大后 - みる会図書館


検索対象: グラフィック版 古事記
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1. グラフィック版 古事記

瀬戸内海 ( 香川県より児島方面を臨む ) おお、きき 大后イワノヒメ、この歌を聞いて、ますます怒り狂い ナニワ オオウラ 難波の大浦に人をつかわし、クロヒメを舟より追いおろ し、陸地を歩けと追い払っこ。 いレ小いレ亦ー ) さ オオササキ、クロヒメを忘れかたく アワジ おおま、 募り、ついに大后をあざむき、淡路島を見に行くとて旅 に山山る。 アワジ オオサザキ、淡路島より旅を重ねて、吉備の国に行く りようも・ かのクロヒメ、いそいそと出迎え、その国の山の料地に オム刪ー ) ノ、歌し オオサザキを案内して、食事を差し上げこ。 歌って別れた。 オオサザキ、クロヒメとは別れたが、その後、イワノ ャダノワキイラツメ ヒメが旅行中、異母妹の八田若郎女に手を出した。イワ ノヒメは宮中の宴を開くための準備に、御綱柏を求めて、 のちの紀伊なる木の国まで旅に出たのである。 さて、大后はかの柏の葉を船に載して、機よく帰 コジマ 途についた。ときに、吉備の児島の出の人足、都より故 ナニワ おお、き 郷に帰ろうとて、難波の船着場にさしかかり、大后の供 ぞうし におくれた雑仕の女どもの船に出会った。人足、顔見知 うわさばなし ぞ・つしめ ) の雑仕女に、噂話をしゃべって聞かせた。 かみ ャダノワキイラツメ 「お上は近頃、八田若郎女とねんごろになされ、夜昼か おおき、 ぞんじ まわす、ふざけちらしておいでさ。大后は何もご存知な 、のん気に旅を愉しんでおられるとは、いい面の皮よ」 おおま、き これを聞いた女、さっそく大后の船に追いっき、そっ おお、き りそのまま申し上げたのだから、たまらない。大后、 みつながしわ たちまち怒髪殪をき、 に積んだる御綱柏をことごと く海に投げ捨てた。されば、この地を御津の一則とはい、つ。 ナニワ 大后イワノヒメの怒り、 なお収まらす、難波の宮に帰 おさ みつながしわ にんそく - んそく

2. グラフィック版 古事記

はりえ ろうとはせす、堀江をさかのばり、河のまにまに山城へ とのばりゆく。それより、山城をめぐって奈良に行き、 ツッキ ヤマト 大和をすぎて、また山城へひき返し、しばらくは筒木の か・ら・びー、 韓人、名は奴理能美という者の家に着い とわり オオサザキ、を呼び戻そうとて、舎人の鳥山とい ヤマシロ ヤマシロ トリヤマ ヤマシロ さいとばる 船の埴輪 ( 宮崎県西都原古墳出土 ) はにわ おおま、き 大后は戻ろうとしないので、 う者を使いに出した。が、 クチコ 今度はロ子に託して、歌を大后におくった。 御諸のその哥城なる大韋子が原 おほゐこ 大猪子が腹にある あひおも きもむ 肝向かふ心をだにか相思はすあらむ また、次の歌をおくった。 つぎねふ山城女の ち捶ちし大 しろたむき 根白の白腕 枕かすけばこそ知らすとも言はめ さて、ロ子臣、右の歌を口づてに読み上げる折しも、 大雨降り来たる。クチコ、雨に打たれるままに表の戸口 おお、きき にひれ伏せば、大后は入れ違いに裏の戸口に出る。裏の 戸口にひれ伏せば、表の戸口に出る。クチコ、這いさま ひざまず しんた、 よって進退きわまり、庭の中にて跪いているうち、水が クチヒメ おお、、つか たまって腰にまで及んだ。クチコの妹ロ比売、大后に仕 かたわら えて傍にあり、このさまを見て、歌っていう。 、こャ ツッキ ヤマシロ 山城の筒木の宮に せきみ 物申す吾が兄の君は涙ぐましも おお、、 クチヒメ ロ比売が泣くを見て、大后、そのわけを問う。クチヒ メ、答えていう。 「あれなるは、わが兄、クチコの臣」 ここに、クチコ、クチヒメ、それにヌリノミ、三人し ものもを ミモロ わじろ クチコノオミ ヤマシロメ オホヰコ オ : 、

