしっ ふなむし やがて信州 に、船虫を自分の室の柱につないでおいた。 おのうえ くっカけ 沓掛の宿に泊った夜、ふけゆく秋の夜のこととて、峯上 のきば に妻恋う鹿の声、軒端をかよう秋風に心さびしく転々と ふなむし 寝返りをうっていると、枕辺につながれている船虫は逸 たろう しゃ ーたん いさらい こみやま 東太を呼びさまして、「もうし寵山さま、あなたとわら わはこの世では仇敵になりましたけれど、夜毎あなたの 寝顔をつくづく眺めるのが唯一つのたのしみ。と申すの おさななじみ は、わらわが武蔵におったとき、幼馴染でむつましかっ た夫にそっくりでございます。見れば見るはどよく似て っし」 - フ」 いらっしやる」といえば、逸東太「この古狐が何をいう ふなむし か」と答える。船虫はさめざめと泣いて「何とつれない おかた。わらわの願はこの旅のあいだ、そっとあなたを 夫と呼ばしていただくことだけでございます。それを許 さび していただけば、よし白井の城で刃の錆になっても恨み はございません。ましてあなたがこの一夜なりとも、ま じようぶつ ことの夫となって慰めて下さったら、殺されても成仏い 、つとうだ たしましよ、つに」とかきくどく。悗一 ~ 果・太 9 っここしば、らく ・フばざくらめしもりじよろ - フ おんなだ は女断ちで枕さびしいところ。この姥桜は飯盛女郎とち がって瘡気はなかろう、旅しゅうもてあそんでやろうと 助平心をおこして、女の縄をといて、くびれたところを ふしど 撫でさすり、その手をとって、臥床の中へ連れこめば、 ふなむし 船虫もにつこりわらってながし目を使、つ。枕元にある弁当 ふざん さけづっ と酒筒をかたみに飲みかっ食ったあげくは巫山の夢。烏 いっとうだ 尢を並べた の声に夢から覚めた逸東太、左右を見たが、本 ふなむし マタタビの短刀も主君よりいたたいた 船虫は見えない これでは白井城に帰ることができ 三十両の旅費もない なドおかげはるどの かんれいおうぎがやっさだまさこう ない。鎌倉の管領扇谷定正公は、わが主長尾景春殿に攻 むさし め落されて、今は武蔵は十子の城にいる。白井城の秘密 さだまさ を売れば、定正公よろこんで採用してくれるだろう。そ おうぎがやっさだ う考えると、向きを変えて五十子の城にいって、扇谷定 まさつか 正に仕えた。 とうだ ~ ) ころ あだかたき ふるぎつね からす 116
鬘谷四大士を款待す大飼現八と大村夫 せ人じゅ 角は千住河原でニ人の盗賊を追ううち穂北 ひ 0 ーなっゆき の豪族氷垣夏行に盗人とまちがえられた いのやまどうせつ 大士は大塚信乃と大山道節に会い本ものの おもあゆありだわ 盗人を捕え夏行と娘婿落鮎有種に歓待される せんじゅがわら 大飼現八と大村大角とは武蔵の千住河原で二人の盗賊 ごうぞくひがきなっ に出くわし、これを追ってゆくうち、穂北の豪族氷垣夏 ゆきぬすっと なっゆき 行に盗人と思いちかいされて捕えられたが、夏行の娘重 いぬづかしの 戸に救われて逃れる。そして千住川の舟の中で大塚信乃・ ぬすっと 大山道節に出会い、本ものの盗人を捕えて無罪を証明し ・さんとう ゅ - っ なっゆきあやま 夏行は過ちを詫び、自分は結城の残党であり、娘重 むこおちあゆありだわ し、し・ま 戸の婿落鮎有種は豊島の残党であると語り、四大士をね げんばち 力いの ちゅたい んごろにもてなした。現八と大角は甲斐国にいる、大法 ひがき どうせつ 師に会いに出発したが、道節は氷垣家に滞在して、五十 つぎがやっさだまさ 子城の扇谷定正をつけねらった。 いぬさか むさしつ、にゆしま てんまぐう 大坂毛野は仇を捜すために武蔵国湯島村の天満宮の境 さんけ 内で今度は放下師になっていた。たまたま参詣に来た扇 がやっさだまさ しつかなめのうえ かわごい ~ んのすけもりゆき つぎ 谷定正の室蟹目上に認められ、忠臣河鯉権佐守如から扇 がやっ かんしんたつやまめんだゅう 谷家の奸臣竜山免太夫を討っことを依頼された。この免 だゅう かたきこみやまいっとう - だよりつら 太夫こそ毛野の父の仇籠山逸東太縁連にほかならない。 ・んち ~ ) 、ぬかわそうすけ ていしゅしゅてんじ さて去年の夏越後で大川荘助に亭主酒顛二らが退治さ 気評し おもった荘助は、毛野を追っかけて、二人で火花を散ら 勝負がっかない。ややおくれて来た してたたかったが、 あざ ちやフさい 小文吾は、毛野をみとめて仲裁に入った。毛野の痣は左 の股にあった。それで三人とも兄弟であることがわかっ たのである。 かたきこみやまいっとうだよりつら だが、毛野は、父の仇籠山逸東太縁連を探さねばなら なかったから、二人と別れていすこへとなく立去った。 いぬやまどうせつ そうすけ せんじゅ めん おも おも 132
