てんそん にしんかいぶ 0 ニ神会舞図天孫ニニギは地界を治めるた め降臨することになったが途中で一行を先 導するためにやってきたという国神に出会い アメノウズメと対決させた富岡鉄斎筆 てんそんこうりん O 天孫降臨神話を伝える高千穂峰 ( 宮崎 ) 天降り ↓め圭 6 / 、た ひつぎ ここにおいて、アマテラスとタカギ、改めて日嗣の子、 アメノオシホミミを呼んだ。 アシハラノナカックニ きじゅん 「今の知らせによれば、葦原中国は帰順したそうである。 なんじ まか 汝、かねて任せておいた通り、かの地に下って、これを 払伯めよ」 すると、アメノオシホミミはこ、フ答えた。 「下ろうとて、旅の支度をしていたところ、たまたま生 アメニギシクニニギシアマッヒコヒコ まれし子あり。その名は天邇岐志国邇岐志天津日高日子 ニギノミコト 、カカ 番能邇邇芸命。 この子を下しては如何」 ひつぎ アマテラス、このニニギをもってアマッカミの日嗣と きめ、大事を託した。 トヨアシハラミズホ 「この豊葦原の水穂の国は、汝の治むべき国なり、と委 ねたるぞ。この命に従い、天より地に降り下れ」 アメ / イワクラ ここにニニギ、タカマノハラの座所なる天之石位をは いふうどうどう やえたなぐも なれ、八重多那雲を押し分け、威風堂々、道を押しひら はる うきす アメノウキハシ き押しひらき、天浮橋の浮洲に立って遙か見渡すほどに、 ックシ ヒムカ タカチホ やがて筑紫の日向なる高千穂の峰に降り立った。 おとめ カササ ニニギは笠沙の岬にて、美しい乙女に出会った。 「そなた、誰の娘しゃ ? 」 オオヤマッミ / カミ カムアタッヒメ 「大山津見神の娘にて、名は神阿多都比売、またの名は コノハナノサクャヒメ 木花之佐久夜比売と申します」 どうほ、つ 「同胞はいるか ? 」 イワナガヒメ 「姉に石長比売がございます」 「わしはそなたを妻として、契りたいと思うが、どうじゃ」 「わたしからは、なんとも申し上げられません、父の大 ゆだ
タカマノハラ ニニギノミコト 高天原より降臨するニニギ邇邇芸命肇国創業絵巻安田靫彦筆 こうりん
ウ・ノヱ、ロ サクヤヒメが出産したと伝えられる無戸室の さいと 跡 ( 宮崎・西都市 ) ニギとの一夜の交わ りで身ごもったヒメは ニギの疑惑を晴ら ふさ うぶや すため出入口を塞いだ産屋の中で火を放つ という壮絶な出産をして身の潔白を証明した 山津見神から、お答えいたすでしよう」 ニニギはさっそく使者を立て、オオヤマッミにサクャ しよ、も、つ ひつぎ ヒメを所望した。オオヤマッミは相手が日嗣の御子ゆえ たてまっ ゆいのう 大喜び、山と積んだ結納の品を奉るだけでは気がすます、 姉のイワナガヒメまでも副えて奉った。 むざんしこめ ところで、このイワナガヒメは見るも無残な醜女、ニ おぞけ とたんさむけ ニギは途端に寒気に襲われ、怖気をふるって送り返して しまい、サクャヒメだけを留めて、一夜の契りを結んだ。 オオヤマッミはイワナガヒメを送り返されていたく恥 し入り、次のように申し送ってきた。 いっーてまたてまっ 「わが娘ふたり一緒に奉ったのは、余の儀にあらず。イ アマッカミの御子の ワナガヒメ、その名の示すが如く、 いのち、雨降り風吹けども巌のごとく永久にゆるぎなき ヤマッミノカミ いわお よう、と念じたればこそ。また、コノハナノサクャヒメ、 木の花の咲き匂うがごとく栄えま その名の示すが如く、 ち力い ウケイ すよう、と誓約の誓を立てて、奉ったものでござる。し かるに今、イワナガヒメをお返しになり、コノハナノサ クャヒメのみをお留めなされし上は、アマッカミの御子 もろはかな のおいのちといえども、木の花の散るか如くに脆く儚き ものとなるやもしれませぬ」 ゆえ それ故、今にいたるまで、代々の天皇のいのちは長く ないのである。 やがて、サクャヒメはニニギの前に出て、こう告げた。 「わたし、みごもり、今や生むときになりました。しか し、これはアマッカミの御子なれば、ひとり勝手に生む ゆえ べきにあらす。それ故、こうしてお耳に入れるのでござ