3. グラフィック版 古事記

て相談の上、オオサザキげていう。 おお、きき 「大后がここにお出でなされたは、余の儀にもござりま せぬ。ヌリノミが飼う虫、あるときは這う虫となり、あ るときは卵となり、あるときは飛ぶ鳥となりて、三色に 亦夂る妖しき虫にてござる。されば、この虫をごらんにな ろうとて、大后はここにお出でになられた。御心に、つ ゅ変りはございませぬ」 「なるはど、不思議な虫もあるものよ。よし、わしもひ とつ見に参ろう」 あや みら : っ 仁徳天皇陵 ( 大阪・堺市 ) オオサザキ、山城に出かけ、ヌリノミの家に入る。と きに、ヌリノミ、おのれの飼う虫を大后に轗した。大后 からオオササキに見せるよう、はからったのである。 ャタノ ハヤプサワケノミコ なかひと オオササキはまた、弟速総別王を仲人に立てて、八田 メドリ / : 、コ ワキイラツメ 若郎女の妹の女鳥王を召そうとした。この申し入れを聞 使者のハヤプサワケに答えて言う。 ャタノワキイラツメ おお、ききわた 「かのひとは大后の妬みを恐れはばかり、八田若郎女さ え召しかねておいでではありませんか。そのような方に、 なんでお仕え出来ましよう。わたくし、あなたの妻にこ そ、なりたいと思っておりますのに」 そこで、共に寝てちぎった。従って、ハヤプサワケは オオサザキに対して、何の返事も伝えすにいた。 オオササキは苛として、ついに直接メドリの家に押 しかけた。このとき、メドリは部屋にて機を織る。オオ サザキ、歌をもって問いかける。 メ 2.- リ・ 女鳥のわが王の 織ろす服謳が料ろかも これに答えて歌う。 律くや速総別の御襲が料 オオササキ、さてはとさとって、宮に帰っこ。 ち、ハヤプサワケが来たとき、メドリは歌う。 ひーり 当雀は天に翔る サザキと 第 7 捕らさね 部律くや速総別 オオササキ、この歌を伝え聞き、ただちに兵をおこし て、二人を討つ。 はか ニントクぎようねん オオサザキ、諡して仁徳、行年八十三。陵は和泉の毛 受の耳原にある。 つか あめ ヤマシロ おは、み オこのの

4. グラフィック版 古事記

タケシウチノスクネ 建内宿禰と神功皇后 チカツオウミ ケイコウ タカアナホ 景行のあと、ワカタラシヒコ、近淡海の志賀の高穴穂 タケシウチ / スクネ に宮殿をつくり、 天下を治む。この世に、建内宿禰を大 クニノミャッコ おみ 臣に任し、大小諸国の国造をさだめ、また国々の境界、 たれかたぬし さらには大小もろもろの県の県主をもさだめ、制度ここ い ~ レ J レ J の、フ。 ダカナミ 第・ねん ワカタラシヒコ、行年九十五、陵は沙紀の多他那美にあ ジングウ おくりな 諡して成務という。 くりい おくりな 成務のあと、タラシナカッヒコ、位につき、諡して仲 アイ ナガト 哀。これヤマトタケルの子にして、宮殿をのちの長門で アナト トヨラ カシヒ ある穴門の豊浦、また筑紫の訶志比につくり、 天下を治 オオナカッヒメ む。四子あり。大江王の娘、大中津比売を后として、生 オキナガタラシヒメ カゴサカ / ミコオシクマ / ミコ おおきう、 まれた子は香坂王と忍熊王。また、息長帯比売を大后と オオトモワケノミコト ホムャワケ / ミ して、生まれた子は品夜和気命、つぎに大鞆和気命、別 ホムダ . ワケ / ミコト 名品陀和気命。このホムダワケ、太子となる。 セイム セイム オオ工 / ミコ チュウ オキナガタラシヒメ ( 神功皇后 )