主要人物事典 いれづかしのもりたか ・信乃大塚信乃戍孝。塚番作・ヤの信乃を残して死ぬ。享年四十三歳。 おおっかレやフさく あしか力もちうじ むさしの、 : と 束夫妻が北叩弁だに祈願して授「た ・大塚匠作足利持氏の臣、武蔵風豊 いなずけ むらさめまる しま ~ りおおっか ゅうきかっせんもちうじ 子。浜路の許嫁。父の没後、村雨丸を島郡大塚村を知行。結城合戦に持氏の なワうじ ーるんのうあ ^ のう 持って古河に赴き、成氏に疑われて号子春王・安王を守護して戦い、宝刀村 いかいげんばち ばんさく さめまる 流閣で大飼現八と闘う。八大士の一人。雨丸を一子番作に預け、捕えられた二 はまじ ひきろ ( むさしり、にねりま きんだち ・浜路蟇六の養女。実は武蔵国練馬公達の刑場金蓮寺に切り死にする。 やまどうさく どうせつ さとみよしざわゆうきうじとも ゅうき 家の臣大山道策の娘で、道節の腹違い ・里見義実結城氏朝と共に結城の城 さもじろう さとみすえもと の妹。信乃の許嫁。左母一一郎に誘拐さに立籠った里見季基の子。落城の後、 あんざいかげつら れて殺される。享年十六歳。後に魂が安房に亡命する。安西景連に卸の城 甲物猿行の村長四六城木工伊の養女鴻を攻められるも大の八房に救われ、 じぶのたゆう 路に宿り信乃に言い寄る。が鷲にさら房一国を統治して治部大輔に任ぜられ さとみよしなり ふせひめ われた里見義成の五の姫浜路姫であるる。室十子との間の子が伏姫。 あまざきてるふみ あわのくに かめざさおおっかしさっさく 【んさく ことが分り、蛋崎照文が安房国に送り ・亀篠大塚匠作の娘、作の腹違い いぬやまどうせっただ どうせつ・、くまくどうじけ 0 ゅう やややまひきろく ・道節 ( 寂寞道人肩柳 ) 大山道節忠 届ける。浜路姫は最後に信乃の妻となる。の姉。信乃の伯母。弥々山蟇六を入夫乃の村雨丸の献上先。 いわづかばんさく ・大塚番作信乃の父。大塚の子。し番作・信乃父子を迫害し、養女の鴻・鴎島郡大塚の百姓。番挙。全国を行脚して不思議な術を使う 、ぬやまさたとも あしか力もちうじ じ ねりまますもり にせしゅげんしゃ じだいひみ , ゅうろ ( 飼贋修験者。実は練馬倍盛の臣大山貞与 父と共に足利持氏に仕え、十六歳で結路を陣代簸上宮六に嫁がせるのに失敗作の裏の近くに住み、一人暮し。大 きかっせん はまじ げばち 城合戦に参加、敗走の時に父より潦氏して殺される。 現八の実父。病気の床で讎乃に一子女道策の子。浜路の腹違いの兄。左母二 むらさめまる 学つぎやっさだまさ むさし やややまひきろく かめざさ げんばち 郎から村雨丸を奪い、扇谷定正をねら の重宝村雨丸を渡され、父の故郷武蔵・弥々山暮六亀篠に入夫して、武蔵吉 ( 現八 ) を探すことを頼んで死ぬ。 り、におおっか かめざさ り、におおっか いれかわそうすけよしとう ・て・フすけ カ・、ぞ・つ う。八大士の一人。 国大塚に住むが、家を腹違いの姉亀篠国大塚の村長となり、村雨丸を番作か ・荘助 ( 額蔵 ) 大川荘助義任。伊豆 むらさめ かんれ、 挙っいやっさだまさ はまじ いかわえじのりとう 夫妻に奪われ、塚氏を名乗る。村雨ら奪おうとし、更に養女の浜路を陣代北条の荘官大川衛一一則任の子。父没後・扇谷定正管鑈。練馬・豊島氏らを , ゅうてき ひみ , ゅうろく るろうひきろく カ′、ぞ・つ 丸を信乃に託して自害する。四十五歳。簸上宮六にとりなそうとして失敗、亀母と流浪し蟇六の下男となり額蔵と呼亡ばし、八大士に仇敵とわらわれる。 どうせつ じ《だいひみ , ゅうろく ・手心塚番作の妻。信乃の母。結篠とともに殺される。 ばれた。信乃をかばい陣代簸上宮六を鈴が森の戦に敗れ、道節に追われて兜 いのたぞうなおひて あしか力なりうじ えいじゅまる 城方の井丹三直秀の娘。母の命に換え・足利成氏持氏の子、幼名永寿丸。切って捕えられるが、信乃ら三大士にを射落される。 さ - うえのかみし て信乃の息災を願掛け、病を得て九歳滸我御所と称せられる。左兵衛督。信刑場から救われる。八大士の一人。 