海幸山幸神話の舞台と伝えられる青島海岸 ( 宮崎 ) います」 ニニギはこれを聞くと、疑ってあざけって一言う。 「なんとサクャヒメ。そなたはただの一夜で、みごもっ たと申すか。それはわしの子ではなく、さだめしクニッ カミなんぞの子であろう」 「わが子、もしクニッカミの子であるならば、無事にお 産は出来ますまい もしや、アマッカミの御子ならば、 必す安産でございましよ、つ」 ャヒロドノ サクャヒメ、そう言うや、八尋殿をつくり、その中に ふさ 入ると、内側より土を塗って出入口を塞ぐ。かくて、 けつば′、 ざ産まんというとき、身の潔白のあかし、火を放ち、そ ホデリノミコト ホスセ の燃えさかる中に生まれた子の名は火照命。次に火須勢 理命。さらに火遠墸命、別名天津日高日子穂穂手見命で ある。 ウミサチ 海幸と山幸 ホテリノミコト えもの ホオリノ ウミサチビコ 兄の火照命は海の獲物をとる海佐知毘古、弟の火遠理 ミコト えもの ヤマサチビコ 命は山の獲物をとる山佐知毘古であった。 ヤマサチビコ ウミサチビコ あるとき、山幸彦のホオリ、海幸彦のホデリに向って 一一一一口った。 「たまには、互いの幸の取り替えっこをしてみないかお つり・・はり れの弓矢を貸すから、兄貴の釣鉤をおれに貸してくれ」 ホデリはケチな男であった。ホオリは三度もたのんだ あいかわ か、ホデリは相変らすうんといわない。しかしなから、 相手は弟のことでもあるし、ひき替えの弓矢もあること ヤマサチ さち
しかのしま 志賀島の金印 かたが一般的となっている。 かささ ひむかたかちは ところで、日向の高千穂と笠沙の浜の場所の比定につ つくし ひむかたかちほ うえだまさあき いて、京大教授の上田正昭氏は、筑紫の日向の高千穂と ふくおか つくし ひゅうが みやざき 筑紫、つまり福岡県 いうのは、宮崎県の日向ではなく、 のことだと指摘した。 からくに ふくおか 福岡なら、〃韓国に向い。と記された位置指定がびつ とうげ つくし たりである。また古田武彦氏は、筑紫の日向峠のことで、 たかす その近くの高祖村にクシフル山があったといっている。 ちくぜん かささ そして、笠沙は、同しく筑前御笠郡のことで、天照大 あわぎはら つくし ひむかたらばな みかみ 御神が誕生した筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原という のも、博多湾西部の姪の浜付近で、そこに小戸神社があ 「ると一い、つ。 たしかに、稲作に関係した名前をもっ皇孫が、稲作に かささ しささ 適さぬ南九州の南端近い笠狭の浜へ下りるのは、、 か理に合い ( きりしま たかちほ それに、霧島火山群中にある高千穂の峰から笠狭まで かささ みやざきたかちほきよう はすい分遠く、宮崎の高千穂峡からこの笠狭へ行こうと ひゅうが 田じ、つ A 」 いったん日向市へ出て、東九州の長い海岸線を 南下しつづけた果てにやっと大隅半島にたどり着くとい こうりん たかちほきよう った状況で、とても高千穂峡に降臨したニニギの命が、 かささ すぐさま笠沙の浜へは行きにくい みかさ ふくおか その点、同し福岡市の御笠と日向峠ならつい目と鼻の 先である。 てんそんこうりん よ、稲作農民が そうしてみると、この天孫降臨説話 ( 海を渡って北九州へ渡来した事実を、神話的に表現した ものといってよいだろう。 やまたい ふくおか 糸島という所が福岡市の西にあって、ここは、邪馬台 はかた めい おおすみ かささ あまてらすおお と 国でいう伊都国と志摩国を一つにしたものといわれてい かや るが、この糸島に伽耶山という山がある。 しゅうれい 糸島富士ともいわれている秀麗な山容で、有名なドル たたず メン ( 支石墓 ) のあるあたりに佇むと、つい真正面にそび えたっている。 から かや かや この伽耶はすなわち南朝鮮の伽耶であって、加羅にも からくに 通しる。つまり韓国とは、加羅のことなのだろう。 てんそんこうりん そうなると、天孫降臨説話も、すい分変ったものにな ってる。 ところが古事記は、この天孫降臨に引きつづいて、 でんしよう きなり海人族の伝承をつけ加えている。 うみひこやまひこ このはなさくやひめ つまりそれが、木花咲耶比売の伝承であり、海彦山彦 の説話である。 うるわ かささ にぎのみこと ここあまつひこひこはのに ″是に天津日高日子番能邇邇芸能命、笠沙の御前に あ しき美人に遇ひたまひき〃 とあって、沢山の部族を引きつれて仰々しく降臨した はすの皇孫が、下界へやってきてはしめて行ったことは、 かささ 笠沙の浜で一人の美人と会ったことだった。 た むすめ 「誰が女ぞ」 とたすねると、女性は、 かむあたつひめ おはやまつみのかみむすめ 「大山津見神の女、名は神阿多都比売、亦の名は木花佐 くやひめ 久夜毘売」 と答えた。 古代の人名地名は、みな当て字で、漢字を発音に従っ ひめ て当てているだけのことなので、比売も毘売も日女も、 みな同しヒメである。 天津、阿多都とある、津や都は、どちらも接続詞で、 らようせん ひめ このはなさ 146