5. グラフィック版 古事記

おお、、 「およそこの国、大后の胎内にいます御子の治むべき国 タケシウチノスクネ 建内宿禰、つつしんで問う。 おおきさき 「かしこし、わが大神、そも大后のみ腹におわす御子、 いすれの御子ぞや」 「男の御子ぞ」 し力なる神におわすや。 「今かくさとしたまう大神は、、、 おん名、ねがわくはげさせたまえ」 み・ : ろ 「これはアマテラス大神の御心と知れ。また、これを取 ソコツツノオナカツツ / オウワッツ / オ り行うは、底筒男、中筒男、上筒男の三柱の大神なるぞ」 すみよし ジンク - ウ スミョシ この三柱の大神は住吉三神にて、海路をつかさどる神 である。このとき、初めてその名が顕われた。神、つづ けて一一一戸つ。 「今まことにかの西方の国を求めんと思えば、天っ神、 た一よっ 国っ神、また山の神や海河の神々に洩れなく幣帛を奉り ひさご わが御魂を船の上に祭り、魔よけの真木の灰を瓠に縟れ、 箸と皿とをあまた作ってこれを大海に散らし浮かべて海 しおじ 神に捧げ、さてこそ潮路を押し渡るべし」 されば、神の教えに従い、群臣を集め、軍をととのう。 おお罵、 ときに大后オキナガタラシヒメ、髪を解いて海水にひた せばおのすから二つに分れ、これをミズラに結いて男の 姿となる。神託の御子、いまだ胎中のことゆえ、母なる おおきう、 大后これにかわって、天下を治む。このオキナガタラシ ジングウ ヒメ、世に神功皇后とは呼ぶなり オキナガタラシヒメ、軍船つらねて海を渡る。ときに 海の魚ども、大小もろもろ嬉々として集まり、軍船をそ の背に負いて運ぶ。さらに、飃つよく吹きおこり、軍 沿は波のまにまに進み行 く。この軍船の勢いにて波また シラギ 激しくあがり、新羅の国の岸に押し上り、国の半ばまで シラギ 海水は浸した。この有様を見て新羅の国王、恐れ入って 「今よりのちは、大王のみことにたがわす、卑しき馬 の職とても辞しませぬ。必すや年ごとに船をつらね、船 み 腹も乾くひまなく、櫓も櫂も乾くひまなく、 貢の船たて まつり、天地とともにとこしえに仕え申さん」 シラギ ミマカイ クダラ かくて、新羅の国をば馬である御馬甘と定め、百済 ワタリ / ミャケ の国をば渡屯家すなわち海外の料地と定めた。 かわ ささ みたま ひた しんたく うみかわ ぐんしん みてぐら あま