げ人きちあしかがなりうじ きんじゅう 学「をいやっさだまさ あばしさもじろう の百姓糠助の子。幼名玄吉。足利成氏 ・網乾左母ニ郎元扇谷定正の近習。 ' べえ ひきろく おおっか 浪人して大塚に住む。蟇六の頼みで神の家来大飼見兵衛に養われる。初め見 ばち ほ . つりゆ、つか / 、 むらさめまる 八、後に現八。芳流閣上で信乃召取り 弋川荘義任宮河原で信乃の村雨丸をすりかえるが ・しゃ′、まく ゅ・つ力い 自分が奪い、更に沢路を誘拐し、寂寞の為闘って一緒に墜落する。八大士の はお どうじんけんのゆう いぬやまどうせつ 一人「右の頬先にあざがある。 道人肩柳 ( 大山道節 ) に殺される。 しもうさ、にかっしカ・ ~ ・うとく ・簸ど郁六塚の城主大行廰衛の翠・古那屋文吾兵衛下総国葛飾行徳の じんよみつひろ ひみじゃだゅうせいれはまじ 宿屋の主人。元は神余光弘の臣那古七 代。簸上蛇太夫の倅。浜路に恋慕した ろう さもじろう が、左母二郎に奪われ、額蔵 ( 大川荘郎の弟。小文吾・沼藺の父。流れ着い けばち た信乃と見八を救ってかくまう。 助 ) に主人の敵として討たれる。 こぶんごやりよりぶんごべえ はまじ ぬるてごばいじ ひがみきゅうろく ・小文吾大小文吾悌順。文吾兵衛 ・軍木五倍ニ簸上宮六の下役。浜路 こ・フしんづか , ゅうろく を宮六に取持つが、庚申塚で信乃・現の倅。見八と乳兄弟。身長五尺九寸、 ばち 腕力に秀れる。大猪を拳で倒し、越後 八に殺される。 1 第 ・ぬづかばんさく を一 きんれん ・物・つ・フド ) むらさめまる 第 ばんさく じんだい むさし むら むらさめまる いぬかわそう いぬ力い ろう むらさめまる いのしし わりま れづかしのもりごか 弋塚信乃戍挙 164
・、つやまめんたゆうよりつら こみやま、つとうだ 翌日、五十子城から山免太夫縁連 ( 籠山東太 ) は、 ぞう - うげ しせつ おだわらはうじよう 小田原北条家への使節として副使四人、百名近い雑兵下 ながびつ 荷駄、長櫃まで一町あま 男を連れて堂々と出立した。小口 しながわ すずがもり たみ - フち 一行が品川をすぎて鈴森の波打 りもつづく行列だった。 むしゃ ぎわ 際を進んでいくと、前面の森蔭から一人の若武者があら は・り↓・、、 われた。白布の鉢巻、髪を後に振りみだし、二尺八寸の しらきざや 白木鞘の太刀をさし、鉄砲をさげて、行列の前に立ちふ さかり、 たつやまめんだゅう こみやまいっとうだよりつら 「やあやあ、竜山免太夫、もとの名籠山逸東太縁連、し かんしさフ すぎと ばらくとまれ。今はむかし寛正六年の冬十一月、杉戸の たえじ わらおおとたねのり 里のこなたにて、汝のために撃たれたる粟飯原首胤度の のたわとも ともてん ラらみ カたみいのさカ 忘れ形見大坂毛野胤智ここにあり。倶に天を戴かざる怨 つつさき の銃丸受けても見よや」 と名乗るとともに鉄砲をぶつばなせば、ねらいたがわす、 縁連の馬の脚骨打砕く。馬は倒しに転倒して、主の 縁連も地上に倒れる。毛野は太小を鷓向に抜きかざして、 飛ぶように走りかかる らと・フ こみやまいっとうだよりつら 舌闘の末、毛野は籠山逸東太縁連をついに仕止めた。 いぬかわそうすけ いのたこぶんご そしてこのときあらわれた大川荘助と大田小文吾の手兵 とともに十子の使節一行を全滅させた。 しんし」う . つぎがやっさだまさ この報をうけた扇谷定正は怒り心頭に発し、みすから 三百人をいて鑷にかけつけたが、た山道節、た瓔 よち 、むらだいかく まちぶ どうせつはな 、た村大角の待伏せに遭って大敗を喫して、道節の放 かぶと ーあぶいおか った矢で兜を射落され、命からがら忍岡の城に逃げこん るす いのづかしの その留守に大塚信乃は十子城を攻略。倉を開いて民 ゅうゆう に施し、攸 5 々と宙心ヒ」にもどった。 なん はどこ きっ 135
道節と額蔵 どうせつ 生涯交際せぬ約束で養女にくれてやったと、父上が話し しゆりけん ていたのは、この娘のことだったのかと、手裏剣を打っ て、妺のを「たのだ。そなたの実の父は、去年渺袋 かんれいさだまさ かしんかま′ - さほへ の戦に、比類なき働きをして管領定正の家臣釜戸三宝啜 ・つ・ねん あだうち に訃たれたもうた。 享年六十歳だった。おれは仇討がで きなかったら、伽の手にかかって死ぬ覚吾よ。父上の決 めいどうさく いやまどうせっただとも 名道策をまねて、今後は大山道節忠与と名乗ろう。のう 妹よ。何か言いのこすいまはの願いでもあるか」 この長い打明け話のうちに、十九夜の月が上って、野 火の代りに明るく照らしだした。 は・ドレ 浜路は、ようやく頭をもたげて、いと苦しげに息をつ き、「兄上様でしたか。仇を討っていただき、田いいがけな いご飛抱。しかし会うを別れのいまはの対面、はすかし まく・ら くかなしい限りです。ただ一つの願いは、枕はかわさね ばんさくうし いぬづかしのもワたかぎみ ど、わたしの夫大塚信乃戍孝君が、父番作大人から伝え さもじろう られた名刀村雨丸、左母二郎にすりかえられて、古河で はさぞかし難儀にお会いのこと。わたしの命は階しくご ざいませんが、夫の身が心がかり。どうか兄上様、直ぐ おもむ に古河に赴いて、その宝刀を夫信乃に渡してくだされ。 願うはこの一つのみ、きき入れてくだされ、兄上様」 どうせつ 道節は嘆息し、「夫をおもういまはの願い、聴入れてや くんぶあだうぢ りたいのはやまやまなれど、君父の仇討が先。この名刀 かたきおうぎがやっさだまさ をもって君父の仇扇谷定正に怨みを晴らそうとおもう。 いぬづかしの その後で、そなたの夫大塚信乃とやらにめぐりあえたら、 むらさめまる 村雨丸を返そう。忠孝こそ、男の道じゃ」と答えると、 がっかりしたのか、浜路は胸がふさがって、あっと叫ん で、息絶えた。 なんぎ むらさめまる あだ 心、き はめてば紙め夜り丁ねれう節負 0 待村で氏入浜 なの 額 : い大をまって しをれ中わ々おをちのがかて雨 : 、に背れ路じ道 ; 蔵ん望てい 額り切ばなた発き取に太たつん を宝届後ごれの節茗 じがしにな蔵 り額 ' がり矢してり引刀ちくでと腰刀けでばなは おやあばいおの瘤さ蔵ーら かきのと引呼にをたう るらっ右胸のいが明地い太たえち緒おもきびさゆいか夜がか かくた手に中て丁るにつ刀ちそぎにわもとしずがが風らわ 手ら でばに肩とい ははをうら幾かどめ つのをい チたあの打。再て引とれ重らす、立わ妺てま火かそ 貴様ャつつ瘤返っぴる抜してとぬ。走去けに に定う ンとたをすい荼だとくて わ様の なう組りろがさたまのに の腕チ当も切太たに毘びも 向くち打出うなえ額 : に坑 2 な ャつのり刀ち道 ; の知額 : 手うか ちたとい拒蔵ー埋まへあ よは ンたが破風節燿れ蔵 : がのら額ぞに うす とす んは火びお つ鋭のがぬもゆ腰み蔵 : なみる組 : だ はろ く刃勢。負るにあのつる道 ; 伏ふ道 ; 村再し ラをい、た 先よ天けんつつ守たや節茗せ節雨 : び 敵よ 左な、 ロ卩 ラ手ご、黒道 ; がく のてが丸燃残 いてりが 切での血節額 : もは のて、袋、刀背取 をえつ りしよがの蔵ーえ隈抜 : かし格の互ごの後ごり尋取上て 死お をれ結かうさ着の上な合あ、ま闘長角鐺らか返常戻がい 争に ぶとにっ込左がきわ道 ; つし紐曾でをらそのしるる 。受飛とみ腕つ月せ節茗たてがい 0 ヒし う話て は 、オくば た仇会道 ; け散ほのをてがては 曲と合大 ーっつ く討 : 節とっと綿に掠、照 はそる道与勝と者、い塚 : 投 てなみ
0 胤智単身にして大敵を撃つ大坂毛野は小 たつやまめんだゆうこみやまいっとうだ 田原への使節である竜山免太夫 ( 籠山逸東太 ) いれかわそうすけ を鈴森で父の仇を討っそのとき大川荘助と ぶん 大田小文害も現われ使節一行を全減させた ふなむし 0 船虫悪事を働いてきたがついに殺される たねともみひとつ いれた 一頭、ごたごたに紛れてうまく次皿んできたぜ。叩き売り にしても十両にはなる。五十子の目明かしをやつつけた : この辺にやいられめえ。そろそろ河岸を変えよう しゃねえか」という。盗まれた牛の持主が牛を探しにき たか、これも虫と言い争「ている後から閻魔堂にかく うばない れていた媼内に撃ち殺される。 ずきん また月の光をたよりに見れば、頭巾ま深に旅の武士ら えんまど - フ うばない しい姿が近づく。と、媼内はまた鉄砲をさげて閻魔堂の ふなむし 軒下に隠れる。武士が急ぎすぎようとするのを、船虫は 「もうし、ちょっとお寄り遊ばせ」と袖を引止める。お どろいた武士は「そなたは何ものだ」と問えば、「お恥か なさけ しながら親のために情を商う女でございます」という声 こちょうちん に覚えがあったのだろう、武士はもっていた小提燈をか のき まぎ そて かげて、 きさまふなむし 「そういう貴様は船虫か。