6. グラフィック版 古事記

チュウアイ 建内宿禰タラシナカッヒコ ( 仲哀天皇 ) の 大后オキナガタラシヒメと協力して地方統 治を進めるオキナガタラシヒメは神がかり たくせん でえた託宣で軍船を押し並べ新羅の国へ 攻めいり新羅百済を海外の領土と定めた タケンウチ / スクネ オオトモワケ タラシナカッヒコ、これに応えて言、つ。 この、大鞆和気と呼ばれるいわれといえば、生ま 「高きところに登りて、西方を見れども、国土らしきも れしとき、腕に鞆のかたちしたる肉があったからである。 のは見えす、ただ大海に波のきらめくが見えるばかりし は弓を射るとき、左腕に巻く半円のなり。それゆ さんかん え、この太子、母の膃獻にあって、三韓を平定せしこと、 ミャケ じようのう アワジ ここに、その神、烈しく怒る。 のちに知れた。この世に、淡路の屯家を定め、上納の穀 おさ 「わが教えし西方の国はおろか、汝、この国とても治め 物を納む。 カシヒ ックシ るにふさわしからぬ奴しゃ。汝の行くべき道は一筋、か タラシナカッヒコ、熊曾を討たんこと、筑紫の訶志比 / ミャ おおま、 の黄泉の国に落ちるべし」 宮にありしとき、大后オキナガタラシヒメ、神がかりと タケシウチノスクネ 建内宿禰、見かねてタラシナカッヒコに言う。 なる。すなわち、神をまねかんとて、タラシナカッヒコ しんりよ オオムラジタケシウチノスクネ 「おそれおおし、わが大君よ。神慮にさからうことなか みすからが琴をひき、大臣建内宿禰、はらいきよめたる み・一し、 しんたく れ。おん手をやすめたまわす、その御琴、なおひかせた 庭にかしこまり、つつしんで神託を請いしとき、琴の音 おおき巻、 まえ」 鳴りひびけば、大后オキナガタラシヒメ、神がかりして、 たくせん 仕方なく、気のすすまぬままに、琴をかき鳴らす。と 託宣をつたえて言う。 あや 思うまに、琴の音やみ、燈をかかげて見れば、タラシナ 「西の方に国あり。黄金、白銀をはじめとして、目も綾 いきた すて いと多くその国にあり。われ、今 に輝く宝のくさぐさ、 カッヒコ、既に息絶えていた。 よよ 神の怒りの烈しさに、人々みな驚き恐れかって、喪 やその国をば汝に帰順させてとらさん」 あらきのみや を秘して殯宮を営み、なきがらをこの仮の喪屋に納む。 おおはらい ささ らいもの さらにまた、国中から大祓の祓物を集めて神に捧げ、も ろもろの罪の穢れをはらう。生きながらにの皮を剥ぐ 、きはぎさかはぎ あぜみぞ あ・ちみぞうめ 生剥逆剥の罪、田の畔や溝を埋める阿離溝埋の罪、神聖 きんしんそ・フかん なる場所に糞ひりちらす屎戸の罪、近親相姦の上通下近 じゃっかん うまたわけうし・ - わけとワたけ、ぬたわけ 孀の罪、獣姦の馬婚牛鶏婚婚の罪など、その穢れを ことごとく祓って、国中をきよめた。 タケシウチノスクネ ここに建内宿禰、再び清めたる庭に立って、神託を請 おお、きき う。神、大后オキナガタラシヒメにのりうつり、さきに せいちょう たくせん 託宣なしたるときと全く違わぬ言語声調にて、さとして もっ うて なんじ しヤ、も ′イ きじゅん 一一カ。れ クマソ しろがね くそへ おさ

7. グラフィック版 古事記

ユウリヤク おお オオハッセ ( 雄略天皇 ) が大和より河内へ大 ! さき 后に望んだ女性のもとへ行く途中堅魚木を オオアがタヌシ 高く載せた家にすむ臣下大県主がいた大県 主はオオハッセの怒りに震えおののき謝罪 のため布をかけた白大をオオハッセに贈った 白犬 ヤマト ワカクサカ さて、オオハッセ、若日下を大后に望んで、大和より カワチ クサカ 河内に行くとき、日下山を越えて小道を歩いた。このと かつおぎ き、山頂に登って国のさまを見るに、屋根に堅魚木を高 く載せてつくった家があった。オオハッセ、これを目に じゅうしゃ とめて従者に問う。 かつおぎ 「かの堅魚木を上げて屋根をつくりし家は、何者の家し オオアガタスシ 「志幾の大県主の家にござりまする」 ふきげん オオハッセ、不機嫌になり、あらあらしく言う。 「やっこめ。臣下の分をもって、おのれの家を王宮に似 せて作ったか ! 」 すなわち、人をつかわして、その家を焼かせようとし ぶん かつおぎ 堅魚木のある屋根 た。大県主、震えおののき、オオハッセのもとに飛んで 来て、伏し拝みながら、恐る恐る申し上げる。 げせん そ - フお - フあたま 「下賤のこととて、それ相応の頭しかございませぬ。何 も分らぬまま、つい分をわきまえす、あやまってつくっ てしまいました。おそれ多いことにございまする」 すず けんじよう 罪のつぐないに、献上物をする。白大に布をかけ、鈴 コシハキ ひきづな をつけ、一族の腰佩という者に、大の綱をとらせて献 上した。オオ ( ッセ、を直し、大県主の家に火をつ けさせるをとりやめにした。 さて、ワカクサカのもとに行き、オオハッセ、その大 を贈って言、つ。 「これは今日、道中にて得た珍しきものしゃ。のし るしぞ」 ワカクサカ、侍女をやって、オオハッセに言う。 ヤマト カワチ 「東にある大和より 日を背にして河内においてなされ たとは、めでたき儀には不吉のおそれあり、こなたより、 ヤマト 大和の宮にのばって、お仕え奉らん」 ヤマト クサカ とちゅう オオハッセ、大和に帰る途中、日下山の坂の上に立っ て歌う。 い末一本立此こ 冝日ク 組一方 ~ にち方、薦を下 竹をに は栄此こ は ゆ方ち平 ) の いるの群リ の此こ 組くた組ー み繁ー竹葉は山山方ち は竹生ぉ広ののの 寝ゎ生ひ貢峡ま山 すひ 檮し オオアガタスシ ふる じじよ ぶん っカ たてまっ 102