小文吾と気がっかなんだか」 ふなむし ずきん えりくび と頭巾をとり、逃げ出そうとする船虫の襟首をひつつか えん ( ま′ - う む。媼は、そっと閻魔堂の段に登って尻をおろし、鉄 砲に二つ弾丸をこめてねらい定めた瞬間、堂内にとじこ けひら もっていた一人の武士、格子戸を蹴開いてあらわれ、媼 内の鉄砲を奪って投げ捨てたうえ、媼内をひつつかんで じぞう じぞうどう 十間あまり向いの地蔵堂まで抛り出す。その勢いで地蔵 堂の格子戸がはずれると、この内にもまたひとりの笠を うばない 深くかぶった武士がいて、起き上ろうとする媼内を蹴倒 いぬづかしの して背を踏まえてびくとも動かさぬ。それは大塚信乃だ えん・まこ・フ ふなむし いぬやまどうせつ った。閻魔堂からあらわれたのは大山道節。三人が船虫・ うばない いぬかわそうすけ 、ぬかいげんばち 媼内を縛りあげたとき、甲州から大川荘助、大飼現八、 大村大角の三大士がおくれてもどってくるのに出くわす。 ふなむし 、いレしこー日勿ギノこ。 六人は船虫たちを、赤牛に突殺させて穂 こみやまいっとうだ まうじよう さみおだわら 明日、籠山逸東太が相模小田原へ北条氏と秘密の協 議をおこなうため、五十子城の正使として赴くことを、 とちゅうーう かわごいもりゆき 河鯉守如から教えられた大坂毛野が必すこれを途中で襲 撃するだろうから、一同で協力しよう。使節が襲われた くりだ ときいたら、五十子城から多数の兵を繰出すだろうから、 てうす いぬやまどうせつつぎがやっさだまさ その手薄に乗じて城を攻め落し、大山道節も扇谷定正に たいする積年の恨みをはらすことができよう。一同はそ はかり ~ て」 のように謀を定め手ぐすね引いて明くる日を待った。 毛野東太を討っ いぬむらだいかく 、つとうだ いぬさか 134
0 八大士の総揃いついに結城で全員揃った い勲かわそうすけよしとう いぬえしんべえまさし いれむらだいかくまさのり 大江親兵衛仁・大川荘助義任・大村大角礼儀 大坂宅料・芙山道節思与・大飼現八信道 いづかしのもりたか やすより 大塚信乃戍孝・大田小文吾悌順の八大士は さとみよしざわ あわのくに けんざん 安房国に行き滝田の城で里見義実に見参した ちゅだい 、大法師のおこなう法 -n に参列する七大士 、大法師は結城合戦で戦死した里寛季基らの 霊を弔うため古戦場に草庵を結び七大士や あまざてるムみ 蛋崎照文が参列して一大法会をおこなった 悪僧徳用の妨害も親兵衛によってまぬがれた 不世物 かわごいたカつぐ どしーんと落ちる。下に待ちかまえた河鯉孝嗣がこれを しばり上げる。 しんべえ らくち、 もとふじ こうして素藤の乱が落着するや、さっそく親兵衛は結 城に向かった。 ゅうきかっせんうちじに と一い、つのは、 、大法師は尊の結城合戦で討死した里 そうあん ちゃっこんとぶら みすえもと 見季基以下の忠魂を弔うため、古戦場に草庵を結んで常 けちがん ぶんめ、 ねんぶつず 文十五年四月十五日の結願に当 念仏を修してきたが、 まうえ だいさんあまざき って一大決会をおこなった。ここには里見家の代参蛋崎 十一郎照文をはしめ、信ル・等の七大士も参列した さ第、ー - フ ゅうき ゅ - フき ーだいしよいっぴきじ が、結城家の物提所逸疋寺の悪僧徳用の策課で、結城家 よしろ - フ ちゅだい てるふみ の軍勢に襲われ、照文と与四郎は捕えられ、、大法師の いねえしんべえ 命も危くなった折しも、大江親兵衛一行がやって来て、 そろ いずれも助けられた。八大士はここではしめて揃って、 の - フけい その夜は能化完という廃寺に泊った。 ゅ - フき かろうおやまともしげのう , その夜明け、結城家の家老小山朝重が能佖院に来て、 ゅうき ちんしゃ 昨日の無礼を陳謝して、結城・里見両家の旧交を回復す ることになった。 そろ ゅ - フき はちけんし あわのく とうとう結城で揃った八大士は、安房国に入りの けんざん さとみよしざね じんぎはっ 城で里見義実に見参して君臣の誼みを結んだが、仁義八 いぬえしんべえまさし いぬかわそうすけよし 行に従って、第一番大江親兵衛仁を先頭に、大川荘助義 僊、た村飃角襷儀、た坂毛野龍智、た山道節悪与、た こぶんごやすより ばちのぶみち 八信道、大塚信乃戍孝、大田小文吾扉順という順たった ぞろ 八大伝はこの八大士の総揃いではば終って、この後、 、エうと と , ゆっ いぬえしんべえ さとみ しせつ 大江親兵衛が里見家の使節として京都に上る途中、およ ばうけんかんれいつぎがやっさだまさやまのうちあき びに滞京中の数々の苦難と冒険、管領扇谷定正・山内顕 こ力あしかかたみり - フじ さた 定の両と古河足利成氏との連合軍を八大士が打破る 、エ・つてんド」 - フち 驚天動地の大活躍も物語の余録であろう。 いぬづかしのもりたカ ちゅだい さとみ さとみ さと 140
ざんげ ねカ・すけ きゅうする′工をさなこ つ糠助が懺悔物語窮客稚児を抱きて身を投 んとす糠助は信乃を呼ぶと遺言めいた話を したそれは以前糠助が川に身を投げようと した時呼びとめられた人にゆすった子のこ とであったその子の顔には痣があるという なげ いおはち 宮六と菴八 あざ たが、去年なくなった妻にも息子のことは申しませんで した。がいつもつつがなく育ってくれよと祈りつづけた ことに変わりはございません。きくところによると、策 かんれい 倉どのは、両管領と不和になり、鎌倉から古河に移らせ 給い、近ごろはさらに千葉の城におわすとか。それなら げんきち ばわが子玄吉も、養父も、古河か千葉におるかもしれま せぬ。信乃さま、もし古河殿のところへ参られる折があ げんきちしさっそく ったら、玄吉の消息をきいていただきとうございます。 もう十八年もたって、親子でも顔におばえないでしよう げんきち あざ が、玄吉は生れながら右の頬先に、牡の花の形の痣が ございます。またお七夜の祝いに、わしの釣った鰤に 丁を入れたところ、魚の腹に玉があって、それには『信』 ほぞ という文字がついていました。これを臍の緒と一しょに 守り袋に入れて、首に結わえておきました。きっと、ま だもっていることと存じます。役にもたたぬことを申上 げました。 信乃さまのお顔を見たら、気持もさつばりし ましたが、 これは死ぬときが近づいた印でしよう」 とひとしきり一候をこばした。 ゆいごん ぬかすけ その夜、額蔵にだけ糠助の遺言のことを打明けると、 げんきち 額蔵もびつくり、「その玄吉とやらも、わたしたちの仲 間にちがいない。すぐにも会いたいものですな」とささ やきあった。 ぬかすけ その夜明けに糠助は死んだ。 ぬかすけ かんれいおうぎがやっさだまさ さて、その糠助のなくなった空家を、管領扇谷定正に あーしさもじろう 仕えていたが、 失敗があって追出された網乾左母一一郎と びもく ろうにん いう若い浪人が買って入った。色白で眉目のひいでた色 男であるうえ、書道もたくみ、遊芸ときたら、小歌、 ほお じんだい ひがみじゃだゅう おおいしっえのじよう さてこのころ城主大石兵衛尉の陣代簸上蛇太夫という っ ひがみきつろく ものがなくなって、その長男簸上宮六がその跡を嗣いだ 、さかわいおまち るてごいじ から、下役軍木五二・卒川菴飛ら多数の家来を引連れ ひきろく て、領内を巡視したが、その夜は大塚村長蟇六の家に宿 , 旧した。 ひきろく ばんごん 蟇六は、前々から準備万端怠りなく、盛大な宴会をも かめざさ あばしさもじろう よおして歓迎すれば、亀篠も、網乾左母二郎を呼んで歌 よ↓・じ とはやしでもてなす。娘自慢はくせだから、浜路にはこ うすぎぬ とさら、はでやかな薄衣を着せて宴席にはべらせ、お酌 をさせたり、墟紫を弾かせたりした。 はまじ 浜路は、見もしらぬ人々になれなれしく言葉をかけら さもじろう れ、左母二郎のようないやな男と並んで、琴を弾いたら、 信乃さまは何と思われるだろうと、気が進まないけれど、 かな じんだいひ 親のいうままに、わすか一曲だけ奏でたところ、陣代簸 がみきフろく すいがん 上宮六は、とろけそうな酔眼を細くして、路を見つめ おうぎ て、扇を短くにぎって、拍子を合わせ、鼻の下を長くし よだれ て、涎の流れるのにも気がっかない 「酒もうまいし、料理もうまいか、まだ最高とはいえん。 、ぬづかばんさく づつみひとよぎり 鼓、一節切と何でもこなす。塚番作がなくなって、村 に手習いの師匠がいなかったから、子供を集めて手習い を教え、女の子には歌や踊りを教えた。あちこちの娘や うわさ かめざさ 後家と浮いた噂も少くなかった。亀篠にも巧みに取り入 っていた。 柱雨丸の行方 さめまる おおっか