8. グラフィック版 古事記

おおきさき 嫉妬深い大后 ナニワ ダカッ / ミャ オオサザキ、難波の高津宮にて天下を治む。ある日、 高き山にのばり、四方の国を見渡して言う。 「国中に、かまどの煙が立たぬ。これすなわち、人民み な貧しきが故ならん。今より三年というあいだ、人民の そぜ、 めんじよ ぶやく 租穩、夫役を免除せよ」 かくて三年後、再び山にのばって見渡せば、国中かま どの煙は立ちのばる。 「民のかまどは、にぎわいにけり オオササキ、人民富めりと深く頷き、今はよしとて租 ヒジリ / ミカド ぜいぶやく 税夫役を復活した。それ故、この世を穩して、聖帝の世 を ) はい、つ。 下っ巻王位継承 ふつかっ イワノヒメノミコト おお、きき しっと ところで、大后の石之日売命、嫉妬の激しいこと、ふ きゅ・つじみ つうではなかった。オオササキに仕える宮女たち、恐れ ふるま て寄りつかぬ。もし、わすかでも宮女があやしき振舞い にて、オオササキに近寄ろうものなら、イワノヒメ、た どよって ぎやくしよう ちまち怒髪旡を衝いて逆上する始末であった。 きび アマべノアタイ されど、オオサザキはあるとき、吉備の海部直の娘に クロヒメ ようしよくばつぐん て黒日売なるもの容色抜群と聞き及び、これを宮中に召 しっと し寄せた。たちまちイワノヒメ、嫉妬にり狂い、その 恐しさに耐えられす、クロヒメは吉備の国に逃げ下った。 た - 力」この オオサザキ、高殿にのばり クロヒメの船出す・るけし きを遙かに眺めやりなから、歌っていう。 をぶねつら 沖方には小舟連らく こわぎも くろざやのまさづ小吾妹財へ下らす おきへ