よみはん えしんべえ しんべえ が、こうした一定の説話形式を繰り返す 江親兵衛を京につかわした。親兵衛は、将の読本において志向されているものは、 かんゼんちょうあく あしかわよしひさ かなまりすくね ことで進められている。 軍足利義尚を通して、朝廷より金碗宿彌勧善懲悪の正しく行なわれている世界で ばきれ かんゼんちょうあく せんじ かんゼんちょうあく あった。馬琴はなせ勧善懲悪を、 小説の の氏姓を賜わる宣旨を受けたが、この前 勧善懲悪を主張するのに、なせ悪玉を タ ス 後に、京の五勇士と武術試合をして勝っ 一つの目的として設定したのか。江戸時善玉よりも活躍させるのか、これでは悪 ポ 磚ら - 掣ろい たり、猛虎を射止めたりして大活躍する。代においては、 小説は無用のもてあそび玉のほうが善玉よりも存在感を強く読者 学っやっさだまさ 舞 勿とみなされており、今日のように芸術 に与えてしまうのではないか、という疑 扇谷定正は大士をにくみ、里見討伐の牛 カまくらやまのうちあきさた としての高い地位を与えられているわけ 問が当然提出されよう。現に、八大伝で 連合軍を起そうと、鎌倉の山内顕定、滸 おおごしょ ばき・れ あしか力なりうじ 我の足利成氏等と同盟を結んだ。かくてではなかった。戯作界の大御所の馬琴と は善玉よりも悪玉の描写のはうが巧みで 上 を・うとく こうのだい を えども、自己のたすさわる戯作の社会ある、という定評が存在するくらいであ 十万と称する連合軍は、国府台・行徳で 云 ばきんろうかい みうら 勺也立の低さを認めざるを得ない。そこ る。だが、実はこれも馬琴の老獪な計算 陸戦をし、続い て三浦沖で水戦をいどん白上イ はどこ で、戯作者の地位から脱出することを強 が施された説話形式なのである。という たカ、いすれも大士達の活躍によって、 ばきん さとみ く望んでいた馬琴は、自分の作る小説に のは、大衆読者は常に正義の士に味方し 里見軍の勝利に帰する。 付 ぶんめ、 駅 2 粃 何らかの有用な役割りを与え、そのことつつ小説を読み進めていくわけだが、善 文明十六年、両軍の和議は成立した。 辻 ちい あまざきてるふみ さんだい によって小説を無用のもてあそび物以上玉が危機に陥ると、善玉の運命いかんと 、大・蜑崎照文・八大士は上京し、参内 しト宅フりよ ぜんじ 悪邪正入り乱れての様々なエピソードが して挨拶申しあげた。 いう焦慮の念に駆られて、先を読み進め 、大は神師になさのものに高めようと図った。その有用な かんゼんちょうあく とやま せんじ 役割りこそ勧釜〔懲悪である。 たくなる。そして、最終的には善玉が勝 くりひろげられ、因果の糸にあやつられれ、伏姫を富山の神にする宣旨と勅額と ばきん あんど かくて、馬琴の作品の登場人物は、勧利を収めると、読者ははっと安堵する。 た多様な人生が整然と展開される。大士を賜わって、一行は安房に帰る。八月に 懲の意図を明らかにさせるために、善玉八大伝を読み進めてし 、くに際して、読者 達は、それぞれが所有する霊玉と牡丹のは、八大士は安房の国の各城主とされ、 あざ しさつりよあんど さとみよしなり 痣とによって、自分らが義兄弟であるこ は常にこのような焦慮と安堵の繰り返し、 ついで里見義成の八人の姫君をめあわせと悪玉にはっきりと分類される。そして、 はまじ という心理的体験を味わうに違いない とを察知し、次第にみすからの使命を悟 られることになる。信乃には浜路姫、大常に善玉と悪玉の対立争闘という形をと きんちょう ひなき しカん ってプロットが展開される。八大伝に例 読者に心理的な緊張と弛緩を交互に与え って集結してゆく。彼らはしばしば危機角には鄙木姫が定まったのを始めとして、 いぬづかしの いぬかわそうすけ ふせひめ しんれい をとれば、大塚信乃や大川荘助といった ることによって、牛兀に読み進ませること。 に陥るが、伏姫の神霊と霊玉との加護、 めいめい天縁で定められていた姫君をも ひきろく カめざさ ばきん または仲間や善を代表する人物の援助に らった。かくて、八大士は功成り名とげ、正義を代表する大士には、蟇六・亀篠夫このように馬琴は計算して、上に述べた あく・え・′、ひどう とやま いわむろ よって脱出し、悪を克服する。かくて、 ような善悪争闘の形式を造りあげたのだ。 子孫も繁栄した。 、大は富山の岩室に入婦のような悪逆非道の人物が対立し、ま かんちょう ひきたもと さとみよしなり 大士が最初に出生した年から足かけ二十ってあとを絶っ。大士達は四世義のと 里見義成と大江親兵衛には、蟇田素同時に、勧懲の効果からいうと、強力で、 ぐそく とやま かなわらあんきょ かんわいじゃち ゅうき かんの人どう ふじみようちん 五年、結城において八大士は具足する。 き退隠し、富山の観音堂の傍に庵居する。藤・妙椿といった奸佞邪智のやからが闘ほしいままに活躍した悪玉が最後には善 玉によって克服されるのであるから、善 以上が八大伝の本編にあたる。 あるとき子供たちが訪ねると、八大士は争する。この場合、最初に悪玉ははしい いぬえしんべえ あんぐ 第二部は、上段が大江親兵衛の京都に 当主の暗愚なことから内乱を予測し、子ままにはびこり、善玉を苦しめ、ぎりぎ玉は、一見弱そうではあっても、最終的 かんれい さとみ には悪玉よりも強者である、と読者に納 おける活躍、中段が里見氏と管領方の合供たちに速かに他郷に去ることをすすめ、りの窮厄に追いつめる。読者にあわやと せんじゅっ こっゼん 得されることになる。すなわち、この善 戦、下段が大士の栄達と晩年を叙したも 仙術によって忽然と姿を消してしまった。 思わせるはど善玉を追いつめておいて、 かんちょう しんれい 悪争闘の形式は、勧懲の効果をあげるた の、というように区分される どたん場で話は一転し、神霊の加護や宝 ぶんめ、 馬琴の小説作法 文明十五年 ( 一四八三 ) 、里見侯は八大 玉の威力また仲間の加勢によって善玉はめにも適切なものなのである。 ちょっきょ ばきん しかし、このように明確に善玉と悪玉 士に金碗姓を賜わる勅許を得るため、大 八大伝に限ったことではないが、 馬琴救われ、悪玉を克服する。八大伝の全編 いん さとみこ・フ 0 ばたん ちゅだい ふせひめ てんえん ちゅだい ちゅだい さとみ いえしんべえ なっ 160
どうせっさだまさ と ) ! やっさだまさ ひらめか 名刀を閃して道節定正を刺す谷定正は狩 いやまどうせっ の帰り村雨丸を進上するという犬山道節を そばに呼んだ道節は突加定正の首を斬り父 の仇をうったが実は替玉であった逆にはか あらめ られた道節は敵を斬りながら荒芽山へ逃げた むらさめまる 01 、 ' ・なも 呼 丸ま申 狼 者皐藪ー き 出 節 た 四 て 釣 と や お ふ し 貝ん と にみお 管り 仰 た す れ 練月 つ 太たそ た 知 づ友か ッ ば の し は し り 陰げ フ E だ っ 郎れ 正ま 領立 て の 馬ま と わ る 出 っ ろ 尸 か た つ ク ) と 家ゖ か 高 疋て け ら そ で る お て 愚ぐ 男 り つ は は の た さ は 刃こ 古ご正まて の と り よ 、民完薪えは ま け ざ の れ な ら と 、は ど 疑 疋だ 。老 汝替 ま 刀 を た ろ く を り ろ 田た 力、 さ : 免 い 祖 正ま君え臣 に を 玉迷を郎すま も 大に 愚 を と な 先 突 進 山 : 呼 げ を の 父ぶ大池 : ; し か 金勺 す っ ん わ 助け と の つ 山ま や袋す力 し 尊をで 倒 上 友を や 道 ; ど 細の 疋し さ も は、 て り た の ・入の 頸仇 : す す 。節豸 す 正ま の 出 わ に フ E だ ナロ 正まむ を 道 ; 戦 聴き そ 将 そ 卿 ; 銭ド る と を よ が り め ク ) 押 丁を今道 ; に の の り の 軍 く 目た あ そ っ を を ふ 策 1 汝 り 床ま 多 ぞ と 集 し 分 去 ち し 太たよ と い げ 勢 の 大耋 に 几ぎす 刀ち め 年 り よ て か は さ が が の の い 出 を 寺 た 出 天 も せ き ら 独 し 白ヒ っ の わ た ぎ の て 隊 す 氏皀ぞ め 太た る 切 す 地 そ よ は 井。、軍 そ り て 秋 れ よ の の 卿 ; に 郎 : 。児 れ 城 資 く か か の ク ) をて 先 を 勢 ま 大 り 金 を た 恨 大 へ 降 と 疋だに ら そ ひ 頭 追 山一族 に 片 び で 出 を イ修 み つ ら 汝 入 巨 は 道 ; 全 の 仮 ん 早 相豸太た け か 験ー田た の と と れ い 持会 め 刃こ節茗 胸 寄 伝一郎す と く せ 者 か ま ば あ 皿 て の 名 っ け れ 早 り し つ せ 与せ 大 で 姿 ら ま 狩 た れ 叩 き か か て 道を 村ち 若ば ね ら ら を け と い 尸 と を 跪ー大 道 ; 落 て 道 ; れ 年 と ま 出 や よ は 匹 武む る の なんじ 82