9. グラフィック版 古事記

上っ巻ーー神々の誕生 国造り・ 黄泉国 : ろち 宀じ . : 3 虫ワ朝 ャチホコ 八千矛の神の歌物語 : 朝 あまくだ ウミサチ 天降り・ : 中っ巻ーー建国のひびき 大和への道 : 神の御子 : 撃ちてし止まむ : サホビコ ヤマトタケルせいせ 美の変 : 沙本毘古の反乱・ : 間 倭建の西征 : 7 ジングウ タケシウチノスクネ 望郷の歌 : 建内宿禰と神功皇后 : 崩 下っ巻ーーー王蘿小 おおきさき ぎやくしん 嫉妬深い大后 : 並逆い : 囲 鹿の群猪の群・ : 皿白大 : 仇討ち : 火焚きの童子 : 〈ロ絵〉天照大御神の御徳・横山大観筆櫛名田比売・巨勢金岡筆高千穂の峰々 筆橿原即位・吉村忠夫筆 目次 ヤマト ・フさぎ、 ョモックニ 105 近藤啓太郎 みそ アメノイワャ やまた 契ぎ成、 : ・ 天岩屋・ 一二月し : 八俣の大 オオクニヌシ じゅなん むろ へびむろ 大国主の受難 : ・四蛇の室蜂の室 : にゆず 小さい神様 : 雉の使い 国譲 トヨタマビメ 海幸と山幸・毳海神の宮 : 豊玉毘売 ・あ・だ、 - フ 107 や 102 ヤマサチ ふりん 不倫の恋・ : 目弱王の変 : カズラキ 葛城山 : 三輪川の乙女 : キギシ メョワノミコ 103 当芸志美 せいりよ ′イ方 非 5 し、さ正戸代 王位の争い 8 邇邇芸命降臨・安田靫彦 タギシ 105

10. グラフィック版 古事記

ころも て手に三重に巻き、また酒にて衣をくさらした上、これ かくして、その をまったき衣のごとくに着こなしたり。 子を抱き、稲城の外に立ち出でる。たちまち、力士ども 飛びかかってその子を取り、母の后をも取ろうとて髪を つかめば髪は落ち、手をつかめば玉の緒また切れ、衣を つかめば衣もたちまち破れる。ついに、子は取りえたが、 ちからびと 母の后は取ることかなわす、力士どもひき返して来て、 伏して一一一口、つ。 「おん髪おのすから落ち、おん衣また破れ、おん手に巻 かせられた玉の緒とても絶ち切れたれば、なんとも母な る后をお連れ申すことかなわす、おん子のみ取り奉って 参る」 ざんねんむねん ふんまん イサチは残念無念、置懣やるかたなくてついに八つ当 り、くさるような緒をつけた玉作りどもが悪いとばかり、 こレざ しト・りよ・つ その所領の地をことごとく取り上げる。されば諺に、「地 ちからびと たてまっ 男と女の踊る埴輪埼玉県江南村出土 と・月 「骨折り損のくたびれ儲け」の 得ぬり」とはいう。 類いであろ、つ。 さて、イサチ、后に申し入れて言う。 「すべての子の名は母がつけるならいなれば、この子の 名を何とつけん ? 」 はのお 「この子、いま稲城を焼くおりしも、炎の中に生まれし ホムチワケ / ミコ 子なれば、本牟智和気御子とつけたればよろしからすや」 いかにして、この子を育てるか」 「箝母をつけ、また浴させるための湯坐の女をふたり、 わかゆえ おおゆえ 正副それぞれ大湯坐、若湯坐と定めて、子を育てたまえ」 ち・きり こひも 「そなたが結びかためし契の小系誰か解かん」 かわ したひ - も 男女の仲のならいとて、互に美しき下紐を結び交して、 これを解くものは、次 また逢うまではこれを解かない に迎える后ということである。 工ヒメ ヒコタダスミチノウシノミコ 「丹の比古多多須美智能宇斯王の娘にて、兄比売、弟 比売。二人ながら、身も心も清ければ、これを召したま このような問答の後、イサチの軍は稲城を攻めたて、 サホビコを亡す。サホビメもまた火中に身を投して、み すから命を絶った。 スイニンぎようねん イクメイリビコイサチ、すなわち垂仁、行年百五十三、 、、、タチノ ヤマトノクニスガワラ 陵は大和国の菅原の御立野の中にある。 、しきつくっ おおきさき 大后ヒバスヒメの死のとき、行棺作を定め、また土師部 も定めた。土師部とは埴輪土器のたぐいをつくる部の民、 - 、もみ : フ いしきつくり 石棺作と共に喪葬のことに従う。すなわち、崇神の世に じゅんし 殉死者を生きながら陵基のまわりに埋める人垣の悪習、 ここにようやく廃せられ、土偶がこれに代ったのである。 なんによ よじべ はろば ・し・フ はじべ オト